保護者と生徒と体育祭

「いや、来なくていいよ。高校の体育祭なんて親は来ないっていうし」
「休みなんだから良いだろ別にィ。お袋だって見たいから撮ってこいって連絡来てたしなァ」
 居間で何やら話し声が聞こえ、炭治郎が覗くと不死川兄弟が座っていた。
 玄弥が困ったような顔をしてこちらへ視線を向け、体育祭に保護者は来るのかと問いかけられた。
「うちは父さんが入院してるし母さんは来られないよ。見たいとは言われたけど」
「ほら、炭治郎だって誰も来ないって」
「入院してんなら仕方ねェだろ。うちは行ける奴がいんだからよォ」
 どうやら不死川が見に行くというのを玄弥は止めたいらしい。炭治郎は見に来てくれるならば嬉しいが、父のそばを離れられず母はこちらへ来られないので仕方ないと思っている。掃除を終えたらしいしのぶが居間へと顔を出した。
「中学の時は行ってねェんだから今回は行くからなァ。反抗期迎えてねェで諦めろ」
「ええ……兄貴が来ると周りが騒ぐから……」
「あァ!? 俺のどこがチンピラだってェ!?」
「そこまで言ってないし……」
 台所で湯を沸かしながら二人を眺めているしのぶは、体育祭の単語を聞いて納得したように頷いていた。そんな時期ですか、と懐かしそうだ。
「炭治郎くんはご両親は?」
「うちは来られないんです。見たいとは言われましたけど」
「そうですか。残念ですねえ」
 少し寂しそうに笑ってしのぶは頷いた。中学は何とか来てもらっていたが、遠出になってしまうのであまり無理はいえない。
「保護者みたいなもんだろ、行ってやればァ」
「……私ですか? それは義勇さんに聞いてみないと何とも」
「えーっ、悪いですよそんな!」
 下宿している狭霧荘の大家なのだから、保護者代わりと言われれば確かにそうなのかもしれないが。わざわざ体育祭まで見に来てもらうのは少々気が引ける。
「体育祭なんか部活休みだろォ。冨岡留守番させりゃ済む。それか一日くらい出払ってもいいんじゃねェの? 不在にした日もあっただろォ」
「うーん。確かにアオイには会いたいし興味はありますが」
 現在先代に呼ばれて不在の義勇にも白羽の矢が立っている。玄弥は不満そうにしているが、不死川は完全に行く気なのだろう。どうしよう、炭治郎も別の理由で断りたくなってきた。
「とりあえず俺は行くからなァ。根性見せろよォ」
 項垂れた玄弥が溜息を吐いたのを眺め、しのぶは苦笑いを浮かべた。
 不死川兄弟の仲は悪くないのだが、玄弥は時折こうして兄の行動を止めようと画策することがある。忙しい兄を思ってか単純に恥ずかしいからかはわからないが、兄は全く聞き入れずに過ごすので大抵徒労に終わるのだ。
「おかえりなさい」
 荷物を抱えた義勇が居間へと戻り、テーブルへと下ろした。中を覗くと大量の青梅が転がっている。どうやら鱗滝が持たせたらしい。
「あら、梅シロップが大量に作れますね」
 楽しそうに梅を触りながらしのぶが喜んだ。
 毎年鱗滝からの贈り物で青梅を貰い、狭霧荘ではよく振る舞われるらしい。義勇が成人する前年には梅酒を漬けることも提案され、その時は義勇の姉が来て漬けていったのだそうだ。
「体育祭に持っていきます? 逆に喉が乾いてしまいますかね」
「美味しそうですね! うちでも母さんが漬けてたなあ」
 狭霧荘への贈り物は現物支給が多く、よく義勇は誰かから野菜や果物を貰ってくる。悲鳴嶼からだったり煉獄からだったり。最近はしのぶの実家からも色々と贈られてくるらしい。
「炭治郎くんのご家族、体育祭に行きたいのに来られないそうで。見に行かないかと言われました」
「わっ。し、しのぶさん、いいですよ本当に」
 慌てて言葉を遮ろうとしたのだが、しのぶはその前に義勇へ問いかけてしまった。ああ、と得心したようで義勇は留守番かと呟いた。
「いえ、義勇さんも行きません? たまには部活以外で」
 笑みを向けて提案したしのぶは、不死川も行くらしいと一言付け足した。少し考え込むように黙り込んで天井へと視線を彷徨わせた。
「伊黒は仕事だな」
「おォ、平日だからなァ。鍵閉めりゃ行けるだろ」
「そうだな」
 狭霧荘を訪ねてくるのは大抵顔見知りの誰かである。宇髄も来る時は休日だし、不在を伝えておけば大丈夫だろうと義勇は乗り気のようだった。
「いいんですか?」
「ご両親に見せる動画撮りましょう。お弁当どうします? 食堂は混んでた気がしますが」
「確かになァ。作るんなら手伝う」
「食べたいものはあるのか」
 弁当すら作ってくれるらしい様子に炭治郎は恐縮しきりだった。確かに食事も含めて世話になっているが、平日の昼は普段食堂を使っているのに。謝った後礼を告げた。
「もしあったらたらの芽が食べたいです……」
「たらの芽の旬ていつだァ?」
「春から初夏じゃなかったか。先生が育ててたと思うが……」
「あっ、なければ何でも! しのぶさんのご飯美味しいので!」
 笑顔で了承したしのぶにもう一度礼を伝えると、今度は玄弥に食べたいものを問いかけた。玄弥は玄弥で恐縮している。何でも良いと口にした。
「こいつスイカ好きなんだが、まだ見ねェなァ」
「早ければそろそろ売ってるんですけどねえ。少し探してみましょうか。他にありますか?」
「ええと、うーん……俺も何でも美味しいんで……」
「ふふっ……ありがとうございます」
 何やらツボにはまったらしいしのぶが笑い声を漏らした。ついでにおはぎも作っておくと一言呟いている。不死川の顔が少し強張った。
「冨岡の好物は」
「弁当に合わない」
「煮物ですからね。夕飯にでもします」
 台所の棚から大きめの重箱を取り出し、眺めながら足りるかどうかと悩んでいる。大きなサイズの容器を重箱の上に乗せた。
「このくらいあれば足りますかね。もう一つデザート用に」
「多いなァ。まァ育ち盛りには食い足りねェのもまずいけどよ」
「余ったら持って帰れば良いし、友人と分けても良いだろう」
「そうですね。じゃあそれで、久しぶりに義勇さんにも作ってもらいましょうか」
 スマートフォンを取り出ししのぶは操作し始め、感嘆の声を漏らしながら義勇へと見せた。義勇の眉が顰められている。不死川も呼ばれて三人額を突き合わせて覗き込んでいる。
「カラフルで可愛いですね。不死川さん料理の腕は?」
「え……握り飯くらいしか作ったことねェけど」
「この際挑戦してみませんか。義勇さんはこれ」
「待て。こんな……どうなってるんだこれは」
 義勇一人大家だった頃は料理もすべて義勇がやっていたことは聞いたことがある。横着もするし大味なものが多かったらしいが味は悪くなかったと皆言っていた。レシピを見ているようだが、どんなものが出来上がるのか楽しみになった。
「無茶振りだろこれ、冨岡の料理覚えてんだろォ」
「ええまあ。お玉が目の前の皿の上に現れた時は驚きました」
「こんなん無理だろォ……」
「大丈夫ですよ、無闇にアレンジしなければ」
「見た目は?」
「多少不格好でも何とかなります。ほら、炭治郎くんだって義勇さんの手料理食べたいのでは?」
「あ、そうですね。興味あります」
「玄弥くんもお兄さんの料理食べてみたいでしょう」
「え……食べられそうなら」
 ぐう、と潰れた蛙のような声を喉から発した不死川が、やがて諦めたように了承した。義勇はまだ不安そうだったが。
「大丈夫ですって! いざとなったら私が責任を持って見られるものにしますから」
 しのぶのごり押しにより三人での弁当作りが決定し、炭治郎は玄弥と目を見合わせて少し笑った。

「え? しのぶさん来るの?」
「義勇さんと不死川さんも来る。お弁当作ってきてくれるんだ」
「妬ましいほど満喫してんな。……てか、あれだよな」
 開会式が終わり出場種目を待ちながら炭治郎は善逸と話していた。善逸の指した先へ視線を向けると、校門から入ってきた三人のそばへ玄弥が駆け寄っていくところだった。
「あ、そうだな。善逸も挨拶行くか?」
「あー……行かないとだよな。伊之助は……並んでんのか」
 行きたくなさそうにしているが、挨拶は大事である。三人に気づいたらしい他の剣道部員も近寄っていくのが見えた。あの背格好は村田だろう。
「どの辺陣取ってんだァ」
「今はあっち。炭治郎と合流するから荷物取ってくる」
「義勇さん、不死川さん!」
 駆け寄ると義勇たちは炭治郎へ顔を向け、各々挨拶を返した。村田は声をかけてすぐ立ち去っており、三人を場所取りしていた所へ案内する。
「伊之助は次の種目に出るんです。俺と善逸はクラス対抗リレーに」
「そうか」
「あと玉入れも。棒倒しは伊之助と、俺たちも出ます」
「あいつルール覚えてんのかァ?」
「苦労しましたけど何とか……」
 剣道もルールを覚えてきているので、興味のあるものならば伊之助は割と頭に入れるようだった。不安要素はあれど身体能力は高く、クラスメートからは期待されているのである。

 しのぶたち三人が作った弁当は多少なりと手作りゆえの歪さはあったが、色とりどりで炭治郎の目には充分綺麗で美味しそうに見えた。
 一口大のハンバーグや具の混じった卵焼き、ブロッコリーなど定番のおかずが詰まっている。おにぎりや何だか可愛い巻き寿司だとかとにかく目に楽しい。炭治郎のリクエストであるたらの芽の天ぷらも入っている。デザートにはおはぎと前日に見つけたスイカもあるらしい。
「凄い! これ全部三人が作ったんですか!?」
「意外と不死川さんが不器用で、結局おにぎりと巻き寿司担当になりましたね」
「うるせェ……」
「でも美味しそうです! ありがとうございます」
 手でもつまめるよう、おかずにはスティックが刺さっている。たらの芽には刺さっていないが、一応箸も持ってきてくれたらしい。
「居やがったな義勇!」
 走り寄ってきた伊之助が叫ぶと周りの視線が集まるのがわかった。その後ろには善逸とカナヲ、先輩のアオイがいる。どうやらしのぶがアオイを探していたので呼んできてくれたようだ。
「正座」
 すでに体に染み付いているらしく、伊之助は義勇の静かな言葉でシートの上に正座した。もはや猛獣使いのようである。最近は伊之助もだいぶ大人しくなっているが。
「うわー、凄っ。これ全部手作りですか? ネットに載ってるやつみたい」
「しのぶさんと義勇さんと不死川さんが作ってくれたんだ」
「えっ。こんな可愛いやつを……?」
 毎度部員を叩きのめす成人男性が作ったとは信じ難いらしい。座れと不死川が促すと皆好きな場所に腰を下ろした。
「皆お弁当ですか? 足りなければつまんでくださいね」
「ありがとうございます」
 女子二人は弁当、伊之助と善逸は購買でパンを買ってきたようだが、恐らく足りないだろう。善逸はともかく伊之助は毎回他人の食べているものを掻っ攫うので、こうして多めに作ってくれるのが有難かった。
「兄貴の握り飯でかくない?」
「腹に溜まって良いだろうがァ」
 一つ一つの存在感が大きく、また密度もある。力が篭もっていて結構硬いが、これはこれで美味しい。巻き寿司も海苔が剥がれるようなこともなく安定感がある。手で食べるにはうってつけな気がした。
 輪になって食事をしていると定期的に部員がやってきて、義勇たちに挨拶をして去っていく。時折羨ましそうに弁当を眺めているのがわかったが、さすがに来る人全員に分けられるほど量は頼んでいないので、申し訳ないが諦めてもらうほかなかった。
「義勇さんたちは体育祭何に出てたんですか?」
「綱引きと棒倒しは毎年出されてた」
「ありゃ柔道部とかラグビー部みたいなのが優位なんだよなァ。一回悲鳴嶼先生がゲスト枠で出た時は全員項垂れてたが」
 どうやら一度運動部のレギュラーたちが一つの団に多く所属することになってしまい、文化部所属の生徒たちが泣きついたらしい。
「仮装競走なんてのもありましたね。途中で着ぐるみとか着て走る競技」
「それ今日あります。善逸が出るんだよな」
 プログラムの書かれた紙をしのぶへ手渡すと、三人が覗き込んで眺め始めた。覚えのある種目や見たことのないものも色々あるらしく、懐かしそうな様子を見せた。
「へえ、一般参加もありますね。二人三脚だそうですよ」
「ふーん。お前らやればァ」
「身長差と身体能力を考えるとお二人が出るのが一番では?」
「出たいなら不死川と出れば良い」
「何でだよ、一番ねェ組み合わせだろが」
 誰が出ても見応えがありそうだが、自分が出るのは三人とも嫌らしい。勝ちを狙うなら確かに義勇と不死川で出れば行けるだろうが、しのぶも運動部だったそうなので走るのは問題ないだろうし、義勇と息が合うとも思う。
「三人四脚なら揉めないのにな」
「その場合だとやっぱりしのぶさんが真ん中かな?」
 炭治郎の言葉に義勇と不死川が同時に空を仰ぎ考え込んだ。その瞬間二人はしのぶから箸で容赦なく突きを食らって体勢を崩した。割り箸は袋に収められたままだったが、突かれた箇所を押さえて二人が悶絶している。
「何を想像してるんですか」
「……何もしてない」
「箸はやめろやァ……」
 狭霧荘でも見ない光景だ。フェンシング部で表彰されるほどの成績を納めていたしのぶの突きは非常に痛いらしい。珍しいコーチの様子に笑いたいのか恐れたいのかよくわからない顔をして善逸が眺めていた。
「歩幅も違うし肩を組むこともできませんし、私は遠慮します」
「……ああ、肩を組めば走らなくても、」
「ぶふっ」
 至極真面目な顔をした義勇が呟いた瞬間、しのぶは再度突きを繰り出した。今度は間一髪義勇が避けたが、しのぶの笑みが少々怖い。我慢できなかったらしい不死川が吹き出していた。
「おい、何でカメラ奪うんだよォ」
「ご心配なく。私が責任持って可愛く撮ってあげますよ」
 だから二人三脚に出て来い。凄みのあるしのぶの笑みが二人に向けられ、義勇と不死川は表情をなくして黙り込んだ。想像を口にしかけた義勇と吹き出した不死川のことを許すつもりはないらしい。
 元はといえば炭治郎が口にした言葉が原因のような気がしたので謝ったのだが、何で謝るのかとしのぶは笑っていたが目は少々怖かった。
「さあ、早く食べないと時間が過ぎてしまいますから」
 デザートにと取り出した容器の中身を見せたしのぶが勧めるままに手を伸ばした。おはぎはあんこときなこの二種類あり、果物はスイカが一口大に切られている。玄弥は嬉しそうに礼を言ってスイカを頬張っていた。