年末年始と初詣
「初詣楽しみねえ。楽しんで来てよ、仲を進展させるチャンスだわ」
「……何もしないって言ってたわよ」
狭霧荘に着いてしのぶの部屋で過ごす年末年始の数日間。カナエは楽しみにしてきたのだ。しのぶからは義勇と二人で初詣に行くことは事前に聞いていた。
義勇が二人で行きたいと口にしたとしのぶから聞いた時は進展していると喜んだものだ。年頃なのだから義勇だってそうしたいと思うことくらいあるだろう。甘露寺が伊黒と過ごしたいらしいと聞いたというので、それのせいだと少し残念そうな声音をしつつも、しのぶは気を取り直して楽しむことにしたようだった。
年越しを狭霧荘の皆で過ごした後は、各々好きなところで参拝するらしい。しのぶのためならカナエは一人狭霧荘に残っても良かったが、不死川が寂しそうに余っていると義勇が言うので、こちらも余り物となっているカナエの相手は申し訳ないと思ったものの、有難く一緒に出かけることにした。
狭霧荘に住んでいる下宿人という認識でしかなかったが、義勇もしのぶも不死川のことは好意的に話す。顔は怖いしぶっきらぼうで手癖も足癖も悪いが、性格が悪いわけではない。散々な評価だが、優しいしよく気の利く人だという。
同級生だった義勇が言うのだからそれは真実なのだろうし、悪い人ではないことは一度しか顔を合わせなかったカナエにもわかっている。まだ殆ど二人で話したことがないだけで、義勇やしのぶが仲良くしているのだからカナエも仲良くしたいと思っていた。
部屋のドアがノックされ、返事をしてしのぶが開けると義勇が立っていた。
「年越し蕎麦は食べるのか?」
「いただいても良いの? なら食べたいわ。手伝うわよ」
「要らない。雑煮の餅の数は」
にべもなく手伝いは断られ、仕方なくしのぶに聞いて同じ数を伝えると、頷いた義勇はおせちがあることも教えてくれた。まさかすべて義勇が用意したのだろうか。驚いて問いかけると首を振って否定し、おせちは蔦子が作ったのだと教えてくれた。
「蔦子さんのおせち料理! 美味しそうね」
蔦子は昔もお菓子を作ったとカナエやしのぶを呼んで食べさせてくれ、美味しかった記憶が蘇った。カナエはおせちを作るほど料理をしているわけではないので、蔦子の腕前は羨ましいものがある。
義勇とともに居間へ降りると甘露寺が来ており、笑顔でカナエに手を振ってくれた。年越しの後は狭霧荘で一部屋借りて泊まるらしく、明日は朝から伊黒と初詣に出かけると嬉しそうだった。
「だったらしのぶの部屋でも良かったんじゃない?」
「そうなんだけど、せっかくお姉さんが来てくれてるんだし、姉妹でお話したいかなって思って」
カナエが来ることは義勇やしのぶから聞いていたようだが、甘露寺は気を利かせてくれたらしく一人部屋を借りたようだった。部屋は余っているからと義勇も特に駄目とは言わず、初めて一人で泊まるのだと楽しそうだった。
今夜は大勢でカウントダウン、明日は朝から伊黒と初詣デート。充実の年末年始である。
「おお、手打ちじゃん。鱗滝さんか?」
「ああ。人数分くれた」
先代の大家である鱗滝は多趣味で、家庭菜園の野菜や今回のような蕎麦を作っては狭霧荘へ送ってくれるらしい。台所に立つ義勇の手元を覗き込んだ宇髄が良いねえ、と呟いた。
「不死川は結局家族んとこ行かねえのか」
「いやァ? 日帰りだが明後日行く」
「ふーん。冨岡も鱗滝さんとこ行くんだろ」
「俺も明後日だ」
お年玉、と呟いた義勇に不死川がビニールに入った小さな袋を投げつけ、それをキャッチした義勇が礼を口にした。何かと思えばポチ袋だ。不死川も義勇も明後日向かうところに子供がいるらしく、不死川は弟妹に渡す用の残りを義勇へと投げたようだ。
「従兄弟だっけ?」
「ああ、今小学生。未成年からお年玉を貰うわけにはいかないと言われてしまったが……」
「何その子供らしからぬ従兄弟。本当に小学生か?」
「渡したい。真菰は喜んでくれたのに」
大家になるから社会人だと今年の正月にも渡したらしいのだが、その時に貰えないと断られてしまったのだそうだ。もう一人の従姉妹に渡すと喜ばれ、鱗滝が取りなしてようやく貰ってくれたのだという。随分しっかりした従兄弟である。
「貰えるうちに有難く貰っときゃ良いのにな。蕎麦できたぞー」
器を二つ手に持って宇髄がテーブルへと置き、伸びるからと来客である甘露寺とカナエへ先に促した。驚いた甘露寺が慌てて立ち上がった。
「えっ、冨岡さん、私ご飯食べてきたわ」
「要らないのか」
「うっ。全然食べられるけれど……良いのかしら? 人数分だって言ってたし……」
「甘露寺の分も含めて貰ってる」
頬を染めて恥ずかしそうにしながらも、そういうことならと嬉しそうに礼を口にした。伊黒と不死川も蕎麦の入った器をテーブルに持ってきて、女子三人が動けないままに準備が整ってしまった。
「すみません、全部やっていただいて」
「元々食費に含まれてる」
「そうそう、大家なんだから働かせときゃ良いんだよ」
「宇髄さんたちも手伝ってたのに……片付けは私がやります」
宇髄たち下宿人は伸びるから蕎麦を持ってきただけだと気にしておらず、しのぶは気にしながらも礼を口にして蕎麦の前に座り直した。義勇が座ると皆手を合わせて蕎麦に口をつけ始めた。
*
「あら、駄目よしのぶ。手袋は置いていったら?」
「どうしてよ。寒いじゃない」
昨夜の大晦日、年を越した後はのんびり皆居間へ居座り、好きに過ごして夜を明かした。しのぶたち女子三人は先に休んだが、彼らは深夜遅くまで宇髄の晩酌に付き合っていたらしい。
元旦の朝、雑煮とおせちを堪能した後は各々好きなところへ出かける。しのぶが支度をしている時、雪が積もっていることに気づいて手袋を嵌めたのだが、カナエから指摘を受け疑問に思いながら問いかけた。
「だからこそでしょ? せっかく二人で行くんだから、寒いからって言い訳すれば手を繋ぎやすいもの」
カナエの言葉にしのぶは頬を染め、恨めしげに睨みつけた。楽しそうな笑みは普段と変わらないが、こういう時しのぶは慣れていない自分が嫌になる。
「べ、別に前に繋いだことあるし……手袋してたって繋げるわよ」
「素手が良くない? 今日なら雪も降ってるし、こう、ポケットに入れてくれるかも」
少女漫画で見るようなことをカナエが言い出し、想像してしまったしのぶの頬は更に熱くなった。そんなことを冨岡がするとは思えないし、されたらされたでしのぶも思考が停止してしまいそうだ。
「普通に行ってお参りしてきます!」
「そう? 残念」
少しも残念そうに見えない笑顔を浮かべてカナエが言った。
すでに伊黒と甘露寺は出発し、有名な神社でお参りするのだと甘露寺は嬉しそうだった。宇髄も先程出ていったようだし、しのぶとカナエももう準備は整えていつでも出かけられる。
居間を覗くと冨岡と不死川が何やら額を突き合わせて話し込んでおり、しのぶたちに気づいた二人は上着を手に取って羽織り始めた。
「じゃあ、行ってきます! 楽しんでね」
門を出た先で二手に別れ、カナエと不死川を見送った後しのぶも冨岡と連れ立って歩き始めた。道路の真ん中の雪はすでに水に変わっているが、歩道の端や塀の上にはまだ積もっている。
「結構降ったんですね」
寒いはずだ。気温は昨日よりも低く、油断すれば風邪でも引きそうだった。相槌を打った義勇の手をひっそり確認すると、冨岡は手袋をしてしまっていた。
期待してしまった自分が恥ずかしい。こんなことなら外さずに手袋をしてくるべきだった。久しぶりに二人で出かけるからか、しのぶは緊張して浮ついてまた内心色々と一人悶えていた。
「……寒くないのか」
頬を押さえていたしのぶの手が素手であることに気づいた冨岡が、少々眉を顰めて問いかけた。
寒いに決まっている。冨岡は見ていないから知らないが、しのぶはそもそも最初から手袋を必要として嵌めていたのだ。素直に期待してつけてこなかったと言うのは羞恥が邪魔をして言えず、小さく忘れたとだけ呟いた。
「指が赤い。顔も赤いが」
寒いなら防寒をしっかりしろと呟いて、頬に当てていたしのぶの手を、冨岡は嵌めていた手袋を外して握り込んだ。体温が伝わって指に熱が戻ってくる。柔く揉みこまれる感覚にしのぶはどうしたら良いのかわからなかった。
「使え」
握り込んだ手に手袋が嵌められ、もう片方を手渡された。うわ、と心中で小さく声を上げた。
冨岡の手袋がしのぶの手に嵌まっている。サイズは合わないが体温が残っており充分温かかった。これはこれで、むしろ嬉しい。小さく礼を告げて先を歩く冨岡の背中を追った。
神主のいない神社は鳥居にしめ縄飾りがなされており、参拝客は少ないが年配の夫婦や子供連れが数組お参りを済ませて帰るようだった。
「向こうのほう歩きたいんですけど」
参拝を済ませてそのまま帰りそうな気がしてしまい、しのぶは以前行き損ねた辺りの散策に行きたいことを伝えた。特に嫌そうな素振りはなく義勇はすぐに頷いた。
「冨岡さん、寒くないですか?」
「別に」
手袋をしてきたくせに、特に寒いとは言わない。
どうしよう。しのぶの提案に乗ってくれるかもわからず、そもそも提案自体恥ずかしくて言い辛い。しかしちょっとした夢でもある。カナエには素っ気ない返事をしたが、少女漫画とは理想が詰まった読み物なのだ。
「あの……ええと、手を繋ぎたいです」
頷いた義勇が左手を差し出したが、その後どう言えば良いのかわからなかった。しのぶとしては素手で手を繋ぎたい。片側の手は冨岡も寒かろうと思うのだが、先程寒くないと言われてしまっていた。
冨岡じゃあるまいし、口下手ではないしのぶがここまで言い淀むことは殆どない。だが言い方を模索しても上手く言える気がせず、迷っている時間も惜しい。手は繋ぎたい。しのぶは手袋を外して冨岡の右手に嵌めた。
「こっちは、冨岡さんが使ってください。私は片方だけで充分ですから」
「寒いんじゃないのか」
「……寒いですけど……」
下ろされてしまった手袋をしていない左手に触れると、目を瞬いた冨岡はようやくしのぶが何をしたいのかわかったらしい。寒さか照れか、恐らく後者だろうと希望も含めたしのぶの目に、冨岡の頬が色づいたのが見えた。
「……成程」
しのぶの手をしっかりと握り返し、冨岡はそのまま繋いだ手をポケットに突っ込んだ。驚くまま見上げて冨岡の横顔を見つめると、しのぶへ視線を向けて口元を綻ばせた。
「姉さんが憧れると言ってたことがあったのを思い出した」
「……そ、そうですか……。ちょ、ちょっと……待ってください……」
そのまま数歩歩いたところで立ち止まり、しのぶは手袋をした手で真っ赤な顔を隠した。こんなこと、冨岡が知っているともしてくれるとも思わなかった。いたたまれなくて顔が熱い。手袋を半分こにして繋いだ手をポケットに入れられただけで、こんなにも胸が苦しくなるとは。
「恥ずかしい……早く慣れたいんですけど……」
「別に慣れなくて良いが。……可愛いから」
しのぶの照れる姿が。羞恥は留まることを知らず、これ以上熱くならないだろうと思えるほど顔が熱かった。可愛い。可愛いと思っているのか。好意を向けられていることは自覚しているが、普段あまり顔色が変わらないから気づかなかった。いや、そういえば可愛いと前にも言われたことがあった。
「まだ寒いか」
「全然寒くないです……」
堪えきれないかのように笑みを漏らした冨岡は、しのぶの顔色を見てだろうなと口にした。楽しそうに笑う冨岡の頬も赤いのだからお互い様のはずなのに、しのぶばかり照れているような気がして何だか癪だった。