三人と煉獄
煉獄が剣道場へ足を踏み入れた時、部員たちからの視線が一身に集まるのを感じた。一礼をして見学者らしき者たちのそばへ寄り正座をしてから辺りを見渡して目当ての人物を探すと、端のほうで数人固まってこちらを観察しているのが見えた。
馴染みの顔へ笑みを向けると、柔らかく目が和むのがわかった。部活中なのでこちらへ近寄ることはなく、そのまま近くの部員たちと話を再開している。
話しているのは中学の個人戦で勝ち負けを繰り返した相手が二人。紛れもなく煉獄が目当てにしてきた人物だ。
「伊黒、来たぞ! お久しぶりです! 煉獄といいます!」
「知ってる」
入部届を出した後、煉獄はすぐに馴染みのそばへと駆け寄り声をかけた。
伊黒は煉獄と小学校から付き合いのある友人であり、ともに剣道で切磋琢磨した相手でもある。気安く挨拶を返した伊黒に知り合いなのかと問いかけるのは不死川、煉獄の挨拶に短く返したのは冨岡だ。
「煉獄とその家族には世話になってた」
伊黒は少々難しい家庭で育ち、小中学校の頃は煉獄家で過ごしていた。煉獄の家族とも仲が良く、家を出ていって寂しそうにしていたほどだった。これ以上の迷惑はかけられないと高校から伊黒は勝手に下宿先を見つけてきて出ていってしまったのだが、時折電話や会って近況を聞き、下宿先の者たちとも悪くない生活を送っていると聞いていた。素直ではない伊黒の物言いは、煉獄の耳にはとても楽しいと言っているように聞こえていた。
「下宿は高校の近くなんだったな。うちもさほど遠くないから、先輩たちも是非出稽古に来てほしいです。剣術道場をやっているので」
「へェ、そりゃ興味あるなァ。煉獄んとこの道場か」
「俺もしごかれていた。勉強になる」
悲鳴嶼にも打診すれば部活で恒例になるかもしれないと伊黒が言い、それならばと早速顧問のもとへと走っていった。元気だな、と小さな声が背後から聞こえてきた。
「煉獄の実力は部員の中でも知れ渡ってる。うちに来ると聞いて悲鳴嶼先生は泣いていたしな」
「宇髄が断りまくったせいもあるかもなァ」
「卒業式にも泣いてたな」
帰りに伊黒に声をかけられ、煉獄は三人とともに学校を後にした。途中までは全員同じ道を通るらしく、そのまま並んで歩いていく。
試合での様子しか知らなかったが、彼らはどうやら仲良く過ごしているらしく、友人間の気安さが見えている。今年は三人とも同じクラスになったと言い、伊黒はまた素直ではない様子を見せて溜息を吐いていた。
「俺こっち。じゃあなァ」
「ああ、お疲れ」
「また明日」
「お疲れ様です! 俺は左に行きますが冨岡先輩の家はどっちですか? 伊黒の下宿先はどっちだ?」
十字路で一人違う道へ向かおうとした不死川が立ち止まり、冨岡は妙な顔をして煉獄を見た。何か変なことを言ったかと首を傾げて言葉を待った。
「俺と伊黒は真っ直ぐだ」
「そうなんですか。ではまた明日!」
「おい、お前こいつに言ってねェの? 会ってるとか言ってたのに」
「そういえば鱗滝さんの名前しか伝えてなかったな」
煉獄へ顔を向けた伊黒は冨岡を指し、一言呟いた。
「俺の下宿先はこいつの家だ」
「………! 何だと! 一緒に下宿してるんですか!?」
びくりと肩を震わせた冨岡と不死川のことはとりあえず放置して、伊黒の肩を掴んで問いかけた。ふと気づくとぐったりした伊黒が死にそうな顔で違うと呟き、煉獄は冨岡と不死川に肩を掴まれていた。
「鱗滝は祖父の名字だ。一緒に住んでる」
「何で言ってくれないんだ! 俺も混ぜてほしい!」
「混ぜるも何も、ただの下宿先の知り合い……」
「もしかしたら先輩と手合わせができたかもしれない! 先輩の家に道場はありますか!」
「え……いや、ない」
「そうですか! では下宿先では稽古はしてないんだな?」
「今はしてない……中学の時に庭のもの壊して怒られたから」
「そんなことをしてたら不死川が来たがるだろうしな」
「黙ってしてたら殴ってるとこォ」
どうやら冨岡の家には道場はなく、下宿先では本当にのんびり過ごしているだけらしい。それはそれで楽しそうだ。
「今度遊びに行っても?」
「構わない」
冨岡の許可も得たので伊黒を離し、ぐったりしていた伊黒は安堵の息を吐き出した。たまにこうして面倒になると呟かれたが、それは伊黒が言いそびれたからだと煉獄は突っ込んだ。
「先輩の家族と伊黒が住んでいるのか?」
「高校から住み始めた奴がもう一人いる。もう卒業してるが」
そのまま下宿を続行しているらしい。当分出ていく気はないらしいと冨岡は言うが、きっと居心地が良いのだろう。卒業生ならば煉獄にとっても先輩だ。遊びに行くついでに挨拶でもしておこう。そう口にすると伊黒と何故か不死川の顔が嫌そうに歪んだ。
「あんなのに挨拶する必要はない。ただの穀潰しだ」
「随分な言い様だな。伊黒も嫌いではないんだろう?」
「まあ、飽きない奴ではあるが……あいつは破天荒過ぎる」
「良い奴だ」
長く住んでいるゆえか冨岡はその下宿人のことはよく知っており、中学から色々と良くしてもらったのだそうだ。伊黒の悪態はわかりづらいが彼も好んで関わっていることはわかる。本当に嫌ならば同じ敷地内で共同生活など続けないだろう。
「そうか、楽しそうだな。伊黒が出ていかないのだから良いところなんだろうし。不死川先輩もよく遊びに行くんですか?」
「ちょくちょく顔出すようになったなァ。たまにこいつの姉さんが甘いもん作って渡してくれるし」
「お前、姉さん目当てに来てたのか?」
「人聞きの悪いこと言うな!」
冨岡には姉がいるらしく、同じ屋敷内で寝起きしているのだそうだ。煉獄の母は付き合いも長くすでに慣れているが、伊黒は昔から女性が苦手だと言っていた。冨岡の姉は必要以上に構ってくることはなく、良い距離感を保って過ごしているらしい。
「うちの母は和菓子をよく作る。美味しいので是非」
「和菓子……おォ……そりゃ良いな」
「食べ物につられるな」
不死川は甘いものが好物らしく、特に和菓子が好きらしい。煉獄の母は水羊羹や饅頭、あんこを使う菓子を作ってはよく家族に振る舞っていた。不死川の琴線に触れたようだ。
「いつ遊びに行って良いか教えてください!」
「いつでも良いが、先生に連絡は事前にしたい」
「わかりました! では今週末で! 不死川先輩も行きましょう!」
「勢い凄ェな」
いつものことだと伊黒が呟くと、冨岡と不死川は少々狼狽えたような様子を見せた。とりあえずの約束を取り付けた煉獄は意気揚々と挨拶をして三人と別れ、週末を楽しみに帰路を走った。