祝言
悲鳴嶼が号泣している。
普段から箸が転げても泣くような涙腺の脆さだ、それ自体は別にいつものことなのだが。
伊黒と甘露寺の時もだいぶ泣いていたが、今回はひとしおだ。始まる前からもうずっと泣きっぱなしである。一番付き合いの長い二人が結婚という形を取り、盛大に開いてやった祝言を見守っているのだ。わからないでもないが。
順番的に悲鳴嶼とカナエが先だろうと冨岡と胡蝶は率先して説得しようとしていたが。
冨岡たちの祝言を先に見届けたいと逆に言いくるめられてしまったらしい。まあカナエ自身も頷いていて、悲鳴嶼がそれで納得するのならと二人は早々に終わらせることを決めたのだと言った。せっかくの祝言を終わらせるとか言うな。あまねと輝利哉が率先して準備を進めてくれたというのに。
「お前らもかよ……」
ふと周囲へ目を向けると、竈門炭治郎と栗花落カナヲが揃ってぐすぐすと泣いていた。ついでに神崎も泣いていた。禰豆子はまだ耐えていたようだが、目が潤んでいるので泣きそうにはなっているらしい。
「だってしのぶ姉さんが凄く綺麗で……」
「わかる! しのぶさんびっくりするくらい綺麗だねえ。幸せなんだろうなって感じるよ」
ふと隣に視線を向けて、目を細めて笑む姿がまるで天女のようだと二人が騒いでいる。それに相槌を打つのは善逸だった。その奥に座る玄弥は胡蝶を見て真っ赤になっており、それを揶揄う時透は楽しそうだった。
炭治郎はといえば、泣きながらも目に焼きつけるように二人を眺めているせいで会話は疎かになっていたらしい。
「義勇さんもしのぶさんも幸せそうだ……あ、鱗滝さんちり紙どうぞ、」
「……すまん」
あっちもこっちも涙脆い奴が多い。悲鳴嶼の次に涙脆いらしいと錆兎から聞いたことがあるが、二人の師である鱗滝も、天狗面の奥で盛大に泣いていた。炭治郎たちとはすっかり爺孫のような様子に落ち着いている。
まあ、わからないでもないのだ。人さえいなければ宇髄とて、ほろりと来てしまうほど嬉しいものだ。事実伊黒と甘露寺の祝言が終わって家に帰り着いた時、我慢していた涙が零れ落ちてしまったわけなので。
「無事に終わりましたねえ」
「ああ」
何の心配も要らなかった。たとえ鬼が出ても鬼狩りの祝言に現れるなどとんだお馬鹿さんであるが、そんなのはもうこの世にいないのである。落ち着きのない者たちが暴れるかとも思ったがそれもなく、滞りなく祝言は執り行われ、終了したのだった。
この後もまだ大仕事が残っている。しのぶとしては一番といっても過言ではないほどのことだ。想いを自覚して通じ合い、少しは慣れたと思っても、やはりまだまだ照れて緊張してしまう。しのぶの心臓がひと晩耐えられるか不安だった。何をするかなども、書物で読んだ程度の知識しかないのだが。
ちらりと義勇を見上げると、久しぶりに感情の読めない表情が張り付いていた。
「……痣の薬。助けたい人がいたらしいな」
「……ああ、まあ、そりゃいますよ。死んでほしくないですもの」
しのぶの緊張がばれでもしたか、特に何も考えていないか。世間話のようなものをし始めた義勇にしのぶはとりあえず答えた。
恐らく姉が教えたのだろうけれど、本人から改めて突っ込まれると少々照れ臭い。
「………、自惚れかも、しれないが……」
「ここまで来て自惚れとかあります?」
本日祝言を終わらせた直後だというのに。呆れたしのぶが突っ込むと義勇は目を丸くして、少し照れたように視線を逸らした。
確かに、痣を出した者全員助けられるよう薬は作れたが、当時のしのぶは何より助かってほしいと考えた人がいたのだ。それは複数ではなく、たった一人である。
「私が助けたかったのは、あなたですよ。絶対に痣を出すだろうから、……出さないで、なんて言えないでしょう。あなただって、言うの我慢したでしょ」
「……気づいてたのか」
「何年見てきたと思ってるんです」
膝に置かれた義勇の右手の甲に触れ、しのぶは本心を口にした。その上から義勇の左手が重ねられ、小さく笑みを漏らして目を伏せた。
「ありがとう。お前が生きててよかった。痣も出さずにいてくれてよかった」
「……こっちはちょっと悩んでましたが」
結果的に倒しきり、研究のためにも長生きできるのはよかったと思うけれど、透き通る世界を視ることはできても、柱として痣の発現を求められていたのに出せなかったことは悩みの種でもあった。自分ではやはり無理なのだろうと落ち込んだものである。今はもう気にしないことにしたが。
「躊躇したから」
「え?」
「お前が本気の攻撃で無惨と渡り合うつもりだったら痣は出てただろう。捨て身で薬を取り込ませることにのみ神経を費やしたから、出す必要もなかった。それに」
攻撃を仕掛け、更に無惨の反撃から逃げるつもりで戦っていれば、しのぶに痣は出ていたという。そうだろうか。もはや確かめようもない仮定だ。
「出さないでほしいと俺は思ってた。お前もそれに気づいてたなら、……無意識下で躊躇してくれてたと、そう思うことにする」
「………、いやっ、そ、ち、違いますから! 戦いの場にそんな浮ついた気持ちでいません!」
「俺が勝手にそう思っていたいだけだから気にするな」
「気になりますけど!」
柱としてあるまじき思考を持っていたと思われるのは嫌なのだが、しのぶはそれ以上否定することはできなかった。
だって本当に、深層部分でそんなことを考えていたかもしれない。だが痣を出さなければ無駄死にするだけだったはずだ。義勇が庇ってくれなければしのぶは無惨に貫かれて死んでいた。
恐らくなかったとは思うけれど、どうせ本当にそんなことを考えていたら義勇は怒るはずだけれど。どうにも妙な方向に考えられてしのぶは何ともいえずもじもじといたたまれたくなり、包まれていた手を離そうとした。
「離れるな」
しのぶが手を引こうとしたのを感じ取ったらしく、義勇は静かな声で呟いた。ぴくりと肩が揺れてしまったが、義勇の目がしのぶへ向けられた。
「お前が生きていてよかった」
「……義勇さんも」
掴まれた手が義勇の口元へと持っていかれるのを眺めていると、そのまま引っ張られたしのぶの体は前のめりに倒れ込んだ。畳ではなく、布団の上でもなく、義勇の胸にぶつかった。
いつやられても落ち着かない体勢だ。これに慣れるのはいつになるのだろうと考え、慣れない状態で今から夫婦になるのである。ああ、恥ずかしい。耐えきれないかもしれない。
でも。
逃げたくない。義勇のそばにいたい。きっと義勇はしのぶの嫌がることを無理にしようとはしないだろうが、何をされてもいいから一緒にいたいのだ。
*
「せめて悲鳴嶼さんと錆兎と神崎と炭治郎と禰豆子の分は俺に出させてほしいんだが」
「何度言っても止められましたね。姉の祝言なんですから私が出すのは当然として、カナヲとアオイもいずれするでしょうし、すみたちのもあります。確かに残るものがありませんが、ちゃんと働きますし何とか出せそうだと申し上げたのにこちらも駄目です」
せめての人数が多い。
柱だったくせに貯金が心許ないなどという馬鹿みたいな話をしているのは、一人あたりの祝儀代が異常に高いせいである。
世間知らず共の説得を押し付けられた宇髄は、あまねと輝利哉のためにもこいつらの金銭感覚を正さなければならないとは思っていた。
だがそもそもこうなった原因は、周りが本人たちの祝言費用を一銭たりとも出させていないせいではある。
大半を負担しようとする産屋敷家を制し、悲鳴嶼が無理やり多めに金を出し、カナエも出し、宇髄を含めた同僚である柱たちも糸目を付けず出し、師弟だとか継子だとかもまた出したがったし出した。更には世話になったという隊士や隠、藤の家紋の家からも送られてきたわけである。ちなみに伊黒と甘露寺の時は煉獄家が悲鳴嶼と似たようなことをしており、二組とも自分の式なのに金を出していない。費用を支払っても尚多すぎたという。
まあ世間知らずというよりは、金を出したがる奴らが多すぎて我先にという競争のようになっているせいだ。自分の番が終わった冨岡夫妻と伊黒夫妻は、すっかり見届け役と金蔓役としか自覚していない。まあ、宇髄も似たようなものだが。
「俺は禰豆子にも恩がある」
「ええ、ええ、存じ上げておりますとも。あなた宝石とか着物とか、私を差し置いて禰豆子さんに贈りますからね」
「何だ、欲しかったのか。早く言え」
「欲しいわけじゃありません。羨ましいわけでもないです」
胡蝶の澄ました顔が冨岡からふいと逸らされる。宇髄にとっては見たことのない、何やら情けない表情を浮かべた冨岡が宥めるように肩を叩いた。その様子は夫婦と呼ぶには些か初々しく見えるが。
「よお。乳繰り合ってるとこ悪いが邪魔するぜ」
「そんなことはしてない。会話してるだけだ」
顔を出した宇髄に言葉を返した冨岡の眉根が寄せられ、胡蝶は胡蝶で驚いたらしく、少々照れたようにむすりとした。
「全くもう、悲鳴嶼さんはとんでもない額をお出ししたと聞いたんです。窘められる筋合いはありませんよ。私の姉の祝言なんですから」
宇髄が来た理由を知っていたらしい。立ち上がった胡蝶は茶を淹れてくると告げ、そのまま部屋を出ていった。誰にも見られていないと思っていたのだろうし、宇髄の突っ込みに対しての照れ隠しもあるだろう。何とも可愛らしいことで。
言いたいことはわかるが、あまねも輝利哉も隊士たちを平等に祝いたいという気持ちがある。煉獄家と悲鳴嶼から頼まれたことを無下にはできず許してしまったが、これきりにしたいと言っていたのだ。
「……悲鳴嶼さんには、よくよく世話になった。本当に」
「おう。俺も俺も」
悲鳴嶼と冨岡の関係は宇髄たちには推し量れないものがある。宇髄たちが世話になったのは悲鳴嶼だけではなく冨岡にも胡蝶にもだが、一番付き合いの長い冨岡が言うのだから、言葉には表せない想いがあるのだろう。
「金で幸せは買えないが。……せめてもの気持ちなんだ」
「……わからんでもねえがな」
何とも繊細な表情をする。
悲鳴嶼がカナエとの結婚を決めたことが嬉しいのはわかるが。隊士だった頃、宇髄から見た冨岡は本当に表情が抜け落ちていたから、上手く表情筋が働かないのだろうか。まあ、とにかく。
「今生の別れじゃあるまいし。会った時に飯食いに行ってさ、奢ってやればいいじゃん。友達ってのはそういうもんだぜ、たぶんな」
そう。今生の別れは少し猶予ができたのである。
一生に一度の祝言で渡したいものを全て渡そうとしなくても、時間はしばらくあるのだ。死ぬまでの間に少しずつ気持ちを渡していけばいい。
「どっちが出すかで揉めそうだが、そういう時は持ち回りで出すもんよ。煉獄が言ってたぜ」
「……そうか」
納得したのか冨岡は薄っすらと笑みを見せ、小さく頷いて相槌を打った。
豪勢な式になるだろう。冨岡のように援助したいという者は沢山いるのだ。伊黒たちと冨岡たちの式のように、とんでもなく盛大なものになるに違いない。まあ、慎ましい悲鳴嶼たちは恥ずかしがるかもしれないが。
「あとな、禰豆子に贈り物はそろそろやめといてやれ」
「売り払えば金になるんだから、置いといて損はないだろう」
「そうだけど、さっき見ただろ。強がり言ってたが女房は妬いてんだからやめてやれよ」
目を丸くした冨岡が数秒動きを止め、照れたように眉を顰めて盗み聞くなと口にした。
聞くつもりはなく聞こえただけだ。何で未だに照れるのか宇髄にはさっぱりだが、この初々しさを楽しむ奴の筆頭が悲鳴嶼である。まあ確かに、可愛いものだと宇髄も微笑ましく思えるが。
「我妻もいるしな。お前あいつに相当恨まれてんじゃねえ?」
「あいつにはわかってもらってる。感謝の印だと言ったらぶすくれてはいたが」
「ぶすくれてんじゃねえか」
「何かあれば売り払えと言ったら、できるわけないだろと。律儀な奴だ」
「お前なあ」
「……控えるようにはする」
禰豆子は恐縮しきりで困っているという話だったが、胡蝶と同じようにむすりとした冨岡は、小さく呟いて目を逸らした。
女房が妬いているとわかれば緩和するらしい。不義でも働いていると思われては最悪だし、ならばさっさと教えてやればよかったと思うが、胡蝶自身も冨岡の好きにさせたかったのかもしれない。全く仲の良いことで。