鑑賞会
下宿とはこれほど楽しいものだったとは。
朝起きて居間へ顔を出すとにこやかに笑みを向けるしのぶが挨拶を返してくれ、美味しいご飯を振る舞ってくれる。今は夏休み、炭治郎の妹である可愛い禰豆子がいて、話しかけても邪険にすることなく善逸の話を聞いてくれる。
下宿にあたっての決まりごとは色々とあるが、風紀とそれさえ守れば冨岡は制限をしてこず、部活中とは違い穏やかだった。この穏やかさは案外嫌いではない。意外と優しいし。
惜しむらくは借りている部屋が一人部屋ではなく、伊之助という野生児がともに寝起きしていることだが。寝相は悪く時折夜中に起こされることもあるが、伊之助も案外きちんと決まりは守っていた。恐らく破れば冨岡は本当に制裁という名の部活禁止を食らわせるだろうから、それをされないようにしているのだろう。
ここが天国か。部活はきついし死にそうだし、冨岡のしごきは血反吐を吐くほど辛いものだが、慣れというのは善逸にもある。いつの間にか耐えられる時間が延び、今は文句を言いながらも帰り道すら元気だった。夏休みが永遠に終わらなければ良いと思うくらいには。
「私来て良かったかしら。部屋空いてないなら二人と一緒に寝るわ。三人川の字で寝ましょうよ、しのぶが真ん中で良いから」
「お前が真ん中の選択肢があるのか?」
「何言ってるの、義勇くんが真ん中よ。昔はそうだったじゃない。お風呂も一緒に入ったのに」
「いつの話を……俺を枕扱いするな。幾つだ」
「二十一よ。義勇くんもでしょ」
これが下宿人たちが集まる居間で繰り広げられた会話である。
善逸が目を剥いて妬ましさを爆発させていると、居合わせている全員が妙な顔をしていた。伊黒と不死川は複雑な表情をしているし、玄弥は真っ赤になっている。炭治郎と禰豆子も頬が赤かったが。
「たまには童心に帰りたい時があるじゃない。まあしのぶがやきもち焼くから駄目だけどね!」
「………」
揶揄っていたのだと善逸が気づいた時、冨岡も気づいたのか物凄く嫌そうに眉を顰めた後、深い深い溜息を吐いた。照れる様子は皆無だったが、冨岡はどこか疲れたような表情をした。
しのぶの姉だというこの綺麗な人は、夏休みだからと狭霧荘へ遊びに来たようだった。手土産を袋いっぱいに詰め込んで冨岡へ渡していた。部屋の空きは事前に確認していたようだが、軽い気持ちと懐かしさに心を擽られて口にしたらしい。一連のやり取りで彼女は一筋縄ではいかないことがわかってしまった。割と悪戯好きなのだろうか。綺麗な人だから許されそう、いや逆に許されないかもしれない。
「ほら、皆結婚式一回しか見てないでしょ? 持ってきたのよ、新しい子も住んでるっていうし」
「……俺は構わないが、しのぶには許可を取ってくれ」
見せるのを渋っているのはしのぶのほうらしく、理由を知っているのかカナエは含み笑いをしながら了承した。女の子だから興味があるのか禰豆子はすぐにでも見たそうな素振りでそわそわとしている。まあ正直、善逸とてこの冨岡がどんな顔で結婚式に出ていたのかは興味がある。
「ただいま戻りました」
「お邪魔します!」
居間へと戻ったしのぶの後ろから元気良く挨拶が交わされた。甘露寺と煉獄だ。ここに泊まるようになって知ったが、彼らは頻繁に狭霧荘へと遊びに来る。比較的近くに住んでいるのと人数が集まっており、狭霧荘で過ごすのが楽しいらしい。気持ちはわかる。善逸だって冨岡が怖くて今まで近寄らなかったが、夏休みが明けたらいつ遊びに来ようかと考えているので。
「おかえりしのぶ。ねえ結婚式のビデオ持ってきたの、この子たちと見ていい?」
笑みを浮かべたまましのぶがぴたりと手を止め、眉を顰めて黙り込んだ。何故持ってきたのかと姉へ問いかけている。
「世界一可愛い妹夫婦を自慢したいの。いくらでも見てほしいわ」
可愛いとは冨岡も含めてなのか。女の子というものは感性が不思議で、こうして可愛くないはずのものまで可愛いと口にすることがある。成人男性、しかも冨岡のような厳しくて怖い人を可愛いと思う神経は理解し難い。いや、穏やかな人なのは知った後ではあるが。
「見たい!」
甘露寺と煉獄の声が揃い、あまりの大きさに善逸は椅子から転げ落ちそうになった。素早い行動で二人してテレビの前を陣取り始めた。
「……俺は掃除をしてくる」
「逃げないでください」
「いいわよ、二人で散歩でもしてきたら?」
本人たちがいると逆に邪魔だとでも思ったのか、カナエは二人を追い出す言葉を口にした。煉獄が立ち上がり追い打ちのように二人の背中をぐいぐいと押し、居間の扉を閉めた。
強引だ。炭治郎より強引かもしれない。座っていた場所に煉獄が戻り、廊下側から扉を開いて冨岡としのぶが不満げに覗き込んだ。
「お前は前も見ただろ」
「俺は何回でも見るぞ!」
「私も!」
項垂れたまま冨岡が扉から離れ、何か言いたげにした後しのぶも黙って離れていった。玄関が開く音はしないので、恐らく部屋に戻ったのだろう。うるさい者がいなくなったとばかりに嬉々としてカナエがDVDをセットし始めた。
「うわあ、しのぶさん凄く綺麗」
凄い。結婚自体に興味はあれど、善逸は未だ式に対してふわふわと曖昧な想像しかできていなかった。扉から父親らしき人と現れたしのぶは普段の何倍も綺麗で、思わず目を細めてしまうほどだ。
「二人とも控えめだから式もあんまり乗り気じゃなかったのよね。説得というより無理やりだった気もするけど、和装よりウエディングドレスが見たいって言って」
とにかく周りが率先して進めていったらしい。流され過ぎじゃないかとも思うが、煉獄だとかカナエだとかを見ていると仕方ないような気もする。二人の周りの押しが強すぎるのだ。炭治郎然り。
「私は二人の誓いのキスが見たかっただけなんだけど。可愛いのよ本当に! 見て! 瞬きしないで!」
絶賛しているカナエに促され、女子たちは文字通り目をかっ開いて画面を凝視している。キスシーン、しかも結婚式で可愛いも何もないと思うのだが。妬ましさしか出てこないはずだ。
向かい合って指輪の交換、花嫁のベールを上げて神父だか司会だかの声が誓いのキスを促した。目を瞑ったしのぶの顔を真正面から見て、冨岡はどんな気持ちになっていたのだろう。思わず固唾を呑んで画面を見つめた。
二人がキスをしている間、音声の中に啜り泣く声が入っていた。カナエの声かどうかはわからないが、やはり結婚式というのは感極まって泣くことがあるのだろう。触れていた唇が離れてしのぶが目を開けると、目の前にいる冨岡を見上げて何やら視線を彷徨わせ、眉がハの字になり頬を染めた。愛想のないまましのぶを見つめていた冨岡がふと笑うと、そこでまたしのぶが恥ずかしそうに冨岡を見た。
強烈な可愛さだ。善逸は妬みも忘れて真っ赤な顔で画面内のしのぶを凝視した。
女性陣から悲鳴のような歓声が上がり、初見ではないはずのカナエや甘露寺まで騒いでいる。バージンロードを歩いて出ていった後、冨岡の親族らしき女性と鱗滝が顔を覆って号泣していた。
「お前らまた見てんのか。好きだねえ」
今まで聞こえていなかった声が聞こえ、振り向くと宇髄が呆れたように画面を眺めて立っていた。いつの間に入ってきたのか皆気づかなかったようで驚いている。
「しのぶの初心さが一番わかるのが結婚式よ。可愛すぎるの」
「握手で照れるほどだったからな!」
禰豆子は惚けたようにきらきらした目でお姫様抱っこをする二人が映る画面を見つめ続けている。最後に冨岡の姉が近づいて、画面が揺れカナエの顔が映った。やはり感動して泣いたのだろう、目元が赤く照れたように顔を隠していた。
「こんだけ良い式なんだから大人数呼べば良かったのに、本当地味だなあいつらは」
揶揄う頻度が多いらしい宇髄ですら手放しで褒めるほどなのだから、彼らの目に映像は素晴らしく良いものに映ったのだろう。かくいう善逸ですら少し憧れを抱いてしまったくらいである。
「私も出たかったわ。しのぶちゃんのドレス生で見たかった」
「甘露寺は式呼んでやりゃ良いじゃん。どうせ来年結婚なんだし」
真っ赤になった甘露寺が両手を頬に当てて照れている。突然話題がまわってきたことに驚いた伊黒がひっそりと慌てていた。どいつもこいつも幸せそうだな。舌打ちしたい気にもなったが、何となくやめておいた。
「まさか結婚後も住む気じゃねえよな」
「こんなところにいたらいつまでも貴様の顔を見てなければならんからな。新居を決めるまでは出ていかんが」
「成程な。夫婦喧嘩したらここに逃げ込んでくると」
「甘露寺と喧嘩なんかするわけないだろ」
楽しげに質問してくる宇髄を伊黒はあしらおうとしているが、なかなか切り上げようとせず苛立っている。甘露寺は恥ずかしそうにしているが、新生活の話に嬉しそうだった。
「しかし、わざわざ持ってくるとはな。あいつら動画持ってねえの?」
「持ってると思うわよ。写真とかも撮ってもらったもの。自ら見せないだろうから持ってきたのよ」
「他のも見たいわ! しのぶちゃん見せてくれるかしら」
甘露寺が立ち上がって居間の扉を開け、廊下を進んで大家の部屋の前で立ち止まった。カナエが禰豆子を前に来させて何かを耳打ちしている。ノックをすると冨岡が顔を出し、ぞろぞろと廊下にいる面々を見て眉を顰め、終わったのかと問いかけた。
「はい。次はアルバムが見たくて貸してもらいに来ました」
「二人の可愛い写真が見たいの! 子供の頃とか」
大層不機嫌に顰められた表情が甘露寺と禰豆子を眺め、ちらりと室内へ視線を向けた。吹っ切れたのか諦めたのかわからない普段通りの笑みを浮かべたしのぶが顔を出し、どうぞと言ってアルバムを差し出した。
「ありがとうございます!」
「動画とかもあると嬉しいわ」
「うーん、さすがにそういうのは実家に……ああ、こんなものがありますよ」
思い出すべてを持ってきているわけではないらしく、重いからとか持って行かないでと止められたものとかが実家に残っているそうだ。
しのぶが差し出したDVDのケースには、作成、宇髄くんファンクラブと書かれている。疑問符を掲げた冨岡がしのぶの手から引き取って眺め、考え込んでいる。記憶にないらしい。
「うわー、お前俺のファンクラブ入ってたの? 知らなかったわ」
「入ってない。こんなものどこにあったんだ」
「CDのボックスの中で下敷きになってましたよ。面白かったです」
見つけた時に確認のためしのぶは目を通したらしいが、どうやら楽しく視聴したようだった。もっとこういうのがあれば見たいと口にしているが、冨岡は記憶にないからか曖昧な返事をしていた。しのぶに宇髄のファンだったのかと問いかけている。その問いを即座に否定したしのぶに宇髄は少々不満そうな顔をした。
「アルバムの前にこれ見ましょう!」
「宇髄の動画とか見て面白いかァ?」
「映ってるのは宇髄さんだけじゃないですよ」
全員で居間に戻ってテレビを囲み、わくわく楽しそうな甘露寺がDVDをセットした。しばらくすると宇髄天元ファンクラブプレゼンツ、などと無駄に格好良いフォントで腹立たしい文字が表れた。
まず初めに若かりし頃の宇髄が鼻歌交じりに歩いている姿が映し出された。見覚えのある服は着崩しているものの、産屋敷高校の制服だというのがわかる。いや、歩いているだけで動画に撮られるような生活って何だ。
宇髄の行く先にひとかたまりに立っている数人がいる。頭が飛び抜けているのは少し若い悲鳴嶼だ。その周りに三人男子生徒が立って話を聞いている。気づいたらしい悲鳴嶼が宇髄を指し何か一言呟いた瞬間、三人の男子生徒が一斉に顔を向け睨みつけてきた。
「ここで会ったが百年目ェ! おら観念しやがれ宇髄ィ!」
「また剣道部か! 俺もう三年なんだけど!」
行く手を阻まれた宇髄は急遽踵を返して走り出し、最初に叫んだ生徒が追いかけた。柄の悪さは若い頃から変わっていないらしい。高校生の不死川が宇髄を追いかけ、それについていく生徒二人。在りし日の冨岡と伊黒だった。
「いや、何これ。自転車使ってまで撮ってるし……」
映像は四人が校内を駆け回る鬼ごっこのようなものだった。すれ違う教師から注意をされているようだが、完全に無視して宇髄と不死川が走っていっていた。どこかに行ったのかと思っていた冨岡と伊黒が宇髄の目の前に回り込んでいて、三人が全体重をかけて宇髄に座り込んでいた。
高校生特有とでもいうのか、年上の彼らの馬鹿さ加減とか体力が有り余っていそうな追いかけっことか、とにかくまあ、その当時は善逸たちと大して変わりのない高校生だったらしい。
「俺様ファンクラブは割と本格的なもん手作りするからなあ」
睨みつけると宇髄は楽しそうに画面を見ていた。そういえばこんなこともあった、と懐かしがりながら呟いている。
「これ撮られたあたりからファンクラブの連中がこいつらに目つけてよお、剣道部ってかこいつらのファンクラブができてたな」
「知らん。まあ差し入れに関しては部員共が喜んではいたが」
画面が反転し最愛の宇髄天元へ、などという腹立たしい文章が現れて映像は終わった。しのぶの顔が楽しそうに笑っていて、甘露寺が騒ぎながら楽しかったと口にした。
「この後学年主任にこっ酷く絞られたんだよな。俺何も悪くねえのに」
「安心しろ。俺たちも絞られたしけしかけた悲鳴嶼先生も絞られた」
「たまに頭パーになるよなあの人」
「他にはないのかしら?」
甘露寺の質問はしのぶに向けられ、これ以外は知らないと冨岡へ視線を送った。首を振ったものの少し考え込んでいると宇髄が口を開いた。
「動画といやあこの前の体育祭、悲鳴嶼先生が凄え面白かったんだって?」
「あー……まァ、あれなァ……」
「……あれか」
不死川と冨岡の何ともいえない様子に俯いて肩を震わせているしのぶを横目に、善逸も体育祭のことを思い出した。あの時の悲鳴嶼は普段見かける姿とは似ても似つかず、非常に恐ろしかった。何がそこまで彼を掻き立てるのかと思ったものだが、不死川と冨岡がいたからというのは聞いている。
「元はといえば宇髄が反則すれすれのことして職員会議にかけられたから悪ィんだよな」
「何で俺のせいだよ」
「宇髄の所業は語り草になってるらしい」
「ダビングさせてもらいました」
持ってくると言ってしのぶは席を外し、しばらくしてDVDを手に戻ってきた。本来は炭治郎たちの応援に来たはずなのに、いつの間にやら悲鳴嶼を見るのが面白くなっていたらしい。
「生徒たち皆楽しそうでしたよ」
悲鳴嶼の所業は一般参加の二人三脚でお目見えしたので、しのぶは先にその辺りから動画を再生した。紐を括り付けて少し足踏みしバランスを崩しかけた不死川から始まっている。そこは見せるなと不死川から文句が飛んだ。
「お前ら本当仲良いな。二人三脚て」
「これは胡蝶に脅されたんだよォ」
不思議そうにする宇髄や煉獄には悪いが、あの時の話を振り返る者は誰もおらず口を噤んでいた。言ってしまえば冨岡や不死川のように渾身の突きをお見舞いされそうだ。
ピストル音とともに参加者たちが走り出し、もたついている者たちのなか悲鳴嶼ペアと不死川と冨岡が飛び出した。最初は悲鳴嶼たちが少し速かったのだが不死川たちが追い抜き、そのまま一位を掻っ攫う流れなのかと善逸も思っていた。まさか悲鳴嶼がペアの相手を引きずって抱えて無理やりゴールするなど思っていなかった。
一連の勝負を見て宇髄は呼吸困難になっているし、煉獄は固まっているし、伊黒と甘露寺は困惑している。カナエは楽しそうだとのほほんと見ていたが。
「俺たち義勇さんたちが勝ってガッツポーズしたんです」
「……あまり勝った気にはならなかった。怖かったし……」
「学年主任に追い回されたこと思い出したわァ」
部員から怖いと評判の冨岡ですら恐れた悲鳴嶼の猛攻は、生徒たちからは歓声と悲鳴の半々聞こえてきた。善逸は悲鳴を上げた側だが、まあ盛り上がったことには違いない。
「来年行く時言えよ、俺も行くわ。また二人三脚しようぜ伊黒」
「貴様とは二度と二人三脚はしないと誓ってる」
「俺も行こう! 楽しそうだ」
彼らに来られたらギャラリーは確実に彼らに取られてしまう。女子の視線を集中させるのはやめてほしいので善逸としては来てほしくないが、恐らく悲鳴嶼は彼らの誰が来ても本気になりそうだ。
「悲鳴嶼先生がこんな暴挙に出たのもてめェが伊黒引きずって一位取ったからだよォ」
「体のどこかが地についてれば問題ないらしい」
「まじ? そりゃ俺のせいだな。今度は誰引きずってやろっかなあ」
「一人で分裂して一人でやってろ。俺を巻き込むな」
来年は一体どんなことが起こるのか。善逸にはさっぱり予想がつかなかった。