しのぶの呼吸と拾壱ノ型

 鬼は日輪刀で頸を斬る以外には、陽の光でしか殺すことはできない。突きだけでどうやって殺すのか、その先の手立てがなければ話にならない。大まかにでも手段が決まらなければ最終選別にも行かせてはもらえないだろう。元より鱗滝は鬼狩りにさせたくて子供を保護して修行をつけているわけではない。
 しのぶが大岩にひびを入れたと聞いた当初は錆兎も目を剥いたものだが、その話を聞いてから義勇も錆兎も、カナエも昇格するくらい日数が経っていた。
 狭霧山に行くよりも悲鳴嶼の屋敷が近く、義勇が行くというので稽古ついでに顔を見に行くことがよくある。そうすると大抵カナエは先にいて、ほどなくしてしのぶが狭霧山から降りてきて義勇を攫っていく。ひびを入れたと聞いてからはこの調子である。花の呼吸の育手の元に通っていた時は姉妹二人は揃って顔を出していたらしいのだが。
 原因というか、二人が何をしているのかは錆兎もカナエも知っている。むしろ助言を求められたくらいだった。
 新しい呼吸法。派生があることは知っているが、いざそれを作るとなると皆頭を悩ませることになった。何せ条件が指定されているのだ。
 頸を斬る以外に鬼を殺す方法を、突き技のみで考える。
 無理だろう、と錆兎ははっきり言ってしまったくらいだ。頸を斬れなければ鬼は死なないのだから、それができない時点で鬼狩りには向いていない。しのぶに伝えることに一抹の良心の痛みはあったが、はっきり言ってくれたほうが良いとしのぶは口にした。それでも悔しげにはしていたが。その点、姉であるカナエもそう感じたらしい。
 カナエにできることをできない時点で、鬼殺隊に入るのは無謀である。それなら悲鳴嶼の屋敷で保護してもらうか狭霧山で鱗滝と一緒に生活するほうが良い。しのぶは絶対に嫌だと顔を歪めたが。相変わらず負けん気だけは強い。
 結局、狭霧山まで連れて行かれ、全体がひび割れた大岩を目の当たりにして、皆呼吸の模索を手伝うことは了承したのだが、まあ悲鳴嶼は少し納得していないような気はした。
 兎にも角にも、突きが凄いことは理解したのだ。脚も速かったと思うし、上手くすれば戦えるようになるかもしれないとは思っている。その戦うための後一手をどうするかが問題なのである。
 目の前で岩にひびを入れられた義勇はどこに興味が向いているのかはわからないが、とにかく誰よりもしのぶの呼吸法について積極的だった。なので自然と二人で額を突き合わせて過ごしているのを見る時間が増えているのである。
「今日は花なんて持ってどうしたんだ。しかも藤の花ばかり」
「型はどうなったの?」
「型は大体大丈夫よ。そもそも突きしかできないんだから、水の呼吸みたいに沢山なくてもいいもの」
 水の呼吸の型は拾まであり、岩の呼吸や花の呼吸よりも型が多いということは錆兎も知っている。確かに、突きに特化した型ならばそれだけで強力なものにはなるだろう。
「成程な。なら藤の花はどう関係が?」
 錆兎が問いかけるとしのぶは愛らしくも憎たらしくも見える笑みを向け、一言言い放った。
「実験台になってほしいんです」
「は?」
「……あ」
 口元に手を当ててきょとんとしていたカナエが、しのぶの手荷物に気づいて手を伸ばした。
 錆兎はその手のことに詳しくないが、医学書のようなものが数冊ある。懐かしげに目を細めたカナエは少しばかり寂しそうにも見えた。
「父さんの本ね。確かに必要になることはあるだろうと持ってきてたけど……」
「うん、持ってきたものは全部読んだわ。悲鳴嶼さんのお寺では、藤の花をお香として焚いてたんですって。私たちも鬼除けのお守りを貰ったけど、それだけじゃなくて……」
「しのぶ、薬研まで持ってきてたの?」
 何やら器具まで持ってきていたらしく、藤の花をすり潰して薬を作るつもりのようだ。返答もそこそこにしのぶは藤の花をすり潰し始め、他にも薬草らしきものを混ぜていく。
「これ、任務の時に使えるか試してほしいんです。今はこんなものしかできないけど、私も改良しますから。使えるようになったら、」
 力任せに器具を動かしながら、しのぶは言葉を切って一つ息を吐いた。
「そしたら、……剣が使えない人だって戦えて、鬼に殺されずに済むかもしれませんよね。……ちょっ、姉さん!」
 錆兎が目を丸くした時、カナエはしのぶを思いきり抱き締めた。その反対側からは悲鳴嶼の大きな手がしのぶの頭を撫でた。されるがままになっているしのぶは少々苦しそうだが、文句は引っ込んだらしい。義勇と目を見合わせて笑い合った時、巻き込むように悲鳴嶼の腕が錆兎と義勇を掴み、全員が無理やり抱き締められた。
「何で俺も!?」
「皆良い子だ……」
 カナエの頬は赤かったが、撫でられ慣れていない錆兎も恐らく赤いだろうと自覚した。しのぶも少し恥ずかしそうにしているというのに、義勇だけは随分嬉しそうに笑った。
「まあ、とにかく」
 感極まったらしい悲鳴嶼の拘束から外れ、カナエは咳払いをしつつしのぶへ向き直った。
「しのぶは凄いわ。私も手伝うから、一緒に頑張ろう」
「………、うん」
 どこか複雑そうな顔を一瞬見せた後、しのぶの表情はすぐに笑みを作ってカナエに応えた。

 ――大丈夫よ。仲良くなれないなら、……斬るしかないもの。
 狭霧山を降りる日にしのぶに伝えた言葉は本心だった。
 カナエが鬼と仲良くするなんて言ったからかもしれない。結局のところしのぶは鬼を殲滅したいことには変わりないし、カナエはやはり救いたいのは変わらない。だがただ無謀だと感じたしのぶの身体能力と頭の良さを余すことなく活かすことができれば、もしかしたら誰にも真似出来ないことをやってのけるかもしれない。
 止めはしない。邪魔もしない。カナエもしのぶを手伝うつもりだ。
 カナエの思いはわかってもらいたいけれど、わかってほしいとは言わなかった。しのぶにはしのぶの思いがあって、人に押し付けるものではない。代わりにこうして人を思いやる案をしのぶは見つけたのだ。
 両親が殺された夜、義勇が怪我をしながら鬼と対峙していたことが原因だった。
 隊士になってから、あんなことは皆日常茶飯事なのだと思い知り、カナエも例に漏れず藤の家紋の家を転々と世話になり、骨折もしたし打撲もした。
 心配をかけてはいけないと、療養中はしのぶには会いに行けなかった。元気な時や隠せる怪我の時にだけしのぶと会い、これからもしのぶが隊士になるまでそうして誤魔化していくのだろうと思う。
 だが日常茶飯事だとしても、カナエとてあんな痛々しい姿は誰にもしてほしくない。誰も戦わなくていいなら良かった。元は同じ人なのだから、鬼と仲良くなれば誰も死ななくて済むのに。あまりに人が死んでいくので、カナエは人を喰うことしかできなくなった哀れな鬼との共存を夢見てしまったのである。
 しのぶもそうだ。鬼が人を殺しているから、少しでも自分が役に立ちたいと考えて鬼狩りを目指した。向いていなくてもできることを探して、やがて毒に辿り着いた。
「……凄いなあ、しのぶも」
 悲鳴嶼も義勇も、錆兎も。カナエに成せることは何だろう。夢ばかり追いかけているわけにはいかないこともわかるけれど、どうすればいいのかわからないのだ。
 しかと目標を見つけたしのぶが羨ましい。
 カナエに何ができるだろうか。しのぶの毒の精製には場所が不可欠だが、一般隊士であるカナエではどうしようもない。悲鳴嶼に頼めば案をくれるかもしれないが、それはカナエが何かをしたということにはならない。何て情けないのだろう。
「……あ」
 しのぶが背負ってきた風呂敷から出ていた本を思い出し、カナエはふいに思いついた。
 しのぶの荷物には薬学書とともに医学書が数冊あった。カナエ自身も読み終えてはいたし、任務の際に役に立つこともあった。そうだ、それを勉強して他の隊士にもしてあげられるようになれば良いのだ。
「そうよ、父さんは医者だったんだもの。診療所みたいなものがあれば……」
 しのぶの毒も研究できるようにすれば、そこを拠点として、隊士たちの診療所として開けることも可能ではないか。
 給金はまだまだ足りないだろうが、もう少し階級が上がって借家を借りられれば何とかできるかもしれない。カナエが医者として隊士を迎え入れることができる。
 しのぶが鬼を殺す毒を作るというのなら、カナエは隊士の手当をする医者になればいい。きっと一筋縄ではいかないだろうけれど、しのぶも診療所を手伝うと言うだろうけれど。人が死ぬより余程いい。カナエのやるべきことは決まったのだ。

*

「悲鳴嶼さんの屋敷は柱になったから頂いたのよね」
「そうらしいな。義勇も柱になったら賜るんだろう」
 悲鳴嶼が場所を提供してくれた道場で、現在は義勇としのぶが打ち合いをしていた。
 といっても主にしのぶの型を見るためのものだ。竹刀の打ち付け合う音が目の前で繰り広げられ、錆兎はカナエと並んで座って眺めていた。悲鳴嶼も少し離れた位置に腰を下ろしており、いつもの五人がそこにいた。
「柱かあ……義勇くんは水柱が退いたらすぐにでも任命されそうだし、錆兎くんも乙だもんね。それまで長いなあ……」
「何だ、柱を目指してたのか。意外だな、興味ないと思ってた」
「うん、やりたいことがあって……」
 今すぐしたいことではないのか。
 後回しにしているうちに取り返しのつかないことにならないならばいいが、残念ながらそういうことが頻繁に起こる環境にいる。カナエがわかっていないはずはないのだろうけれど、錆兎は少々眉を顰めた。
「わかってると思うが、後悔はしないようにしたほうが良い、………!?」
「ごめん」
 どたん、と板張りの床に体を叩きつける音が鳴る。話していた錆兎の目の前でしのぶが倒れ込み、手を差し伸べた義勇が声をかけた。尻餅をついたまま手を取ったしのぶが立ち上がり、錆兎もまた勢い良く立ち上がった。
「今のは……」
「水の呼吸の技か」
 悲鳴嶼の呟きを耳にしながら、錆兎は義勇に駆け寄り肩を掴んで問いかけた。
 呼吸の型は刀を振るうとその呼吸独自の効果が見える。個人差はあれど、それはどの型でも違いはない。
「単に攻撃を斬っただけ」
「違う、ちゃんとした型だ。お前が作ったんだ」
 何故か目を丸くする義勇に言い聞かせるように錆兎は言い募った。
 だって水が見えたのだ。型でないのなら見えるはずがない。あれほど深い青の包み込むような水が。
「それはお前が編み出した拾壱ノ型だよ。新しい技だ」
 しのぶの攻撃を義勇は斬って相殺していた。これはきっと誰かを守るための型だ。呼吸の型に防御の技など滅多とない。錆兎はこれまで見たこともなかった。
 誰かが死んでしまうたびにずっと不甲斐なさを感じていた義勇が、人を守りたくて作っただろう守りの型。
「……錆兎。お前ならわかってると思うが」
 顔を歪めて義勇は錆兎から目を逸らし、小さく息を吐き出して静かに呟いた。声まで静けさを纏ったような奴になったが、それももはや義勇らしいような気がしている。
「俺の手元は見ただろう」
「見た」
「あんなのが型といえるわけがない」
「いえる。言うぞ俺は。お前の型だ。その型があれば」
 義勇が要らぬ引け目を感じていた悲鳴嶼の隣に、胸を張って立てるだろう。
 錆兎からすれば、きっと姉妹や悲鳴嶼から見ても、義勇が弱く力不足だと感じたことなどないだろうと確信している。そもそもこいつは悲鳴嶼と同じように岩の呼吸の鍛錬を短い間だとしても受けていたし、剣の腕は錆兎でも唸るほど練り上げられている。それは偏に悲鳴嶼を目標にして研鑽を重ねてきた結果だ。
「別に増やしたって良いだろう。というか、俺には編み出せないものだ。もっと精度を上げれば傍目には何をしたのかもわからなくなるんだろうな。お前に降りかかる攻撃は全て消えてなくなる。薙ぎ払う……なぐ……、凪とかどうだ、型の名前」
「へ」
 久しぶりに見た驚いた顔が、心底理解し難かったらしく首を傾げた。そんなに妙なことは言っていないはずだが、まあ義勇は時折融通が利かなくなるので仕方ない。
「拾壱ノ型、凪。悪くないだろう」
 我ながら良いと思うのだが。悲鳴嶼は泣きながら頷いているし、きっと鱗滝に聞いても否定はしないだろうと思える。
「格好良い名前! ねえしのぶ」
「……うん」
 カナエは嬉しそうにしているし、しのぶは少しばかり義勇を窺うように見つめてから、小さく笑みを見せた。義勇だけが使う型でも悪くはないが、錆兎も使えるようになればきっともっと助けられる人は増える。使えるようになれば。
「俺も覚えるからな」
「………。……錆兎ならすぐできる」
 型になっていないとか、勝手に決めるなとか、言いたいことは沢山あるのだろうが、義勇はそれを全部飲み込んで一言錆兎に呟いた。そのまましのぶと稽古を再開させたので、錆兎もカナエの隣へ戻った。
「あいつ何で俺をあんなに持ち上げるんだ?」
「ふふっ……正反対だから、きっと自分とは違うところが格好良く見えるのかも」
 確かに錆兎は義勇とは似ても似つかない。同い年でも凄いと思う部分は義勇にも沢山あるのだが、本人はそこをあまり考えないのだ。
 人の良いところが見えるなら自分の良いところも自覚してほしいところなのだが。錆兎は義勇ほど目は良くないので、間合いの攻撃を全て見切ることが至難なのである。型を覚えられないなどとは男の意地で絶対に言わないが。
「悪気がないから質が悪い。褒められるのは嫌いじゃないけど、お疲れさん」
 ひと段落したところで義勇が悲鳴嶼に呼ばれ、しのぶは息を荒げたままカナエと錆兎のそばへと寄ってきた。錆兎の言葉にしのぶも相槌を打ちながらカナエの隣へと座る。
「しのぶの影響かなあ?」
「……さあ」
 冷たくあしらおうとしているが、カナエの言葉にしのぶの口元が緩んでいた。