会食
「しのぶったら照れまくっちゃって。こっちまで照れちゃうわよ」
「式の話はしないでくれる?」
「義勇くん、三年の間に何でしのぶを慣れさせてくれなかったの? これから同じ部屋に住むのに、結婚決まってたはずなのに」
「え……学生のうちは節度ある行動をするべきだろう」
「かった……堅物って本当だわこれ……」
二の句を告げなかったカナエの代わりに母が小さく呟いた。しかしちゃらちゃらした女たらしよりは良いかもしれない、と母が気を取り直している。しのぶが初心なのだから少しはリードしてくれたら良いと思っていたが、堅物過ぎてこれからも何もしない可能性があるかもしれない。事実三年間手は繋いだもののそれ以上は何もなかったとしのぶから聞き出していた。そんな年頃の男子がいるものかと思っていたが、疑惑のある成人男性が目の前にいる。
「ごめんなさいね、おばさんもカナエちゃんも。義勇ったらいつの間にかこんな感じになってて。剣道始めたからかしらね」
義勇の目元にかかっていた前髪をずらしながら蔦子はおかしそうに口にした。無責任な輩に育つよりよほど良いと鱗滝は呟きながら義勇の頭を撫でた。義勇はなすがままになっているが、相変わらず仲が良いようで微笑ましい。
義勇が堅物になった要因は蔦子にもあるとカナエは知っているが、本人は全く心当たりがないようだ。
「宇髄くんもいたのにねえ」
「宇髄の真似は難しい……よくわからないことを教えてくるし」
一体何を教えられたのやら。カナエは笑いを堪えきれないまま問いかけた。不貞腐れたような困惑したような表情を見せた義勇が宇髄から言われたことを指折り口にし始めた。
「飴とか氷を舐めながら舌を動かせとか、さくらんぼの茎を結べるようになれだとか、指を綺麗にしておけとか……」
「まああ、義勇!」
義勇の言葉に蔦子が慌てて遮った。しのぶは不思議そうにしているが、蔦子は気づいたらしい。カナエも宇髄が何を教えようとしていたのか察してしまった。頬が熱くなってきた。
「宇髄くんたら……あのね義勇、」
耳元に手をあてて蔦子が義勇へ耳打ちをし、しばらくすると義勇の体がぎしりと固まった。口元を覆って黙り込み、覗き込むと怒っているような表情をしていた。少々耳も赤い。
式場の帰り道、会食は狭霧荘で下宿人も参加してもらおうということになり、一行は帰路を歩いていた。もうすぐ狭霧荘に着く頃だったのだが、義勇は突然走り出して行ってしまった。鱗滝が止めようと肩を掴んだのだが、全くもって止まらず後ろ姿は消えてしまった。蔦子の夫が伸ばした手は宙を切っていた。
「待って義勇ー! 悪気はないのよきっとー!」
「……こういう時困るな。儂ではもう止められん」
年配とはいえ鍛えている鱗滝ですらもう義勇は止められないらしい。困惑しているしのぶに笑いかけながら、頼りになって何よりだと呟いた。
狭霧荘の塀が見えている。とりあえずカナエはしのぶの手を取って走り出し、蔦子も追いかけるようについてきた。他の面々も小走りで狭霧荘へと赴いた。
「笑い死にさせる気か! お前馬鹿過ぎるだろ!」
「うるさい。お前が説明しなかったのが悪い」
開け放たれた玄関からはクラッカーを手に持って床に転がっている宇髄と彼に馬乗りになっている義勇の姿があった。周りには呆れていたり顔を真っ赤にしていたり様々な顔色をしている男性が三人ほどいた。以前一緒にここに泊まった甘露寺も来ていたようだ。
「こら義勇! 宇髄くんは気を利かせて教えてくれたのよ。可愛がってくれてたんだから」
「どうも蔦子さん。あんたが知ってるの結構衝撃だけどな」
「やめて! もう恥ずかしい」
顔を隠して恥ずかしがる蔦子に宇髄は楽しそうに笑みを向ける。可愛がっていたから許せと義勇の頭を乱暴に掻き混ぜると、義勇からは非常に不満そうな視線を向けられていた。
「悪意はねえけど面白いことになるかなとは思ってたがな。どうせ胡蝶はわかんねえんだろ? 仲間はいるけどな、甘露寺もそうだし不死川も説明してやっと気づいた。お前ら本当似たりよったりの馬鹿だよ。伊黒が察したのは予想外」
「貴様はいい加減黙れ。狭霧荘で風紀を乱すな」
「冨岡みたいなこと言うなよ。お前にも教えてやろうか?」
「貴様の施しなど絶対に受けん。甘露寺が穢れる」
疑問符を浮かべ続けて聞きたがるしのぶと甘露寺に、伊黒と義勇は揃って困り果てた顔をした。心底楽しそうで腹が痛いと言っている宇髄は悪びれる様子もなく、義勇は睨みつけたあと溜息を吐いた。
「皆格好良いし楽しそうねえ。年上の子が住んでて義勇くんが純粋なのは何でかしら」
「どうも初めまして。さあ、こいつらの元々の性格じゃないですかね。胡蝶が来るまで甘露寺以外の女子が遊びに来たことねえしな」
「関係あるかァ?」
「あるだろ。お前ら全員女っ気なかったんだから」
下宿人たちと客人たちで会食の準備をしてくれていたらしく、居間のテーブルには仕出しの膳が並べられていた。宇髄の持っていたクラッカーは全員分用意したのだという。座るよう促され、しのぶとげんなりした義勇が先に腰を下ろし、続けて皆好きなところへ落ち着いた。
鱗滝から一言礼と挨拶があり、ひと悶着あったことはとりあえず置いておいて会食はスタートした。
「式はどうだったんですか?」
「ああ、滞りなく」
「鱗滝さんと蔦子さん、号泣しちゃって。あとで見ましょう、すっごく可愛かったから!」
「姉さん」
頬を染めて眉を下げるしのぶは式の間驚くほど綺麗で可愛かった。何なら義勇も格好良かったのだが可愛かった。甘露寺が興味津々にカナエへと問いかける。
「すっごく見たいわ! しのぶちゃんと冨岡さんならきっと素敵な式だったんだろうってずっと思ってたの」
憧れるのだと夢見心地で呟きながら甘露寺は懐石料理を口に運ぶ。どんどんなくなっていく料理に少々驚いていると、別方向から大きな声が美味いと味を伝えてきた。
「お前らのために俺様が追加で作っといてやったわ」
「ありがとう! 宇髄先輩の料理は美味いからな。ずっと良い匂いがして腹が鳴り止まなかった」
「わかるわ! 私もずっと美味しそうな匂いがするって思ってたの」
ビールやワイン、日本酒などひと通りの酒も用意しており、一杯目を飲み干せばあとは各々好きに注ぐというスタイルだった。宇髄はどんどん飲み干していき、あまり酒に強くないカナエは物珍しげに眺めていた。
しのぶと甘露寺はまだ未成年だからとソフトドリンクを用意してくれており、色々気を遣って準備してくれたようだった。上機嫌な宇髄も義勇とは長い付き合いだと言っていたので、今日は楽しみにしていたのだろう。
「式の動画見ましょう。本当に二人とも可愛いから」
「何故冨岡まで可愛い扱いなんだ?」
「だって可愛かったのよ。それしか言えないわ」
あまり見てほしくないらしいしのぶと義勇には悪いが、彼らも見たいだろうとカナエはテレビにカメラを繋げて映像を映し出した。蔦子と母、父すら手放しで可愛いと褒め称えるほどの式だったのだ。
義勇が一人現れて甘露寺が素敵だと騒ぎ、父と一緒に現れたしのぶに惚けたような感嘆の声が上がる。ゆっくりと歩いて義勇の隣へ立ち、神父の言葉に沿って式は進んでいく。
向かい合って指輪の交換、花嫁のベールを上げて神父の声が誓いのキスを促した。義勇を見上げてから静かに目を瞑ったしのぶへ背を屈ませ顔を近づける。
カナエの啜り泣く声まで入っていたのは少々失敗だったものの、見てほしいのはこの後だ。触れていた唇が離れてしのぶが目を開けると、目の前にいる義勇を見上げて何やら視線を彷徨わせ、眉がハの字になり頬を染めた。愛想のないまましのぶを見つめていた義勇がふとおかしそうに破顔すると、そこでまたしのぶが恥ずかしそうに義勇を見た。
あまりの可愛さに再度悶絶したカナエの横で立ち上がってはしゃいだ甘露寺、拍手でも送りそうなほど感動しているらしい煉獄も立ち上がっていた。
バージンロードを二人で歩いて出ていった後、蔦子と鱗滝が顔を覆って号泣していたところまで撮っていたせいで、蔦子からは消してほしいと懇願されてしまったが、それはできないとカナエは突っぱねておいた。
「冨岡さん笑ったわ、可愛い!」
「幸せそうだな! 俺も是非出席したかった」
「やっぱ婚前交渉はなしだよなあ。さすが堅物」
下世話だと伊黒に突っ込まれた宇髄は気にせず画面を眺めていた。
教会の外で記念撮影をする際、母とカナエのごり押しに負けた義勇はしのぶをお姫様抱っこで抱え上げ、照れて恥ずかしそうにしながらもしのぶは義勇と笑い合っていた。二人とも可愛いと称したカナエの気持ちが理解できたのか、宇髄は成程と納得したように呟いた。
「良い式じゃねえか。身内だけなの勿体ねえな」
「本当に素敵! 二人とも凄く幸せそうだわ!」
「えっ。何お前、泣いてんの?」
静かだと思ったら目元を手のひらで覆い、小さく鼻を啜る音が不死川から聞こえてきた。若干引いているような声音にうるせェと悪態をつかれながらも、まあわからんでもないと宇髄は頷いた。
「散々見てきた側からすると、ちょっと込み上げるものがあるもんな」
「まあ確かにもだもだしていた頃を知ってるとな……」
不死川は感受性が豊かなのか、とにかく感動しているようだ。伊黒も不死川に呆れた目を向けながらも喜ばしいと思っていることくらいはカナエにも伝わっていた。