成人式

「苦しくないか?」
「ええ、大丈夫です」
 実家のしのぶの部屋の私物はいくらか狭霧荘に持ち込んではいるが、今でもすぐに住み始められるくらいには物が残っている。
 狭霧荘を鱗滝と蔦子に任せ、現在しのぶは義勇とともに胡蝶家に来ている。理由は何を隠そう、成人式に出席するためだ。
 高校から狭霧荘に住み始めたのだから、勿論中学までの友人は実家近くに集まっている。地元の成人式にも参加できると聞いて、久しぶりに同窓会にも参加することにしたのだ。
 客間などというものがない胡蝶家ではリビングに寝てもらうかどうするか、三人が家族会議を行い揉めに揉めた結果、両親の寝室にある父のベッドを義勇、母のベッドを父が、母はしのぶの部屋で寝るということに落ち着いたらしい。何故母とカナエが義理の息子、義弟となっているとはいえ成人男性の義勇と同室などという選択肢があるのかわからない。普通にしのぶと同室で良いだろうに、相変わらず義勇が来ると家族は皆はしゃぐようだった。
 義勇を連れてきたのは家族もゆっくり会いたいだろうと思ったのもあるが、義勇と蔦子は鱗滝に様々なことを習っているおかげで、着物の着付けができるからというのが主な理由だった。
 大人の仲間入りをする本日、成人式に振袖を着ると決めたのはしのぶだった。本当はスーツで良いだろうと考えていたのだが、着ても大丈夫らしいというのをどこかで聞いたと蜜璃が教えてくれ、せっかくだから見たいとも言われていた。
 既婚者ではあるものの一生に一度のことであり、しのぶはそれならばと振袖を着ていくことを選び、義勇に着付けを頼んだわけである。しのぶ自身も義勇に習って着付けられるようになっているが、まあそこは家族孝行としてついてきてもらったのだ。一泊どころか二泊もすることに義勇は少し不安げだったが、鱗滝が快く送り出してくれた。
 早朝しのぶは先に美容院で髪をセットしてもらい、今着付けを終わらせたところである。自室の鏡台を確認して荷物をチェックし、ようやく準備が整った。
「どうですか?」
「綺麗」
 むすりとしたまま褒め言葉を呟き、しのぶは頬を赤くしたのに義勇の表情は芳しくない。これはあれだ。しのぶが綺麗であるせいで周りの視線に晒されるのが嫌だとかいう独占欲である。人前では決して見せない、堅物な義勇の可愛い部分だった。
 それは大変嬉しくはあるが、少しは笑って伝えるとかないのかと少々不満も出てくる。こんな不機嫌な顔でも褒め言葉は嬉しいし、相変わらず照れてしまうが。
「迎えは?」
「同窓会のあとお願いします」
 式典会場に義勇が来たらしのぶが知らない女子たちが色めき立ってしまう。義勇が可愛い独占欲を見せたように、しのぶもあまり騒がれたくないのだ。同窓会が終わって人がまばらになった時なら大丈夫かと思い、夜の迎えは頼むことにした。カナエに道案内として来てもらえば土地勘がなくても大丈夫だろう。
「同窓会は夜からだし、お昼は約束してないんで、五人で行けると思いますけど」
「久しぶりなんだから誘われたら行けば良い。女子だけで」
「義勇さんの時は謝花さんがいらしたのに」
 ぐ、と言葉に詰まった義勇が押し黙り、何だか所在なげな顔をしたのでしのぶはつい笑い声を上げた。謝花はしのぶとも面識があるので別に根に持っているわけではないが、揶揄うと少し狼狽えたようだ。
「嘘ですよ。ちゃんと男性は躱してきます」
 そもそも中学までの友人は女子ばかりなのだから、昼食に行くことになっても輪に入ってくる男子はいないだろう。同窓会には来るだろうが、義勇だってしのぶが知らない女子のいる同窓会に行っていたのだし、それに文句を言うことはなかった。
「成人おめでとう」
「ありがとうございます。誕生日が待ち遠しいですね」
 宇髄はやはりプレゼントに酒を選んでいると不死川から聞かされたし、ようやく義勇たちと卓を囲んで飲めるのだ。しのぶにも浴びるほど飲ませるかはわからないが、一度くらいは潰れるまで飲んでみたくもある。醜態を晒すのだけは御免被りたいが。
「わあっ、しのぶ綺麗! やっぱり良い色ね、似合ってるわ」
 階下のリビングで振袖を家族に見せると、カナエは飛び跳ねてしのぶを褒めた。父も母もはしゃいで似合うと喜んでいた。
「蜜璃さんに写真送らないと。撮ってください」
 草履を履いて玄関を出たところで義勇にスマートフォンを手渡し、私服のカナエと並んで撮った。両親にも入るよう声をかけた義勇が写真を撮り終わり、しのぶへスマートフォンを差し出そうとした時カナエがそれを奪って引き止めた。
「義勇くん、しのぶと二人で撮ってあげる」
「私服なんだが」
「良いのよ、私だってそうだもの。ほら、笑って」
「次カナエも一緒に入んなさい。あと母さんたちも二人と撮りたいわ」
 そういえば両親が義勇と写真を撮ったのは結婚式の時くらいだった。昔からしのぶとカナエの写真を収めたがっていた両親は、義勇にもそれを発揮しているようだった。
 結局、会場に行くまでに少し時間を費やし、ようやく撮り終え四人に写真を送り、しのぶは見送る四人を置いて実家を出た。久しぶりに会う友人たちがどんなふうに大人になっているかと楽しみにしながら、足取り軽く歩き始めた。

 宴もたけなわ、同窓会はそろそろお開きの時間になり、しのぶは荷物を纏めてスマートフォンを覗き込んだ。
 少し迷ったが無事店を見つけたという連絡が入っており、一人で来たのかと驚いた。誰かついてきてもらえばいいと一応伝えていたのに。義勇の連絡より前にカナエからメッセージが来ていることに気づき、しのぶは画面をタップした。
 ——二人で寄り道してきても良いわよ。
 そのメッセージを見たしのぶは、カナエが気を利かせて義勇を一人で送り出したのだろうと察した。わざわざそんなことをしなくても二人きりになることくらい狭霧荘でもあるのに。更に結婚して二年も経つのだが。
 まあしのぶが未だに照れてしまうせいで揶揄われるのも止む無しとは思うが、妙な気遣いにしのぶの頬が染まり、溜息を吐きながら額を押さえた。
「誰? 旦那さん?」
 本日しのぶはしっかり指輪を着けてきていて、すでに結婚したことは同窓会でも告げており、友人たちは皆驚いていたが祝福してくれた。そこかしこで項垂れる男性たちはいたが。
「あ、ええと、まあ」
「しのぶちゃん、旦那さんのこと大好きなんだね。照れるとこ初めて見た気がする。昔は男子に興味なさそうだったし」
「えー、ラブラブじゃん」
 照れたのは義勇ではなくカナエのメッセージのせいだったが、突き詰めればまあ間違いではない気もする。同窓会にはしのぶが話したことのない者たちもいたが、近くに座っていた友人たちには一応こっそりと写真も見せた。挙式の写真を見て友人たちは声を潜めてはしゃいでいた。
「迎えに来てるの?」
「着いたみたい」
「早く帰ったほうがいいよ。結婚してても見る目が本気の奴いるし」
 中学の頃しのぶを狙っていたらしい男子が、今も変わらず熱視線を向けていると友人が教えてくれた。指し示された顔は確かに中学の卒業式で告白されたことがあることを思い出したが、当時も断ったはずなのだが。
 男性は躱してくると言ってしまった手前、しのぶは妙なことにならないよう友人の言うとおり早々に帰ることにした。会費はすでに払っているし、皆あとは追い出されるのを待っているような状態だ。これなら帰ると言っても角は立たないだろう。
「旦那さんのとこまで送ってあげる!」
「あはは……ありがとう」
 そこまでしてもらうのも何だか悪いが、友人たちに会ってもらうのも良いかもしれない。そそくさと立ち上がって一言幹事に声をかけ、しのぶは友人たちとともに店を出た。
「お待たせしました」
「帰んの胡蝶!? 待って俺、」
 店の前でぼんやり辺りを眺めていた義勇を見つけ、声をかけて友人たちを紹介しようとした時、慌てた声音で呼び止める声が背後から聞こえてきた。
 一先ず義勇の前まで歩いていき、服の裾を掴んでから振り向くと、先程忠告を受けた男性が呆然としたまま立ち尽くした。
「はい、帰ります。お疲れ様でした」
 義勇を見てひっそりテンションが上がっている友人たちを伴って、しのぶは男性に会釈をしてから義勇を引っ張って歩き始めた。
 店が見えなくなってから、しのぶは友人たちを義勇に紹介した。中学の頃はずっと彼女たちと遊んでいたと告げると、義勇は友人たちに会釈をして挨拶をした。しのぶがお世話になってます。口にしたその言葉はだいぶ恥ずかしくて照れてしまったが。
「こちらこそ! あ、私たちこれから二軒目に行くので!」
「行かなくて良いのか」
「まあ、次帰省した時にでも。また連絡するから」
「うん! じゃあねしのぶちゃん」
 手を振って友人たちを見送るしのぶを義勇はまだ気にしているが、あれはただの口実である。そもそも友人たちも二次会には行かず帰ると言っていたし、あの様子はしのぶと義勇の話でもするつもりなのだろう。その場にいては根掘り葉掘り聞かれそうな気もする。別にしのぶが好んで付き合っている友人たちなので構わないのだが、照れて大変な目に遭うのは間違いない。
「躱したでしょう?」
「……そうだな」
 躱すというよりは言葉を発させなかったという感じになってしまったが、妙なことを言わせなかったのだから良いだろう。義勇を見上げると普段通りの愛想のない顔のままである。機嫌が悪いわけではないようだった。
「姉さん、一人で行けって言いました?」
「散歩でもして来いと言ってた」
 やはり義勇にも何か言い含めていたらしい。要らぬ気遣いをせずともいいのに、全くカナエはお節介である。
「ふうん。じゃあ帰り道中学通りますから、寄っていきます? どうせ入れませんけど」
 頷いた義勇の手に触れると、何も言わずにしのぶの手を握り込んでポケットに突っ込まれた。
 最初は驚いて恥ずかしくて、どう足掻いても真っ赤な顔を隠すことができなかった。未だに少し照れてしまうこともあるが、あの時よりは落ち着いて笑みを向けることができる。何せ普段の生活ではなかなかこんなことができないので嬉しい。
「左手が寒いです」
「手袋は持ってきてない」
 残念だ。あればあの時のリベンジのようにできたかもしれないのに。
「あ、ここですよ中学。わあ、ちょっと綺麗になってる」
 ペンキの塗替えでもしたのか、暗闇でも白い校舎が仄かに見える。年月とともに変わっていくのは少し寂しいが、自分が大人になった証として考えれば何だか感慨深い。
「義勇さんと一緒に通いたかったですね。高校は部活に来てましたけど、中学だけは無理でしたし」
 そもそも三歳違うのだから通えるはずもないが、小学校は少しの間だけ一緒に登校していたし、しのぶが義勇と通えなかったのは中学だけだ。あの頃も楽しいものではあったが、少しばかり残念な気分でもある。
「今来たから、通ったことにならないか」
「………。そうですね。そういうことにしておきましょう」
 校内に入っていないのだから通ったとは言い難い気もするが、しのぶが良いと思ったのだからそれで良いのだ。含み笑いをしているしのぶを眺めた義勇は、街灯の下で柔らかい笑みを向けた。