十七歳と十四歳

「産屋敷高校って昔住んでたところの近くよね。しのぶ本当にひとり暮らしするの?」
「昔住んでたなら治安も大丈夫なんじゃないかしら」
 しのぶの志望校は近所ではなく、家から通うには新幹線を使っても難しい。父は心配そうにひとり暮らしは不安だと呟いているが、時間と金銭に余裕があればそれもいけるのかもしれないけれど、はっきりいって現実的ではなかった。
 カナエとしても心配はしているのだが、寮のようなものでもあれば良いが産屋敷高校にはそういった施設はない。希望する学校には行かせたいけれど、三年間一人で暮らすということが大変なのではないか、危険な目に遭わないかと心配しているのだ。せめて学生が集まるアパートのようなものでもあれば、と付近の住所から賃貸物件を検索していた。
「そういえば、あそこ。まだ下宿やってるのかしら? ほら、二人とも仲良くしてた子いたでしょ」
 覚えているかと母が問いかけられ、狭霧荘の子供二人がカナエとしのぶと仲良くしてくれていたと笑った。ふと脳裏に過ぎった記憶は霞がかっていたものの、カナエはああ、と相槌を打って答えた。
「義勇くんと蔦子さん。そっかあ、そういえば家が下宿やってたわよね」
「二人とも寂しいって騒ぐし、アルバム見ると思い出して悲しくなるって言って見なくなったのよねえ。あんなに好きだって言ってたのに」
 引っ張り出してきた古いアルバムを捲り、母がこの子たち、と指し示した。そこにはカナエとしのぶの横で楽しそうに笑い合う姉弟が写っている。そうだ、この子。義勇くん。懐かしくて思わずカナエは声を上げた。
「可愛い! 義勇くんと蔦子さん懐かしい! あーそうだった。ずっと一緒に遊んでたわ、しのぶなんて一人で遊びに行ったりもしてたし」
「でしょう。義勇くんから離れないから、蔦子ちゃんも困っちゃってねえ。そんなに好きなら許婚になれば良いって言ったら二人とも喜んで」
「ちょ、ちょっと。やめてよ、昔の話でしょ」
 はっきり思い出してしのぶは恥ずかしいのか母を止めるように言葉を口にしたものの、懐かしさと興味が湧いたのかアルバムを眺めていた。時折可愛いと口にしたりしながらページを捲っている。引っ越すまでずっと一緒に遊んでいたし、狭霧荘にいるお爺さんや蔦子にも良くしてもらっていた。
「まだやってたら下宿させてもらえるかしら。確か名前は鱗滝さんだったわよね、良い人だったしひとり暮らしより安心できるわ」
「確かに……他の人たちと仲良くできればだけど」
「大丈夫よしのぶなら。義勇くんたちもいるかな?」
 どこかからまた引っ張り出してきた手帳のようなものを広げた母の手元を覗き込むと、どうやら連絡先が書かれているノートのようだった。電話番号が書かれており、鱗滝、と呟きながら指で文字を追っていく。
「あった。変わってないと良いんだけど」
「覚えてくれてるかな……」
 電話の子機に番号を入力し、父へと手渡すとそのまま通話ボタンを押して耳に当て始める。しばらく黙り込んだ父がやがて声を上げた。
「狭霧荘の鱗滝さんのお電話で間違いないでしょうか?」
 名字を名乗り、昔近所に住んでいたことを口にすると、父は安堵したように破顔して胸を撫で下ろしていた。娘姉妹が狭霧荘の姉弟と仲良くしてもらっていたこと、来年妹が産屋敷高校に通うこと、まだ下宿を受け入れているのなら娘を頼めないかと問いかけていた。
「——ああ、そうです、許婚のほう」
 もう少し言い方があるのではないかとカナエも感じたが、鱗滝もそのような覚え方をしていたのかもしれない。しのぶの頬が赤く染まり、眉を釣り上げて父を睨んでいる。
「そうですか。では今度お伺いします」
 やたらと上機嫌で通話を終わらせた父は、覚えていてくれたと嬉しそうだった。蔦子は結婚が決まりもうすぐ出ていくが、義勇はまだ狭霧荘にいるのだという。
「チャンスよしのぶ! 婚約結んできなさい!」
「昔の話だって言ったわよ」
「解消するとも言ってないわよ。子供の時点でこれだけ可愛いんだから、物凄くイケメンに育ってるかもしれないわ!」
「引き篭もりとかに成長してたらどうするのよ」
 別に面食いじゃないし、としのぶは少々不貞腐れたように呟いた。優しいから好きだったのだと口にしたあと、何年も前なのだから性格も変わっているはずだと不満げだ。カナエにはただの憎まれ口にしか聞こえないが。
「契約する時鱗滝さんに聞いてみようか」
「良いわねー。蔦子ちゃんも結婚なんて、時が経つのは早いわあ」
 一人機嫌を損ねたような顔をして、しのぶははしゃぐ両親を眺めていた。

*

「おかえり。昔近所に住んでいた胡蝶さんを覚えてるだろう。下の娘が産屋敷高校に通うから下宿させてほしいと連絡があってな、今日来られてたんだ」
 靴を脱ごうとしていた義勇の動きが止まった。
 娘と一緒にこちらに来る時間が取れず、一先ず父親一人で挨拶に向かうと告げられていた。指定された日である本日、義勇も下宿人たちも用事があり狭霧荘にいたのは鱗滝だけだった。胡蝶一家が引っ越してから、義勇がよく寂しいと言っていたのをこの間のことのように思い出しながら、鱗滝は続けて口を開いた。
「許婚のほうだ」
「……いや、もう何年も前の話なんですが……」
 顔を顰めながら鱗滝を眺め、義勇は少々狼狽えたように呟いた。
 高校在学中からめっきり慌てることのなくなった義勇だが、覚えているせいか困惑したように眉尻を下げた。
「しかし、胡蝶さんも許婚の話を覚えていたし、何なら進めてくれと言ってたぞ」
「本人の意思を重要視してください」
「お前は嫌なのか?」
 しばし黙ったあとよくわからないと呟いたが、困惑していても嫌悪が見えるわけではなかった。恐らく数年ぶりに突然話を掘り返されて驚いているだけだろう。鱗滝にはそう見える。
「儂は良いと思うが。お前も好きだと言っていただろう。今でもそうなんじゃないのか」
「……嫌いになる要素がないので、思い出としてなら、まあ……」
 好きなのだな。これは相手に対して気を遣っているだけだろう。
 確かに子供は数年会わないと見違えるほど大きくなり、好き嫌いすら変わっていたりもする。義勇は一度好きになったものはずっと好きでいる性質だが、許婚殿もそうとは限らないというのはわかる。
 しかし、義勇は鱗滝の自慢の孫だ。それはもうどこに出しても恥ずかしくない男に成長している。無口で誤解を生みやすい口下手は結局治っていないが、宇髄たち友人にはきちんと伝わっているし、それも可愛いものだと鱗滝には思えるのだ。孫可愛さの欲目があるのも否定はしないが。
 許婚殿が口下手も許容できるほどの懐の深さを持っているならば、自信を持って義勇をおすすめしたいのである。鱗滝が覚えている胡蝶家の下の娘は、義勇を好きだと言ってはずっと一緒にいたわけなので。
「剣道一辺倒でそういう話も断っているらしいじゃないか。許婚殿を忘れられなかったとかあるんだろう」
「っ、何でそれを」
 しまったという顔をして義勇が口元を覆い隠した。珍しく挙動不審だ。
 伊黒や不死川の話では堅物だとか何だとか言われるようになっていると聞いたことがあるし、女子とは甘露寺以外あまり話をしないとも聞いたことがある。義勇が甘露寺と伊黒の仲を取り持とうとしているのも鱗滝は見ていた。今義勇にはそういった相手がいないことは折り込み済みである。
 居間のテーブル近くに荷物を置いて鱗滝の前に座った義勇は、何やら頬を赤らめて視線を彷徨わせながら口をまごつかせ、ようやく声を発した。
「……正直、二度と会わないと思ってたので何とも……向こうにそういう相手がいてもおかしくありません」
「ああ、確かにそうだな。そうか……そうなっていたら仕方ないとは思うが」
 他人にはわかりにくいらしい思いやりの心を鱗滝に伝えてくる。こういうところも鱗滝は好ましく思うが、許婚殿もそうであるとは限らないし、義勇より好きな相手がいる可能性は否めない。好きになってもらえないのなら義勇も無理強いしたくないのだろう。何ともいじらしいことである。本人は言葉を濁しているがそういうことだ。鱗滝にはわかる。
「わかった。関係を解消するのも進めるのも、会ってから二人で決めなさい」
 まだまだ言いたいことはあるが、鱗滝は一先ず義勇と許婚殿に一任することにした。これ以上とやかく言っても義勇は首を縦には振らないだろう。当事者がいない中で話をしてもまとまらないのが残念だが。
 許婚殿を忘れなかった義勇の気持ちはできれば成就してほしいとは思うが、本人もあまり乗り気にはなっていない。まあ年頃の孫がこんな話を爺にすることに乗り気ではないのかもしれないが。
「確かに当人同士の気持ちが大事だ。お前がしたいようにしなさい」
「……はい」
 娘の顔を見たら一言くらいは言ってしまいそうだが、それくらいは許してもらいたい。滅多と顔色を変えなくなった自慢の孫が頬を染めるような相手がいて、それは恐らく許婚殿のことで間違いないだろうし、可愛い孫の将来は明るいものであってほしい。間違いなく義勇の姉もそう思っているのだから。