任務依頼

「……この采配はきみが? 私が役に立つと踏んだのか、本当に」
 煉獄家に現れたのは柱稽古中のはずの冨岡だった。
 父と煉獄自身に依頼があると文を寄越し、打診のためにこうして煉獄家を訪れた。竈門のことで何かあるのかと父は少し気がかりだったようだが、現れた冨岡から父への負の感情は感じられなかった。彼は昔からそうだったが。
 要件とは近く起こるであろう鬼舞辻無惨との決戦。その際現在の場所から移転させた新しい本拠地を護衛する任務依頼ということだった。
 父は非常に驚いたらしく、思わずといったような様子で一言問いかけたのだった。
「はい。……現役の柱を護衛にまわすことはできません。かといって他の隊士たちに頼めるような任務でもない。元柱のお二人にしか頼めないことです。煉獄には、病み上がりで無理をさせるが」
「構わない、俺を頼ってくれたことは嬉しいからな!」
「詳しくは後日席を設けますが、鬼舞辻無惨の滅殺は……鬼の手も借りるような計画です。鬼殺隊の関係者を総動員して挑まなければならない。すでに現役を退いた柱であろうと」
「ああ、特例として隊士扱いされている鬼がいるとは息子から聞いたが。人を喰わず太陽を克服したという」
「――別に協力者がいたのか」
 静かに煉獄を見据えた冨岡は、黙ってこくりと頷いた。
 話の流れからしてそれは竈門禰豆子ではなく、別の鬼が鬼殺隊に協力している。煉獄の言葉に父は驚いた後、何とも複雑な顔を晒して黙り込んだ。泰然自若とした冨岡の空気は乱れることがなかった。
「鬼の医者です。少量の血を飲んで欲求を抑えている」
 父と同様に煉獄も息を呑んだ。
 そんな鬼が、存在したのか。
 竈門禰豆子だけではなく、他にも人を襲わない鬼が、人を助ける医者として。それを冨岡は知っていたのか。
「此度の護衛は産屋敷家のためのものではなく、鬼の娘である竈門禰豆子の護衛です。人間返りの薬を投与し、鬼舞辻無惨が狙う太陽を克服した鬼の存在を抹消する。薬はその鬼の医者と胡蝶姉妹の共同開発です」
「胡蝶姉妹、というと……蝶屋敷の子たちだな。そうか……」
「――そうか、秘密裏に動いてたのか。気づかなかったな!」
「気づかれては困る。だが、俺自身は何もしてない」
「そうでもないぞ、こうして交渉に来るのも任務の一環だろう」
 竈門兄妹を匿っていた二年前からの計画なのだろうか。
 人を喰わない鬼が現れたことで、鬼殺隊がやるべきことは鬼を斬るよりも重要なものができたように思える。冨岡の慧眼は恐れ入るばかりだった。
「きみは鬼を見る目があるな!」
「鬼の医者を見つけたのは炭治郎だ。全部あいつらが現れたから事態が動いた」
「その竈門兄妹を引き入れたのはきみだ。他の誰にも真似出来ないことだぞ」
「………」
 ほんの少しだけむ、と唇が動いた気がしたが、冨岡は煉獄の言葉に黙って息を吐いた。そして父へと目を向け、答えを待つように見据えた。
「……事態が動いた、か……確かに、上弦の鬼が立て続けに倒されたとも聞いた。竈門くんが鍵だったのだろう。その鍵をきみが連れてきてくれたんだな」
 始まりの剣士が使った日の呼吸を神楽として継承していた竈門家の子孫。煉獄自身は詳しく聞いていないが、竈門から話を聞いた父が言うにはそういうことらしい。耳飾りと黒い刀、そして痣が特徴なのだという。その呼吸法は鬼舞辻無惨を打ち倒すためのものだった。炎柱の手記にはそうあったという。
「わかった。私で役に立つのなら是非」
「ありがとうございます」
 深く頭を下げた冨岡に父が少し困っていたが、やる気になってくれたと煉獄は喜ばしい限りだった。

*

 鬼舞辻無惨打倒の計画。柱を退いて久しい鱗滝に直接的に依頼が来るとは思っていなかった。
 近いうち産屋敷邸に現れるはずの鬼舞辻無惨を迎え討つために、今は最終準備に入ったらしい。鬼殺隊本部を移転し、歴代当主が断固としてつけなかった護衛を置くのは、そこにいるのが当主だけではないからだという。
 鬼の娘に人間返りの薬を投与し、その経過の確認、及び保護のために鱗滝が呼ばれた。護衛は当主ではなくその娘のためのものなのだと産屋敷は言ったという。
「人は喰いません。今まで黙っていたことは、」
「いい。お前が柱として判断してきた結果だ、儂が言うことは何もない」
 狭霧山に現れた義勇は板張りの床に手をつき、深く頭を下げて今までのことを鱗滝に伝えた。
 任務の最中二人の兄妹に会い、他と逸した様子を見せた鬼の娘に希望を見出した。だから匿うことを決めたのだと言った。
「……ありがとうございます」
 安堵したらしく義勇の空気が少し和らぎ、顔を上げるよう伝えると素直に姿勢を戻した。
「兄は隊士か。お前が修行をつけたのか?」
「……はい」
 継子ではなく弟子だという。カナエとしのぶの手伝いもして時間もあまりなかったのではないかと思ったが、そこは上手く作っていたようだ。早々にこちらに言ってくれれば手伝ったものを、どうやらカナエたちのことで頼ってしまった手前、二度も頼るわけにはいかないと考えたらしい。弟子の頼みは何度でも聞きたいものなのだが。
 己の知らぬ間に腹まで懸けて、知っていれば鱗滝も確実に同じように名を連ねていた。むしろ悲鳴嶼を巻き込むまいとしただろう。結局は鱗滝にその気遣いは向けられてしまったわけだが。

「――あなたは」
 一礼して敷地内に足を踏み入れ、庭に立っていた男が近寄ってくる。見覚えのある風体は鱗滝の記憶の中にもあった。
「育手の鱗滝という。炎柱とお見受けする」
「ああ、いえ、俺はもう柱を辞しています。あなたが冨岡の師匠ですね。どのような方かと想像しておりました!」
 快活で朗らかな青年だ。少々目が合わないが、人好きする笑みを見せて話しかける姿は好印象を抱かせる。彼は煉獄杏寿郎と名乗った。成程と心中で鱗滝は納得した。
「彼の鍛錬には俺も他の柱も参加して、よくよく世話になりました。鱗滝殿の教えの賜物ですね!」
「……儂は何もしていない。義勇の鍛錬は悲鳴嶼殿に影響されたからこそのもの。あの子は自分で必要な鍛錬を己に課していた」
「成程。悲鳴嶼さんとも面識が?」
「ああ、何度かお会いした。彼に聞いてから修行内容も殊更厳しくして……」
「ははは、成程! 俺自身もそうですが、彼の実力は教わってきたもの全てを受け継いだ結果です。あなたが何もしていないなどということはないでしょう」
「……そうだな」
 よい青年だ。義勇の実力を評価しながら、鱗滝にも気を遣う。隊内でも彼を慕う者は多いだろうと容易に想像がついた。柱を辞していようと護衛を任されるほどなのだから。
「ありがとうございます!」
 煉獄と話していると現れたのは隠で、その背に乗っている少年を連れてきたようだった。溌剌とした挨拶が隠に向けられ、目隠しと鼻栓を外される。少し赤みがかった大きな目が現れた。彼の背中には箱が背負われている。
 少し嗅いだだけでわかる真っ直ぐで優しい子だ。鼻栓までしていたのは、もしや鱗滝と同様に鼻が利くのかもしれない。
 こちらへと近寄りつつ、鱗滝には窺うような目を向けながらも挨拶をした。
「竈門少年か」
「はい! あの、こちらの方はもしかして」
「揃うまで待つといい、冨岡も来るからな。父もおります故」
 煉獄の言葉に頷いた少年は、鱗滝へ会釈をしつつ従った。
 煉獄の父上。恐らくは鱗滝の時代とは少しずれているはずだが、息子がこれなのだから髪色も同じなはずだ。遠い記憶の中にこの髪色が二つあったことを思い出した。
「杏寿郎、冨岡くんは来てるのか? ……ああ、これはご無沙汰しています。私がまだ駆け出しだった頃に何度か父を訪ねてくださいましたね」
「こちらこそ。……先々代、儂の時代はきみのご祖父が炎柱だったかと記憶している」
「………! 成程、大先輩ですね!」
 大興奮したらしいが、あまりに大きな声に少々耳が痛くなりそうだった。大人しく静かな義勇とは正反対にも思えるが、それが意外と不快にならないのは本人の気質によるものだろうか。鱗滝の言葉に少年も驚いた顔をしていたが、煉獄が火と水の歴史を語ろうとし始めた時、覚えのある気配が近づいてきた。
「む。冨岡が来たようですね。話の続きは後ほどお願いしたい!」
「そのくらいならいつでも」
 屋敷の影から現れた義勇は集まった鱗滝たちに向かって頭を下げた。その時座敷から子供の声が皆を呼び、全員が新しい鬼殺隊本部へと上がることになった。
「皆様ありがとうございます。お上がりください」
 現当主の子息と息女二人が揃って深く頭を下げ、鱗滝たちも手をついて各々挨拶をした。
 耀哉はすでに動くこともままならず、無惨討伐の計画のためにもまだ旧産屋敷邸に留まっているらしい。齢八歳だが時期当主である輝利哉がこの面々での会議の指揮を進めるようだ。
「禰豆子は連れてきてるな」
「はい! 隠の人に連れてきてもらうので、箱に入ってたほうがいいかと思って箱に」
 義勇の弟子の竈門炭治郎、そして輝利哉たちも面識がある鬼の娘、禰豆子。輝利哉が促すと炭治郎は箱を開け、出てきたのはまるで幼子のような子供だった。立ち上がった時、幼子は炭治郎とそう変わりのない年頃の少女になった。
「こ、こんにちは!」
「こんにちは」
 輝利哉が答えると禰豆子は満足そうに笑い、今度は鱗滝に近づいて天狗面に手を伸ばした。輝利哉たちや煉獄よりもまず鱗滝の天狗面に興味が湧いたのだろう。
「あ、こら、禰豆子!」
「構わん。子供のすることだ」
 禰豆子のしたいようにすればいい。面を外されるのは少し困るが、それも子供がじゃれつくようなものだろう。禰豆子が敵意も何もない子供であると鱗滝は一瞬で理解し、受け入れることにしたのだ。炭治郎は嬉しそうに笑みを向けた。
「では、竈門禰豆子の経過観察は鱗滝殿に、本部の護衛は我々二人が担うということでよろしいですね。柱を辞して久しいですが、与えられた指令には全力を尽くします」
 敵は上弦の鬼、そして鬼の始祖、鬼舞辻無惨だ。現役の柱を護衛にまわすわけにもいかない。かといって下級の隊士に任せるわけにもいかないのだから、自然と集めるのは引退後の柱ということになるのだろう。辞したばかりの炎柱と、比較的若く五体満足の先代炎柱ならば、十二鬼月相手に倒せないとしても粘ることもできよう。義勇の育手である鱗滝が呼ばれるのも理解はしている。現役から退いて何十年と経つので元炎柱二人より劣りはするだろうが、役立たずに成り下がるつもりはない。
 この若さで柱を辞したというのなら、それは現役でいられないほどの怪我を負ったということだ。片目を覆う眼帯以外にも、恐らくは。
 だがそれをおくびにも出さないあたり、さすが炎柱といったところだ。産屋敷がこの時代で決着をつけるつもりで計画したというのなら、その期待に応えられるほどの実力を間違いなく有している者たちばかりなのだろう。
 鱗滝たちはそれを手助けする。義勇たちが不安なく戦えるよう、後方を守ることが任務だ。
 鬼舞辻無惨がどのような鬼か、鱗滝は現役時代にも終ぞ見ることすら叶わなかった。
 その正体を、討伐するさまを、生きているうちに目の当たりにするのだ、必ず。
 そして願わくば、生きて帰って来ることを祈って。

 禰豆子が速攻で懐いた。
 どれだけいい人なのだろう。炭治郎は自身の鼻で感じた優しい匂いよりも更に優しいのではないかと鱗滝を眺めていた。
 鬼である禰豆子を見たのは今初めてだったはずなのに、子供だと口にして好きにさせている。天狗面をいじったり、膝に乗ったり。
 それとも、義勇の師だからというのも関係しているのだろうか。義勇と鱗滝、二人に少し似た匂いを炭治郎は感じていた。だからこそ義勇と同様に、果てがないほど優しい人なのだろうと思えた。
「柱の皆には説明は?」
「並行して悲鳴嶼さんがしています」
 柱合会議は本日旧産屋敷邸で行われているらしく、そちらは義勇を抜いた柱が集まって計画を聞いているらしい。
「では、禰豆子をよろしくお願いします」
「ああ」
 鱗滝が頷き、煉獄たちと輝利哉たちにも挨拶をし、義勇はすっと立ち上がろうとした。それに気づいた禰豆子が即座に鱗滝の膝から降り、義勇の懐に思いきり頭突きをするように抱き着いた。
「………。離れろ禰豆子」
「禰豆子、義勇さんは忙しいんだ。邪魔しちゃ駄目だぞ」
 しょんぼりする禰豆子に良心でも刺激されたか、義勇は何ともいえない顔で頭を撫でた。輝利哉たちがどこか羨ましげにそれを眺め、煉獄もまた楽しそうに眺めていた。
 終わったら遊べるから。そう言いたいけれど、終わった時に生きているかも、無事に終わるかもわからないのだ。無責任なことは言えなかった。
「本当に時間はないのか?」
「………。三十分、程度なら……」
「あ、あ、遊ぼう! ね!」
 時間があるとわかった禰豆子が立ち上がり、義勇の手と輝利哉の手を掴んで引っ張った。立ち上がった二人をその場に置いて、煉獄親子二人の手も掴んで立ち上がらせた。
 知らない人も珍しい人たちもいて、禰豆子は楽しくなったのだろうか。最後に炭治郎の手を掴んで庭に連れて行こうとする様子に、これからのことを考えると少しばかり寂しい気分になった。
「うむ、輝利哉様たちのお好きな遊びで如何でしょう!」
「あ、……はい。ええと、それなら……」
 庭に降りた禰豆子はまた義勇の手を握り、今度はずっと繋いでいた。離せば帰ってしまうとでも思ったのかもしれない。慣れたと思ったけれど、やっぱり義勇は少し困ったような匂いを醸していた。