襲撃

「泊めてよ」
 突然現れて脈絡もなく言い放った言葉に宇髄は表情をなくした。
 大きな溜息を吐いて項垂れると気を悪くしたらしくぐちぐちと文句を言ってくる。一方的にやたらと突っかかってきていた名物兄妹。自分の言うことは絶対聞いてくれると自慢げな妹と、どちらかといえば兄は窘めることもあったが、妹のやりたいことにはできるだけ手を貸すようなシスコンブラコンの二人だった。別に特別嫌いではないが、下手をすれば宇髄よりも派手で目立っていたので面白くはなかった。
「ここ俺ん家じゃねえし。決定権ねえから」
「大家はどこよ! 連れてきて、いるんでしょ」
「後ろ」
 ちょうど買い出しから帰ってきた冨岡を客人が振り向いた時、反対側の塀の影から現れた胡蝶と甘露寺の姿が現れた。げ、と小さく零した宇髄の声など気にもせず、客人は冨岡の体に抱き着こうとしたものの、買い物袋が邪魔をして抱き着き損ねていた。
「ねえ泊めてよ! 今ならアタシ何でもするわよ! 光栄だと思いなさいよ!」
「別に要らないが、何ができるんだ」
「要らないとは何よ! アタシならではのことやってあげるって言ってんの!」
 抱き着く代わりに胸ぐらを掴んできた客人を引き剥がした冨岡は何事かと宇髄へ問いかけた。呆れ果てた顔を晒して宇髄は肩を竦めて首を振った。何故泊まりに来たかまだ聞いていないが、兄がいないところを見ると大方喧嘩でもして飛び出して来たのだろう。
「うちは下宿だ。家賃だってタダじゃない」
「何それ、このアタシから金取るつもりなの。……まあ良いわ、お金ないから何でもするって言ってんのよ」
 むすりと不機嫌な表情をしていても、纏う空気からして客人は華やかで派手だった。近づくだけで倒れる奴がいるとかいう噂もあったが、あながち冗談でもないのではないだろうか。
「兄はどうした」
「……関係ないでしょ」
「言えないなら考えることもできないが」
 すぐにかっかする性格や、憤りが顔に出るのは冨岡とは正反対、不死川と近いものがある。
 この二人は同い年だったはずだが、兄が宇髄と同い年で同じクラスだったためか妙に妹は宇髄に突っかかり、その流れでいつの間にか冨岡たちにも似た態度を取っていた。不死川なんかは似た者同士なせいか怒鳴り合いをしていたこともあり、残りの二人にも客人が一方的に自慢だ何だと言うだけ言っては去っていくようなことが多かったようだ。今まで人から邪険にされたことがなかっただろう客人は、物珍しさで宇髄たちに実は懐いていたというのは兄からの弁で知ったことだった。わかりにくすぎて困惑したが。
「……家出したの! アタシだって頑張ったのに褒めてくれなかった!」
 地団駄を踏んで喚く客人はとてもじゃないが十代後半の女子には見えない。宇髄はもう一度溜息を吐き、冨岡は呆れた視線を客人へ向けている。冨岡から買い出しの袋を奪い、茫然と立ち尽くしていた胡蝶と甘露寺も含めて屋内へ入るよう促した。
「騒がしいぞ。……何故甘露寺と胡蝶が落ち込んでるんだ?」
「あー、謝花妹が来ててな」
「何? 何の用があるというんだ。おいまさか招き入れるつもりじゃないだろうな」
「面倒くせェ奴が来たなァ」
「何よ! あんたたちアタシのこと嫌いなわけ!?」
 冨岡の後ろから居間へと入ってきた謝花は、伊黒と不死川の心底嫌そうな顔を見て憤慨している。狭霧荘に入れてしまった冨岡に溜息を吐きつつ、宇髄は謝花の相手をする冨岡の代わりに全員分の茶を淹れ始めた。
「何を今更」
「好きになれってのが無理あるだろォ」
「見た目は派手で良いとは思うけどなあ。中身がなあ……」
 頬を膨らませて怒りで真っ赤になっていても、謝花は驚くほど見目が良かった。まあ少し可哀想な気もするが、我儘女のお守りは兄がやるべきことである。勢い良く冨岡の顔を見上げて謝花が睨みつけた。
「あんたは!」
「普通」
「………っ、」
 怒りの顔が泣きそうな顔に変わり、俯きながら鼻を啜る音が聞こえて宇髄たちは目を丸くした。少し言い過ぎたかと反省しつつ各々泣かせたことに対しては謝った。
「何よぉ……そこのピンク頭は良くてアタシは来ちゃ駄目だっていうの……そいつだって下宿人じゃないって知ってるわよ」
「えっ!?」
 急に指された甘露寺が飛び上がりそうなほど驚き、勝手に話しかけるなと伊黒が怒りを顕にした。謝花の話し方が高飛車なため聞いていると気分を悪くするかもしれないと思ったが、胡蝶は湯呑みを棚から取り出し宇髄の手伝いをし始めた。
「部屋行っといたほうが良いんじゃねえ?」
「お邪魔だというなら行きますけど……気になりますし」
 泊まるのか追い返すのか、もっといえば冨岡とどういう関係なのかを知りたいのだろう。初心なくせに嫉妬のようなものは一丁前に育っているようで、宇髄は少々微笑ましい気分になった。
「甘露寺は友達だからよく遊びに来る」
「アタシは!? 友達じゃないの!?」
「お前の態度でどうやって友達になれんだよォ」
「酷い……最悪……何なのよあんたたち、このアタシに対して」
 何でこちらが責められているのかさっぱりだが、この謝花梅という女は何があっても自分が悪いとは考えない女王様気質の女だ。兄がそう育てたのか元々の素質があったのかは知らないが、とにかく我儘放題で宇髄ですら手に余る。宇髄と兄のいない二年間をどう過ごしたかはさほど聞いていないが、良い関係を築いていたならば三人ももっと好意的だったはずだ。
「とりあえず座れば? お前茶飲む?」
「……飲む」
 トレーに湯呑みを乗せて居間の者たちへと配っていく胡蝶を見て、謝花は訝しげな顔をした。誰だと問いかけるので下宿人だと答えてやった。興味があるのかないのかわからない相槌を打ったが、値踏みするかのように胡蝶を眺めていた。
「原因は何だ」
 冨岡の問いかけにしばし黙り込んだ後、謝花はおずおずと口を開いた。甘露寺ですら苦笑いを見せるほどの理由だったが。
 感情混じりに話すのですべて聞き出すのに苦労したが、要約すると兄のために家事をしようとしたものの、逆に手を煩わせる羽目になり窘められて飛び出した、という話だった。
 風邪を引いて体調を悪くした兄が苦しそうだったので、たまには自分で家事をしてやろうと思い立ったまでは良かった。洗濯は兄がよく押している気のするボタンを押して放置しておき、空腹だろうからと米びつに手を伸ばしたのだが、洗剤でよく泡立たせたあと元気が出るようエナジードリンクで米を炊いた。とんでもない匂いが立ち込めて兄が文字通り死にかけた。数日してようやく元気になった時、礼を言って洗濯機を覗いた兄は茫然とたまには家事やらせなきゃなあ、と一言口にした。
 頑張ったのに褒めるどころか呆れるなんて。客人はテーブルに思いきり拳を叩きつけた。
「まごうことなく自業自得だな。兄も含めて」
「何でよ! アタシ頑張ったもん! そんなの教えてもらってないんだからわかんないわよ!」
「じゃあ料理教室でも行け。ここに来るな喧しい」
 伊黒が謝花に向かって手を払い、溜息を吐いて立ち上がった冨岡は、ビニール袋に入っていた食材を片し始めた。聞くだけ無駄だとでも思ったのかもしれない。その様子を何やら謝花の目が興味深く眺めているのに気づき、宇髄はひっそりと面倒なことになりそうだと感じてしまった。
「ひょっとしてご飯はあんたが作ってんの?」
「そうだが」
「美味しいの?」
「不味いと言われたことはない。………、今のところ」
 冨岡も嫌な予感でも察知してしまったのか、一言付け足して何とも言い表し辛い表情をした。伊黒と不死川も複雑そうな顔をしていた。宇髄と同様に面倒なことになったとでも思っていそうな表情である。
「ねえ、ちょっと教えてくれない? 簡単なやつで良いから。泊まってる間だけで良いし」
「まだ泊めるとも言ってない」
「良いじゃん別に、友達じゃない! ねえ冨岡義勇ー!」
「友達……」
「ちょっと嬉しがってんじゃねェわ!」
 友人の少ない冨岡には効く言葉を謝花はここぞとばかりに口にした。関わるなと言っていただろうと青筋を立てる不死川が突っ込むのも無視して謝花は冨岡に頼み込んでいる。駄目な兆候だ。女王様気質の女が頼みなどと殊勝な言葉を使い、冨岡は押しに弱い傾向がある。胡蝶の前で大丈夫かと少々心配になるが、胡蝶は行く末をただ黙って見守っていた。表情はあまり芳しくはなかったが。
「アタシが作ってもお兄ちゃんは喜んでくれなかったし、ぎゃふんと言わせたいのよ」
「喜ばせたいって言えよ」
「何でもう泊まる気満々なんだよォ……」
「タダで目の保養できるんだから喜びなさいよ」
「目の保養なら間に合ってるがな。貴様の顔を見ていても何も嬉しくない」
「あんたたち本当に最低だわ」
 華が一人増えて喜びこそすれ鬱陶しがるなど目がおかしい。何なら金を貰うのはこちらだとまで口にしてふんぞり返っている。色々と突っ込みたいことはあるが、謝花としても兄から想像していた反応が返ってこず傷ついたのかもしれない。そこは少々可哀想と思わないでもないが。
「何日家出するつもりだ」
「お兄ちゃんが迎えにくるまで」
「おいおい、それまでタダで泊まるつもりかよ。金払えよ」
「うるさいわね。お兄ちゃんが払うわよ」
「家出してるのに? せめて家出中は自分で稼ごうとか思わんのか」
「何でアタシが働かなきゃいけない……わかったわ。アタシここで働くから迎えにくるまで泊めてよ」
「馬鹿伊黒、余計なことを!」
 要らぬことを教えてしまったようだった。不死川の咎める声が焦り、伊黒が頭を押さえて黙り込んだ。宇髄の口から長い溜息が漏れ出てしまったが、冨岡は少し考えるように口元に手を当てた。
「……何でもするんだったな」
 え。胡蝶と甘露寺が驚いたように冨岡の顔へ目を向けた。居間から出ていきしばらくして戻ってきた冨岡の手には少し古びた紙があった。謝花の前に出されたそれは大家の日課が箇条書きで記されており、先代が書き記したものであることがわかった。
「これで一日の仕事量だ」
「……何これ。忙しすぎるわよ、こんなの……」
「できないなら泊めない。うちは下宿屋だ、無一文を何日も泊めるようなボランティアはやってない」
 友人なり家族なりを連れてくる際には事前に連絡すれば大抵許可は得られる。割と融通を効かせてくる狭霧荘の下宿事情だが、文句があるならば来なくて良い。シンプルだが冨岡の言葉は真っ当だ。のっぴきならない事情があれば冨岡も無償で部屋を貸したりもするが、謝花はただの兄妹喧嘩だ。さっさと帰ってお互い謝れば別にここに泊まる必要もない。条件を飲まずとも今までどおり好きに生きていけるわけなのだ。
「ここにいる以上は規則も守ってもらう。嫌なら泊まらなくて良い、兄に連絡すればすぐ迎えも来るだろう」
 不要な喧嘩を売るな、節度ある行動を心掛けろ。まるで部活でもしているような言葉に謝花の顔は不機嫌に歪められたが、押しに弱いとはいえ冨岡も折れない時は折れない。何かを言いたげに冨岡を睨んだが、睨まれた本人は澄ました顔のまま片付けを再開させた。
「……わかったわよ。やれば泊めてくれるんでしょ!」
「言っておくが、了承した以上は嫌がってもやらせる」
「ぐっ……わ、わかったわよ」
 恐らくサボる気があったのだろうが、冨岡も決まりごとには非常にうるさい。泊めてもらう以上は大人しくするつもりはあるらしく、謝花は不満げではあるものの頷いた。つうか頷くのかよ。結局また面倒なことが舞い込んで来てしまい、宇髄は何度目かの溜息を吐いた後口元を歪ませた。
「まあ良かったな、家事叩き込まれて兄貴見返してやれるじゃん。逃げる時は言えよ、めちゃくちゃ笑顔で見送ってやるから」
「やりきったら謝花も堅物になれそうだなァ」
「万が一にもなったら見直してやるぞ」
「言ったわね! 絶対ぎゃふんと言わせてやるから!」
 見直すという言葉のみを捉えて奮起する謝花に馬鹿だなあと心中で呟きながらも、まあそのうち音を上げるだろうと宇髄は適当に見守ることにした。冨岡が全面指導するようだから下手なことはできないだろうし、これを機に少しは我儘ぶりが矯正されればいうことはない。胡蝶には少し気の毒に思うが、これも謝花が出ていくまでの数日程度だろう。あまりに長ければ宇髄が謝花の兄に連絡を取れば良い話だ。
 面倒ではあるものの、根っから悪い奴とも言い切れない。悪態をつきながらも伊黒や不死川が相手をする程度には話せる相手なのである。