偽りのない

 ――悲鳴嶼さんはずっと、しのぶとあなたが仲良くしてるのを喜んでたわ。
 覚えてる? 良家のお嬢さんと縁を結んでほしいって、悲鳴嶼さんはずっと言ってたって教えたことあるでしょ。
 あれね、しのぶのことよ。二人とも全然そんな感じにならないから、悲鳴嶼さんやきもきしちゃって。見守ってるのが凄く楽しそうだった。そんなところ見て、可愛いなって思ったのよ。ずっと前から格好良いと思ってたけどね。
 私ね、悲鳴嶼さんのことが好き。あの人以上の人なんていないもの。わかるでしょ義勇くんなら。義勇くんの中の悲鳴嶼さんに勝てる人っているのかなって、私でも思うもの。
 ……でもしのぶなら。あなたが一番しのぶを理解していたし、しのぶもあなたを理解していたから。
 きっとね、痣の薬は寿命の前借りを完全に克服できるものではない。そんなものはこの世にあってはならないものだと思うもの。でも、寿命なんて気にしないで、自分のしたいことをしてほしいの。
 まだあるでしょ? きっとあるわ。だってしのぶは生きてるわよ。二人でしたいこと、あったんじゃない?
 沙代の元へ行く前、カナエは独り言のように話していた。それを止めることなく義勇はただ聞いていただけだったが。
 諦めだとか納得だとか、色んな感情が渦巻いていた。禰豆子とカナエが言った言葉をずっと考えながら、義勇はようやくそれを受け入れたのだ。
「……お前は知ってたのか。俺が気づいたのは柱稽古の時だが」
 賑やかに蝶屋敷へ帰ってきた義勇たちを出迎えたカナエが義勇の部屋へ干していた掛け布団を置きに来た時、小さく問いかけた。
「あら、随分かかったのねえ」
 何を、とは言わずとも、カナエは義勇の話をどうやら間違いなく理解してくれたようだった。その上で揶揄うような言葉が笑い声とともに向けられた。
「でも私、知らなかったわ。ただ、そうだったらいいなって思ってただけ。ふふ、嬉しいなあ。教えてくれたってことは言うのよね?」
「……禰豆子けしかけたのもお前だったな」
「あれは義勇くんの攻撃をどうにかしたいって言うから、ちょっと手伝っただけよお。痣のこともあるからたぶん頷かないだろうと思ったし」
 知らなかったのなら言わなければよかった。項垂れた義勇の背中を慰めるようにカナエの手が叩く。全てお見通しなのかと思えばこれだ。まあ薄々気づかれていた可能性もあるが。カナエが一番義勇を理解して翻弄しているような気もしてしまった。
「……義勇くん、後悔しないでね。私もしたくないから、……怖くて仕方ないけど、頑張って伝えるわ」
「……そうか」
「本当よ。見守ってくれててありがとうね」
 義勇が悲鳴嶼とカナエのことを観察していたことは、いつからか気づかれていたようだった。
 最初こそしのぶと一緒になって見守っていたわけだが、やめようと言われた後も義勇はひっそりと気にしていた。彼女の気持ちを知っている者は恐らく皆そうしていただろう。
「あ、悲鳴嶼さん!」
「、おい」
 扉を開けた廊下の先に悲鳴嶼を見つけたらしく、カナエは元気良く名を呼んだ。慌てて後を追うように廊下へ顔を出したが、これは止めていいのか躊躇した。廊下には宇髄とか神崎とか、炭治郎と我妻、少し離れたところに不死川までいたのだし。
 後悔したくないとカナエが言うのだから、止めるのは野暮というものだ。それはわかるのだが。
「私、悲鳴嶼さんのところに嫁ぎたいの!」
 怖いと言ったのは何だったのかと問いたくなるような、朗らかに笑ってカナエは悲鳴嶼へ言葉を口にした。唖然とした悲鳴嶼が固まり、炭治郎と我妻が頬を染めて照れ、宇髄が興味津々に観察し始めた。宙を彷徨う義勇の手をどうするか悩み、静かに下ろすことにした。
「何を突然」
「だってほら、青い彼岸花の経過も見たいし、車椅子も大変でしょう? お世話必要だと思うんです」
 狼狽えた悲鳴嶼は珍しい。だが彼は傍観者に徹することを好む。そのおかげで義勇は同僚の感情を知ってしまっているのだ。
 悲鳴嶼が不死川の気持ちを無視してカナエを受け入れるかどうかは、カナエの腕次第というところだろうか。
 振り向いて確認するのは憚られたが、立ち止まっている不死川の気配は静かなものだった。
「カナエ、」
「それに何より、私が悲鳴嶼さんのそばにいたい」
 笑っていた声音が小さく震え、悲鳴嶼が更に狼狽えた。
 義勇からはカナエは後ろ姿しか見えず、悲鳴嶼の表情と、炭治郎と我妻の少し心配そうな顔しか見えなかった。
「ずっと、ずーっと、悲鳴嶼さんしか見てこなかった。一緒に戦えるのが羨ましくて。恩人だって言うんだもの、きっと義勇くんには一生勝てないのもわかってるけど」
 一世一代とも思える涙ながらの告白に、何故自分の名前を出してきたのかとひっそり義勇は呆れてしまったが。
 手の甲で目元を擦りながら好きだと伝えるカナエの姿はきっと最初で最後だ。義勇には、何年も溜め込み続けたものを吐き出せていることが少し羨ましかった。
「お嫁さんじゃなくていいから、私をそばにいさせてください」
 良いな。無事に伝えられたカナエが眩しくて羨ましい。
 ――後悔しないでね。
 ――せっかく生きてるのに。
 義勇に向けられた言葉は深く心に刺さっていた。
 そうだな。確かに、本来いつ死ぬかなど人には見えないものだった。早かろうと遅かろうと関係ないのだ。悲鳴嶼がカナエをそばに置きたいと思うならそれで。
「……あー……悲鳴嶼さんよォ……あんた何か、無駄に他人気にしてるみてェだが……」
 後ろにいた不死川が義勇を通り過ぎてカナエたちに近寄っていく。横顔は少し呆れたような顔をしていて、負の感情は読み取れなかった。
「そもそも何も言わねェってことはばれたくねェってことだろ。そんなうじうじしたクソ野郎気遣うより、あんた自身の気持ちを考えてみればいいんじゃねェのォ」
「……そうそう! 女に恥かかせんのはどうかと思うぜ? あとは冨岡の馬鹿ばっか面倒見るなってことだな。あいつも地味に世話してくれる奴くらいいるだろうしよ、なあ」
 急に振られた話題に義勇は何も言えずに黙り込んだ。
 そんなものはいないと言いたかったけれど、義勇にも場の流れというものは少しくらいは読める。不死川に乗っかった宇髄の言葉は悲鳴嶼を焚きつけるためのものだろうと判断した。
「………、……少し、考えさせてくれ」
「……はい」
「冨岡も来いよ、しばらく不死川んとこいろって」
 ぐすぐすと泣くカナエは悲鳴嶼の車椅子を押し、義勇と悲鳴嶼の病室へと入っていく。じゃあな、と宇髄は楽しげに二人に声をかけ、義勇と不死川の肩に腕をまわして無理やりその場を後にした。
「俺の胸貸そうか?」
「ふざけんな、いらねェわ」
「俺の胸は……」
「おい、てめェが何で知ってんだよォ!?」
 義勇が宇髄に倣って口にしたことに不死川は察したらしく、怒っているかのように顔を強張らせて焦っていた。
 何でといわれたら、悲鳴嶼に聞いたからとしか言いようがないのだが。

「帰ってたんですね、おかえりなさい。どうでした二人旅は」
 本当は帰ってきているのに気づいていたが、何だか騒がしいことになっていたので知らぬ振りをしていた。
 姉が無事悲鳴嶼に想いを告げたらしいということも、悲鳴嶼が考えさせてほしいと言ったことも、すでに蝶屋敷内では疾風のように噂が飛び交った。不死川が悲鳴嶼の背を押して仲人になっただとか、寂しげに二人を眺める義勇が本当はカナエを想っているのでは、なんて憶測も。
「帰りは炭治郎と我妻と嘴平がいた」
「あらあら、せっかく悲鳴嶼さんと散歩だったのに」
「楽しかった」
「そうですか。ならよかったですね」
 悲鳴嶼を一人にさせたくてしばらく不死川と宇髄に付き合っていたらしいが、やがて話し終えた義勇は何故かしのぶの私室へ顔を出した。最近はそれもなくなっていたのに、意識しているのはしのぶだけだったというのが丸わかりで少々不満だ。
「……いずれはお屋敷に帰るのでしょうし、定期的に行かれるなら義勇さんも留守を任せるお嫁さんとか貰わないとですね。あなたにもあるでしょう、一緒にいるならどんな人がいいって」
 個人的には姉や禰豆子のような朗らかで世話焼きな人でなければいけないと思う。義勇は物静かで口数も多くなく、一緒になって沈んでしまうような女では駄目だし、しのぶのように可愛げがない女も気の利かない女ももっと駄目だ。
 もっとこう、義勇を理解し尽くしている者でなければ。
 悲鳴嶼がもしカナエを受け入れてくれたなら、義勇も考える余地を持つかもしれない。産屋敷家や鱗滝も縁談を持ってくる可能性だってある。胸が痛い。
「……俺は至らないところが多いから、色々と注意してくれる人が良い。怒られるのは避けたいが」
「………。そりゃ、そうでしょうね」
 義勇の中で理想とする人がすでにいるのか。自分から問いかけたはずのしのぶは大層驚いた。
「あ、で、でも、あんまり口が達者だと可愛げもありませんでしょうし、毎日顔を見るお嫁さんなら愛嬌はないといけません」
「可愛げ……? いつも可愛いが喜んでる時は殊更可愛いと思う」
「………!」
「それに、頼りになった。ずっと」
 誰かを想定している。
 義勇の中で可愛いとはっきり思う人物がいて、娶りたいと明確に自覚している。
 それが成就するのかどうか、しのぶは考えた。姉ならば義勇は想いを昇華することはないだろう。彼女は彼女で悲鳴嶼以外に嫁ぎたいとは思っていないと言っていたそうだし、それはしのぶも端々から感じ取っていた。
「誰か一人と一緒にいるなら、しのぶが良い」
「―――」
「一生面倒を見られるかといえば無理だろうが」
「………、はい?」
 跳ねたはずの心臓がいつもの心拍数に戻り、眉を顰めたしのぶはつい睨むような目を義勇へ向けた。今までと変わりない感情の沈んだ目がこちらを見つめていたが。
「年頃の娘を面倒見るなら触れても良いと言っただろう」
「良いとまでは言ってませんけど……」
「そうか。……薬で寿命が見えなくなっても、痣者が早死にする可能性は限りなく高い。利き手も使えないし役には立たない。だが、お前が許してくれるなら、俺が死ぬまではそばにいたい。そう思い直した。……触れたいと思う。たぶん、もうずっと前から」
 適当にしのぶの突っ込みを流した義勇に気分を損ねたのに、しのぶはその後言葉をすぐに紡げなかった。
 唇を噛み締めていなければ、恐らくしのぶは情けない顔をしていただろう。
「……私が頼りになったんですか」
「いつも俺にできないことをしてた」
 墓まで持っていくつもりだったのに。そんな言葉を吐露されて、馬鹿みたいだとしのぶは溜息を吐いた。頼りにされていたことも、本当は知っていたはずだった。自分の力の無さを恨めしく考えて、勝手に自分を卑下していたのだ。
 だが全てが終わった今、しがらみなどないはずの今、義勇の言葉を反芻して、死ぬまでそばにいられたら、それは確かに嬉しいだろうと考えたのだ。
「……そうですね。私もあなたと一緒にいたいです」
 顔を上げて義勇へ目を向け、しのぶはゆるりと笑みを見せた。少し驚いたように目を丸くした義勇は、やがて目を見張るほど柔らかい笑みをしのぶへ向けた。
 昔、狭霧山で見せたようなはっきりとした笑みだった。
 こんな未来は夢物語だと思っていたのに。

「ある日を境にお前は俺と話す時緊張するようになった。触るなとも言われたが大丈夫なのか」
「それわざと聞いてます?」
「俺はまた何か間違えたかと思った」
「間違えたといえばそうかもしれません」
 変に言葉をくっつけなければ、しのぶも意識して自覚することはなかったように思う。そう考えると間違えたといえるかもしれない。
「私、言わなければならないことがあるんです」
 まあ、いつかは自然と自覚していたことのような気もするが。
 しのぶが緊張していた理由を素直に話す気はない。可愛げがなくても義勇はしのぶを可愛いと思ってくれているようなので、許してくれるだろうという甘えだ。
 その代わり、きちんと伝えることにした。
「意地を張って……傷つけてごめんなさい。……私もずっと、義勇さんばかり見てました」
 最初に助けてくれた時から、義勇のことを追い続けていた。自分が考えるよりも、しのぶは義勇のことを大事に思っていたのだ。
 それに気づいたのは、もう随分経ってからだったが。