約束

 二月はイベントが多い。
 先月も色々とあったものだが、二月には冨岡に続きしのぶも誕生日があり、バレンタインがあり少々準備に苦労する。チョコレートの手作りなどしてしまえばバレバレだと思っていたが、センター試験を終えた甘露寺が一緒に作ろうと誘ってくれたので、有難く甘露寺家で作らせてもらうことに決まっていた。喜んでくれるような気もするが、渡すまでが緊張しそうだった。
 まあ、それは良い。甘露寺と一緒なら楽しいし、伊黒との話を聞くことだってできる。バレンタインはもうどうにかなる気がするので構わないのだ。問題はその前にある冨岡の誕生日。
 甘露寺と見に行ったり店員に聞いたりと色々悩みながらもプレゼントは準備できたものの、気に入ってもらえるのかわからなかった。冨岡の性格を考えると落ち着いた暗めの色合いで、長く使えるものが良いだろうということまでは考えた。もう二十歳になるのだから本革で作られたものが良いかと思い、鍵を複数個仕舞えるようなキーケースを選んできた。
 使ってくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。しのぶも甘露寺も良いと感じたものを選んだけれど、冨岡が気に入ってくれなければ意味がない。デートしようと勧める甘露寺にしのぶは頬を染めて顔を歪めながらも、せっかく誕生日なのだからと提案に頷いた。
 とはいえしのぶは未成年なので飲酒は付き合えない。狭霧荘ではようやく酒を飲ませられると宇髄も楽しみにしているし、蔦子も色々と準備しているらしいことは聞いている。その日は皆気を利かせて好きに過ごせと言っているが、しのぶが冨岡を独り占めできる時間は丸一日あるわけではない。どこかの店や何なら公園でも、静かに過ごせる時間が少し取れれば良かった。
 事前に聞いた情報によれば、誕生日当日の冨岡は部活にも行かないよう言われているのだという。帰りが遅くなってしまうので蔦子が帰る時間も遅くなる。冨岡は言われたとおり狭霧荘にいると言っていた。家事もしなくて良いと言われてしまい、何もすることがないと少々困っていたが、たまにはゆっくりしても良いだろうとしのぶも言っておいた。
 学校が終わったら時間を空けてほしいと頼み、ホームルームが終わるとしのぶは急いで席から立ち上がった。呼び出した先へ今すぐ走りたい気分だったが、廊下なので我慢しつつロッカーへと向かう。
「あっ。しのぶちゃん、頑張ってね!」
 もうすぐ卒業してしまう甘露寺と学校で会うのもあと僅かで、しのぶは焦っていた気持ちが少し落ち込むのを感じた。今日は甘露寺も狭霧荘へ来て、世話になっているから冨岡の誕生日を祝いたいのだと言っていた。後でね、と甘露寺が振っていた手を握ると不思議そうな顔を向けた。
「すみません。もうすぐ卒業するんだと思って」
「しのぶちゃん……そんなこと言わないで。狭霧荘へはこれからも遊びに行くわ」
「……そうですね。何だか皆大人になっていって、ちょっと寂しくなってしまって」
 二十歳という大人になる冨岡や、高校を卒業して大学生になる甘露寺が、当たり前だがしのぶより年上であることを突きつけられているようで急に寂しく感じてしまった。しのぶはまだ卒業まで一年あり、成人までは三年もある。遠い先のような気分で羨ましくもあった。
「しのぶちゃんは凄いわ。年齢なんて気にならないくらい私より大人に見えるもの」
 しのぶの両手を甘露寺の手が包み込み、しのぶの顔を覗き込んだ。いつもの可愛い笑顔が目の前に表れて、しのぶは目を瞬いた。
「でも、心は大人でも体はまだ高校生だから。私なんて卒業してもまだ子供だと思うもの。きっと私たち、精神年齢が反対なのね」
「そんなことありません。甘露寺さんは大人の女性です」
「そうかしら、嬉しい! でも子供っぽいことは自覚してるの。だから私大学に行って大人になるために頑張るわ。しのぶちゃんの体が大人になれば、私たち凄く素敵になれるかもしれないわ!」
 しのぶは底抜けに明るい甘露寺が好きだ。彼女が子供っぽいなどと思ったことはないが、甘露寺には甘露寺の悩みがあったのかもしれない。学校で顔を見られなくなるのは寂しいけれど、一緒に頑張ろうと甘露寺は笑った。
「それにね、しのぶちゃん。冨岡さんはしのぶちゃんの歳が追いつくまで待ってくれてるのよ。だからそれまでに心身ともに大人になっておけば、きっと冨岡さんも惚れ直すわ! ……私も伊黒さんを捕まえていたいの。だからね、良い子じゃなくて、良い女になってくるわ」
「い、良い女……」
「そう! 一緒に良い女を目指しましょう!」
 手始めに冨岡へのプレゼントを良い女っぽく渡すと提案した甘露寺に、しのぶは思わず吹き出した。いつまでに達成するのか、どうすれば達成できるのか。そのあたりは良くわからないが、良い女を目指すという甘露寺との目標ができてしまった。
「そうですね。頑張りましょう」
「うん! じゃあまた後でね!」
 今度こそ手を振って見送ろうとする甘露寺に手を振り返し、しのぶは靴を履き替えて駆け出した。

 足音に気づいたのかしのぶに目を向けた冨岡は子供用の小さなアスレチックに腰掛けており、息を切らせているしのぶに目を丸くして立ち上がった。走らなくても時間は決めていたし、着いたのは約束していた時間よりも少し早かった。気持ちが急いて早く顔が見たかっただけで、別に特別な理由はプレゼントを渡すくらいしかない。
 子供の頃によく遊んでいた神社の敷地内にあるアスレチックは、相変わらず今見ると小さい。甘露寺と話してましになっていたものの、また少し緊張が戻ってきていた。
 冨岡が座っていた隣に腰掛け、少々戸惑う様子が感じられたが冨岡もまた座り直した。息を整えて深呼吸をし、どうにか気持ちを落ち着かせた。
「蔦子さんはもういらしてるんですよね」
「ああ……昼から来て居間に入るのを禁止された」
 締め出されていたらしく今日は部屋で大人しくしていたらしい。平日なので宇髄たちもおらず、暇を持て余していたようだ。しのぶが誘い出したのが有難かったと言った。
「そこまでして祝うほどのものでもないと思うが……」
「節目ですから、蔦子さんは祝いたいんでしょう。宇髄さんもお酒を飲ませるのを楽しみにしていましたし」
 強いか弱いか、酔えばどうなるか。不死川と伊黒も多少興味はあるらしく、三人で酒の吟味をしていたのを知っている。多種多様取り揃えて絶対に酔わせると黒い笑みを浮かべていたのは冨岡は知らないはずだ。正直しのぶもどうなるのか興味はある。
「不死川さんも伊黒さんも盛大に祝われていましたし、私も祝いたいですから」
 大人の仲間入りだと主に宇髄が酒を浴びせ、二人ともかなり飲まされ酔い潰されていた。きっと冨岡もそうなるのだろう。もしかしたらしのぶの二十歳の誕生日も酒が贈られるのかもしれない。そうなればしのぶも酔っ払いの仲間入りを果たしそうだ。
「……誕生日おめでとうございます」
 鞄から出した箱とともに一言告げて、しのぶは視線を箱に向けたまま差し出した。身動ぎもせず声も発さない冨岡がどういう顔をしているのか確認するために視線を上げると、驚いた顔が箱を見つめていた。
「あの、プレゼントなんです。皆さんの前で渡すのは、その、恥ずかしくて」
「………、ありがとう」
 箱を膝の上に乗せるとようやく冨岡が言葉を口にして、しのぶは安堵の息を静かに吐き出した。開けても良いのかと問いかけられてしのぶは小さく頷いた。冨岡の好きそうなものをと色々考えて選んだが、気に入らなければ返してほしいと口にすると、冨岡は首を横に振って否定した。まだ包装を開けている最中であり中身を見ていないのに。
「鍵の金具が取れていたので、新しいものが必要かと思って……」
 蓋を開けて本革のキーケースが現れ、冨岡の目が丸くなった。眉間に皺が寄っていくのを目の当たりにして、もしや気に入らない、すでに買い替えてしまったかと不安になった。名前を呼ぶと眉間は少し皺が緩み、困ったような顔を見せた。
「……高かったんじゃないのか」
 値段を気にしていたらしい。確かに高校生の小遣いであれば何ヶ月も溜め込んでおかなければ買えないかもしれないが、しのぶはこの冬休み、部活以外にも精を出していたことがある。
「だからアルバイトしたんですけど」
 冨岡が何を思って顔を覆って俯いたのか、しのぶは思い当たらなかった。アルバイトをしてまで買わなくて良いとか、そんなことより学生の本分を全うしろとか、堅物の言いそうなことを思い浮かべた。しのぶは成績は悪くないし、休み中の短期でやったことなので特に校則を破ったわけでもない。
 少しだけ持ち上げられた顔を覗き込むと、困ったように眉を顰めながらも口元が弧を描いていて、大事にすると一言呟いた。恐らく喜んでくれたようで安心して、使ってくれるのならしのぶも嬉しい。自分の膝に置いていた手に冨岡が触れて握り込まれていくのが視界に映り、しのぶの頬が寒さ以外の赤みで染まっていくのを自覚した。
「……来年」
 来年、誕生日の話だろうか。まだ祝いの席すら始まってもいないのに、もう来年の話をするのか。首を傾げて続きを待った。
「卒業したら結婚しよう」
 プレゼントを渡して中身を確認して、冨岡の心中でどんな思考が巡らされたのかしのぶにはわからない。こんなに突然プロポーズされるような流れだっただろうか。しのぶの冷静な頭の隅でぐるぐると疑問符が立ち上っては考え込んでいたが、心臓が爆発しそうなほど暴れまわり、寒いはずなのに体中発熱しているようなほど熱く、ただ一言発するだけで精一杯だった。
「………、……はい」
 絞り出した声は震えていたけれど、しのぶの顔を見て冨岡は嬉しそうに笑みを見せた後いつもの澄まし顔に戻ってしまった。また何か考えたようだが、やはりしのぶには教えてくれないようだった。例え教えてもらっても、空いている手で顔を隠した今のしのぶには聞く余裕もないのだが。
「何か欲しいものはあるか」
 目を瞑って少し息を吐き出した後、冨岡はしのぶへ問いかけた。月末のしのぶの誕生日に贈るものを決めたいらしい。サプライズなどはしたことがないと申し訳なさそうな顔をしている。確かに、しのぶがやった後では言われなくても察してしまう気もする。
「……いえ、もう貰ったようなもので……」
 膝の上でもじもじとのの字を書きながら目を逸らし、しのぶは小さく呟いた。冨岡の誕生日にプレゼントを渡しただけだったのに、来年からの予定が冨岡からはっきりと伝えられてしまった。確かにお嫁さんになると言ったことがある。婚約者だと公言していたわけでもあるが、まだ先の話でどこか他人事のように感じていた婚約だとか結婚だとか、そういったものが急に現実味を帯びて目の前に鎮座している気分だった。別に、全然嫌ではないけれど。
「節目だから渡しただけですし……いいです。……あ、」
「何かあるのか」
「いえ、その……来年欲しいものが」
 欲しいものと言われてようやく一つ思い浮かび、しかししのぶは躊躇した。別に高くなくても、何ならその形でなくても構わないのだが、来年のその先の関係を表すには一番わかりやすいものだろうと思ったのだ。
「来年?」
「……お揃いのもの……。………、指輪とか」
「………、………。そうか」
 しのぶが口にした言葉に冨岡の頬が赤く染まった。繋いでいた手がしのぶの指を確認するように動き、薬指の付け根に触れられ思わず唇を噛んで堪えた。
「……今年は、挨拶に行かなければ」
「蔦子さんたちにも」
 相変わらずの頬の熱に耐えながらしのぶが応えるように呟くと、冨岡は困ったように眉をハの字にしながらも、口元を綻ばせて笑みを向けた。

*

「いやあ、苦労したぜ。あいつなかなか酔わねえんだもん」
 酒瓶がそこかしこに転がっている惨状の中、テーブルに突っ伏して寝こけている冨岡を見て胡蝶があんぐりと口を開けた。
 そばには顔色の悪い伊黒と真っ赤になっている不死川が倒れている。全員を巻き込んで宇髄が潰したのだ。
「面白かったぞ、普段思ってること暴露してたしな。あいつもなかなか苦労してるらしい」
「え……部活が大変なんでしょうか」
 全く少しも狭霧荘の誰かが原因だとは思っていないらしく、胡蝶は心配そうに突っ伏している冨岡へ目を向けた。
 準備中は居間に入るなと言い含めていた蔦子が言うには、夕方一人寂しく出かけた冨岡はいつの間に合流したのか約束でもしていたのか、胡蝶と二人で帰ってきた。何かいつもと雰囲気が違うような気がしたし、宇髄の目には何かがあったことは確実だった。冨岡は案外酒に強かったらしく長い間顔色すら変わらなかったが、不死川と伊黒が酔っ払い、宇髄がほろ酔いになった頃ようやく顔色を赤くし始め酔っ払い出した。
 胡蝶が可愛い。本当に可愛い。いつも耐えているが今日は本当に危なかった。酔いが回って自分でも何を言っているのか把握していなかったのだろうが、宇髄は冨岡の口から聞けたことに感動してしまった。どうせ脳内で慌ただしく考えていることはわかっていたが、こうもはっきり聞いてしまっては難儀な性格だと同情する他ない。こいつが手を繋ぐ以上のことをして風紀が乱れると本当に思っているらしく、本当に手を繋ぐ以外のことは耐えているらしい。いや、するはずないとは思ってはいたが、まじかこいつ。伊黒の時も思ったが、まじかこいつら。頑張り過ぎだろう。成人した男だぞ。健全な清い男女交際といっても、せめてキスくらいはしても罰は当たらないだろうに。
 当の胡蝶は冨岡すら驚くほどの初心なので、未だに手を繋ぐだけで照れて真っ赤になるのが可愛いと惚気ていやがった。冨岡が堅物で良かったな、と心中で胡蝶に語りかけた。これで女たらしのすぐ手を出すような男になっていたら、胡蝶など下宿初日に食われていただろう。
「部活はまだ自分がコーチで良いのかとか言ってたがな。楽しくしてるらしいぞ、あの顔で」
「剣道お好きなんでしょうしね」
 蔦子の振る舞った料理やケーキは甘露寺も含めた狭霧荘の全員で食べ、蔦子の夫が迎えに来て、伊黒が甘露寺を送りに行き、胡蝶は風呂へと入りに行った。その後帰ってきた伊黒に酒を勧めていると、飲めないから邪魔になるだろうと胡蝶は部屋へと戻っていった。女子のいない男四人となった宴会は最初こそ和やかにしていたものの、結果はこの通り三人が酔い潰れるというものになった。正直宇髄も飲み過ぎて先程まで死にかけていたが、胃の中のものを吐いてしまえば楽になった。
 階下で音でも聞こえたのか気になったのか、様子を見に胡蝶が居間へ入ってきて惨状を目の当たりにしたという流れだ。
「起きてどうなるかわからんから早く戻ったほうが良いんじゃねえか? 襲われるかもしれねえぞ」
「……冨岡さんはそんなことしませんよ」
 頬を染めて眉を顰めた胡蝶の言葉に宇髄は何ともいえない気分になった。冨岡の堅物ぶりもあれなものだが、何より胡蝶が冨岡を盲目的に信頼しているようだ。何があっても間違いなど起こさないと信じきっているらしい。同情の目を向けてしまいそうになるが、まあ、風紀に口うるさくしていた冨岡の自業自得ではある。
「掛けるもの持ってきましょうか?」
「あー、部屋に放り込んどくかと思ったが……正直俺も酔い回ってるしなあ……」
 抱えて運んで階段で落として怪我でもさせたら面倒である。毛布一枚でもあれば三人仲良く被れるだろう。宇髄はこたつに陣取れば問題ない。誰かの部屋から毛布を持ってくるかと宇髄も立ち上がった。