練習試合
「いや、いやいや。おかしいでしょ。練習試合って普通同じ高校生とやるもんじゃないの?」
「勿論それもあるが、今回は社会人との練習試合だ」
「めっちゃ怖いんですけど。ていうかコーチがあっち側にいるんですけど!?」
「落ち着け善逸」
産屋敷高校に入学し、炭治郎は剣道部に入部した。クラスで仲良くなった善逸はどこかで剣道部がモテると聞いたらしく軽い気持ちで入部したらしいのだが、あまりの練習のきつさに毎時間弱音を吐いている。今は弱音よりも文句が出ているが、そのうちまた泣き言を呟き始めるのだろうと思う。何を言っても義勇のしごきについていっている以上、充分根性はあるし素質もある。本人は認めずに逃げたがっているが、顧問である悲鳴嶼は善逸に退部はしてほしくないらしい。
「つうかよォ、俺らブランクあるんですけどォ。もっと早く言ってくれりゃせめて体力作ってきたのに」
「すまない、不死川。予定を組んでいた学校から急にキャンセルが入ってしまってな……」
「悲鳴嶼先生の打診だから来たようなもんだからなァ」
「おい、弱音を吐くな。OBがこんなちんちくりん共に負けるとあっては一生の恥だぞ。向こう十年は言い続けてやるからな」
「先輩たちと団体戦は何年ぶりになるか。久しぶりで腕が鳴るな!」
「俺なんか中学以来なんだけど。いや行くって言ったのは俺だけども」
「宇髄なら大丈夫だ」
「お前さあ、そう言ってればオッケーだとか思ってない? まあ俺様だから負けるわけねえけどな」
威圧感というか、存在感というか。とにかく五人集まって話しているだけでそわそわと落ち着かなかった。宇髄とは炭治郎が見た中学生だった義勇の試合の後に一度、狭霧荘に遊びに来た際と二度面識はあったが、まさか剣道を嗜んでいたとは知らなかった。
そこにいるだけで格が違うと感じられる、鱗滝に見せてもらった義勇の試合動画でも宇髄以外の彼らはいた。どれもこれも圧倒的で、彼らのいた頃が最強だったと謳われるほどだった。
悲鳴嶼の言ったとおり練習試合を組んでいた学校からキャンセルが入り、急遽義勇に頼んで人を集めてもらったらしい。義勇は狭霧荘に住んでいる不死川と伊黒、炭治郎が入居する前に住んでいた宇髄、月一でコーチに来てくれる煉獄に声をかけたようだ。
「でも義勇さん、じゃなくて冨岡コーチ。善逸が怖がって隅っこから動きません」
「なっさけねえ奴だな。せっかくギャラリー呼んでやったのに」
「ギャラリー?」
「こんにちは。あ、良かった、まだ始まってなかったんですね」
炭治郎が首を傾げると同時に剣道場へ顔を出したのは、狭霧荘で見送ってくれたはずのしのぶだった。隣には甘露寺が笑顔で手を振っている。
女性の声に善逸が勢い良く振り向いた時、道場はざわついた。一年生部員は誰なのかとそわそわしている。
「しのぶさんたちも来てくれたんですか」
「ええ。皆さん今日は外食するからと、私たちも誘われましたので」
「伊黒さんたちの試合久しぶりだもの、私たちも見たかったの!」
「ちょちょちょ、炭治郎!」
隅っこから飛び出してきた善逸に首根っこを掴まれ、炭治郎は引っ張られるままその場を離れた。顔色を紅潮させて興奮して鼻息荒く誰なのかと問いかけられた。
「義勇さんの奥さんと、甘露寺さんは伊黒さんの、」
「はあああ!? 冨岡コーチの奥さんてあんな美人なの!?」
興奮冷めやらぬまま善逸が叫ぶ。顔色の赤みは今度は怒りが混じっているようだ。頷くと更に般若のような表情になった。
「何それ? 既婚なのは聞いてたけどあんな美人が奥さん……堅物なのに……」
「関係あるのかそれ? しのぶさんは元々狭霧荘に住んでたんだぞ」
「如何わしいな! 堅物のくせにちゃっかり下宿人に手出したのかよ!」
「馬鹿言うな、こいつが在学中に手出すわけねえだろ。堅物らしく健全なお付き合いだったわ」
「要らんことを言うな」
どういう経緯で結婚に至ったかまでは知らないが、義勇の人となりはたった一ヶ月程度の付き合いでも炭治郎はよく知っている。善逸の言う手を出すなどということはしないであろうことも何となくわかっていた。
狭霧荘でもあまり二人でいるところを見ることがなく、基本的に下宿人たちと話していることが多い。二人きりになりゆっくりできる機会は就寝時くらいで、炭治郎たちが見ることはなかった。昼間の学校に行っている間も、伊黒が狭霧荘で在宅仕事をしているので純粋な二人きりというわけでもない。
「元々幼い頃からの許婚だと聞いてるぞ! 結婚は決まっていたことだ!」
煉獄の溌剌とした言葉に頭を抱えて項垂れた義勇と、隣で何ともいえない曖昧な笑みを浮かべたしのぶ。そうだったのかと炭治郎は頷いた。
馴れ初めがどんなものだったのか、炭治郎は知らなかった。義勇は口数は多くないし、聞いても良いものか迷っていたのだ。
「そうだったんだ」
「玄弥」
同じ狭霧荘に住む玄弥が顔を出し、その横で同じように覗き込んでいる女子二人が現れた。同じクラスの栗花落カナヲと一年先輩の神崎アオイだ。二人が一緒に食堂で昼食を食べているのを見たことがある。
「あら、アオイ。久しぶりですね」
「お久しぶりです、しのぶ先輩」
アオイはしのぶの後輩だったらしく、部活の話に花が咲き始めた。女子の増加に善逸は元気を取り戻したものの、今度は甘露寺について聞き出そうとしてくる。
「おい、勝手に甘露寺の話をするな。穢れる」
「ヒッ」
こうして伊黒の前で甘露寺の話をすることは難しく、毎度こうして悪態をつかれる。善逸は初対面である伊黒の様子にまた萎縮してしまっていた。
「一応差し入れも持ってきたんですけど、足りると良いんですけどねえ」
「私も手伝ったの! 狭霧荘の台所お借りしちゃった」
「お、レモンの蜂蜜漬け。夏場はよく食ってたなあ」
炭治郎も中学の頃は同じものを差し入れされたことがある。美味しくてすぐになくなってしまっていたが、取り合いにならないことを祈る。甘露寺が手伝ったと聞いた伊黒が恨めしそうな視線を部員たちへ向けてくる。どうやら食べさせるのが惜しいらしい。
「ギャラリーも良い感じに集まったことだし、始めるか? 言っとくが俺はマジのブランクあるからな。へなちょこ共に負ける気はねえけど」
「俺たちもそうだがな。現役なのは冨岡と煉獄だけだ」
「えー、じゃあ先鋒どうする?」
「俺が行きたい! 先輩たちとの団体戦で大将はやりたくない!」
珍しい煉獄の様子に炭治郎は驚き、善逸も目を瞬いて眺めていた。普段どおり溌剌としているが、何かをやりたくないなどと言っているところを見るのは初めてだった。あの五人のなかでは煉獄は年下だし、在学中に何かあったのだろうか。試合動画では大将に名を連ねていることは確かに多かったが、先鋒や中堅で出ていた試合もあったはずだ。
「何お前、トラウマなの? こいつら別に弱くねえだろ」
「だからだ! 大将まで順番がまわってこずに終わることばかりだった。俺は試合に出ているのに」
「貴様らに実力差などなかったのだから仕方ない。煉獄を大将に置いておけば安心できたしな」
「それだと困るんだ。俺は試合がしたい!」
「そもそも今日は全員相手をする練習試合だ。煉獄が大将でも問題なく当たる」
「む。なら大将でも構わないが」
「冨岡に言いくるめられてんじゃねェよ」
まるで炭治郎と年の変わらない生徒のやり取りを見ているようで微笑ましさを感じてしまった。毒気を抜かれたような表情をした善逸は、少々呆れたような視線を五人へと向けている。
「煉獄が大将で良いなら俺先鋒行っていい? ブランク考えると手加減失敗しそうでちょっと不安なんだよなあ」
とんでもない言葉が聞こえた時、炭治郎の道着の袖を思いきり引っ張られた。善逸が青い顔をしてしがみついている。手加減を失敗するという台詞に怯えていた。
「いいからさっさと決めろよおっさん共! こっちは待ちくたびれてんだよ!」
「何てこと言うんだ伊之助!」
竹刀を両手に持った伊之助が叫ぶと、五人のうちの二人からおどろおどろしいオーラが出たような気がした。伊之助へ視線を向けた義勇はすたすたと近寄っていき、伊之助が持っていた両手の竹刀を竹刀ではたき落とした。
「何度も言ってる。竹刀で遊ぶな」
「俺は俺流でやるんだよ!」
「できるわけないだろう! ちゃんとルールに則らないと試合はできないぞ」
む、と不機嫌そうに炭治郎を睨みつけた伊之助は、勝てば良いのだと持論を発揮する。入部当初から何度も見る光景だ。
伊之助は偶然義勇と悲鳴嶼の打ち合いを見て強い二人に憧れたようなのだが、どうにも剣道のルールを中々覚えない。筋は悪くないと義勇は悲鳴嶼と話していたが、それはそれとして試合には出せないとも呟いていた。
二人に認められているのだからルールに従えば結果は出るだろうとも思うのに、血気盛んすぎて顧問にもコーチにも食ってかかるのだ。別に二人は怒ってはいないが。
「よし、俺様の相手はあの阿呆だ。おっさん呼ばわりしたこと後悔させてやるわ」
「待て宇髄、俺が行く。あんなわけわからん野郎におっさん呼ばわりは腹立つわァ……」
「まあ彼らからすれば俺たちは皆等しくおっさんだとは思うがな!」
「煉獄はあっさりしすぎだが……貴様らはちんちくりんの言うことを気にし過ぎだ」
「誰がちんちくりんだ! おっさん共は俺が全員潰してやる!」
「お前は黙って見てろ」
いつの間にか伊之助をロープで縛っていた義勇は、ロープの先を悲鳴嶼に手渡して任せ、伊之助には正座を言い渡している。普段もよく見る光景だった。恐らく初めて見ただろうしのぶと甘露寺は驚いている。
「最後まで見ていられたら全員で相手をしてやる」
「ええー、俺の初戦あいつじゃ駄目なの?」
「俺の相手だろうがよォ」
「落ち着かせたほうが良い動きをする」
五人の近くまで戻っていた炭治郎には義勇の言葉が聞こえていた。義勇は伊之助に意地悪で縛り付けたわけではなく、試合を見せて真剣さを持たせたいようだった。伊之助は身体能力が高いが何をするにも野性的で、ルールのあるものにはあまり慣れていない。喧嘩ならば何でもありの伊之助は強いのだが、剣道ではそれは最悪手になる。ルールを覚えればその分強くなると炭治郎も思う。きっと義勇も伊之助に強くなってほしいのだろう。
「しゃあねえな。とりあえず俺先鋒で良いよな」
「俺次鋒なァ」
「なら俺は中堅にしておく」
「冨岡先輩が一番見てるんだから、大将でも良いだろう! 俺は副将で出る!」
「………。お前大将で良いと」
「構わないと言っただけだ。良いとは言ってない」
何やら屁理屈のようなものを口にした煉獄に物言いたげな視線を向けたものの、義勇は何かを言うことはなく溜息を吐いた。様子を見ていたしのぶが甘露寺と含み笑いをしていた。
「順番決めてやったぜー。誰が来るんだへなちょこ共」
「少しは骨のある奴がいれば良いがな」
「ちょっとでもへたれた試合しやがったら根性叩き直してやるよォ」
「不死川先輩、後で俺も頼む!」
「………」
五人正座をしている様は壮観である。動画でしか見られなかった彼らが一堂に会す様は憧れていた炭治郎からすれば拝みたくなるほどだ。剣道部内にも炭治郎のような考えをしている者は少なくなく、有難がって手を合わせている者もいた。
「では、全員相手をしてもらおう。三年から行こう」
「派手に楽しめそうだな。頼むぜへなちょこ共」
悲鳴嶼が呼んだ名前順に対面に座った先輩部員たちを眺めながら、炭治郎は心が踊るのを感じていた。