デート
「お前ら今日一日どっか行ってろよ」
閉め出しを食らったしのぶは冨岡とともに玄関先に立ち尽くしていた。
大家である冨岡を追い出す理由は全くないはずだが、宇髄は適当に鞄を投げ捨てまた屋内へと姿を消した。鍵を閉められてもこちらとて鍵は持っているので意味はないのだが、何故追い出されたのかわからず呆然としてしまっていた。中で何やら騒ぐ声が聞こえ、閉めたはずの鍵が開きまた扉が動く。襟首を掴まれた伊黒と甘露寺の背中を押して同様に玄関先に捨てられた。
「甘露寺に乱暴を働くな! 何故貴様に追い出されなければならん」
「そうですよ、大家さんならともかく」
疑問符を掲げている甘露寺は宇髄を振り向いて困ったように様子を見ている。面倒そうな不死川が宇髄の奥から覗き込んでいた。
「そうだなあ、煮え切らないお前らのために時間を作ってやってんだ。今日の飯は俺が手ずから作ってやるから、好きに遊んで来いって言ってんだよ。家賃から差っ引いてくれて構わねえからな」
「お前が勝手にやってるのにか?」
「俺に感謝するかどうかはお前の行動にかかってんだよ。良いからデートしてキスの一つでもかましてこい。お前らもだよ!」
どうやら宇髄はお節介を発動して、揶揄いたいだけのような気もするが、とにかく楽しむ時間を作れと言いたいらしい。照れたように頬を染める甘露寺と慌てる伊黒を見ていると、しのぶの羞恥心はあまり表に出なくて済んでいるが。
デートなんてそんな、恋人同士がするようなことを冨岡と。そういうお節介は放っておいてほしいのだが、しのぶは頭は冷静になっていても頬は甘露寺ほどではないが熱を持っていた。冨岡を見上げても普段と変わりない顔色だが、困惑しているのはわかってしまった。
「良い加減もだもだと鬱陶しい。特に伊黒な! お前はさっさと決めてこいってんだよ。ほらもう甘露寺は期待に満ち満ちた顔してんぞ」
「や、やめて、恥ずかしいわ」
「余計なお世話じゃありませんか? 人それぞれあるでしょう」
「ふうん。じゃあ聞くが、胡蝶は卒業まで本当に何もなくて良いんだな? 下宿先で顔を合わせるだけでデートもしない、手も繋がない。楽しみが何もねえだろ」
「……て、手ならこの間、」
「あれは握手だ胡蝶!」
背後から大きな声がかけられ、振り向くと遊びに来たらしい煉獄が立っていた。以前のやり取りを見ていた煉獄からの指摘にしのぶの羞恥は更に掻き立てられたが、宇髄が不思議そうに首を傾げたので問い詰められる前に話を変えなければならないと焦った。
「甘露寺は伊黒とデートするのは嫌か?」
「えっ。わ、私は、伊黒さんと一緒なら何でも楽しいと思うわ」
「そうか、決まりだな! 早く行くと良い、一日は意外とすぐ終わるからな!」
捨てられた鞄を拾いながら甘露寺と伊黒へ手渡し、背中を押して玄関から移動するよう急かしている。相変わらず煉獄は蹴り飛ばす勢いでせっつく。宇髄も絡むともう太刀打ちできないようである。
「おー、煉獄はずっと気にしてたもんなあ。楽しんで来いよー。今日帰ってこなくても良いからな」
「ふざけるな、貴様帰ったら覚えてろ!」
逃げるように去っていった伊黒と甘露寺を眺め、しのぶはどうすべきかを考えた。視線が一気にしのぶと冨岡へと向けられる。顔色を悪くした冨岡が鞄を拾って土を落としながらしのぶへと手渡した。
「家賃は引かないが」
「ケチめ。まあ一日くらい良いけどな。そうそう、俺の連れが最高だって騒いでた恋愛映画、まだやってるらしいぜー」
「俺も手伝おう!」
「煉獄はやらんで良い、狭霧荘が燃えカスになるわ。まァ、適当に息抜きしてこいよォ」
宇髄が引かないことはわかっていたのか、伊黒が逃げた時点で諦めたのか、冨岡はちらりとしのぶへ視線を向けて行きたいところはないかと問いかけた。
まさかこんな急に二人で出かけることになるなど思ってもみなかったが、行く気になったらしい冨岡を見上げてしのぶは困惑しながらも考えた。
「……ええと、じゃあ、別の映画行きませんか」
宇髄の彼女が最高だと言ったらしい話題の恋愛映画はさすがに恥ずかしくて見る気にはなれない。クラスメートが言っていたが、あれは観ていて気まずくなるようなシーンがあると聞いたことがある。それではなく観てみようかと考えていた映画がやっていたのを思い出した。
「……これを観るのか?」
「嫌いですか?」
しのぶの観たい映画は恋愛ものではなく、恐怖を煽るホラー映画だった。怖いもの見たさで友人などは最初は意気揚々と観始めるのだが終わると落ち込んでいたり泣いていたりすることもあり、甘露寺などは怖いと最初から観ないものである。
「あんまり観ない。血が飛び散るものは伊黒が文句を言いながら観てることはあったが」
基本的に文句をつけながら映画を観る傾向にあるらしい伊黒は、人情ものでもスプラッタでも妙な視点で観ていることがあるそうだ。冨岡はさほど自発的に映画を観ようとすることはないようだった。
「映画じゃなくても良いですよ。今日は急に追い出されましたし……」
「いや。胡蝶が観たいなら良い」
チケットと適当にドリンクを購入し、席へと腰を下ろして始まるのを待つ。ざわついている館内は人が多いものの、しのぶの隣には誰も座らないようだった。
ホラー映画を観るのは恐怖を求めているわけではなく、純粋に面白さを見出して観ているのだが、そういえばクラスメートの女子は彼氏と二人で観るならホラー映画だと言っていたのを思い出した。怖がってしがみつくなどして自然に近づけるのだそうだ。そんなことをするつもりはしのぶには毛頭ないのだが、もしそのような思惑を女子が持っていることを冨岡が知っていたらどうしよう。変な下心があると思われたりしないだろうか。今更ながら不安になった。
結局のところ上映中、しのぶはしがみつくだとか怖がる素振りすらすることなく、普通にホラー映画を楽しんで終わってしまったのだが、冨岡も大して怖がっているようには見えなかった。席を立ち感想を聞いても当たり障りのない返答が来るだけだった。
「もう少し違うものにすれば良かったですね」
楽しめなかっただろうかと少し反省したのだが、冨岡は首を振って否定する。充分楽しんだと言うが、顔色が変わらないので少々心配である。嘘を言えるような器用さは持っていないとは思っているが。
「ホラーが好きなんだろう」
「え。ええ、まあ……怪談とかも」
「……そうか。知らなかった」
まあ確かに、下宿し始めてホラー映画を観るような機会はなく、あったとしても冨岡とは関わりのない友人間で観に行ったくらいである。観始めたのは小学校高学年の頃からだったし、その時にはすでに引っ越して冨岡とは会うこともなかった。
「知らないことを知るのは嬉しいと思う」
「………。ふ、ふーん。そうですか」
わかる。わかるが口にされるとかなり照れくさい。素っ気ない返事をしてしまったが、冨岡の顔が柔らかく緩んでいるのを見てしまい視線を逸らすしかできなくなった。普段口数が少ないくせに、こういうことは伝えるのか。
「えっと、宇髄さんが夕飯を作るならその頃に帰るんですよね」
「……そうだな。今帰っても入れなさそうだし……」
まだ陽は明るく時間はおやつ時である。追い出した宇髄の様子では、確かに早すぎる帰宅はデートとは認めてはくれなさそうだった。一応映画を観た後なのだが。
どこかあてでもあるのか、駅前の喧騒から離れて少し寂れた店のある通りを黙ったまま歩いていく背中についていった。しばらく歩いて冨岡が足を止めたのは大きな鳥居のある神社だった。
見覚えがある。神社には神主はおらず、隣には子供の遊び場のようなものがあり、小さなアスレチックが設置されている。
「わあ、懐かしいですね」
昔しのぶもよく遊びに来ていたことを思い出して懐かしくなり、ついアスレチックへと足を向けた。神社の裏手には遊歩道があり、ベンチや乗ると揺れる動物の遊具のようなものがあったはずだ。そう、冨岡やカナエとよくここで遊んでいた。
「変わってない。そういえば基地みたいなもの作ってましたね」
神社と遊歩道の間は手入れがされておらず、木や雑草が鬱蒼と生い茂っている。木の根元に段ボールを持ち込んで頑張って作った基地はさすがに残っていなかったが、代わりに誰かの残したスコップやバケツが置いてあった。恐らく近所の子供が同じように遊び場にしているのだろう。雨が降ればアスレチックの下で雨宿りをしながら遊んでいたのを思い出した。
「この辺り来ることがなかったですね。よく考えたらさっきの通りも見覚えのあるお店があったし、冨岡さんはよく来るんですか?」
「自治体の集まりがある」
公民館は最近改装したらしく、随分綺麗になったらしい。神社から少し歩いた先にある公民館は子供の集まりでも行ったことがあったはずだ。
「ここに来るのは久しぶりだが」
「そうですか。確かに大人になったら用事があるのは公民館くらいになってしまいますかね」
「いや……胡蝶が引っ越してから来てない」
背の低くなったアスレチックに触れながら、冨岡はぼんやりと口を開いた。小学校の友人は違う公園で集まることが多かったようで、ここで過ごすことがなくなったらしい。
「……思い出すから、近寄らなくなったのもあるが」
冨岡がここで遊んでいたのはしのぶとカナエだけだったらしく、小学校の友人はこの辺りの子供ではなかったようだ。暗に寂しかったと言われているようでしのぶは少々照れてしまった。
引っ越して新しい生活が始まった当初、しのぶもカナエも寂しいと騒いでいたことがある。冨岡も同じように感じていたのだろう。当時は毎日顔を合わせては遊んでいたのだし。
「まあ神社自体には来てたから、遊ばなくなっただけだ」
負け惜しみのような強がりのような言葉を口にした冨岡に、しのぶはおかしくなって少しばかり笑ってしまった。
「……帰るか」
裏手の遊歩道まで回りながら懐かしさを噛み締めていると、いつの間にやら辺りは薄暗くなっていた。覚えているものや忘れていたものがあり、時間も忘れて楽しんでしまっていたようだ。
「そうですね、随分没頭してしまいました」
神社にはすでに参拝は済ませてあり、裏手から戻って鳥居を潜った。寂れた店はシャッターが下りており、営業は終了してしまったらしい。せっかくなのでまたこの辺りを散策にでも来ようと思う。カナエが来た時にも連れてくると喜ぶかもしれない。
「………。胡蝶」
先に鳥居を潜った冨岡が数歩先で立ち止まり、少々悩んだように視線を彷徨わせた後しのぶへと振り返って手を差し出した。瞬いて疑問符を抱えた後しばらく考え込み、やがて真意に気づいたしのぶは頬を染めた。
「えっ、な、何ですか急に。……あ、私が言ったこと覚えて」
以前学校で生徒に見られたまま口にした内容を思い出し、しのぶはそのせいかと焦った。あれ以降何かが明確に変わったかといえばそうではなく、冨岡はあの握手からしのぶに触れることもなく、至って変わりなく帰路を二人で歩いていただけだった。まああれから日数はさほど経ってはいないのだが、一体どういう風の吹き回しだろう。
「普段ならしないが。今日は部活も何も関係なく出かけてるし、……帰るまでの間」
冨岡の中で決めごとがあるらしく、部活の帰りや狭霧荘ではしのぶの言ったことを実行する気はなかったようだ。残念だがそれは仕方ない。普段風紀を気にする冨岡にしてみれば、自分が乱す立場になるのは避けたいのだろう。
「………」
困り果てた顔をしてしまっていることは自覚しているが、嫌で困っているわけではない。冨岡もそれはわかっているのか手を差し出したまましのぶを眺めている。何せ自分から言ってしまっているのだから、断られるとは思っていないのだろう。断りたいわけがない。ただ恥ずかしいだけである。
とはいえいつまでも待たせると差し出した手を下ろしてしまいそうで、しのぶは意を決してその手を掴んだ。
真っ赤になっていることも自覚しているが、ひっそり冨岡を見上げると嬉しそうに口元が綻んでいた。
狭霧荘の灯りが近づいた頃、冨岡は静かに繋いでいた手を離した。
歩いている間全くもって心臓が落ち着かなかったが、離れるとまた寂しさがこみ上げて来る。残念。温もりが離れがたかったけれど仕方ない。見つかって揶揄われたら多分平静ではいられないだろうし。
「今日はありがとうございました。色々懐かしくて楽しかったです」
「そうか」
「また今度この辺り連れてってください」
「ああ」
神社以外の場所でもしのぶは冨岡とカナエとともに過ごしていたはずだがあまり覚えておらず、冨岡と実際に見れば懐かしさを感じるかもしれない。まあその辺は口実だが、冨岡は頷いたので良しとしよう。問題は今から口にすることである。言わなくても良いのかもしれないが、恥ずかしくても言っておきたいことだった。
「……次も、手繋いでくれます?」
顔を見ることができずに俯いたが、しのぶの顔色が赤く染まったのは冨岡にも見えているかもしれない。辺りは薄暗く街灯が灯り始めているので見えていないことを期待しているが、明るかった昼間から顔色はころころと変わっていたのでバレていそうだった。
「……良いのか」
顔を上げると丸くなった目がしのぶを見つめていて、安堵と照れ、色々と感情が胸の内に渦巻いた。良いのかとは何だ。聞いているのはこちらだというのに。
「こ、こっちの台詞ですよ。良いんですか?」
普段だったらしないと聞いたばかりである。コーチだったり大家だったり、模範とならざるを得ないからかそれとも性格か、少しもそれらしいことをしてくれないのに。
「……まあ、浮かれてるところを見られるのは困るが」
「浮かれてるんですか?」
しのぶの問いかけに片眉が反応した冨岡は何かを言いたげに視線を向けたが、そのまま黙って歩いていく。眉を顰めているのが不機嫌だからではなく、照れているからだと何となく感じてしまったのは、大っぴらに関係がバレてしまった時にも見た覚えがあるからだった。
「手を繋ぎたいのはお前だけじゃない」
もう気づいてしまったから口にしなくても良かったのに。放っておけば羞恥のあまり叫び出しそうで、もしくは緩んでだらしのない顔になりそうで、しのぶは必至に唇を噛み締めた。
「それくらいで風紀は乱れないかもしれないが。俺が率先してやるわけにもいかない」
「……そうですか? 子供だって手くらい繋ぐじゃないですか。普通ですよ普通」
「逃げたくせに」
「うっ。あ、あれは冨岡さんの言ったことが……」
混乱のあまり逃げ出したことを指摘されてはうまい返しが思いつかず、しのぶは本音を口にした。そう、そもそも逃げたのは冨岡が耳元で呟いた言葉が原因だった。それを思い出して更に頬が熱くなってしまう。
確かに握手で感極まってしまったのも事実なのだが、子供の頃は毎日繋いでいた手が今はこれほど緊張するなんて思いもしていなかった。これではその先のことなんて夢のまた夢、いや今すぐどうこうというわけでは断じてないが。
せめて昔のように手を繋いで笑い合えるくらいにはなりたい。緊張してしまうのははっきりと意識してしまっているからだろうが、しのぶ自身が口にしたお嫁さんになるためには、こんなに照れていてはなれないだろうとも思うし。
「とにかく、つ、次からもお願いしますね」
「……お前が良いなら有難くそうする」
有難くとは。
冨岡がしのぶと同じくらいの羞恥を感じているかはわからないが、しのぶと同様に触れたいと考えていることは理解できてしまい何も言えなくなった。いつになったら照れずに過ごせるようになるのかは、今の時点では全く目処は立たなかったけれど。