報告
狭霧荘の居間で寛いでいた全員が茶を吹き出した。
全員といっても下宿人であるいつもの男三人だけではあったが、勢い良く飛沫が舞い虹がかかりそうなほどだった。
出掛けていくのに気づき珍しく二人でデートかと思っていたから、下宿人と大家を交えた男だけのグループトークの画面に、揶揄い半分で宇髄がデートを楽しんでこいとメッセージを送った。伊黒と不死川は邪魔してやるなと窘めたが、しばらくして揶揄い対象から一言のみ違うとメッセージが届いた。二人で出掛けるデート以外の用事とは。疑問符を浮かべた不死川が画面上で問いかけると、まさかの文字が大家から送られ飲んでいた茶を思いきり吹き出したのだ。
結婚の挨拶に行く。そりゃまあ確かに二人は許婚で婚約者で、いずれ結婚するような関係ではあったが、ついこの間までもだもだしていたはずだった。胡蝶は今年高校三年、卒業後に結婚するのか。現在は二人で鱗滝と蔦子に挨拶に向かっているところらしい。
確かに画面上で問いかけたのはこちらだが、何で面と向かって報告しないんだ。おかげでテーブルは大惨事である。対面で言われても恐らく茶は吹き出したと思うが、帰ってきたらまずは一発殴らなければ気が済まなかった。
「……普通口で言うよな?」
「鼻が痛ェ……」
「俺たちには事後報告で良いとでも思ってたのか?」
それなりに友人だと思っていたが、冨岡の中ではそうではなかったのかもしれない。まあこれはただの恨み節だが、それにしたって同じ敷地内に住んでいるのだから言葉で伝えるものではないのか。
もだもだしていたと思えばいつの間にか関係を進展させ、挨拶にまで行くという。ふと伊黒は脳裏で二人の様子を思い出した。
実際にうだうだと悩んでいた期間、そんなに長くなかったような。
再会してからしばらくは確かに許婚の話を進ませようとはしておらず、胡蝶に気持ちを伝えるようなことをしようともしていなかった。かと思えばいつの間にか互いの感情をバラしていて、ごくたまにではあるがデートに行ったり二人で話していたりと、ひっそりと距離を縮めているところは目にしたことがある。冨岡だから風紀を乱すようなことをしていないことはわかっているが、手を繋いだこともあるというし、割と再会してからトントン拍子に進んでいる気がした。あの男、決めるところは結構きっちり決めてきていないだろうか。
「まじでか」
「どうした伊黒。お前から聞いたことない言葉遣い出たぞ」
入学を機に呼びつけるなどやることが早いなどと揶揄ったが、……何か本当にやることが早くないか。鱗滝の教えは判断力の早さ、剣道では確かに冨岡の判断の早さは武器だった。腹を括ると早いのか、行動にも表れるのか。何やら先を越されたような気分である。
まあ、幼馴染なのだしずっと好きだったのだし、順番的にいえば冨岡が先に結婚を決めてしまうのは間違いではないのかもしれない。伊黒は甘露寺と正月にようやく結婚前提の恋人としての交際をスタートさせたというのに、あいつらはもう結婚が秒読み段階だ。いや、伊黒自身がもだもだしていたのは自覚しているし、あちらは許婚だったのだからおかしくはないのだが。
「報告の仕方はどうかと思うが、まあめでたいことだよな。今日は酔わせるかあ」
「蔦子さん狂喜乱舞すんじゃねェか」
「鱗滝さんも号泣するだろうな」
涙脆いと下宿人の間でも有名な鱗滝のことだから、揃って顔を出しただけで泣いてしまいそうである。蔦子は冨岡を可愛がっているし、胡蝶とも面識があるのできっと喜ぶのだろう。本当に驚いた。驚いたが、まあ宇髄の言うとおりめでたいことには変わりない。長年知っている奴の幸せ報告など、祝ってやらねば友人としてどうかと思うし。
「そんで、俺らに報告はメッセージって本当にそれで良いと思ったのかよ」
空の酒瓶が散らばった居間で俯いている冨岡は、宇髄から恨みがましく文句を言われ飲むのを断れなかったらしい。勧められるままグラスに口をつけていたものの、誕生日の時と同様顔色を変えるのに苦労した。ようやく酔いが回ってきたようだ。
伊黒も不死川も、宇髄も顔が赤く酔っているが、今日ばかりは寝てもいられない。とにかく色々聞き出すまでは意識を保っておきたかった。
挨拶から戻ってきた二人は照れながらも結婚すると三人に告げ、一応の納得はしているし祝う気持ちもある。宇髄が文句を言うのはただ揶揄っているだけなので、誰も本気で怒っているわけではなかった。冨岡の照れた顔などどうでも良いが、胡蝶が真っ赤になりながらも嬉しそうにしている様子は微笑ましかった。おかげで殴り損ねてしまったが。
未成年であり女子である胡蝶には悪いが男だけで話すことがあると部屋に戻らせ、深夜になる今四人は疲れきった状態で酒を煽っていた。
「悪かった」
「まあそれはもう良いけどよ。卒業したらって決めてたんだな」
「……去年言われてはいた」
下世話な噂が学校で飛び交っていた頃、胡蝶がお嫁さんになると宣言したというのは煉獄から聞いたことがある。律儀にそれを守るつもりらしい。冨岡から言ったわけではないのかと少々呆れて問いかけると、誕生日に言ったと白状した。成程、それで春休みの今挨拶に行ったということか。
「あの何かあったっぽい気がした時か! 管巻いてたしプレゼント貰ったって言ってたな」
「そのためにバイトをしたと言うから……」
「健気だねえ、そんで感極まって言ったわけ? 意外と感情的に動くなお前」
こんな話を聞かれているなど胡蝶からすれば羞恥以外の何ものでもないだろうが、それなりに見守っていた伊黒たちからすれば、余すところなく色々と聞きたい気分だった。伊黒は甘露寺と散々狭霧荘で逢瀬を繰り返し、住人たちには全て筒抜けだった。何なら冨岡は甘露寺からも聞いていた。納得はできないが甘露寺が話したいと言うなら止められなかった。ようやく交際をスタートさせたこともこいつらは知っているので、下宿人と大家のあれこれを伊黒は聞く権利があると主張しておく。
「最終日に何かあると言ってただろう」
「バイトの話か? さては本当に何かあったのか」
どうやら冨岡を残して帰った後、勤務の終わった胡蝶に告白する男がいたらしい。予想通りの展開になっており、冨岡を置いていって正解だったようだ。
冨岡へのプレゼントのためにアルバイトをして、そのアルバイトで迷惑な輩に遭遇したことで、何やら冨岡は申し訳なさを覚えたらしい。自分へのプレゼントの資金を稼いでいたせいで胡蝶が困った顔をしていたのが申し訳ない。物欲もあまりないし、わざわざプレゼントなど買わなくても良いのに。手首も掴まれていたし、狭霧荘に居ればアルバイトもせず告白されるようなこともなくなるのではないか。
何か色々と考えていたようだが、要するにこいつの嫉妬ということで間違いないだろう。一丁前にそういう感情はあるらしい。胡蝶からすれば嬉しいことだったのだろうとは思う。そういうのは表に出すと嬉しいと甘露寺は言ってくれていたが、冨岡は全く顔に出ていなかった。
「お前嫉妬とかするんだなあ」
「嫉妬してプロポーズて……もうちょっと何かねェのかよ……」
「……感極まったということにしておいてくれ」
冨岡自身もあまり褒められたことではないと思っているのか、胡蝶には言うなと念を押してきた。別に男同士の会話を逐一女子である胡蝶に言うつもりはない。
「誕生日に酔わせてやったのに言わねえで何で今なんだよ」
「あの日はそれどころじゃなかった」
誕生日の飲み会は全員酔い潰されて死んでいたが、冨岡はプロポーズのことは一言も喋らずただ胡蝶が可愛いと管を巻いていた。どうやらその日はいつも以上に相当可愛かったらしく、そればかりが頭に残っていたらしい。好きな相手の可愛い挙動に対しての思考は正直理解できるが、将来を決めるプロポーズも大事だと思うのだが。
「まあ冨岡が胡蝶を好きで堪らないのはわかったけど、結婚したらもうちょっと顔に出してやれよ」
宇髄の言葉に少々考え込み、困ったように眉を顰めながらも冨岡は頷いた。