諍いと継子の話と疲労の話

「おい、暴れるなって!」
「うるせえ!」
 肩を貸して連れて来たはずの隊士は、怪我を負っていた隊士から膝鉄を食らって鼻血を出した。
 小競り合いのようなことをしているのかと思って病室からしのぶが顔を出した時、誰より大きな背中が気性の荒い隊士の腕を掴んだ。
「ぐあっ!」
「この蝶屋敷で暴れてはならん……主人たちの手を煩わせるのはあってはならぬことだ」
「岩柱様」
 肘鉄を食らった隊士は鼻を押さえながらも悲鳴嶼を見上げて会釈をした。掴まれた隊士は傷に痛みが走ったのか呻き声を漏らし、悲鳴嶼は一つ謝罪の言葉を呟いて掴んだ手を緩めた。
「悲鳴嶼さん、ありがとうございます。こちらへ連れてきてもらえます?」
「承知した」
 しのぶの言葉に一部の隊士の空気がざわりとした。開設したばかりでまだまだ周知が足りていないのはわかっているが、それにしても気分は良くない。
「ふが、み、水柱様」
「血が止まったら冷やしておけ」
 廊下の奥から現れた義勇が肘鉄を食らった隊士のそばへと近づき、手拭いで鼻血を乱暴に拭った。その様子を悲鳴嶼が連れて行こうとした隊士はじっと眺め、忌々しげに顔を歪めた。
「………、女に柱二人も顎で使われてんのかよ。弱みでも握られてなきゃおかしいぜ」
「ここが花柱の蝶屋敷だという前提は一先ず置いておきますが」
 わかっていて来たのだろうに、やはり空気がざわめいたのはそのことだったかとしのぶは眉間に皺を寄せた。
 岩柱と水柱が柱でもない女子供であるしのぶに指示をされて動くことが、この隊士にとっては屈辱にも思える光景だったのだろう。そう陰口を叩く隊士は他にもいたが、面と向かって口にされたのは初めてである。言い返せる機会があるだけましだと感じられたが、それはそれだ。
「その柱に舐めた口を利くことは許しません。お二人は善意で手伝いを買って出てくださってるだけです」
 鬼殺隊において男女差はないはずで、あるのは実力差と階級の差だけだ。そもそも蝶屋敷の主人は花柱であるカナエなのだ。しのぶたちの関係を知りもしないような者にとやかく言われる筋合いはない。しのぶが声を張り上げると隊士は歯噛みしながら黙り込んだ。
「何だ、玄関先で固まって。怪我したのか村田」
「あ、いやあ……」
 敷布を抱えて現れた錆兎に、鼻を押さえた隊士が曖昧に笑った。疑問符を掲げながら悲鳴嶼や義勇の顔を見比べて首を傾げている。
「お前、水柱の……お前もいるのか」
「? 手伝ってるだけだが、いたらまずかったか? 次治療なんじゃないのか」
「女に従う柱と万年甲がいるようなところで世話になるつもりなんかねえよ」
「――何だと?」
 聞き捨てならない言葉を口にした隊士にしのぶが手を上げる前に、義勇と悲鳴嶼が動く前に錆兎は反応した。
 玄関先にいた隊士たちは皆どうしていいかわからず固唾を飲んでいる。しのぶだけではなく悲鳴嶼も義勇も錆兎も、ここにいないカナエすら馬鹿にされてしのぶの気分は最悪だった。頭に血が上っているのが自分でも自覚できている。
「今の水柱の所為で柱になりたくてもなれないって専らの噂だけど?」
「ちょっといい加減に、」
「所為という言い方は気に入らんが、水柱に相応しいのは間違いなくこいつなんだから俺が甲なのは当然だ。それに万年といわれるくらい生き延びてるのは誇るべきだろう。まあ、俺は甲になったの最近だし、万年というほど水柱が代替りしてから年数は経ってないが。いずれは経つだろうけどな」
 錆兎の言葉にしのぶは血の上った頭が落ち着いていくのを感じた。
 そうだった。錆兎は錆兎で義勇のことを尊敬しているのだ。水柱になった義勇に悔しさを感じつつも、義勇ならば仕方ないと思うような人だ。
「女二人ではいくら呼吸が使えようとこうして暴漢に対応するのも骨が折れるだろうからな。俺たちが手伝うのはそのためもある」
「な……、誰が暴漢だよ!」
「何だ、自覚があるのか。男のくせに望む反応が返ってこなくて癇癪でも起こすのか? そんな言い返す言葉に頭を悩ませるより今生きてることを喜べ。こちらも忙しいんだ、さっさと診察室に行け」
「そ、そうそう! 傷が深いようだし安静にして! こっちで診るから!」
 騒ぎに慌てて現れたカナエは冷や汗をかきながらも笑みを浮かべていた。こんな奴に笑う必要などないだろうとしのぶは思うが、さっさと出ていってもらうためにはさっさと治療を始めなければならないのである。むすりとしたまましのぶは隊士を睨みつけた。
「いらねえよ! こんなところに来る気なんかなかったんだ俺は!」
「じゃあ帰れよォ」
 玄関の外から声がかかる。皆が視線を向けた先には、顔に傷のある柄の悪い隊士が騒ぐ隊士を睨みつけていた。
「てめェ一人騒ぐおかげでこっちは待たされてしゃあねェんだよ。用がねェならさっさと消えろ」
「………! くそっ!」
「いてっ」
「あ、待って、怪我!」
 カナエが引き止めようとしても、隊士は怪我を負った体のまま蝶屋敷を飛び出した。その際鼻血を出した隊士にぶつかっていたのはわざとなのだろうか。
「あんなん放っといても死にゃしねェし、藤の家紋の家でも行くだろォ。……と、それよりこっち頭怪我してんだ、早く診てやってくれ」
「あ、わ、わかったわ」
「おーおー、繁盛してんな。薬貰おうと思ったけど取り込み中?」
「音柱様。少しお待ちください」
「いや、私が出してこよう……」
 更に顔を出した悲鳴嶼に次ぐ大男。明るい声音で声をかけたのは音柱である宇髄だった。しのぶたちを待つより自分が行くほうが早いと判断したのか悲鳴嶼が名乗りを上げ、しのぶは素直に頼むことにした。
 蝶屋敷が満員御礼なのは今に始まったことではない。カナエは柄の悪い隊士と怪我人を診察室へ促して廊下を進もうとしたところで、彼は言い難そうに錆兎を呼び止めた。
「さっきの奴は風の呼吸の隊士だ、悪かったなァ」
「………? いや、言い方は気に入らんが間違ってはいなかったし」
「……不死川は風柱だ」
「………! 成程、これは失礼を。いやそれでもあなたが謝る謂れはありません」
 ようやく口を開いた義勇の言葉に錆兎は納得し、しのぶもまたこの男がそうだったのかと頷いた。
 十二鬼月を倒して新たな風柱に任命された隊士。ついこの間カナエから聞いたばかりだ。気性が荒そうだが、こうして何の関係もなかったはずの隊士のことで謝るような人らしい。
「随分殊勝な態度取るじゃねえか、不死川」
「うるせェ。悪ィ、頼むわァ」
「ええ、こちらへ」
 訳知り顔で口元をにやつかせる宇髄に悪態をついてから、不死川はカナエに案内を促して診察室へと向かっていった。そうしてようやく小競り合いのような騒ぎは鳴りを潜めていった。

「しかし、ああいう見方をする奴もいるんだな。気にしたことなかったが、面倒臭いのは間違いない。そういえばカナエはしのぶを継子にしたんだったか」
「……ええ。色々あるだろうと思って」
 その色々には今日のような出来事も含まれている。
 カナエの思惑は恐らく違うところにあるだろうとしのぶは考えているが、あの隊士のように姉妹を良く思わない者がいるのだから、継子になることでとやかく言う者が減るのならば助かるだろう。
「義勇、お前俺を継子にしないか」
「……え? 何で」
 ひと段落ついて皆で卓を囲み湯呑みを傾けていたところだった。何やら思案していた錆兎が義勇へ一つ提案をした。
 同門の兄弟弟子で、同い年の友で。義勇と錆兎は性格は似ても似つかないけれど仲が良い。互いに尊敬し合っている間柄だ。
「別におかしな提案じゃない。お前がいるうちは水柱はお前なんだから今までどおりだ」
 しのぶとしても錆兎の話は妥当なものだと感じる。悲鳴嶼もカナエも同様に頷いていた。
 今日のような隊士が少なからず存在していて、勘繰る者は減りはしてもいなくはならないだろう。それならわかりやすい理由をつけて面倒なことを避けたほうが楽で良い。錆兎はそう口にした。
「どうだ。俺は継子になるならお前以外は嫌だ」
 朗らかに笑みを向けて言い切った錆兎に、義勇は眉を顰めて目を伏せ黙り込んだのをしのぶは呆れた目でじとりと見た。心配そうにカナエが首を傾げているが、これはあれだ。
 錆兎が潔くて格好良い、などと考えている顔である。
 義勇は悲鳴嶼が格好良い時は大抵素直に目を輝かせるが、たまにあの顔をする時がある。今は友が格好良くて悶えているだけだ。
 しのぶは義勇も格好良いと思うが、本人はいまいち自分には興味がない。
「義勇くん固まったけど……」
「錆兎さんの格好良さに目眩起こしてるだけよ」
「……そうなの? しのぶは義勇くんのこと何でもわかるのねえ」
「悲鳴嶼さんにもあんな感じになる時あるもの」
 何だかやけに嬉しそうなカナエと悲鳴嶼に呆れた目を向けつつ、しのぶは気を取り直したらしい義勇がやっと頷くのを眺めた。
「錆兎は格好良いな……」
「継子になっただけでか? よくわからんなお前の感性は」
 大人しく控えめな義勇が気性がさっぱりしている錆兎に憧れるのもわからなくはないが、錆兎は元々格好良い、と臆面もなく褒め始めた義勇も大概あっけらかんとしている気がする。
「顔に傷があって……」
「お前それ、悲鳴嶼さんの額に傷あるからだろ……」
「俺も、」
「駄目っ!」
 しのぶの大声に義勇の髪が逆立つような幻覚を見たが、何てことを考えているのかと慌てた。感性が男子過ぎる義勇には困ったものである。
「駄目です義勇さんは! 傷ができて治らなかった人はもう仕方ないですけど、わざわざ作らなくてもいいんですから!」
「そりゃ確かに」
「でも考えてみろ。不死川も傷がある」
 強い者は皆顔に傷があるとでも思っていないだろうか。風柱だというあの柄の悪い隊士の顔を思い浮かべた。
「他の誰の顔に傷があっても義勇さんは駄目です」
 もしわざと怪我でもしてきたら、しのぶは怒髪天を衝く勢いで怒る。そして意地でも治してやる。十二鬼月でもない鬼の任務で、義勇は怪我をするようなこともなくなっているけれど。
「でもわかるなあ、憧れの人と似た感じにしたいの。私も顔に傷があったら、」
「駄目に決まってるだろう!」
 カナエのとんでもない発言にしのぶが立ち上がる前に、義勇含めた三人は叱るような物言いでカナエを窘めた。
「そ、そんな皆で怒らなくても……義勇くんまで自分棚に上げて……」
「お前たちは駄目だろう。こんなに可愛いのに」
「ちょっ、」
 呆れた目はカナエに向けつつ、義勇の手はしのぶの頬をもにもにと弄んでくる。褒められたカナエは頬を染めて照れていた。姉のついでにしのぶも褒めてくれるのは有難いし嬉しくはあるが、触って確認するならカナエの頬だろうに、何故しのぶを触るのだろうか。隣にいたからか。
「直球で褒めたな……こういうとこ男らしいんだけどな」
「仲良しだな……」
「ちょっと! いつまで触ってるんですか! お金取りますよ!」
 むくれたのは子供っぽい反応だったかもしれないが、しのぶとしては感触を楽しまれているような気がして早く手を離してほしかった。錆兎は少々照れたように眉根を寄せ、悲鳴嶼は嬉しそうだったが、何故かカナエは残念そうな顔をしていた。

*

 前を歩いていた体が傾ぐ気配を感じ、手を伸ばした悲鳴嶼はカナエの体を支えた。
 現時点で医療に明るい者は鬼殺隊内で胡蝶姉妹しかおらず、無理をさせていることは自覚していた。というより、悲鳴嶼を慕ってくれる子らが皆自身を顧みないのだ。自己犠牲にも近いものを見せてくる。カナエも、義勇も。
 優しい良い子であることが変わらないのは悲鳴嶼にとっても嬉しいものではあるのだが、場合によっては不安にもなった。こうして悲鳴嶼が近くを歩いていなければ、カナエは一人倒れていただろうからだ。
「わ、ご、ごめんなさい」
「……働き過ぎだ」
 そうさせているのは悲鳴嶼だが、カナエは小さく笑い声を漏らして礼を口にした。
「体力ありますよね、義勇くんたち……凄いなあっていつも思います」
「姉さん! 大丈夫?」
 突き当たりからしのぶと義勇が顔を出し、カナエの様子に慌てて駆け寄ってきた。心配をかけぬようカナエは明るい声音で大丈夫だと口にして、その声を聞いたしのぶが不安げな気配になった。
「ありがとうございます。ちょっと休めば大丈夫よ」
「でも……」
 もっと人手を考慮して蝶屋敷を開かせるべきだった。とはいえ最終的な治療はカナエとしのぶしかできないのだから、結局のところ負担は今と変わらない気もするが、勉強させることもできるはずだ。
「この間、藤の家紋の家の旦那さんが手伝わせてほしいって来てくれたんです。でもその方以外に家人がいらっしゃらないという話だったから、さすがに藤の家紋の家を不在にすると隊士たちも困るでしょう。だからお断りして」
 募集でもかけようかとしのぶと相談していたところだったらしい。
 新しく人を迎え入れようかというところでカナエの睡眠不足が祟り、こうして悲鳴嶼が見つけたということだった。
「……一先ずその話は後にして、お前たちも少し休みなさい」
 本日の患者は全員処置を済ませ、病室で療養させている。悲鳴嶼はカナエの体をひょいと抱え上げ、彼女の私室へと足を向けた。
「えっ、ひ、悲鳴嶼さん! 私、」
「疲れが溜まっては任務に支障も出る。しのぶも義勇もだ、錆兎にも伝えておきなさい。私が番をしていよう」
 大人しかったカナエが小さく暴れ、宥めるように背中を擦った。何やら小さな声で唸り始めたが、嫌そうな気配はないのでそのまま抱えて廊下を進んだ。
「あの、歩けます……」
「何、落としはしない」
「そういうことじゃないんですけど……」
 少しばかり泣きそうにも聞こえる声音でしのぶを呼ぶカナエは、どうやら抱え上げられたのが恥ずかしかったらしい。そんなに恥ずかしがらずとも、見ているのは義勇としのぶしかいないのだから気にしなくていいだろうに。
 年頃の娘としては思うところがあるのかもしれないが。
「たまには力を抜きなさい。お前が倒れたら大変だ」
 抱えたおかげでカナエの気配がごく近くに感じる。でも、と羞恥と戦いながらも言い募ろうとするカナエに、悲鳴嶼はもう一度口を開いた。
「蝶屋敷の要はお前としのぶだ。医者の不養生は笑われるぞ」
 そう言いながら悲鳴嶼が率先して笑ってやると、物言わなくなったカナエは腕の中で縮こまった。
 しのぶの私室前で義勇としのぶに仮眠を取るようもう一度伝え、悲鳴嶼はカナエの私室へと足を踏み入れた。布団を用意してやると、慌ててカナエは自分でやると悲鳴嶼を止めた。いつもの場所なのだろう位置に布団を敷き、悲鳴嶼は傍らに腰を下ろした。
「寝付くまでここにいよう」
「え!?」
 カナエがきちんと眠ったかの確認のためだったのだが、カナエは混乱したようにそわそわとし始めた。寝たことを確認したら部屋を出ると伝えたのだが、カナエの思考はそこを気にしたわけではないようだった。
「あ、あの……。………、頭、撫でてほしいです」
「わかった」
 しのぶがおらず悲鳴嶼と二人だからか、カナエは普段なら口にしたこともないことを小さく不安げに呟いた。布団に入ったカナエの髪を撫でると、カナエは嬉しそうに小さく笑い声を漏らした。
 やはり疲れていたのだろう。悲鳴嶼が頭を撫でているとカナエはすぐに小さな寝息を立て始め、そのまま夢の中へと旅立っていった。
「……おやすみ」
 無理をさせ続けるのは忍びない。悲鳴嶼も何かできることを模索しているが、結局のところ蝶屋敷の諸々の決定権はカナエたちにあるのだ。うまくいかないものだと溜息を吐いた。
 しばらく様子を見て起きないことを確認し、静かにカナエの私室を後にした悲鳴嶼は、義勇としのぶがどうしているかを確認するためにしのぶの部屋へと足を向けた。仮眠を促したが二人とも起きている可能性は充分にある。しのぶは自分を二の次にして姉を助けるために必死になる傾向があるし、義勇は役に立つために自身を顧みない。優しく良い子であることは悲鳴嶼にとって救いにもなるが、やはり少しくらいは自分を大事にしてもらいたい。
「あ、悲鳴嶼さん」
 しのぶの私室前にいたらしい錆兎は悲鳴嶼に気づくと何やら妙な気配を醸した。二人とも起きているのかと思ったが、そうではないようだ。
「どっちが先に寝るかで言い合いしてたんですけど、結局二人とも寝たみたいですね」
 錆兎が言うには、壁に凭れて胡座を掻いて寝ている義勇の膝に頭を乗せたしのぶが寝ているという。どちらともどこかに行かせないための策らしい。
 何ということだ。目が見えていたらそれも瞼に焼き付けることができただろうに、がっかりしつつも悲鳴嶼は嬉しくなって笑みを漏らした。
「嬉しそうですね」
「うむ……仲が良いのは良いことだ」
「まあ、そうなんですけど……悲鳴嶼さんもカナエのところにいてやってくださいよ。俺今眠くないんで」
 襖を開ける音のあと衣擦れ音が聞こえ、錆兎は二人に毛布をかけようとしているようだった。同じく疲れを見せない錆兎にも仮眠を取らせるつもりだったのだが、眠くないと言われてしまってはは強要させるのも少し気が引けた。
「……わかった。何かあったら呼びなさい」
「はい」
 皆良い子だ。獪岳の裏切りで悲鳴嶼が子供を嫌いにならなかったのは義勇のおかげだが、悲鳴嶼が出会った子たちは皆他人を慮る優しい子たちばかりだった。