カナエの最終選別としのぶの行く末

「悲鳴嶼さん」
 階級も下から数えたほうが早かった頃は怪我ばかりして療養に時間を取られていたが、義勇も最近はそんなこともあまりなくなってきていた。そもそも階級すらあまり意識することがなく、悲鳴嶼や錆兎に言われてようやく確認するということも多い。今回も言われてからすでに丙に上がっていることに気づき、錆兎から呆れと悔しげな視線を向けられることとなった。
 まあ、それはいい。悲鳴嶼は気づいた時には柱になっていたし、やはり義勇とは元々の資質が違うのである。そんなことを言えば錆兎は怒るので言わないが。
「……二人揃ってどうした」
 勝手知ったる悲鳴嶼の屋敷に顔を出すと、念仏を唱えていた悲鳴嶼は振り向かぬまま声をかけた。鱗滝からの手紙で気になることが書いてあると伝え、錆兎と二人で上がり込んだ。
「一先ずカナエは最終選別を通ったと」
「………、そうか……」
 ほろりと悲鳴嶼の目から涙が流れ落ちる。
 鬼狩りになることを止めることはできずとも、ならないでほしいという思いは変わらないのだろう。できることなら誰もが安全な場所で幸せに生きていてほしいというのは義勇にも理解できる。二人に関しては義勇が引き込んだようなものなのだが。
「それで、刀鍛冶の里から日輪刀を受け取ったんですが、刀身は桃色に変わったそうです」
「ふむ……桃色か。水の呼吸ではなく別の適した呼吸法があるのだな」
「はい。先生は恐らく花の呼吸ではないかと。水の呼吸の派生だそうですが」
 花の呼吸、と考え込むように呟いた悲鳴嶼はしばし黙り込んだ。
 義勇も任務で会う者たちの技はそれなりに見てきたが、花の呼吸というのはまだ見たことがなかった。錆兎も見たことがないという。
「私も花の呼吸の隊士に会ったことはないが……お館様にお聞きすればわかるだろう。鱗滝殿は何と?」
「育手を紹介していただくつもりだと」
 鱗滝はすでに産屋敷に文を送るつもりらしく、カナエはその返答次第で花の呼吸を会得する。すでに合格して刀を受け取っている以上任務と並行して花の呼吸を覚えることになるが、それもカナエならばやると言うのだろう。
「しのぶの様子は?」
「………。先生の見立てでは、隊士に向いていないそうです」
 もうすぐ十一になるしのぶは筋力が十四になったカナエに劣るのは当然としても、年齢を差し引いてもひと際力が弱いのだという。岩の修行まで進んだは良いが、そこから全く動かすことができないらしい。修行を最後まで終えたとしても、年齢的にもまだ最終選別に行かせるつもりはないらしいが。
「……そうか」
 刀を振るう筋力がつかず、水の呼吸の型を扱うことが難しい。あれでは鬼の頸を斬ることは叶わないだろうというのが鱗滝の見解だった。
「鱗滝殿がそう言うのなら間違いないのだろうな。師からの許可が得られなければ隊士にはさせられん」
「………」
 負けん気が強いと鱗滝から聞いているし、実際義勇が療養中に話していた様子も勝ち気な部分はよく見えた。姉が穏やかな分、妹は気を張るのだろうかと思っていたものだったが、しのぶがそう簡単に諦めるとは思えない。頭を下げてまで教えを請うた時の目は、カナエと同様のものだった。
「………。お前、もう少し狭霧山に顔出してやれば? 俺より行ってないだろう」
「何で?」
 義勇の問いかけに錆兎の首ががくりと項垂れる。呆れたような溜息が聞こえてきた。
「お前が二人を気にかけてやれよ」
 何故。わかりにくいかもしれないが、義勇はこれでも気にかけている。妹弟子だし。こうして鱗滝が様子を教えてくれるたび、悲鳴嶼に伝えに来るくらいには。
「成程、それは良い……お前も後輩というものに目を向けるべき階級になった」
 悲鳴嶼からの援護のような言葉まで飛び出し、義勇は驚いて二人を凝視した。何を驚いているのかとまた呆れた顔で錆兎が見てくるが、義勇としては何故驚かないのか不思議である。
「そ、そういうのは錆兎のほうが」
「あのな、俺はまだ己だぞ。お前差し置いて俺が教えるのはおかしいだろ。男が駄々をこねるな見苦しい」
 誤魔化そうとしたようだが悲鳴嶼は錆兎の言葉で笑った。人にものを教えるのはきっと錆兎のほうが向いていると言っただけでこれだ。何故ここまで言われなければならないのだろう、解せない。
「……まだ丙だ、教えるような立場にない」
「じゃあ教えなくていいからもっと話をしてやれ。お前が連れてきたんだから面倒見てやるんだ」
「……成程」
 鬼狩りになるために師を紹介したのだから、最後まで手助けをしろということか。それならば一応納得はできる。それでも義勇より錆兎のほうが何かと上手いと思うのだが。
「お前たちは良い関係だな……大事にしなさい」
 はらはらと涙を流して義勇と錆兎を微笑ましく眺める悲鳴嶼は、両手を合わせて嬉しそうにしていた。

 鍛錬というのは積み重ねの連続だ。そんなことは誰にでもわかっていることだろうとは思う。
 焦りは禁物である。カナエが隊士となり狭霧山を降りて花の呼吸の会得と任務に明け暮れ始めた頃、姉を心配するしのぶには自身の鍛錬に集中するよう鱗滝は言い聞かせていた。姉が出ていってから目に見えて集中が途切れることが増えたので、負担は増えるが悲鳴嶼にカナエの様子を見てもらうよう頼むことにした。悲鳴嶼の言葉ならしのぶも安心できるだろうと思ってのことだ。
 姉の安否も、能力面で大きく離されることも心配なのだろう。年齢差があるのだから仕方ない部分もあると思うが、それを差し置いてもしのぶはやはり中々背丈が伸びなかった。
 刀を振るう筋力はつかず、だが雫波紋突きの威力だけはずば抜けている。鱗滝から聞いた話だ。突き技を極めればあるいは、岩の呼吸のように特別製の日輪刀を振るう呼吸を扱うようになれる可能性があるのではないか。
 要するに、派生の呼吸ということだろう。しのぶが押したという大岩は、手で押した部分だけに凹みが生じていた。ずり動いた様子もないので、岩を動かすことはできていない。
「……やっぱり、私には向いてないんでしょうか」
 カナエはしばらくすれば少しずつでも岩が動いていたという。動かした大岩を斬ることもできていたらしい。鱗滝が最終選別に行かせたのだから当たり前だ。
「……羅馬は一日にして成らずという言葉があるらしい」
 塵も積もれば。思う念力岩をも。一芸は道に通ずる。
 しのぶの突きの力は普通に考えれば鬼殺には使えない技だろうが、それを極めてどうなれるかを義勇は知らない。鱗滝もきっと知らないだろう。
「続けることで見えてくるものもある。諦める以外のことももしかしたら」
 勝ち気なしのぶがほんの少しばかり所在なげな顔をして義勇を見上げた。
 そういえば、ここ最近は本当に笑うことが少なくなったと自分でも感じていた。心頭滅却を心がけていたらいつの間にか表情も抜け落ちてしまったようだった。錆兎がいれば頬を抓ったりしてくるが、今日はいないので自分で笑わなければいけない。
 狭霧山に来る時は自然と口元が緩むのでそれでいいかと思っていたのだが、錆兎からすれば以前より笑っていないのだそうだ。
「……まだ十一になってないだろう。あまり思い詰めるな」
「でも、もうすぐなりますし、姉さんは一人で頑張り過ぎるから……」
「悲鳴嶼さんがいるから大丈夫だ」
 暗くなりかけたしのぶの表情がぱっと明るくなり、それにつられるように義勇の口角も上がるのを自覚した。人から笑顔を向けられれば自然と義勇も笑うのだ。錆兎はやはり心配し過ぎだと思えた。
「悲鳴嶼さんなら姉さんも好きだからきっと嬉しいはずです!」
「俺も好きだ」
「私も好きです」
 悲鳴嶼がそばにいるだけで皆安心するし、義勇も錆兎を連れてよく彼の屋敷に行っては同じように鍛錬をする。任務で鉢合えばこれほどの安心感は得られないだろうと思えるほどだし、義勇も常々ああなりたいと思ってはいる。天と地ほど差があるが。
「ちょっと元気出てきました。見ててください、直すところがあったら容赦なく言って」
「わかった」
 悲鳴嶼の名前を出しただけで元気になったしのぶは、岩に触れながら息を整え一点集中し始める。木の根に腰を下ろしてその様子を眺めた。
 反復動作で出した力が今まで以上に強いものだったのか、それとも何度も突かれた結果、岩が耐えきれないまでになっていたか。正直義勇は考えることもできず目の前の光景から目を離せなかった。錆兎が見ればきっと何を考えているのかわからないと称する顔で。
 あえて状況を説明するとすれば、しのぶが押そうとした大岩はしのぶの小さな手で突かれた部分からひびが入り、岩全体に広がった。当のしのぶも唖然として固まったし、何故か飛んできた欠片が頭に当たり、そこでようやく義勇は我に返った。
「……先生を呼んでくる」
「あ、ど、どうしよう……怒りませんか?」
「たぶん、怒らないと思う」
 驚きはするだろうが。
 あんな大岩にひびが入るとは、悲鳴嶼でも意外と手こずる芸当ではなかろうか。しのぶの力は義勇と比べても非力といえるほどのものだ。それを突きの力だけであそこまでできるなら、振るう力が弱くてもできることがあるのではないかと期待してしまう。
 危ない目に遭わないでいられるならそれに越したことはないけれど。
「………、ひ、ひびを入れただと?」
「ごめんなさい」
「いや……これは、……突きで入れたのか」
 鱗滝は弟子を疑わない。彼が見ていない間に起きたことも、弟子からの報告を全て信じてくれる。非力さをわかっているだろうしのぶが岩にひびを入れたということもすんなりと信じてくれた。鼻が利く鱗滝には嘘がわかるのだろうが、それが義勇にとって何より嬉しいことであり、恐らくしのぶにとってもそうなのだろうことを知っている。
 鱗滝も悲鳴嶼も、錆兎もカナエも。しのぶも義勇にとって何にも代えがたい者たちだった。
「岩を斬る試練もまだなのに……」
「………。……壊すまでいけば同義では……」
「ちょっと待ちなさい義勇」
 さすがに斬るのと壊すのでは違うらしい。面の上から額を押さえつつ、鱗滝は一つ息を吐いてからしのぶに向き直った。
「……花の呼吸を覚えてみるか」
「え?」
 気を取り直した鱗滝から飛び出したのは意外な言葉だった。
「……お前の突きの力は恐らく水の呼吸を適正とはしていない。かといって花の呼吸とも違うだろうが……技を練るには多くの技を知るほうが良い」
「技を、練る……」
「お前だけの呼吸法があるはずだ。作りなさい」
 鱗滝の言葉を聞いたしのぶはしばし固まり、やがて双眸から涙を溢した。慌てて乱暴に拭い始めたので、義勇は羽織の袖でしのぶの目元を押さえた。あまりに擦るので痛そうに見えたのだ。
 不安だったのだろう。年齢差があれど姉は順調に最終選別まで生き残り、水の呼吸が合わなくても任務に支障なく扱うことができる。義勇からすればまだ十二にも満たない娘が厳しい修行についていっているのは凄いことだと思っているが、本人はそうはいかないのだろう。義勇が十一の頃は、悲鳴嶼のところで泣いていた記憶しかない。
「義勇も手伝ってやると良い。きっと勉強になる」
「……はい」
 技を練る。作っていいのか。自分の力でできることとしたいこと、全てが思い通りになるようなものを。理想のとおりのものができるかどうかなどは誰にもわからないけれど。
 良いな。しのぶだけの型を作ることができるなら、それは大勢の人が助かるようなものにするのだろう。