文化祭
剣道場の入り口に腕相撲大会と書かれた看板が立てかけられている。つまらなそうなことをしていると思ったが、案外繁盛しているらしく客は出入りを繰り返していた。不思議に思って覗き込むと、そこには凶悪面と澄まし面、そして一日主将と書かれたたすきをかけた甘露寺が座っていた。後ろには背後霊の如く怨念を撒き散らす男もいたが。
冨岡と不死川二人に勝てば甘露寺に挑戦できるようだ。成程、女に釣られた男共の腕をへし折り叩き潰しているらしい。ちょくちょく女子が腕相撲に挑戦しては負けて喜んで帰っていくが、それも似たような思考で来ているのだろう。
未だ甘露寺への挑戦者はおらず、負けたらただではおかないと伊黒がネチネチと二人を鼓舞している。どう考えても逆効果だが、あれが伊黒なのだから仕方ない。
「つまんねえことしてんな」
例年通り宇髄も文化祭を見に来てやったのだが、高校最後の年でもあるのだしもう少し面白そうなことをやれば良いものを。クラスでもやることはあるのだから部活はできるだけ楽なものが良い、と不死川が決めたらしい。部員はそれに賛成して腕相撲に決まったのだという。そもそもすでに引退していたのではなかったかと思うが、どうやら客寄せに引っ張り出されたようだった。
「剣道部の鼻っ柱折れるチャンス! その澄ました顔歪ませるの楽しみだな」
何やら剣道部を敵視しているらしい男子生徒が、友人らしき数名を引き連れて入ってきた。私服の彼らは物珍しそうに道場を見渡し、甘露寺を見て即ナンパを決行する。伊黒が睨みつけて手で男共を払いのけるが、小柄故か少々舐められているようだ。
「彼らに勝ったら挑戦できます!」
伊黒と私服の男共の間にぬっと現れた煉獄に文字通り飛び上がって驚いた男共は、困惑しながらも渋々冨岡と不死川の前に並んだ。二人仲良く三人ずつ捌くようだ。大して面白くなりそうとも思わなかったが、とりあえず宇髄はスマートフォンのカメラを起動した。勿論蔦子たちに頼まれたためである。
「次」
「もう終わりかよォ」
二人仲良く三人ずつ男を叩き潰し、凶悪面と澄まし面の鼻っ柱は折ることはできなかった。折れるような奴がいれば是非とも宇髄は一戦交えてみたいものである。
「義勇、杏寿郎。剣道部は腕相撲か」
宇髄の知らない男が気安げに二人の名を呼び、冨岡は顔を向けて相槌を打った。友達かと聞くと冨岡ではなくそいつから友達だと答えられた。
「杏寿郎には挑戦できないのか?」
「主将と副主将に下克上するコンセプトだ! 二人に勝てば甘露寺に挑戦できる」
「女子と勝負したいわけではないが……義勇に挑戦したい。俺が勝ったら空手部に体験入部に来い」
「引退したんじゃなかったのか」
突っ込みを入れつつも肩を回したり手を動かしたりとストレッチを始める冨岡に、何やら面白くなる予感がした。撮影中のままだったスマートフォンの画面を確認し、二人の様子を撮り続けることにした。
「俺が勝ったら何をするんだ」
「うーん。じゃあ剣道部の広報を務めてやろう。体験入部しても良い」
「わかった」
「冨岡わかってんだろうなァ! 広報でこき使わせるんだから絶対ェ勝てよ!」
「貴様空手部なんぞに遅れを取ったら剣道部の恥だからな」
「頑張って冨岡さん!」
皆が期待する中始まった男子生徒と冨岡の腕相撲は、結論からいえば冨岡は空手部に僅かな力の差で負けて本当に体験入部をする羽目になった。たかだか文化祭の出し物だというのに、あまりの接戦ぶりに宇髄も手に汗握るほど白熱した。周りで見ていた見知らぬ者たちもテンションが上がって騒いでいた。剣道に限らず何でこいつらの代はこんなに骨のある連中が集まっているのか、ちょっと不公平ではないかと少々腹が立つほどだ。
「さあ行こう今行こう! 何なら卒業までの間本入部しても良い! お前ならすぐ強くなるぞ」
「ふっざけんな冨岡ァ! あんだけ粘って何で負けてんだァ!」
「待て。俺も挑戦する!」
うきうきの男子生徒に思いきり引っ張られながら冨岡は頭を抱えて項垂れていたが、煉獄が名乗りを上げると男子生徒は冨岡を離してまたうきうきと戻っていった。道場の隅で正座をして瞑想し始める冨岡の頭を叩く不死川と、煉獄に叱咤激励を送る伊黒が騒がしい。
「頼むぞ煉獄。現主将の意地を見せてやれ」
「プレッシャーだな!」
男子生徒と煉獄の勝負もまた白熱し、まるで公式試合会場のように熱狂した。冨岡と同様に本気の顔をしていたが、僅かな差で煉獄も負けてしまった。不死川から怒号が飛ぶ。まさか二人とも負けるとは、かなりの腕力を持っている男子生徒である。
「未熟……」
「不甲斐なし! 部員たちに合わせる顔がない!」
道場の隅で正座をしている冨岡の隣に煉獄も座り、溌剌とした声で申し訳ないと口にした。伊黒は額を押さえ、不死川は青筋が何本も浮き出ている。男子生徒は満面の笑みで座っている二人を無理やり引っ張った。
「では、二人は空手部に所属ということで良いな」
「待て待てェ! 冨岡はもう引退してっから好きにすりゃ良いが、煉獄は駄目だわ!」
「俺は半年で卒業するんだが」
「お前ら空手部で根性叩き直して来いよ」
宇髄の言葉にしょげたような顔をしてこちらを見る冨岡と煉獄に、仮入部なんだろ、とにやつきながら送り出そうとしてやった。男子生徒は嬉しそうに頷いて剣道場を出ていこうとしている。引っ張られるまま二人の姿は見えなくなった。
「おい……元副主将と現主将が消えちまったじゃねェか……」
「どうするんだ。俺が壁になるのは良いんだが腕力は自信がないぞ」
「伊黒さん、私せっかくだからやってみたいわ」
今日は一日主将だし見ていて楽しそうだと甘露寺が笑い、止めたいけれど楽しそうな甘露寺に水を差すのも悪いとでも感じているのだろう、伊黒は複雑な顔で唸った。ギャラリーが沸き立ち一気に甘露寺の前へと並び始める。
甘露寺に勝ったらボーナスステージがあるらしく、それに勝てたら賞品が贈られるらしい。ボーナスステージとは何だと不死川に問いかけると、どうやら顧問の悲鳴嶼を相手に腕相撲をするらしい。勝たせる気ゼロか、と剣道部の本気度が窺える。そもそも冨岡と不死川が相手の時点でだいぶ殺意は高かったが。煉獄がいなかっただけましかもしれないが、宇髄は狭霧荘で行った腕相撲の結果を知っていた。甘露寺を含めて戯れに始めたその勝負は、不死川たちが苦戦するほどのものだったわけで。
要するに、有象無象の女目当ての輩など甘露寺の敵ではなかったのだ。
甘露寺の勇姿をしばらく見て、茫然としている挑戦者たちを尻目に宇髄は剣道場を後にした。面倒だが蔦子に頼まれた冨岡動画を撮らなければならないし、腹も減ってきたので適当にカメラを向けながら模擬店を見て回った。相変わらず騒がしく活気があり、無駄に派手な催しがある。客引きのように声をかけられ続け、適当に美味そうな料理を食べながら空手部へと向かった。
何も文化祭当日に入部しなくても良いだろうに、あの男子生徒はよほど冨岡と煉獄にご執心のようだった。空手体験と書かれた看板を見つけ、文化祭でやっているから連れていったのかと納得した。
「あ、狛治さん、またいらっしゃいました」
大人しそうな女子が宇髄を見て道場内に戻り、中を覗くと空手の道着を着た冨岡と煉獄が立っていた。律儀なのか逃げられなかったのか、とにかく二人はそのまま空手を体験していたらしい。カメラを向けると煉獄が笑顔でピースをし、倣うように冨岡も顔を向けた。
「これ動画」
「何だ、早く言ってくれ。宇髄先輩も体験しにきたのか?」
「いや? 蔦子さんに頼まれて今日は冨岡のカメラマンだよ」
「負けたところも撮ってたのか?」
「まあな。お前の所業は赤裸々に伝えてやんねえと」
消してほしいと眉を顰めて打診してきたが、首を振ると諦めたのか溜息を吐いた。過保護にも甘やかしにも思えるところはあるが、余すところなく成長を見たいという姉心だ。煉獄の家族も見たいと言うかもしれないし。
「やはり筋が良いな。道場に通わないか?」
「剣道で手一杯だ」
「空手も楽しいが俺も剣道が好きだからな。道場には通わない!」
肩を落とした男子生徒の背中を宥めるように女子が擦っている。周りは体験に来たらしい女もちらほらいるようで、なかなか盛況のようだった。
「お前らクラスで何やってんの?」
「うちはお化け屋敷をやってる! 俺の担当はもう終わったので自由時間だ」
「ステージで劇をする。二時からだ」
冨岡は大道具を担当したらしく、このあとセットに向かうらしい。出演はくじ引きで決めたらしく、接戦を繰り広げた男子生徒が出るのだと言った。どうやらクラスメートだったようだ。
「狛治さんの王子役楽しみです」
「俺はあまり見られたくないんですが……」
童話を劇にするようで、男子生徒はあまり乗り気ではないらしい。冨岡が出るなら蔦子も喜んだだろうが、大道具では出番もない。本人は裏方で喜んでいるようだが、相変わらず自ら目立つことはしたくないらしい。
「つまんねえな。お前出てたら最前列で撮って蔦子さんに見せてやったのに」
「嫌だ」
「時代劇なら冨岡先輩の独壇場ではないだろうか。クラスに剣道部はいないんだろう?」
「殺陣をやれと言うのか?」
それはそれで見てみたい気もするが、やはり煉獄や不死川たちがいなければ見応えもなさそうである。多感な高校生が時代劇をやりたがるとも見たがるとも思えないが、こいつらは無駄に人気があるようなので女子は殺到するかもしれない。
空手部では最後に板割りを体験し、冨岡と煉獄は見事に割って拍手が送られていた。ようやく終わったと着替えを済ませ冨岡は男子生徒と体育館へと向かった。