柱就任と庚の隊士
「精神的にも成熟しており、剣技の精度も申し分ない。きみは水柱の継子ではなかったけれど、あの子は随分義勇を買っていたからね。どうかな」
「……お館様。私には」
務め上げる自信もなく、その技量もない。
義勇は今まで悲鳴嶼の背中を追いかけていただけで、柱になろうとして剣を振るっていたわけではない。姉のような者を自分が見たくなくて、ただ必死になっていただけだ。それが積もり積もってしまっただけのことだった。
考え直してほしい。水柱が殉死して次の柱を立てなければならないのはわかるが、現在甲の隊士ならば他にももっといるはずだ。いなくてももう少し待てば錆兎ならすぐに階級は上がる。わざわざ義勇でなくとも後継者はいる。
「どうかお考え直しを」
「そうか、残念だね。新しい型を作ったと聞いたのだけど」
下げたままだった頭を上げる前に聞こえた言葉に義勇の体がぴたりと止まった。
「すでに任務で問題なく使えていて、それに助けられた子もいると聞いたよ。柱になるには充分過ぎると思うのだけど。どうかな、行冥」
目を丸くしてつい顔を上げた時、産屋敷が顔を向けた襖の先に悲鳴嶼が立っているのを義勇は目にした。
「実力は甲の中でも抜きん出ています。彼が柱になるなら下級の隊士たちも安心するでしょう」
安心? 悲鳴嶼が来るならともかく、義勇が来たところで不安の種しかないのではないのか。義勇ならば頼りない自分よりも、悲鳴嶼のようなそばにいてくれるだけで安心できる者が良いと思えるし、錆兎のように厳しくとも前向きな者ならついていこうと思えるはずだ。
「義勇が来てくれるだけで安心できるという隊士は沢山いるよ。きみが思ってる以上にきみを信じている子たちがいる。私の言葉は信じられないかい?」
「………、いえ」
結局、絆されたようにも思える形で義勇は柱を拝命することになった。
産屋敷の言う隊士がどれほどいるのかはわからないが、ただ一人悲鳴嶼の無実を信じてくれた産屋敷が言うのだから、少なくともその隊士たちを義勇は助けることができていたのだろう。実感はないのだが。
「……私の本音は、柱になどなってほしくはない。担当区域も広がり、死の危険は更に増す。任務以外の仕事も増えるだろう」
産屋敷邸からの帰り、悲鳴嶼は産屋敷の前では言えなかったのだろうことを口にした。
「だが、それでは人は救われぬ。誰かがしなければならないのだ。私一人でどうにかなるものなら良かったが、お前の手が必要になってしまった」
「必要……」
悲鳴嶼が義勇の手を必要とするなど考えたこともなかった。
だが、そうだ。強かったはずの水柱は鬼との戦闘で殉死し、半年ごとの柱合会議の顔触れは殆どが変わっているのが定例となっているような組織だ。例外の如く強い悲鳴嶼ですら、鬼の前では生存は当然のものではない。
「……俺で、役に立つでしょうか」
「………。お前はずっと優しいままだ」
悲鳴嶼の手が義勇の頭を撫でる。なすがままになっていると、手を離した悲鳴嶼は一つ息を吐いて小さく呟いた。
「お前たちを……見送りたくはない。だが、気持ちだけではどうにもならない」
「………」
「……そろそろ昼時だな。おいで、鮭大根と炊き込みご飯を出してくれる定食屋を見つけてある」
寂しげだった声音が元に戻り、鮭大根につられるように目を輝かせた義勇に気づいたらしい悲鳴嶼は笑みを見せ、件の定食屋へと足を向けた。
「カナエから聞き出したが、どうやらあの子は医療機関を開きたいらしい。柱になればお館様から屋敷を賜ると知って、無理をおして任務に出ていたようだ。知っていたか」
「……いえ。しのぶに怪我を隠してることは気になってました」
柱を目指しているということは聞いていたが、やりたいこととは医療のことだったか。確かに生家は診療所だという話だったし、しのぶの毒とともにカナエも医療を勉強すると言っていた。
「私には黙っているつもりだったようだが……カナエは隊士が訪れるための診療所と研究所を併設すれば、しのぶもそこで毒の製作に取りかかれると」
しのぶは毒を、カナエは傷ついた隊士たちの治療を。藤の家紋の家は医師を呼んで治療してくれるが、鬼の中には血鬼術を使う個体も多くいる。手遅れになった時、血鬼術にかかった隊士から死に至ることも多かった。鬼殺隊に所属し、対鬼の治療に特化した者がいれば、隊士の生存確率は格段に上がるだろう。
だが。
「……二人でですか」
「そのようだ。どこまで対応できるかはわからないが、少なくとも鬼殺隊預かりの診療所があれば隊士は皆足を向ける。いずれたった二人では人手が足りなくもなるだろう」
たったひと晩の内に、大勢の隊士は傷つき命の危険に晒される。駆け出しや子供ほどその確率は高く、経験のない若い者ほど命を落としていく。隠が運んでも間に合わなかったこともあった。カナエたちのいる屋敷に到着しても、待っている間に亡くなってしまうこともあるのだろう。
「カナエは助力を求めてはいなかったが……お前も私と一緒に、二人に協力してはくれないか」
「はい。何をすれば?」
悲鳴嶼が浮かべた笑みが少しばかり複雑なものになったが、すぐにそれは引っ込んで義勇の問いかけに答えてくれた。
「あの子にも意地があるのだろうが、隊士たちの任務で負う怪我のことも考えれば早いほうがいいと判断し、お館様には私から診療所の開設要望を進言した。カナエも納得はしてくれている」
カナエの意地。自らの力で柱となり、屋敷を賜った上での診療所の開設を望んでいたのだろうか。しのぶほど頑固だと感じたことはないが、義勇には見えない部分であったのかもしれない。悲鳴嶼は見ていたのだろう。
「開設すればまず間違いなく二人では手が足りんだろう。柱より忙しくなることも有り得る。あの子たちが休む時間も必要だから、我々も手伝う」
「はい」
医療に関して義勇は門外漢である。任務中の応急手当は何度もした覚えはあるが、その後は医者に看てもらうのが前提だった。どこまで邪魔にならずに手伝えるかはわからない。
「それに、考えたくはないが……カナエとしのぶの二人では何かあった時危険だろう」
少しばかり言い難そうにした悲鳴嶼だったが、義勇が疑問符を浮かべたのを察したのか言葉を続けた。
診療所内に足を踏み入れるのは隊士たちだ。その隊士の中には、もしかしたらよからぬ考えを持つ者もいるかもしれない。カナエもしのぶも隊士とはいえ、男女差というものは顕著である。
隊士だけではなく、空き巣のような輩も気をつけるべきだと悲鳴嶼は言った。
「人手が必要なら増やすこともあるだろうが、かといって嫁入り前の娘が住む屋敷に見知らぬ男を住まわせるわけにもいかない。だから私や義勇のような柱の肩書きが必要だ。我々が出入りしていることがわかれば抑止になるやもしれん」
「成程」
「治療の邪魔になることは避けるべきだ。あの子たちの手を煩わせるわけにはいかない」
「はい」
「……義勇にも、負担は多くなると思うが」
「構いません。役に立つなら」
きっと錆兎も手伝ってくれる。分担できる部分はしてしまえばいい。カナエとしのぶの負担は義勇の比ではないものになるのだろうが、肉体労働なら扱き使って構わないのだ。
しのぶの呼吸も毒を見つけるまでの試行錯誤も、義勇にとっては鱗滝の言うとおり勉強になるものだった。きっと今回もそうなるはずだ。
「……何かあれば私に言いなさい」
「………? はい」
かなり話していると思うのだが、悲鳴嶼が想定した何かが何なのか、義勇は思いつかなかった。一言のみ口にしたあと食事を再開させた悲鳴嶼に倣い、義勇も冷めかけた味噌汁を口に運んだ。
*
建設された診療所の開設はカナエの花柱就任と同時期だった。悲鳴嶼はカナエの意地を気にしていたが、柱になる時期を合わせての開設ととられても問題ないような形になっていた。
カナエはもう気にしていなかったらしく、嬉しそうにしのぶと笑いながらできたばかりの屋敷を眺めていた。
開設してからの診療所――蝶屋敷は早い段階から忙しかった。怪我をしていれば治療をしてくれ、血鬼術の処置もしてくれる。渡す薬はよく効き、花柱である主人は物腰柔らかで美しい、らしい。最後のは隊士が話しているところを耳にした時の内容だ。
惜しむらくは妹ももう少しくらい柔らかくなってくれてもいいのに。階級が低いくせに態度が怖い、子供だから許してやれ、と宥める声まで聞いてしまった。
しのぶも可愛いのに。隊士の世間話に割り込むつもりは義勇にはないが、ほんの少しだけ隊士たちが勿体無いと感じたものだった。
「いや助かった! ありがとう」
蝶屋敷での義勇の役割は力仕事が多い。蝶屋敷内で暴れる輩がいれば即座に押さえつける、追い出す。錆兎も同様だ。悲鳴嶼は摘み出すが大半。姉妹の手が空いていない時のために、ある程度の応急処置も教わった。
現在カナエもしのぶもまだ別の患者の対応に追われていたため、来たらすぐに診られるよう準備をしたところである。命に別状はないとはいえすでに意識のない隊士を連れてきたのが、今礼を告げた隊士だ。彼も怪我をしてはいるが、眠っている隊士ほど重傷ではないことは確認している。
「俺は煉獄杏寿郎だ! 階級は庚。きみの名前を教えてくれ」
「……冨岡義勇」
「冨岡だな! よろしく頼む!」
錆兎以外の同年代と気兼ねのない会話をするのは久しぶりだ。溌剌として気風の良い、人好きのする少年だった。義勇とは正反対である。仲良くなれたら嬉しいのだが。
「きみはいつもこうして手伝ってるのか?」
「ああ」
「そうか、花柱とその妹君もだが、皆大変だな。任務終わりは怪我も多いだろうに」
隊士ではない専門の医療従事者がいなければ滞ることもあるのではないか。そう煉獄は口にした。
蝶屋敷が完成してから一ヶ月程度しか経っていないが、開設当時から訪れる隊士の数はかなり多かった。カナエやしのぶが怪我をしている時など、蝶屋敷から藤の家紋の家に送り届けるくらいである。正直常にそんな感じだ。今の待機時間も手が足りていない証拠だった。
義勇が患者を送り届けること自体は大した手間ではないのだが、隊士の容体やカナエたちのことを思えば、恐らく雇うべきなのだろう。悲鳴嶼に相談してみてもいいかもしれない。
「ところできみは何の呼吸を使うんだ?」
煉獄は途切れることなく話題を振ってくるので、義勇はつい答えていた。元々口数が少ない義勇に話しかけるのは悲鳴嶼や錆兎たちのようによく知っている者くらいだったので、新鮮だったという気持ちもある。
「……水の呼吸だ」
「成程、水か! 俺は、」
「炎の呼吸だろう」
ぱちりと瞬いた目が丸くなり、よくわかったなと口にしつつ、任務で会ったことがあっただろうかと少年が首を傾げた。
共同任務がなくとも大体わかる。名字も髪色も、現炎柱を彷彿とさせるのだから。
「……煉獄」
「ああ、そうか。そうだな」
義勇自身は彼と任務で会ったのは一度きりで、勤務態度に苦情が出て柱を降ろされるのではないかと聞いている。酒浸りのまま任務に出たり出なかったり、任務放棄に近い所業により彼だけに任せるのが困難だったため、彼の担当区域は今の柱たちでも補い合っており、それは就任したばかりの義勇も当然頭数にある。悲鳴嶼は申し訳なさそうに義勇に謝ったことがあった。気にしなくていいのに。
予想どおり煉獄は炎柱の血縁で、煉獄槇寿郎の長男であると身の上を教えてくれた。次いで父親の不始末について頭を下げたので、義勇自身は一度しか会っていないと口にした。会ってなかろうと柱としての責務を果たしていないことは問題だと言うが、彼についての処遇は正直義勇の預かり知らぬことである。
「炎と水はいつの時代にも柱が揃っていたという。きみも柱を目指してるのか?」
「目指してはない」
「そうか? 俺はまだ隊士となって日が浅い故、柱には会ったことがなかった! 先程岩柱にお会いしたのが初めてだ。蝶屋敷には今日初めて来たし、花柱にはまだ挨拶ができてない。しかし、少し話しただけだが岩柱は素晴らしい人だった。尊敬する!」
「そうだろう」
悲鳴嶼の良さを煉獄が理解したことに義勇は嬉しくなり、大きく頷きながら相槌を打った。
「――はい、水柱様ならこちらにいらっしゃいますよ。義勇さん、隠の方が」
ようやく患者の処置が終わったらしいしのぶが顔を出し、誰かを連れて部屋へと入ってきた。何かを話そうとしたはずの煉獄の動きが止まる。
「あ、よかった水柱様! 羽織の修復が済んだので屋敷にお伺いしたんですがいらっしゃらなくて……」
「すまない、屋敷にはあまりいない」
「………っ! 水柱!?」
屋敷に響き渡っていそうなほどの叫び声とともに、大きな音を立てながら椅子を倒して立ち上がった煉獄をしばし眺めたしのぶは、やがて額を押さえて大きな溜息を吐き出した。
「また名乗らずに……」
「……名乗りはした」
「階級を言わなかったんでしょう」
「聞かれなかった」
「俺は伝えたが!?」
再度溜息を吐き出したしのぶはゆるゆると首を振り、呆れられていることに少々義勇は眉を顰めた。確かに煉獄は階級を口にしていたが、言わなければならない決まりがあるわけでもない。
「はっ。これはとんだ失礼をしました! まさか水柱が俺と歳の変わらない少年だとは知らず」
「いやいい。別に、敬語も」
義勇の言葉に睨みつけてくるしのぶの眉間に皺が寄るのが見えた。
敬語がいらないのはそうなのだが、別に誰彼構わず伝えているわけではない。煉獄とは仲良くなりたいと思ったからそう言っただけのことである。
「流石に上官相手にそれは難しいです! ……というか! 思いきり父の尻拭いを被っていたのでは!? 何故素知らぬ顔を!」
「尻拭いとは思ってない。今の担当区域しか知らない」
そう、義勇が柱になった時点ですでに炎柱は今のような状態だったし、義勇の担当区域はそれを踏まえたものが割り当てられている。悲鳴嶼は申し訳なさそうにしていたが、穴埋めも補い合うのも当然のことだろうと思う。他でもない悲鳴嶼から、義勇の手が必要だと言ってくれたのだから応えたいのだ。
「………、成程!」
しばしの沈黙から突然声を張り上げられると、義勇はびくりと驚いてしまう。先程から思っていたが、煉獄は相当地声が大きい。ここで肩を震わせたのは何度目だろうか。今はひと際大きい声だったおかげで肩の震えも大きくなってしまった。
「柱を目指す理由が一つ増えました! あなたが水柱である時代に炎柱になりたい」
「……そうか」
「まあ、階級は全然足りてないので戯言と流しておいてください! では失礼します! 彼をよろしく!」
一方的に義勇へ言いたいことを言い、しのぶへ怪我人を頼み、隠にも会釈をして煉獄は部屋を出ていった。
「……何か、……元気な方ですねえ……」
おろおろしていた隠から羽織を受け取って退室させた後、義勇もようやく息を吐いて出ていくことにした。