挨拶

 実家の玄関前まで歩いてきたしのぶと義勇はしばし立ち尽くしていた。二階の窓から幕のようなものが垂れ下がっており、ウェルカムだなんだと書かれている。顔色をなくした義勇同様、しのぶも今すぐ逃げたい気分になった。
「……帰っていいか」
「気持ちは物凄くわかりますけど、せめて挨拶してからで」
 カナエは一体両親にどんな話をしているのか。下宿し始めてからしのぶは実家には殆ど帰らず、専らカナエが様子を見に来ていた。褒め殺してくるカナエが両親に何と言っているのか、しのぶは少し恐ろしくなった。先に報告の電話を入れてはいたものの、実家に来るのが遅くなってしまったことも自覚している。一度関係を解消したいとカナエに伝えたこともあるし、きっと待ち侘びていたのだろう。しかし歓迎してくれるのは嬉しいが、これでは義勇の性格上逃げたくなっても仕方ない。玄関扉にも何か歓迎用のプレートが掛けられているし。
 そっと扉を開けるとプレートが揺れ、からからと音が鳴る。奥からばたばたと足音が聞こえ、お店の鈴じゃないんだから、としのぶは頭を押さえた。
「おかえりしのぶ! 義勇くんいらっしゃい!」
 飛び出してきたのはカナエで、早く入れと急かしてくる。両親も待ち侘びているのだとカナエが口にすると、義勇の表情は更に何を考えているのかわからなくなった。
「もう、何よその顔。昔みたいに笑ってよー」
 カナエの指が義勇の頬をつつき、義勇は顔を顰めて手でガードしながらつついてくる指を下げさせた。しのぶは今まで義勇と手を繋ぐしかしたことがなく、今のカナエとのやり取りは少し羨ましい。帰りにでもやれば驚くだろうか。
「いらっしゃい、義勇くん。お待ちしてました」
「ご無沙汰してます」
 父が嬉しそうに笑う少し後ろで母が口元を押さえて何か声を漏らしていた。相変わらず愛想はないけれど、両親を見て懐かしそうに目元が和んだのを確認し、しのぶも笑みを向けた。
「はわ……まああ……写真より格好良いわね。びっくりしちゃった」
 年甲斐もなく頬を染める母に父も少し苦笑いをしながら二人に椅子を勧める。
 元々知り合いであるためか、挨拶をした後は和やかに色んな話を両親は振っていた。子供の頃の話や引っ越してから会わなかった期間のこと、鱗滝や蔦子のこと。しのぶの今までのことも両親が話して慌てさせたが、義勇は気にせず両親の話に耳を傾けていた。
「鱗滝さんが昔言ってたんだけど、狭霧荘の大家になるには腕っ節が強くないとできないんだって?」
 カナエが最初に泊まりに来た時も侵入者がいたわけで、義勇は下宿人を制してふんじばりに行っていた。それを知っている両親はしのぶは大丈夫なのかと心配しているのだ。四六時中二人揃っているわけにも行かないので、しのぶ一人になった時のことを気にしているらしい。
「それなら太鼓判貰ったから大丈夫よ」
 フェンシング部だったしのぶは入学当時こそ不審者に恐怖を覚えて何もできなかったが、これまでの間に心身ともに成長もしている。体が鈍ると言って義勇に相手をさせようとしていた不死川に、手が離せなかった義勇を見てしのぶが名乗りを上げたのだ。嫌そうにしていた不死川は舐めてはいなかった気もするが、しのぶの突きを食らって倒れ込み、目を丸くして呆然としていた。たまたまそれを来ていた鱗滝が見て安泰だと呟いたのだ。ちなみに義勇が痛いと呟く不死川を同情の目で見ていたのは、すでにしのぶの一撃を経験済みだったからだ。
「ごめんなさいね義勇くん。しのぶったらお転婆になっちゃって」
「いえ……頼りにしてます」
 義勇の一言に驚いたしのぶは、頬に熱が集まるのを自覚しながらも嬉しさを堪えきれず笑みを溢した。力は母やカナエよりも弱く、学年でも下から数えたほうが早かった。女の子なんだからと母もカナエも気にしないよう慰めてくれたが、しのぶは弱いからと誰かに頼りきりになるのは嫌だった。何より義勇がしのぶの力を認めてくれたことが嬉しい。
「任せてください。冨岡さんのストーカーも倒してみせますから」
「俺にストーカーはいない」
「女の子に追いかけられたことありそうだけどねえ」
「宇髄のファンに追われたことならある」
 伊黒や不死川と一緒に大勢の女子生徒から追い回されたことがあるらしい。どうせ三人のファンも混じっていたのだろうと思うが、義勇は全員宇髄目当てだったと思っているようだ。新聞部にいたクラスメートから色々と写真を見せてもらったことがあったことを口にすると、義勇は目を丸くしたあと眉を顰めて首を傾げた。
「大会で良い成績を残すと校内新聞に書かれたりするでしょう。剣道部のものがいっぱいありました。体育祭とか文化祭とかも」
 ひっそり記事のコピーを貰っていたりするのだが、そんなことを言うと義勇に全て捨てられそうなので黙っておいた。見たがったカナエには狭霧荘に戻ったら画像を送るつもりである。
「目立っていたから撮り甲斐があったんだそうですよ」
「それは不死川と煉獄が」
「纏めて目立っていたんです」
 性格的には義勇と伊黒は静かに過ごしていることを好み、自ら目立つことをしようとしない。身体能力を競うものに参加すると自然と目立つのだ。全員見た目で目立っていたことも容易に想像できるが。
「良いわよねえ、楽しそうで。私も産屋敷高校行けばよかったわ」
 校風は自由だしイベントも楽しく、何もない時ですら勝手に生徒は盛り上がっている。地元の高校へと進学したカナエも楽しそうだったが、話を聞くと羨ましくなるようだった。
「結婚式の準備もあるし、忙しいわよね。いつにするか聞いてないんだけど、まさかまだ決めてないの? 卒業しちゃうわよ」
「そういうのは要らないんだけど」
「えっ!? 何で!? しのぶの晴れ姿見たいのに!」
 何でも何も、としのぶは頬を染めて言い訳をしようとした。鱗滝たちに挨拶に行った時も言われたが、丁重に断って今に至る。
「駄目よ、駄目駄目! 父さんしのぶとバージンロード歩くの泣きながら想像してたんだから!」
 泣いているのならやらなくていいのではと思うのだが、父は父で夢なのだと言う。母もドレスが見たいだのタキシードが見たいだの頬を染めて騒いでいる。白無垢でも良いけど、とカナエはカナエで何やら想像しているらしい。
 義勇はしのぶがしたくないならしないと言うし、わざわざ式を挙げるくらいならその分の費用を生活費に回したいと考えていた。贅沢がしたいとも思わないし、狭霧荘で祝ってもらえるくらいで充分なのだが。
「蔦子ちゃんたちは何て?」
「任せると」
「もー! 蔦子さんも鱗滝さんも義勇くんのこと可愛がってるんだから、可愛い家族の格好良いところ見たいに決まってるわよ! 紋付袴似合うと思うわ。あ、でもいつも道着着てるならしのぶもタキシード見たいかしら」
 見たい感情と挙式をするのは別物だ。写真くらいなら撮ってみたいと義勇に話したこともあるが、拘りのないしのぶは義勇と婚姻届を提出するという話だけで充分舞い上がるくらいなのだ。結婚式ならいつかカナエがすれば良いし、しのぶはわざわざ着飾って見られたいとも思っていない。そう伝えると母とカナエが非常に顔を歪めて俯いた。
「でも義勇くんに綺麗だって思われたいでしょ?」
「うっ。いや、べ、別に」
「ドレス似合うなあ、素敵だなあ。見惚れちゃうなあって思われたいじゃない?」
 カナエはしのぶのことをよくわかっている。昔から仲の良い姉妹だったおかげで、しのぶが考えていることは大体予想がつくらしい。
「どう、義勇くん。しのぶのドレス姿見たくない? きっと綺麗よ、見惚れちゃうわよ。しのぶだもの」
「……いやまあ、見たいとは、思うが」
 悲鳴を上げたのは母とカナエだった。しのぶは何も言えず顔を真っ赤にしてしまい、狂喜乱舞しているカナエに羽交い締めにされてしまった。

「ちょっと押しに弱すぎるのでは? 母も姉もはしゃいでたせいかもしれませんけど」
 泊まれと引き留める家族から何とか逃げるように家を出てきたしのぶと義勇は、帰りの新幹線に乗り込みひと息ついていた。
 義勇がいたせいか胡蝶家の騒ぎようは凄まじく、父すら引き留めていたのはしのぶも予想外だった。義勇が来て男性が増え嬉しかったのかもしれないが、少しは年相応の落ち着きを持ってほしい。帰るたびにああなるのではないかと少々次回が不安になった。
「したくないならしなくていいって話だったのに、姉の言うことに同意しなくても良かったんですよ」
 ドレス姿を見たいだとか見惚れるだとか、しのぶにとっては思われていたら恥ずかしくても嬉しいものではあるが、家族の前だからといって合わせなくてもいい。確かに義勇がタキシードを着ているところはしのぶとしても見てみたいものの、写真が撮れれば充分であると納得していたのだから。
「……別に、大体いつも思ってる」
「………。えっ、」
 肘掛けに頬杖をついてぼんやりと車内を眺めたままの義勇を思わず凝視した。似合うなあ、綺麗よ、見惚れちゃうわよ。カナエの言葉が脳裏に蘇り、しのぶは頬を染めた。可愛いと思われていることは言われたことはあるけれど、カナエの口にした言葉はそれより更に羞恥を煽るようなものだった。
「最初から見惚れたし今更」
「ちょ、ちょ、っと、待ってください」
 顔を覆い隠して膝に肘をついてしのぶは俯いた。耳まで熱いので顔が真っ赤になっていることは自分でもわかっているし恐らく義勇にもばれているだろうが、どうしても飲み込むには時間が必要だった。まさか義勇がそんなことを思っていたなど考えたこともなかった。見惚れる。見惚れるって何だ。いつも? 澄まし顔の下でそんなことを思われていたなんて。
 深呼吸をして何とか気持ちを落ち着かせ、しのぶはじとりと義勇へ視線を向けた。相変わらず愛想のない顔がしのぶへ目を向けていたが、この顔でしのぶに見惚れているなどわかるわけがない。もう少しくらい出してくれても良かったのに。
「……最初って?」
「下宿しに来た時」
 入学前に狭霧荘に着いた時は、確か玄関先で義勇と顔を合わせたはずだ。しのぶがインターフォンを押す前に扉が開き、義勇は目を丸くして驚いていたと思う。あれは見知らぬ人間がいたから驚いたのではなく。
「………。……もうちょっと照れるとかしてくれないと……」
「どうすればいいのかわからなかった」
 義勇は義勇で最初から色々と内心で思うことがあったらしい。そういうことは表に出すか、せめて教えておいてもらわないとしのぶも反応に困る。耳の熱さがいつまで経っても引かなかった。
「……ええと、じゃあ式は、ドレスとか、見たいというのは本当なんですね」
「……まあ。出席した者は全員見惚れるからあまりしたくないというのも本音だが」
 何かを諦めたように本心を口にし始めた義勇に、しのぶの顔は茶でも沸かせそうなほど熱を持っていた。ゲストがドレスを着たしのぶに見惚れるのは義勇の中で確定事項らしく、それをあまりよく思わないようだった。何だそれは、咀嚼しきれない。
「……見せびらかしたいとかじゃないんですね」
「勝手に目立ってるからな。もういいだろう」
「そんなの知りません……」
 しのぶは目立ちたくて目立っているわけではないし、もういいと感じているのはしのぶだって同じだった。
 以前やきもちを焼いてしまったことを思い出してしまった。
 自分だって放っておいても目立っているくせに。義勇に対して感じていたものと似たようなことを考えられていたのは、あまりの羞恥に蒸発するのではないかと思うほど受け入れるのに苦労するものではあったが、嬉しいと感じているのも本心だった。