大人げない
「冨岡、不死川。来ていたのか」
一般参加の二人三脚には教師枠が一組あるらしく、駆り出されたらしい悲鳴嶼が声をかけてきた。
失態を犯して参加させられてしまったが、出るからには負けるわけにはいかない。個人の足の速さで不死川は自信はあるものの、ペアである以上速さだけでなく息を合わせないと勝負には勝てない。冨岡ならば正直負けることはないはずだが、悲鳴嶼とその相手がどこまで息を合わせてくるのかは未知数である。
「どうもォ。玄弥の体育祭だから見に来たんだが、胡蝶に脅されたんで」
「何をやらかしたんだ。冨岡は付き添いだったのか?」
「炭治郎もいるので」
「ああ、そうか。ご両親が来られないんだったな」
ひと通り家庭環境を把握しているらしく、吾妻や嘴平の家庭も知っているらしい。二人の家族は年配らしくテントの下でのんびり過ごしているのだという。昼食の時合流しなかったのは、どうやら若い者たちで楽しめと送り出されたからのようだった。
「不死川は練習試合の時もブランクがあると嘆いていたが、走るのは良いのか?」
「あれから一応ランニング始めて体力戻そうとしてるとこです」
「不死川は仕事帰りに走って帰って来てます」
いくら剣道部の現役レギュラーであろうと、年下連中に舐められるのはいただけない。ブランクを言い訳に負けるのは気分も良くない。
「その調子でしごいてやってくれ。部員たちはあれから士気も上がり楽しみにしているからな」
入部する連中は未だに不死川たちの時代に憧れて来る者が多いのだという。その筆頭である炭治郎がいるので不死川も知っている。少々照れ臭いがまあ尊敬されるのは嫌ではなかった。
足首を結ぶ紐を配られ、スタートラインに並んだ。しゃがみ込んでしっかりと括り付け立ち上がり、足を動かして調子を確認する。まあ問題ないだろう。
「俺右なァ」
「右」
不死川が右足を動かそうとした瞬間、冨岡が右足を踏み出した。危うく転けそうになってしまい不死川のこめかみに青筋が立った。
「そっちじゃねェわ、俺が右! 最初は外側の足だァ」
「結んでるほうが先で良くないか」
ロープの張られたすぐ手前で胡蝶がカメラを構えているのが見えた。昼食時にいた何人かは近くにいるようだ。今の妙な場面も撮られたかと思うと情けない。
「人数合わせで伊黒と出た時は割と善戦したんだがなァ」
「……体格の話か? 宇髄がいた時は伊黒が引きずられてただろう」
「ありゃ体格差があり過ぎだァ。胡蝶はそこまででもねェだろ。……いや、まあまああるか」
頭一つ以上小さい胡蝶と冨岡では、いくら胡蝶の足が速くても歩幅は確かに合わない。冨岡の一歩が胡蝶の三歩だったりしそうだ。あまり二人で並んで歩いているところは見ないし、冨岡は胡蝶の歩幅に合わせて歩くだろうが、競争となるとそうもいっていられない。
「位置について」
教師の声とともにピストルが空に向けられ、鼓膜に響く銃声が発せられた。最初の三歩でタイミングを掴み、段々スピードを上げていく。周りの一般参加者はもたついているので放っておいていいだろう。すぐ目の前に大きな背中が見える。悲鳴嶼とペアの教師の体格はできるだけ合わせたのか背丈は近いが、横幅は悲鳴嶼の半分ほどしかないように見えた。どこまで差をつけられるか試すのも悪くないと思う。ちらりと冨岡へ視線を向けて更に歩幅を広く踏み出すと、察したのか難なく冨岡は合わせてくる。
長い付き合いだがこいつほど息を合わせてくる奴はおらず、こういう競技で組めば負けたことはない。癪な話ではあるが、やりやすい相手なのである。
「不死川」
「あ? ……うおおォっ!」
悲鳴嶼を抜いてゴールを目指していると冨岡がふと名前を呼んだ。視線で促す背後からペアの教師を引きずって迫ってくる悲鳴嶼がいた。何だこれ、怖え。やがて引きずっていた教師の肩を掴み、ほぼ小脇に抱えている状態で走り始めた。冨岡の顔色が悪くなっているので、恐らくこいつも怖がっている。
「おい、あんなん反則だろォ!」
「若干相手の足が地についてる。ルールとしてはあれは有りなんだろう。悲鳴嶼先生が反則するわけがないからな」
「冷静に言ってんじゃねェ! つうかやる気満々じゃねェか悲鳴嶼先生よォ!」
確かに引きずっていた時もゴールすればカウントされていたが。というかペアの教師の表情が死んでいるが大丈夫だろうか。
ゴールテープはあと少し、悲鳴嶼の追い上げに予想外に気を取られたが何とか持ち直してスピードを上げる。勝つためというより恐怖で逃げているような気分になった。
何だか制服の着崩しに対して学年主任から追い回されたことを思い出しながら、悲鳴嶼がすぐ横に並んだ瞬間ゴールへと到達した。
「えっ……どっちだァ?」
ゴールテープは不死川たちと悲鳴嶼の両ペアに纏わりついている。ゴールした瞬間バランスを崩し二人して膝をついてしまったが、悲鳴嶼は息を切らせながらも抱えていた教師を地面に立たせていた。周りの声援というか悲鳴というか、まあとにかく盛り上がってはいるようだが。
「おめでとうございまーす」
一位の旗を手渡され、審議の結果どうやら勝ったのは不死川と冨岡だったらしい。もしかして悲鳴嶼のあれが審査に影響したのかと思ったが、一歩の差で不死川たちが先にゴールしたようだ。
「………。……怖かった」
「凄え懐かしい気分になっちまったわァ……」
勝ったはずなのに素直に喜べない。外野はやたらと盛り上がっているが、まるで負けたかのように二人して項垂れた。
「頑張ったんだが、やはり速いな二人とも」
「いや、頑張り方ァ……」
引きずっていた宇髄を見た時も呆れたものだが、悲鳴嶼も大概大人気ないことをした。不死川と冨岡が出るのなら本気で挑まなければならないと奮起してのことだそうだが、それにしたって反則すれすれのことをするとは。
「良いんですか、教師があんな真似してよォ」
「数年前に二人三脚のルールについて会議をした時、地面から浮いていなければOKということになった」
「宇髄のせいだろうなァ」
「引きずって一位を取ったのは宇髄だけだったからな」
教師の間では語り草になっているらしく、宇髄の所業は様々な違反の基準になっているようだ。高校生活は一年しか被らなかったが、それはもうことあるごとに名前は聞いていた。
一般参加者には参加賞、一位になった不死川と冨岡には何やら小包を貰ったが、中身はどうやら菓子折りらしい。甘いものが貰えるだけましだろうか。
張られているロープを跨ぎ胡蝶たちのいるそばへと近寄っていく。吾妻の顔色が非常に悪いが、悲鳴嶼の迫力に飲まれたのだろう。こいつは元々びびりのようなので。
「おかえりなさい。あんなに白熱するとは思いませんでした」
「あんなん誰だって本気になるわァ」
菓子折りを手渡してシートにどかりと座り込むと、ちゃんと撮れましたよ、と胡蝶が楽しそうに声をかけてきた。心底不機嫌さを顔に出したのに知らぬ存ぜぬ、冨岡が近寄って二人でカメラを覗き込んでいる。
「悲鳴嶼先生の本気走りもきちんと」
「反則ではないらしい」
「ふふっ……、まあ悲鳴嶼先生も意地があったんでしょう。お二人が本気で逃げていたので手に汗握ってしまいました」
持参したデザートはすでに売り切れており、胡蝶は菓子折りの包みを開けて不死川へと差し出した。有名な洋菓子店の詰め合わせが目の前に現れ、そのまま一つ掴んで袋を開ける。すでに入場口へと並びに行った年下連中にも一応食べられるよう広げておいた。
*
「ねえ! さっき二人三脚で一位になった人たち、竈門くんの知り合いなんでしょ?」
「え? ああ、下宿先の人なんだ。不死川さんは玄弥のお兄さん」
一般参加の二人三脚は炭治郎たちも次の種目に並びながら眺めていた。最初は普通の滑り出しだったのに、悲鳴嶼の鬼気迫る猛攻に義勇と不死川はスピードを上げて接戦になっていた。一位になった時は炭治郎と玄弥も思わずガッツポーズをしたほど白熱していた。
声をかけてきた女子は格好良いとか凄いとか騒いでいる。事実なのだが色々と質問が多くて炭治郎は少し困っていた。
「いくつ? 紹介してほしいー! 彼女いるかな?」
「彼女っていうか、義勇さんは結婚してるけど」
「えー! 何だ、つまんないの。玄弥くんのお兄さんは?」
「あー、兄貴も彼女いるよ」
そうなのか、とぼんやり考えていると女子は不貞腐れたように別の友人のところへと移動した。並んでいるのだから競技が終わってからにすれば良いと思うが、質問攻めから開放されたのは助かった。
「だから嫌なんだよなあ、兄貴が来るの」
「何がだ?」
少し逡巡した後、玄弥はあの女子のように兄について根掘り葉掘り聞かれるのが嫌だと口にした。見た目からヤクザかチンピラかと恐れられるくらいならまだしも、あの剣道部の練習試合を見た後から、話したこともない女子から色々と聞かれるらしい。彼女はいるのかとか好みのタイプとか紹介してほしいとか、先程の女子と同じように。
そういえば、炭治郎が義勇と話をするのを見ていたらしいクラスの女子からも似たようなことを聞かれたことがあった。義勇は結婚しているのでそんな質問はすぐに鳴りを潜めていたが、玄弥は一度不死川にそんな話を聞かれたと報告した時、彼女がいると言っておくよう言われたのだという。
「年下のガキに興味ねェから、適当に流してろ」
などと言われてその通り流すのだそうだ。そういえば練習試合の後はよく知らない女子から声をかけられることも増えた気がする。
「良くも悪くも目立つんだよ。あの五人でいたら注目の的だったんだろ」
宇髄はあの風貌だからかなりモテると聞いたことがあるし、義勇と煉獄はあの通り格好良いし、伊黒は甘露寺がいるのと本人の気質のせいで近寄りがたいと部員からも言われているが、恐らく目立ってはいただろう。成程、と炭治郎は納得し頷いた。
「借り人、兄貴だけは避けよう」
「お題何だろうなあ。保護者とかだと義勇さんかしのぶさん呼ばなきゃならないし」
「しのぶさんかあ……」
あの練習試合に来ていたのはしのぶと甘露寺もだし、炭治郎は男子たちから二人のことも質問攻めにあっていた。どちらも相手がいると知り大人しくなりはするのだが、時折しつこく聞いてくる者もいたのだ。目立つのは良いことばかりではないのだろう。
「あの二人全然その、夫婦っぽいことしないよな」
「うーん。仲が良いのはわかるけどなあ」
炭治郎たちには見せないだけで二人でいる時はきっと仲良くしているのだろうと思う。目の前でいちゃいちゃされるのは目のやり場に困ってしまうだろうが、正直見てみたいと思うことはある。昼間は二人でいるのかもしれないが、部活がある時義勇は炭治郎と一緒だし、その間しのぶは狭霧荘で過ごしているわけで。
「今度二人の時間を作ってもらおうか」
「どうやってだよ」
「ええと、俺たちが家事を手伝って、遊びに行ってもらうとか」
良い考えではないだろうか。何ならどこかのテーマパークや映画のチケットとか、準備してプレゼントすれば出かけてくれるかもしれない。誕生日だとか特別な日にでも。
確か二人の誕生日は二月だった。随分先だが準備は念入りでも良いかもしれないし、別の日にしても良い。口にすると玄弥は同意してくれた。