節穴
二人が心配だと呟いた甘露寺の言葉を聞いて、冨岡の厚意でひと晩だけ泊まらせてくれることになり、しのぶに少し大きめの服を、冨岡に布団を借りてしのぶの部屋で三人並んで寝転んでいた。
まるで修学旅行のようで楽しくて甘露寺ははしゃいでしまったが、姉のカナエも楽しそうだったおかげかしのぶにも笑みが戻っていた。
普段から少し多めに作っているという遅めの夕飯を皆でご馳走になり、両親に狭霧荘に泊まると連絡をした。連休の最中外泊の予定が突然でき、侵入者には驚いたものの甘露寺自身はもうさほど気にしていなかった。
「良かったわあ、義勇くんがしのぶのこと守ってくれる約束してくれて」
「本当にもうああいうのやめてよね」
不貞腐れた顔をして頬を染めたしのぶはカナエに文句を口にした。意にも介さずカナエは笑っている。
良かった。甘露寺も同じく良かったと心底思っている。冨岡の気持ちを知ってもらえたわけではないが、二人の関係がカナエのおかげで一歩前進したような気がするのだ。さすが二人のことを良くわかっている。
「義勇くん、あんなに強かったのね」
「冨岡さんたちは剣道部だったの。全国大会の優勝常連だったんですって」
宇髄は剣道部ではなかったようだが、冨岡たち同い年の三人は剣道部に所属して出場した大会を総なめにしていたらしい。甘露寺は一年しか在学中被っておらず、大会を見に行く機会は少なかった。もっとたくさん見てみたかったと少しばかり残念に思っていた。
「へえ。昔はやってなかった気がするけど、剣道のおかげであんなに愛想がなくなったのかしら」
「冨岡さんって昔とは違うの?」
「性格は変わってないと思うけど、良く笑って可愛い子だったわよ。ねえしのぶ」
目を輝かせてカナエの話に食いついた。
甘露寺は今の冨岡しか知らないのであまり想像しきれないが、子供の頃は相応に表情が出ていたらしい。
「昔はそうですね。お姉さんと良く似て朗らかで……」
ちらりと甘露寺を見つめるしのぶに首を傾げた。
カナエの話に時折しのぶが相槌を打ち、内容に驚いたり感嘆の声を上げたりと甘露寺は楽しく聞いていた。
「アルバムとか見たいなあ。しのぶちゃんは持ってきてない?」
「荷物になるので置いてきました。……甘露寺さんなら冨岡さんも見せてくれるんじゃないですか?」
「そうかしら? だったら嬉しいけど……」
今度聞いてみようか。その流れで伊黒にも言えば見せてくれるかもしれない。自分ばかり見ては悪いので、甘露寺も見せるべきだろうか。アルバムの見せあいっこなんて特別な関係のようで何だか照れてしまう。頬に熱が集まるのがわかり甘露寺は隠すように両手をあてた。
「そういえば、昼間来た時何か揉めてたようだったけど……大丈夫だったの?」
「え、昼間? ……ああっ! そ、そうよ! 私ったら一番大事なこと、」
不思議そうにカナエの目が甘露寺を見つめ、しのぶの目はほんの少し揺らいでいる気がした。侵入者のごたごたですっかり解決した気になっていたけれど、甘露寺のせいで拗れたことは何も解決していなかった。
「あ、あのね、私……私のせいで色々と変なことになってしまって」
冨岡は甘露寺のせいではないと言ってくれたものの、しのぶが誤解してしまっているのは学校で甘露寺が許可を貰っていたからである。混乱した状態で甘露寺が言い募ろうとすると、しのぶが落ち着くようにと肩を擦ってくれた。
「ごめんね、言えないなら言わなくても良いのよ」
「あ、ち、違うの。言えないわけじゃなくって」
「言いにくいことでしょう? ……その、冨岡さんと、何かあったようですし」
「え?」
驚いたように声を上げたのは甘露寺だけではなく、カナエもしのぶの言葉に驚いていた。その後カナエは思い出すように少し視線を彷徨わせ、しのぶの言葉に思い至ったのかどこか茫然としたように目を丸くして甘露寺を見た。
冨岡さんと何か。確かに冨岡に悪いことをしてしまったけれど、しのぶがこう言うほど妙なところを見られただろうか。昼間のことを思い出すものの、特に何かおかしなことをしていたわけではない。謝りながら必死に冨岡の手を外そうとしていた気はするが。困り果てたまま天井を仰いだ。
「……お二人寄り添っていたので、何かあったのかと」
「………! な、よ、寄り添っ……嘘っ!」
顔で茶でも沸かせるのではないかと思うくらい熱くなり、甘露寺は茹でダコのように顔が真っ赤になったことを自覚した。
走って出て行こうとする甘露寺を冨岡に止められたけれど、寄り添うだなんてそんなことした覚えはない。恐らく。誤解を解こうと必死になっていたのであまり周りを気にしておらず体勢までは思い出せないが、冨岡も甘露寺にそんなことはしないはずだ。
「そ、そ、そんなことしてないわ! だってあの時は急いで追いかけなきゃって、」
「……抱き合っているようにも見えましたし、言われちゃったのかと」
声にならない悲鳴を上げて甘露寺は布団へと倒れ込んだ。手のひらで顔を隠しながらのたうち回る姿をどう思われるかなど構っていられなかった。まさか誤解を解こうとしたしのぶが、更なる誤解をしているなんて。
「言われるって何を?」
「……告白とか」
神妙な顔をしたカナエの表情がしのぶの言葉で強張るのが視界の端に映った。
待ってほしい。本当に待ってもらえないだろうか。誤解を解きたいだけなのに、このままでは甘露寺と冨岡の関係がただならぬものだと勘違いされたままになってしまう。どうすればしのぶは信じてくれるだろうか。言葉で伝える前に甘露寺が羞恥で悶えてしまうので、そのせいで伝わりにくいのかもしれない。とにかく冷静に、事実だけを伝える。息を切らして布団から起き上がり、揺れる目で甘露寺を見つめるしのぶへ向き直った。
「……冨岡さんとは何もないわ。あの時は私がやらかしてしまったせいで迷惑をかけたから、誤解を解きに行こうと思って」
「行くって……冨岡さんは狭霧荘に居たのでは?」
「冨岡さんじゃなくて、しのぶちゃんの誤解よ」
布団の上で正座をするしのぶと膝を突き合わせ、甘露寺は泣きそうな気分で顔を覗き込んだ。
宇髄が指摘したことが真実ならば、八年ぶりに会ったばかりのしのぶも、冨岡にとって甘露寺が特別だと感じてしまったのかもしれない。学校で会う時は甘露寺が声をかけていたから、普段の冨岡がどんな態度だったのかは知らなかった。甘露寺以上によく話す女子はいないとも言っていたし、そう考えると誤解は仕方ないのかもしれないけれど。
「私、冨岡さんと恋の話をしたのよ。だから冨岡さんの好きな人が誰かも知ってるの。冨岡さんの好きな人は私じゃないわ」
「……でも、」
「冨岡さんが言わないのに私から教えることはできないけど、冨岡さんはずっと好きな人がいるのよ。私が知り合う前から」
直感が働いたのか、何かに気づいたカナエは先程までの神妙な顔で器用に口元を歪ませ、しのぶへと視線を向けている。そう、そうなのだ。恐らくカナエの気づいたことは甘露寺が伝えたいことと同じだと感じていた。ただの甘露寺の勘ではあるが。
「……そう、ですか。好きな人はやっぱりいるんですね……」
しのぶの膝に思いきり顔を埋めて脱力してしまい、甘露寺の目は涙が滲んでいた。恋の話は大好きだけれど、誰かの恋を応援するのは壊滅的に下手なのかもしれない。冨岡が甘露寺を好きという誤解は納得はしてくれた様子ではあるが、好きな人が誰かということまでは思い至らないようだった。
冨岡の態度は一見わかりにくいけれど甘露寺は気づくことができたし、宇髄たちの目にはわかりやすいのだという。どうにも自分が当事者になると難しいのかもしれない。
「うーん。まあでも、今許婚なのはしのぶだし、その好きな人なんか忘れてもらえば」
「は、な、何言ってるのよ姉さん」
「振り向いてくれない人なんか忘れて私を見てって言えば良いじゃない」
「そんなこと言えるわけないでしょ!」
「そうかなあ。だって義勇くん、しのぶが格好良いって思ってること伝えたら照れてたでしょ。大丈夫だと思うなあ」
「甘露寺さんの前で何言ってるの!」
しのぶの頬に赤みが差し、カナエの顔を見て困り果てたような表情を見せた。
甘露寺としてはもうしのぶの好きな人が誰であるか気づいてしまっているのだが、しのぶはまだ隠すつもりだったようだ。
そして甘露寺の勘のとおり、カナエは冨岡の好きな人について察したらしく、小さく片目を閉じて甘露寺へ合図をしてきた。
甘露寺の言いたいことがうまく伝えられず凹んでいたわけなのだが、冨岡の好きな人について思い当たらないしのぶに、そのまま突き進ませるような言い方をカナエはした。しのぶがそのとおり動くとは限らないけれど、凄いわ、と心中で称賛を送った。