同級生
「入部してない?」
「ああ、私もずっと勧誘してはいるんだが、どうも剣道は中学で辞めたと」
何故。どうしてそんなことになっているのか。入学した高校に中学の先輩がいると聞き、また剣道部で一緒にやれると思っていたのに。
確かに中学を卒業してから試合でも名前を全く見なかった。怪我でもしたのか試合には出ないだけか、自由な先輩だったから残念ではあったがあまり気にしていなかった。自分が高校に上がればまた顔を合わせるだろうと思っていた。
剣道部の見学後、入部届とともに顧問の悲鳴嶼に話を聞くと、本人は至って健康で毎日楽しそうに過ごしているらしい。ただ剣道部には入るつもりはないと、入学した当初にはっきりと告げられたのだそうだ。
その後も折を見ては声をかけていたが、彼はのらりくらりと躱しながら首を縦にだけは振らなかったらしい。高校は好きに過ごすと決めているというのだ。
「何だよ好きにって……剣道やってても好きにできるだろォ」
剣道場からの帰り道、不死川は考え込みながら歩いていた。納得がいかないが、中学の頃は割と不死川とは話をする間柄だった。兄貴風を吹かせてくるのはあまりよく思っていなかったが、先輩というのはそういうものだろうと受け入れていた。引退時期にもまたなと笑っていたはずなのだが。
ふと中庭の見える窓を眺めると、黒髪の男子生徒と話し込むでかい男が目に入った。頭一つは背丈に差があり、筋骨隆々の大男だ。
昔よりもでかくなっているが、あの派手な風貌は見間違えるはずがない。窓枠に手を置いて不死川は叫んだ。
「宇髄先輩!」
聞こえたらしい大男が不死川へ顔を向け、そばで話していた男子生徒もこちらを見た。不死川を覚えていたらしく大男はおお、と笑みを見せた。
「不死川じゃん、お前ここに入学したのか」
「はい。宇髄先輩がいるってのは悲鳴嶼先生から聞きました」
「あー、お前剣道部入んの?」
「ええまァ。さっき入部届書いてきました」
「ふーん。お前も入るんだろ」
宇髄の言葉に男子生徒は黙って頷き不死川を見た。同じ一年らしく先程も見学に来ていたらしい。人数が割と多く、いたかどうかまでは覚えていなかったが。
「宇髄先輩を勧誘してるけど入部しないとか」
「ははは、悲鳴嶼先生そればっかだな。おう、俺は入ってねえよ」
入りたいとも思っていない。そう笑った宇髄に不死川は思いきり顔を歪めた。
「何でっすか。宇髄先輩ならいくらだって勝ち狙えるだろうに」
「そりゃ俺様だからな。でも狙ったってつまんねえもん、やらねえよ。別にお前らがやるのは良いと思うけど」
干渉しないから干渉するな。まるでそう言われたようで不死川は気分が悪くなった。干渉などしていたつもりはなかったが、宇髄には要らぬ世話だったらしい。
中学から始めた剣道は、宇髄のいた頃は確かにへなちょこでつまらなかっただろう。だが毎日の練習は不死川を試合で何度も表彰されるほど強くした。今なら肩を並べられると思っていたのに。
「じゃあな、不死川。頑張れよー」
男子生徒とともに歩き出し、一人取り残された不死川は納得のいかない感情を持て余しながら、不機嫌を隠すことなくその場を後にした。
「あ」
翌日教室に顔を出すと、隣に座る男子生徒が昨日の奴であることに気がついた。
まだ入学して数日しか経っておらず、不死川はあまり人の顔を覚えていなかった。クラスでも黙って座っていた気がしたので静かな奴だとはぼんやり思っていたが。
名前だけは覚えている。確か冨岡と自己紹介していたはずだ。至って普通の名字だが、不死川はあまりこの名字が好きではなかった。
「……よォ」
「……ああ、おはよう」
一拍置いて顔を上げた冨岡は目を瞬いたあと挨拶をした。昨日宇髄の隣にいたとはいえ不死川は冨岡と話したことがなく、どんな奴かもわからなかった。何を話せばいいのかわからず、とりあえず不死川は共通の知り合いであろう宇髄のことを聞くことにした。
「お前さァ、宇髄先輩と知り合いなのか?」
「うちの下宿人だ。入学時から住んでる」
「下宿……ふうん」
だから帰る時も連れて帰ったのだろう。下宿をしたことはないが寮のようなものだろうか。飯も出るならアパートよりは生活が楽なのだろう。まあ不死川は家も通える範囲にあるし、下宿する予定など全くないのだが。
「……何で剣道部入らねェのか知ってるか?」
「昨日言ってた通りだと思うが。つまらないと」
「つまらない、ねェ」
不機嫌さはぶり返し、不死川は苛立って顔を歪めた。己が好んでのめり込んできたものをつまらないとは何だ。何だか無性にあの派手面に腹が立ってきた。
「何なんだよつまらねェって。せめてもっと違うことがしたいとかよォ……」
「……不死川は宇髄の後輩なのか」
不死川が先輩として知り合っている宇髄を呼び捨てるクラスメートに少々妙な気分になりながらも、頷いて肯定した。同じ中学で剣道部にいたことがあり、部活中は他の先輩よりも構われていたような気もするので、恐らく仲は悪くなかったはずだった。昨日だって声をかければ笑っていたのだし。
「嫌いになったとかかァ? まァそれなら仕方ねェかもしんねェけどよォ。お前宇髄先輩の試合見たことあるか? ずっと敵なしだっただろ」
「ああ、部活で応援に行った時に先輩が負けてた」
冨岡も一応宇髄の実力は知っているようだ。剣道部の顧問が勧誘するくらいなのだから、入部すれば高校でも充分通用していただろうに。むしろ勝つところしか見ていないので、不死川は宇髄が負けるところなど想像できないくらいだった。
「お前いつから剣道やってんの? もしかして宇髄先輩と戦ったこととかある?」
「いや、試合をしたことはない。不死川とならあるが」
ふいに話が不死川のことに変わり、冨岡の言葉に驚いた。経験者で試合に出ていたならおかしくない話だ。必死に思い出そうとするが、面を被るし顔などわからず、不死川は申し訳ない気分で口を開いた。
「あー、そうか、試合出てりゃ当たることもあるよなァ。悪ィ、俺覚えて……冨岡……。……あーっ!」
叫び声と同時に音を立てて椅子が動き、立ち上がって冨岡の顔を凝視した。少々面食らったように目を丸くして不死川を見上げる顔に思いきり人差し指を向けて不死川は驚愕の声で更に叫んだ。
「冨岡義勇! てめェあん時の!」
中学でエントリーした個人試合で、不死川は決勝で他中学の男子と当たり負けたことがあった。流れるような剣筋に翻弄されそうになったことは、忘れたくても忘れられなかった。悔しくて次こそはと奮起して、トーナメントで当たることを確認してリベンジに燃えていたら、今度はそいつが別の誰かに負けていた。これまた悔しくて暴れそうになったことがある。
名字だけははっきりと覚えていたはずなのに、そういえば表彰されていた時も顔は見たはずなのに、今は道着を着ていないからかなかなか思い出せなかった。あれほど悔しかったというのに己の間抜けさに呆れたくなった。
「うるさいぞ」
「ぐっ……てめェ、何で次の大会で負けてんだよ。こっちはリベンジしたくて待ってたってのに」
至極真っ当な注意を受け、不死川は大人しく椅子へ座り直した。話を終わらせる気にはならず静かな声で続ける。
「次の大会……あの時は……煉獄に負けた」
「煉獄? ……って、確か一個下の奴かァ。珍しい名前だから覚えてるわァ」
見た目もやたらと派手な奴でよく覚えている。確かに部員の中でも強いと騒がれていた。冨岡が負けた試合の日、不死川は別のやたらとねちっこい奴に苦戦していたが何とか勝ちをもぎ取っていた。名前は確か、そう、伊黒だったはずだ。
「高校はどこに行くのかと聞かれたから答えたら、煉獄もここに行くと言ってた。来年は煉獄が入ってくる」
「まじかァ。何だよ、つまんなくねェじゃん」
不死川が勝ちを譲った冨岡がいて、来年冨岡を負かした煉獄が入ってくる。宇髄が言うつまらなさとは無縁そうだが、不死川はやはり納得がいかなかった。
「きっと、宇髄が嫌だと思うことがあったんだろう」
「………」
他人にはわからない何かが。確かにあるのだろうが、あれほどの強さを持っていたのだから、やはり勿体ないと思ってしまう。
二年も違えば考えることも違うが、宇髄がつまらないと感じた年に不死川はなっているはずだった。剣道がつまらないと感じたことのない不死川にとって、やはり宇髄の考えることはわからなかった。
「おい、冨岡。貴様の鞄に俺の財布が入ってないか」
廊下から呼びかけられた冨岡は小柄な生徒へ顔を向け、鞄を漁り始めた。他クラスの生徒の財布が冨岡の鞄に入る状況とはどんなものだと訝しんだが、予想に反して冨岡が鞄から取り出したものは小柄な生徒の財布だったらしい。
「入れ間違えたか?」
「そのようだな。朝鞄を動かされたからその時だろう」
助かったと一言口にして、ついでだからと三人連れ立って食堂へ向かった。人が多くなかなか席取りが難しいが、まあ空いていなければ購買でパンでも買って教室に戻っても良いだろう。
何故か流れでついてきてしまったが、そもそも不死川は冨岡と友達でも何でもない。とはいえ今のところ話をしたのは冨岡くらいなので、少々気にしながらも不死川は問いかけた。
「そういや家下宿なんだったか。そっちも下宿人?」
「ああ。伊黒だ」
伊黒。ふうんと呟いた後不死川も名乗ると、少々眉を顰めてこちらを眺めてきた。伊黒に視線を向けてから冨岡も不死川へと顔を向け、口を開いて言葉を告げた。
「伊黒も剣道部に入る」
「お前んち剣道関係多いなァ。……伊黒?」
「何だ、覚えてるのか? つまらん反応だったから忘れてるのかと思ったが」
「……お前もかよォ」
どうやら不死川が戦った伊黒が目の前の小柄な生徒らしい。昨日の敵は今日の友とかいうが、それにしたって不死川が気に留めた相手、ピンポイントで居すぎではないだろうか。
「変わった名字は得だな。一度として忘れたことなどないが」
「うるせェな。顔知らねェんだから仕方ねェだろ」
あの時伊黒は表彰台には行けず仕舞いだったはずで、顔など不死川は見なかった。こうして印象深く知り合えば忘れることなどない。悪態をつきながらも不死川は少々反省した。いやまあ、伊黒に関しては剣道部と言われるまで普通に自己紹介しただけなのだから、すぐ気づけというのは無理だろう。
「貴様らがいるならまあ少しくらいは張り合いがあるかもしれないな」
「そりゃどうもォ」
確かにこれだけ印象に残っていた選手が集まっているのだから、不死川としても部活に期待できるのではないかと思う。あとは宇髄をその気にさせれば文句はないのだが、あの調子では難儀しそうだ。
「おー、お前ら早速仲良いな」
食堂へ足を踏み入れると食券を買っていた宇髄がおり、楽しげに声をかけてきた。周りには女子が集まっていて少々気後れしてしまう。宇髄に負けず劣らず派手で香水のような匂いも漂っている。
「誰!? 新入生? 可愛いー」
「あんまちょっかい出すなって。飯食ってろよ」
名前を聞かれて困惑している冨岡と鬱陶しそうな顔をした伊黒を見かねてか、宇髄は手を払いながら女子を退けた。文句を言いながらも気を悪くしたようには見えない女子は、名残惜しそうにしながらもその場を離れていく。
「ずっとまとわりついてくんだよなあ。好みじゃねえんだけど」
「貴様の好みなど知らん」
伊黒は下宿人だからか、やはり宇髄とは面識があるようだ。女など何が良いのかわからん、と呟きながらしげしげとメニュー表を眺めている。お子ちゃまめ、と宇髄が笑った。
「悪食だからな、ああいうのには気をつけろよ」
「ゲテモノ食いてことですかァ?」
「違えよ、お子ちゃま二号。誰にでも手出す悪い女ってやつだ。年下だろうが凶悪面だろうが気に入られたら構わず迫ってくるぜ」
今は宇髄に来ているから心配はないが、と何でもないように笑う。昼時に悪食なんて言うからそっちの意味だと思うだろう普通。お子ちゃまなどと罵られ不死川は苛立ちで顔を赤くした。
「女というだけで近寄りたくないのに、香水の匂いまでぷんぷんさせていてはな」
「まあつけすぎだとは思うけどな。お前ら何食うの?」
すでに券売機に金を入れている伊黒に気づき、不死川は冨岡と同時にメニュー表を眺めた。どの学食が美味いのかさっぱりわからないが、腹に溜まればとりあえずは何でもいい。適当に決めて不死川は財布を取り出した。
トレーを持って席を探す頃には殆どのテーブルが埋まっており、何とか四人分空いたところに滑り込んだ。宇髄は先に行かせた女子のところに行くのかと思いきや、約束していないとしれっと向かいに座っていた。
「学校でまで貴様の顔を見ながら食べなければならんのか」
「冨岡と食堂来てる時点でそんな悪態ついても無意味だからな」
細々と蕎麦を啜りながら伊黒はずっとねちねちとぼやいている。試合でのねちっこさは性格だったようだ。宇髄は気にした様子もなくカツ丼を頬張り始めた。
「どうよ、楽しめそうか?」
「まだ数日で楽しむもくそもない。まあ剣道部は悪くなさそうだが」
「お前らいるしな。伊黒が不死川に負けた試合も見に行ってやったんだぜ」
「はァ。見るのは良いんですか」
何だ。嫌いになったのかと思えば試合は見に来ていたらしい。だったら声でもかけてくれれば不死川も挨拶ができたというのに、どうやら下宿先の大家家族と見るだけ見て帰っていたという。
「元々こいつの応援行くってんで付き合ってただけだしな。まあ面白かったから毎回行ったけど」
親子丼をもそもそ食べている冨岡を箸で指しながら宇髄が言った。住み始めた当初は宇髄しか下宿人がいなかった時期があり、大家家族にはよく色んなところへ連れて行かれたのだそうだ。
「面白かったんですか。つまんねェって言ってたのに」
「おお、お前と冨岡の試合とか、伊黒とのやつも面白かったぜ。俺がやるのはつまんねえけど」
やるのは嫌だが見るのは良い。完全に観戦者になっている宇髄を少々不満げに睨みつけた。不死川へ視線を向けた宇髄は相変わらず楽しげに笑みを浮かべている。
「お前本当血の気しかねえな。俺を睨みつけるのなんかお前しかいなかったわ」
「睨まれたくねェなら入部しても良いんじゃないですかね」
「別に睨まれたところでだし。ていうか部活してた時から睨んでたしな」
不死川は柄が悪い。それは自覚していたので剣道部ではできるだけ穏便に過ごしていた。宇髄の構い方に苛立っては抑えつつ避けていたつもりだったが、思いきり顔に出ていたらしい。
「何だ、貴様経験者だったのか」
「おう、中学までな。つまらんからやめた」
高校は適当に楽しんでいると呟きながらカツを口に放り込む。確かに今日も楽しそうにしている。
何を言っても頷かないと悲鳴嶼は言っていた。宇髄の中で剣道はやるものではなく見るものに変わっているようだった。何だよそれ。不死川にとって剣道は見るよりやるほうが面白かった。
「元々堅苦しいのは性に合わねえし」
「ふうん。だったらもう先輩じゃねェなァ」
不死川の言葉に宇髄が初めて目を丸くして、驚いたような顔を見せた。頼んだ定食を着々と皿から減らしていく。視界の端で宇髄の口元がにやつく様子が映り、不死川はようやく視線を向けた。
「そういうこと言う?」
「剣道部じゃなけりゃもう後輩じゃねェ」
「うーん、人に従うの嫌なんだろうとは思ってたが。まあ良いけどよ」
良いのかよ。不機嫌な顔を隠しもせず不死川は内心舌打ちをした。宇髄があまりに傍観者に徹するものだから、苛ついて剣道部を惜しませることが何かできないかと思っただけだったが。先輩に敬語を使わないなどしたことがないが、しかし、これはこれで楽である。
「お前みたいな礼儀知らずは嫌いじゃねえからな」
「マゾか?」
「何でだよ!」
「礼儀知らずだァ? こんなことてめェ以外にやるような機会ねェわ」
場を弁えて取り繕うのは苦手だが、礼儀はきちんと学んでいる。宇髄以外にするつもりもないし、そんな機会などあるはずもない。というか、宇髄が剣道部にさえいたならこんなことは不死川だってするつもりなどなかったのだ。すべて宇髄のせいにして不死川は開き直った。
「宇髄は俺にも敬語を使うなと言ってきた」
「俺もだ。なら遅かれ早かれ不死川はタメ口になっていたな。そういう嗜好だそうだ、変態め」
「どういう嗜好!? お前ら俺を何だと思ってんの!?」
「宇髄」
三人揃ってしまった返事に宇髄は一瞬固まり、やがて頭を抱えて溜息を吐いた。仲良しめ、と呆れた声音が呟いたが、不死川たちは今日初めて話した程度の仲である。伊黒と冨岡は知らないが。
「敬語は構わねえが天元様と呼べよ」
「嫌だ」
「ハモるな! もっと可愛げ出せよ」
*
宇髄をおちょくる一年がいるらしい。
そんな噂が回っていると聞いた時、宇髄は呆れて表情を歪めた。
神様仏様天元様をおちょくるなどと失礼な。確実におちょくっているという噂の一年はあの三人のことだが、宇髄としてはひよこ共がぴよぴよと囀っているようにしか聞こえていない。まあちょくちょく反応しては一緒になって騒いでいるのも自覚しているが、馴染みのある連中だから許しているだけだ。
身内のような気安さから敬語は使わないことを許したが、それだけである。不死川は思うところでもあったのか突然敬語と敬称をやめだしたが、そんな暴挙に出ることになった理由には思い当たる節がある。それも構わないからと許してやった。礼儀知らずと揶揄うことは忘れていないが。
「失礼します」
言葉だけは丁寧に、態度は躊躇も遠慮もなく宇髄を見つけた冨岡が教室に入ってきて、クラスの連中は物珍しそうに様子を見ていた。廊下には不死川が立っている。こちらに入ってくる気はないようだ。
「どうした?」
「先生に頼まれた」
何やらプリントだとかノートだとかが手渡された。冨岡が宇髄と知り合いであることを知っていたらしく、移動教室の帰りに渡してほしいと言われたのだという。授業で使うのならすぐ渡さないと困るかもしれないと持ってきたらしい。律儀な奴である。
「あと、今日鱗滝先生は遅いらしい。姉さんも友達の家に泊まるから、夕飯は三人で適当に食べてほしいと」
「珍しいな。つってもお前ら部活だしなあ……お、なら今日は俺が作ってやるよ」
「お前が作れるのか?」
「作れるわ阿呆!」
実家にいた時も頻繁に作って振る舞っていたし、味にも文句を言われたことはない。冨岡は休みの日に良く鱗滝や蔦子と台所に立っているが、まだ振る舞えるほどの腕ではないと自信なさげに言っていたことがあった。
下宿し始めてからはそのような機会もなく宇髄としても久しぶりだが、それほど妙な出来にはならないだろう。というか訝しげにこちらを見る冨岡が見直して尊敬してくるようにしたい。俺を何だと思っているんだ、と何度目かもわからない言葉を溜息混じりに吐き出した。
「そりゃ久しぶりだし余り物から錬成するようなことはできねえが、食材決めてからなら作れるわ。レシピだって見たりするし」
「ふうん」
世の主婦のように冷蔵庫を開けてあれとこれで何ができる、などと考えるところまで染み付いていないが、食べたいもののために食材を買い込んで作るくらいは経験もある。下宿先では食事も込みの上、鱗滝や蔦子の料理が美味いので自分も作りたいなどと思うこともなかったが。
「お前の好物作ってやろうか?」
「良いのか」
宇髄の提案に食いついた冨岡の目が輝いた。こういう素直さは中学の面影があり可愛げがあるというのに、最近はめっきり可愛くなくなって少々つまらなかった。何やら不死川とか伊黒とかから変に影響されているような気がしていたが、元々の性格はやはり変わるものではないらしい。
「伊黒にも聞いてくる。不死川は誘っても良いか」
「お前が決めろよ、俺の家じゃねえもん」
「お前が作ってくれるのにか」
一人余分に作らせることに気を向けているが、大食漢でもない限り三人も四人もそう変わらないだろう。伊黒は少食だし、冨岡も男子高校生の平均程度の食事量だし。
それを伝えると嬉しそうに口元を綻ばせたが、チャイムが鳴ってしまい道すがら不死川に伝えると言って教室を出ていった。あいつも教室に入ってくればいちいち説明しなくても良かったのに、妙な気を遣う馬鹿二人である。
「宇髄くんの弟?」
「いや? 下宿先の孫」
クラスメートの女子から問いかけられたので答えると、色めき立った女子連中が顔が良いだとか可愛いだとか騒ぎ始めた。例のおちょくる一年の奴ら、と呟いた男子に視線が集まった。誓っていうが、おちょくられているわけではない。身内の気安い適当な会話である。
「ねえ、紹介してよ」
「無理。あいつら剣道馬鹿だからな」
伊黒など女を毛嫌いしているし、冨岡も不死川も興味がなさそうだった。剣道に没頭していて女と遊ぼうとも思わないのだろう。まだまだお子ちゃまだとは思うが、それを邪魔したいとは思っていない。
スマートフォンには冨岡から不死川も来ると連絡が入り、伊黒からは食べたいもののリクエストが届いた。不死川は甘いものが好物らしいと冨岡のメッセージには書かれており、それは夕飯ではないと少々宇髄は笑ってしまった。
しかし、言われてしまっては応えてやらなければ可哀想である。不死川は恐らく応えるとは微塵も考えていないだろうが、あの凶悪面が驚くところを見るのも面白いものなので、宇髄は作ったことのないデザートに挑戦することに決めた。