差し入れ
現役を退いて何年も経つOBと現役部員の練習試合なのだから、もしかしたらもしかする試合結果になるのかもしれないとひっそり思っていた。義勇や煉獄ならまだしも不死川と伊黒は卒業してから滅多と剣道部に顔を出していなかったし、宇髄が剣道を嗜んでいたことなど知らなかった。
だがそんな考えも吹き飛ばすほどの試合を宇髄は見せてくれた。レギュラー部員にはさすがに手こずっていたようだが、勝ちを譲るようなことはなく不死川も伊黒も負けを見ることはなかった。歴代最強の布陣だと言われているらしいが、思わず納得してしまうほどだった。
練習試合とはいえ義勇の試合をこの目で見られるとわくわくして来たが、五人の試合は圧巻である。煉獄が大将を嫌がる理由が理解できてしまうのが凄い。確かに勝ち抜き戦で大将に置かれては、闘えないと嘆くのも仕方のないことだったのだろう。
義勇は最初こそ大将に置かれたことに納得がいっていないようだったが、瞑想し終えてからは試合に集中していた。真剣な顔が格好良いなどと浮ついたことを考えていたが、そんなことも吹き飛ぶくらい繰り出す技に目を奪われた。
「皆格好良いわ!」
「そうですね」
剣道関係者のなかでは彼らは有名らしく、炭治郎のようにきらきらと輝いた目を向ける者もいた。義勇と煉獄はコーチとして顔を出しているが、練習試合ともなるとやはり違うのだろう。嬉しそうにしている部員にしのぶは微笑ましくなった。
義勇がロープで縛り付けていた少年は、試合が始まると騒がしかったのが嘘のように食い入るように眺めていた。どんな一挙手一投足も見逃すまいと瞬きすら我慢しているような様子で。
炭治郎は彼の様子に安堵した表情を浮かべ、その後は試合を集中して眺めていた。そばにいた金髪の少年も不安そうな表情ではあるものの、試合自体は興味があるようで目を逸らさなかった。
結局、悲鳴嶼の言葉どおり全員が部員と試合をし、宇髄などはブランクのせいかバテていた。息を切らせて疲れたと騒いでいる。
「お疲れ様です。良かったらどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
主将らしき部員に最初に声をかけ、恐縮しながら疲れきっている部員たちを呼び、容器に入ったレモンを一人一つだと伝えて回していく。申し訳ないが余らなければ義勇たちの分はない。
「骨のある者はいたのか?」
「おォ、侮れねェのが一人なァ。あいつ」
伊黒の問いかけに不死川が指したのは一年の小柄な少年だった。煉獄が名を呼び不死川のそばまで来させる。
少年は時透と名乗り一礼し、促されてから不死川の前に座った。胡座をかいたままだが不死川はアドバイスのようなものを口にし始め、時透は真剣に話を聞いていた。
「おい! 約束どおり最後まで見てやったんだからこれ解けよ!」
周りからはうわあ、という何ともいえない声が聞こえてきたものの、義勇は伊之助へと視線を向けると立ち上がって近寄り、巻きつけていたロープを外した。正座をしたまま動かず伊之助は黙って訴えるように義勇を見上げた。膝の上で握った拳が白くなるほど力を込めているようだった。
「宇髄」
「あーん? 疲れてんだけど」
「部員一人相手もできないほどか」
相変わらず言葉選びに難があるが、苛立ちを覚えるほど宇髄は義勇と関わりが短くない。窘めるのは忘れないが。
「俺まで煽らんでいいわ。手加減なしで良い?」
「必要ない。舐めてかかればお前も危ういぞ」
「ふーん。じゃあまあ楽しめそうだな。俺が勝ったら神と呼べよ」
「ふん、何とでも呼んでやる! お願いします!」
破天荒で荒くれ者の印象しかなかったが、挨拶が出てくるあたり少しは落ち着いたのだろうか。しのぶのそばまで寄ってきた義勇が差し入れの残りを気にするようなことを口にした。伊之助の分はあるが五人のうち数人分足りない。
「嘴平と宇髄、伊黒に渡れば良い。できれば悲鳴嶼先生の分もあると良いが」
「悲鳴嶼先生も途中から稽古つけてらっしゃいましたね。そうすると義勇さんの分はありませんけど」
「俺はいい。甘露寺が絡んでるから伊黒には渡さないと後がうるさい。不死川も疲れてるから渡してやりたいが」
全員に渡るようもう少し多めに作っておくべきだった。余っても狭霧荘で食べれば良いし、部員たちのなかには複数食べてくれる者もいたかもしれない。事前に人数を聞いておけば良かった。
「あ、あの」
小さな声が呼び止めるように聞こえ、しのぶは義勇と同時に顔を向けた。近くに座って見学していたカナヲがアオイとともに言いづらそうにしながらもじもじとしている。
「どうかしました?」
「……その、差し入れのことなんですけど」
そっと差し出した袋の中に、大量の一口大のゼリーが入っている。炭治郎たちから練習試合があると聞いて家庭科室で作って持ってきていたのだそうだ。しのぶと甘露寺の差し入れがあるならと黙っていたらしい。
「そんな気を遣わなくても。あなたの差し入れは皆さん喜ぶと思いますよ」
炭治郎や善逸と友人ならば、彼らは間違いなく喜ぶだろう。食べ盛りの男子高校生なのだから皆食べたがるはずだ。
「はい……なので、えっと」
「しのぶ先輩の差し入れは食べられると思います」
言い淀んだカナヲの代わりにアオイが言葉を続けた。しばらく考え込んでしまったが、意味に気づいてしのぶは頬を染めた。
「いやっ、アオイ何を」
「……成程。それは助かるが」
しのぶの作ったものが義勇の口に入るのは嬉しいが、それを後輩に誘導されるのは恥ずかしかった。というかどんな気の利かせ方なのだろう、普通そんなことまで気づくものだろうか。
「まあ、食べたい奴もいるかもしれないから、俺は次で良い」
「……次? いつあるっていうんですか」
「さあ。さっき悲鳴嶼先生は恒例にしたいと言ってたから……」
ひっそりと食べてくれないことに気を落としつつ、適当なことを言っているのかと思って問いかけると、案外本当に近々二回目がありそうな気配がしている。それなら今日は食べてもらえなくても良いかと考えを改めた。まあ寂しいのは寂しいが。
「おい、早くしろよ。お前の番だぞ」
伊之助の相手が終わってしばらく他の面々との試合を見ていた宇髄が、義勇を呼びに近寄ってきた。ちょうど煉獄との手合わせが終わったところであり、そのまま義勇が煉獄のそばへと戻っていった。
「今日こそ越えてやるぜ、覚悟しろ義勇!」
「冨岡コーチだ、いい加減覚えろ」
命知らずな奴だよ、と付近で腰を下ろして眺めている部員たちが呟いている。怖がられているのか何なのかいまいちわからないが、義勇は部員たちから少し距離を置かれている。炭治郎でさえ名前にさん付けだというのにあの野生児は、と呆れたような怯えたような様子を見せていた。
「宇髄さん、如何です?」
「お、サンキュー。ん、何だよ足りねえじゃん」
「彼女たちがゼリー作ってくれてますから、大丈夫ですよ」
慌てて頭を下げるアオイとカナヲを眺め、袋の中にあるゼリーの量を見て宇髄は手を伸ばした。適当に一つ掴んで礼を告げて口の中へ放り込んだ。
「ゼリーのほうがお好きでした?」
「ていうか、あのガキと伊黒と冨岡に残しといてやれよ。食いてえだろあいつらも」
「伊黒さんと伊之助くんはそうですね。義勇さんは次で良いと仰ってましたけど」
先程までここにいた義勇との会話を教えると、宇髄は面倒そうに顔を顰めて溜息を吐いた。宇髄が疲れているだろうからと言っていたことも伝えたら、余計な世話だと憤慨されてしまった。
「あいつも俺をおっさん扱いする気か!? いいか、物分り良い振りしてるが、自分は食えねえのに他の奴らが嫁の作ったもん食って何とも思わねえわけねえだろ。内心めちゃくちゃがっかりしてるわ」
「いや、知りませんよ。そういうのいいですから」
「ていうか次って何だよ。まさかまた駆り出されんの俺? 結構きつ……いや別に限界なんかねえけどな。おっさんじゃねえし」
何やら言い訳のようなことを言っているが、とにかく宇髄はしのぶの作ったものは義勇に食べさせろとゼリーのみを口にした。美味かったと感想を言うことは忘れずに。
「おーい、差し入れまだあるぞー。お前ら配ってこいよ」
宇髄に促されたアオイとカナヲが部員たちのそばへと寄っていく。しのぶと甘露寺の背中も押して倒れ込んでいる伊之助と義勇たちのそばへと歩き始めた。
「お疲れ様! はい、口開けてね!」
五人立て続けにこてんぱんに伸され、仰向けに息を切らせていた伊之助の口へ甘露寺はレモンの蜂蜜漬けを落とし、それを見ていた伊黒の空気が殺気立ったものへと変わった。
「伊黒さんにもあーんしてあげてくださいね」
「っ!? え、ええと、伊黒さん、あーん!」
殺気立った伊黒が見るからに動揺し、部員たちの羨ましそうな視線のなか断りきれず口に含んでいる。恥ずかしそうではあるが甘露寺は嬉しそうだ。これで先程の伊之助への行動が帳消しになると良いのだが、まあ伊黒のことだから後で文句は言うのだろう。
ちらりと義勇へ視線を向けると、一つ残ったレモンへと目を向けた。宇髄が食べなかったからと差し出すと、しのぶが取る前に義勇の手が伸び最後の一つを口に運んだ。
「先輩はあーんはいいのか?」
「………」
煉獄の言葉に睨みつけた義勇は、食べ物を口に含んでいるので言葉を発さずに首を振って否定した。甘露寺に促した手前やるべきだろうかと少し悩んだが、やはり大勢いる前でそんなことはできない。というか義勇が嫌がっている。
「冨岡にも相談したが、皆がもし良ければ定期的に練習試合を挟みたい。同年代との稽古も大事だが、差のある相手との稽古も勉強になる。どうだろうか」
「まァ休みの日なら俺は大丈夫だがなァ」
「ちんちくりん共のお守りをするのは御免被りたいが、弱いままでいられるのも困るしな」
悲鳴嶼の提案に部員たちはざわつき、伊黒と不死川は好意的なようだ。実力者が揃っているのだから胸を借りるつもりで、と悲鳴嶼は部員たちに伝えている。確かにこれほど恵まれた環境はないだろう。
「えーと、それ俺も? OBじゃねえってずっと言ってんだけど」
「宇髄は勧誘しても入らなかったな。私が顧問になった直後に入学してきて喜んでいたんだが……」
「すんませんね、高校は自由にやりたくて」
中学では敵なしだった宇髄は有名だったらしいが、悲鳴嶼がどれだけ誘っても剣道部には入らなかったようだ。
「まあでも楽しかったですよ。久しぶりに剣道ってのも悪くねえ」
「神がコーチになんのか?」
「馬鹿言うな、そんな暇ねえわ。コーチは冨岡と煉獄で我慢しとけ」
宣言どおり伊之助を負かした宇髄は神と呼ばせることに成功し、伊之助はすでに躊躇なく呼び始めている。少々不満げにした義勇が眉を顰めていた。冨岡コーチと呼ばないことが気になっているのだろう。
「あ、でも練習試合があるならまた奥さんたちが差し入れに……」
この世の終わりのような顔をしていた善逸は、ふとしのぶたちへ視線を向けて呟いた。その言葉に部員たちが色めき立って歓声を上げ始めた。
「まあ、毎回は悪いと思うが……差し入れは助かる。どうだろうか、材料費なら部費から出せる」
「はあ……いえ、それならマネージャーを入れたほうが良いのでは? 練習試合といってもそんなに頻繁ではないんでしょう。皆さん仕事がありますし」
「それも考えているんだが、募集してもなかなか入ってこない」
部員数は多くても悩みはあるようだ。悲鳴嶼はマネージャーが担当するような仕事はすべて顧問と監督、コーチと分担してやっているらしい。昔はどうだったのかと義勇に問いかけると、彼らが在学中もマネージャーはいなかったようだ。
「剣道部ってむさ苦しいよなあ。男ばっかで防具は臭いしよ」
「今更ァ。大体俺らが在学中は女子部があったわ」
運動部は基本的に汗にまみれて練習するのだから、防具が臭いというのは仕方ないことである。見た目に気を遣っている宇髄には耐えられなかったのかもしれないが。
「あ、あの」
小さな声が聞こえ、顔を向けるとそわそわと落ち着きのないカナヲがいた。アオイがどうかしたのかと問いかけると、充分逡巡した後に口を開いた。
「……部費が出るなら、差し入れを作れると思います」
悲鳴嶼の表情が明るくなり、部員たちのざわつきが大きくなった。狂喜乱舞しそうな善逸の横で炭治郎が驚いたようにカナヲを見つめた。
「でもカナヲは家庭科部だっただろう」
「うん。でも毎日あるわけじゃないから、先生に前もって言えば家庭科室は使わせてくれるよ」
「一人だと大変じゃないか? 誰かに手伝ってもらえるのか?」
「……カナヲがやるなら手伝いますけど。やりたいのよね」
在校生たちの間で何やら会議が開かれている。カナヲの言葉に部員たちは喜んだものの、手間と労力を考えると悩み始めたようだ。マネージャーになってはもらえないのか、と期待のような眼差しも感じたが。
「アオイはフェンシング部があるでしょう。毎日練習していたのでは?」
「え、ええまあ……でも」
「悲鳴嶼先生、練習試合はどのくらいの頻度でやろうとお考えなんですか?」
「む。彼らの都合に合わせるつもりだが、多くても月一程度ではないだろうか」
月一くらいなら、と不死川と伊黒は頷いている。宇髄はまだ頭数に数えられていることに首を傾げていたものの、頻度としては問題ないようだった。
「月一くらいなら少し部活に遅れても問題ないかと」
「そうですか? だとしても二人だと大変でしょう」
「はいっ! 月一回なら私たち手伝いに来るわ! ね、しのぶちゃん!」
甘露寺が挙手して先に言ってしまったが、しのぶも同じことを考えていた。部外者となった卒業生のしのぶや甘露寺が率先するのは少し気が引けたが、在校生であるカナヲやアオイが頑張るというのなら、手伝いという名目を使うことができる。笑いかける甘露寺に笑みを返した。
「家庭科室も交渉してくれるようですし、月一回ならさほど負担にもなりませんし。皆で作るのは楽しいですしね」
「で、でも……良いんですか、しのぶ先輩。その、新婚なのに」
「何の心配をしてるんですかっ!」
一気に頬が熱くなり思わず声を荒げてしまったが、アオイは相変わらず他人によく気を遣う。そんなことまで気にしないでほしいのだが。いたたまれなくて困る。宇髄が面白そうに目を弓なりに歪めたのが視界の端に見えてしまった。
「あっ。そうか、そうよね。ごめんなさい、私ったらつい高校の時みたいに」
「いえ! 私も手伝いたいと思ってたんです! お願いですから変な気遣いをするのはやめてください!」
「嫁はこう言ってるけど?」
宇髄がにやつきながら表情の死んだ義勇へ問いかける。玩具でも見つけたかのように楽しそうだ。
勘弁してほしい。アオイの言うとおり新婚であることは確かなので、まだまだ上手くかわすことができないのに。不死川や伊黒は揶揄うことがなかったので油断していた。
「やりたいなら止めはしない」
「へー、そう。じゃあ決まりか? 良かったなお前ら、桃色の青春ができて。可愛い女子の差し入れとか爽やか連中しか貰えねえぞ」
興味深げに眺めていた部員たちは今度こそ喜んで騒いだ。炭治郎たちも、善逸など涙を流して喜んでいた。
「うちの嫁にも声かけてやるよ。人数多けりゃその分楽になるだろ」
「良いのか? 宇髄は狭霧荘を出たんだろう」
「まあ、月一くらいならね。あいつも興味あるみたいだったし、飯美味いし。どうせ頭数に入ってんなら嫁も連れてきますよ」
差し入れ作りの頭数も揃いそうな様子に、しのぶはアオイとカナヲへ笑みを向けた。