先人たちと
「待て待て。邪魔をしてやるな」
目を剥いて興奮した妻が走り出しそうになるのを手首を捕まえて抑え、槇寿郎は視線の先にいる二人を眺めた。
息子が言っていた結婚式は昨日だったと聞いている。狭霧荘で開かれた会食から上機嫌で帰ってきた息子は、挙式の様子も動画を見せてもらったようで嬉しそうだった。へべれけに酔った宇髄が潰れ、お開きとなり狭霧荘から帰る間際、二人が顔を見合わせて笑う様子を見ることができたと喜んでいた。
瑠火は行きたかった、見たかったと非常に嘆いていたが、息子の友人の式になど親が参列するものではなく、更に身内だけの挙式だというのだから仕方ないだろうと宥めていた。落ち着いた頃に近況でも聞けば良いと言っていたのだが、こうして偶然街で見かけると突撃していこうとするのはやり過ぎな気もする。
まあ、杏寿郎の友人の中でもひと際寡黙で堅物だと認識しているので、手を繋いで仲睦まじく歩いている様子は確かに珍しいというか、きみもそんな顔するんだな、と少々槇寿郎も面食らってはいた。
嬉しそうに笑う小柄な女性と手を繋ぎ、相槌を打っては柔らかく口元を綻ばせる。稽古で見る険しい表情とは似ても似つかなかった。
店先の売り物を眺めている最中、視線でも感じたのかこちらへと顔を向けた息子の友人が自分たちに気づき、すっと表情をなくして姿勢を正した。瑠火の興奮した様子に顔色まで悪くなっている気がする。何をやらかしたのか、彼はうちの妻に対して少々苦手意識でもあるのだろうか。
「……ご無沙汰してます」
「ああ、久しぶりだな」
会釈をして挨拶をした冨岡に、隣にいた女性は目を瞬いてこちらを見た。もしかして、と呟く女性に煉獄と名乗ると、納得したように頷いて頭を下げた。
「以前一度お会いしましたね」
「ええ、三年ほど前でしょうか。喫茶店で」
瑠火はいつの間にやら面識があったらしく、にこやかに微笑む女性に笑みを返した。時間は昼時、瑠火は昼食はどうするのかと二人へ問いかけている。恐らく一緒に食事がてら話を聞きたいのだろう。相変わらずその手の話が好きである。
「良ければご一緒に」
「いえ……お邪魔でしょうから」
冨岡の言葉とともに二人の視線が一点へ止まる。
どちらかといえば確実に新婚の仲に割って入ろうとしているこちらが邪魔なはずだが、良いように誤魔化して逃げたいのかもしれない。視線を追ってみると、槇寿郎が瑠火の手首を掴んだままの状態だった。これか。慌てて手を離し咳払いをした。
「いえ、今のは手を繋いでいたわけではありませんから」
「はあ……でもよくお二人で出かけていると杏寿郎くんから聞いてます」
あいつ何を報告しているんだ。友人相手に親の普段の様子など言わなくても良いはずだが、普段彼とどんな会話がなされているか不安になった。
「俺たちのことは気にしなくて良い。瑠火がきみたちのところへ走り出そうとしたから止めただけだ」
「……そうですか」
「ええ。お邪魔にならないようにしたのですが、見つかってしまいました。せっかくですから昼食でも。ご馳走しますよ、お祝いに」
そうだった。杏寿郎からは渡されているだろうが、自分たち夫婦からは祝儀も何も用意していない。必要ないと慌てた冨岡が首を振って断ろうとするが、そんなものは瑠火の口実に過ぎないことは槇寿郎にはわかっていた。悪いからという理由では瑠火は引き下がらないことも。
「……お邪魔じゃないなら良いのでは? 私も煉獄さんのお母様とお話してみたいです」
愛想のない涼しげな顔が驚愕に染まり、槇寿郎たちから一歩離れ、背中を屈めて諌めるような様子で顔を近づけた冨岡は女性へと話しかけ始めた。この冷静で表情の変わらない冨岡に一体何をすればここまで表情を変えさせられるのか。瑠火は何を仕出かしたのだろうか。
小声で聞き取りづらいが何やら大丈夫なのかと問いかけながら話し合いをしている様子を眺めていると、女性の頬が段々色づいていくのがわかった。
「あの、近いです……顔が」
「え……ああ、ごめん」
「いえ……」
顔を背けて窘めるように口にした女性は照れたように目を逸らし、注意を受けた冨岡は少し気まずそうに謝った。口元を手で隠しながら恥ずかしそうにしている女性を見て初々しいと思うと同時に。
「……夫婦なんだよな?」
「非常に可愛らしいですね」
胸を押さえながら口にした瑠火に心中で同意はしたものの、槇寿郎としては初めて見るタイプの女性だと驚いた。
瑠火は結婚した直後であろうと堂々としてすぐに妻であることを公言していたはずだが、日が浅すぎるせいか彼女は慣れていないらしい。いや顔が近いからと照れるのは新婚でも中々ない気もするが。交際期間あったんじゃないのか。
これ以上考えると下世話なことまで思考が及びそうで、槇寿郎はとりあえず先程の初々しいやり取りは忘れることにした。
「それで、如何ですか。お嫁さんは良いと仰ってくださいましたが」
恐らく瑠火のお嫁さんという単語に照れたらしく、女性は身を縮めて視線を彷徨わせた。冨岡は冨岡で非常にげんなりとしているのが手に取るようにわかったが、ようやく瑠火の提案に頷いた。相変わらず押しに弱い。
確かに妙な面々での食事にはなるが、祝いと称してのものだし顔見知りでもあるのだし、そうおかしなことでもないはずだ。機嫌良く先導していく瑠火についていきながら、槇寿郎は一応小さくすまないと冨岡に謝った。
「きみそんなに瑠火が苦手だったか」
「……以前数時間話を聞かれて」
「数時間? きみがか」
しかし瑠火ならばやるだろうと槇寿郎は思う。伊黒が顔を出した時もずっと根掘り葉掘り聞いていた。年甲斐もなく恋の話が大好きなので仕方ないとも思っているし、そういうところも可愛いと槇寿郎は思っているが、冨岡には少々きつかったのだろう。
「まあ、その……杏寿郎の友達だし、家内もきみたちが可愛いと思ってのことだ。すまんが許してやってくれ」
「いえ……怒ってるわけでは」
「わかっている。まあ、……瑠火も息子も押しが強いからな」
杏寿郎は杏寿郎で友人の恋に対して非常に力強く背中を押すようなので、伊黒もその時ばかりは疲れきった顔をするのだ。どちらも控えめで大人しい子だから耐えきれないこともあるのだろう。まあ伊黒は冨岡に対して鬱陶しいなどとぼやいていたこともあったので、当事者でなければ意外と積極的なのかもしれないが。