おまけのおまけ

「嘴平が?」
「あら、それはめでたいことですね! おめでとう、アオイ」
「い、いえその、そのことでお二人に少しご相談が……」
 研究室から続く廊下を義勇と連れ立って歩いている時、アオイが声をかけてきた。
 大層頬を染めたアオイの後ろで禰豆子と善逸が様子を伺うかのように見守っているが、報告と称して告げられた言葉にしのぶは喜んだ。
 まさか伊之助がアオイに求婚するなどとは思っていなかったが、働き者の可愛い彼女を幸せにするのなら、そしてアオイ自身が好きで望んでいるのならしのぶは反対するつもりなどない。
 まだ人の少ない客間に足を向けると錆兎と悲鳴嶼がおり、退室しようとする彼らにも伝えたいと引き止め、茶を淹れようとするアオイを制して禰豆子が人数分の茶を淹れてくれた。彼女たちも聞くのかと少し思ってしまったが。
「俺が勝ったらこいつを貰う、と、わざわざ悲鳴嶼さんの姓名を覚えて宣戦布告していて……」
「あー……」
 アオイはしのぶとカナエの部下ではあったが、蝶屋敷は実質悲鳴嶼と義勇に庇護されていたようなものだったのを肌で感じてでもいたのだろうか。それともカナエの夫だからという意味合いが強いかもしれない。
「悲鳴嶼さんはさすがに可哀想だろう」
「私もそう思います」
「そうだろうか……」
 いくら片脚のない悲鳴嶼といえど、はっきりいって誰にも勝てる見込みが見当たらない。アオイも伊之助では返り討ちに遭うのではないかと心配しているようだ。負けると思われている彼にも少し同情するが。
「気概は買うがなあ。力量差を知って尚挑む……男だぞ」
 うんうんと頷く錆兎は好意的に受け止めてはいるが、この様子ではやはり彼も伊之助が勝つとは思っていないのだろう。まあ、間近で見てきたしのぶたちからすれば、悲鳴嶼に挑もうとする心意気だけですでに感心するものなのである。
「隊士だった頃のようには動けないし、嘴平が勝つ可能性も……」
「ないですね」
「……義勇」
 宣戦布告された当人である悲鳴嶼自身は、伊之助がどこまでできるのかは未知数であると言う。それを遮って否定したのは義勇だったが。
「ないです。……せめて俺に勝てたらくらいにしておけば……」
「いや、大した違いないから。あんた相手も大概可哀想なんだけど? 俺本当に禰豆子ちゃんと結婚できない気がしてたまらないし」
「……あー……冨岡さん、すでに禰豆子さんの結婚のことで……」
 アオイが少し呆れたように目を細め、聞いていた禰豆子は少し照れたように俯いた。善逸から告白を受けたと聞いたのは少し前だったが、意識はしてきているように見えて微笑ましい。
「ああ、炭治郎が相談に来た。我妻は強いのに情けない男で」
「んぐ」
「禰豆子とのことは応援してるが、甘えたな性根がいつまでも続くのはいただけないと」
「ふぐっ」
「今後を考えると禰豆子を任せるのに不安が残るから、どうにかしたいとな」
「はっきり言うなあ……」
「禰豆子には幸せになってもらわないと困る。……恩があるといえば神崎もだが……まあ、腕っ節だけが強さというわけでもない。お前たちは強いがな」
 恩などあっただろうかと首を傾げるアオイは、人知れず特務に携わっていたことを忘れているようだ。義勇はあの件で申し訳なさと同時にアオイの評価がうなぎのぼりになっていた。ただでさえ努力家だと好感度が高かったというのに。
「腕っ節以外だろうと冨岡さんに勝てる要素なんか何一つないっての!」
 上背がある、顔が良い、口下手ではあっても決めるところは決まっている。これに勝てるならどんな女の子も自分を拒まないだろうと善逸は吼えた。義勇は表情をなくしていた。
「わかるよ、わかる! 見た目なんかで人の価値が決まるかとか言うつもりなんでしょ!? それもわかってるよ頭では! でもあんたらにだけは言われたくないんですよね」
 義勇と悲鳴嶼を指した善逸は真に迫る表情を向け、何故と聞き返したいらしい彼らに般若の形相を向けた。必死さが伝わる演説は続く。
「大体元柱に勝てるわけないから! でも柱の誰がましかって話になったらたぶんあんたらが一番手心加えてくれそうな気もするんだよね! 風のおっさんはやっぱ恐いよ!」
「いや、身内の将来が懸かってるのに義勇は手加減などしないと思うが……」
「ですよねーっ!」
 この口振りでは悲鳴嶼もしないだろう。というより、悲鳴嶼がしないのだから義勇もしないといえる。まあ、先程義勇が口にしたとおり、強さというのは腕っ節だけではない。何か別の強さを示すことができれば、たとえ勝てないとしても二人は納得するだろう。伊之助に関してはあちらから宣戦布告してきたわけなので、悲鳴嶼は別に待ち構えていたわけではないが。
「我妻は戦闘能力に全振りしてる傾向がある。普段の生活は本当にろくでなしだそうだからな」
「ふぎゃっ」
 最後の戦いの場にいた錆兎は善逸のことも見ていたようで、強さがないはずがないだろうとも口にしているが、それはそれとして義勇との手合わせならば善逸にも勝つ見込みなどないと考えているようだった。まあ、元継子の兄弟弟子である錆兎からすれば、義勇以上の剣士というのはいないと信じているのだろう。ちなみに悲鳴嶼は最強だが、剣士という括りではないらしい。確かに。
「鬼がいなくなったとはいえ、いつ何時も腕っ節はあって困りはしない。その上で精神面でも禰豆子たちを守れるようにならなければ。男なのだからな」
「ううっ」
「泣き喚くより愚痴をたれるより先にすべきことはある。お前は自分を過小評価し過ぎだ。こう、強い男に限って卑屈なのはなんでだ? そういう境地があるのか?」
「なんで俺に聞く」
 むすりと眉を顰めた義勇が錆兎へ問いかけるが、悲鳴嶼は謙虚であっても卑屈とまではいわないので、一部の者だけが到達する境地なのだろうと勝手に納得していた。
「まあ、どうしても勝ってもらいたいなら応援しかないな。小細工は嘴平も好まないだろう? 真正面から挑んで負けても勝負の内容が良ければ余地くらいはある。我妻もだぞ」
「うう……」
「そうそう。それに善逸くん、あなたは禰豆子さんに応援してもらえたら百倍力が出るでしょうに」
「それはもう!」
 がばりと元気が戻った善逸は項垂れていた顔を上げ、喜色満面の笑みを見せた。うんうんとしのぶが頷いて見せれば、禰豆子はまたも恐縮したように頬を染めて縮こまってしまったけれど。
「だから善逸くんは、これからきちんと禰豆子さんに応援してもらえるような行動をしなくては。いくら優しい禰豆子さんでも、どうしようもないろくでなしの居候を応援したいとは思いませんよ。ねえ」
「えっ、あ、ええと」
「頑張りますっ!」
 禰豆子に応援されたら本当に良い勝負をするかもしれない。言い過ぎじゃない? と小さくぼやきはしたものの、しのぶがそう思うほどに勢いづいて奮起する善逸に義勇と錆兎は目を見合わせて呆れつつも笑い合い、悲鳴嶼も小さく笑みを見せた。禰豆子とアオイも目を見合わせていたが、やがてアオイが口を開いた。
「……あの調子だと伊之助さんは本当に勝つまで挑むと思いますが……」
 勝負好きの猪頭を思い出し、アオイの言葉に深く頷いたのはその場にいた全員だった。