兄弟弟子・水

 カナエとしのぶを助けてくれた鬼狩りの男の子が療養する藤の家紋の家では、姉妹二人も保護してもらって何かと良くしてくれた。
 鬼狩りに救われた者たちが、代を跨いで彼らに力を貸す。無償で医師を呼び、食事を提供し、寝床を用意する。きっと家人自身もよほどの裕福でなければ楽なことではないだろうとカナエにはわかる。医師だった父は、無償で病状を看ることも薬を渡すこともなかった。
 藤の家紋の家はそこかしこに点在していて、カナエたちのように命を救われ恩を返したいという思いを持って鬼狩りをもてなす。鬼狩りにとって彼らはいなければならない存在だということも理解している。
 義勇を見舞いに来た悲鳴嶼に鬼狩りになるためにしなければならないことを問いかけたが、彼はカナエたちが戦うことを良しとしないようだった。このままここで世話になるか、カナエたち自身が藤の家紋を掲げよと提案してくれた。
 しのぶはカナエよりも強く鬼狩りになることを望んでいるし、悲鳴嶼の言うことも理解していても、気持ちはどうにもならないのだ。どうしても向いていないと自分で認めて諦めるまでは。
 あんなふうになれないかと、自分たちを救ってくれた二人の鬼狩りがあまりに格好良くて憧れてしまったわけである。
 そして何より。
 両親を目の前で喰われたあの思いは、これ以上誰にもしてほしくないのだ。
 だからできる限りのことをして、死なないために死ぬ気で頑張るのだ。悲鳴嶼に言えば止められてしまうから、義勇にあてを紹介してもらうことを決めた。
「義勇くん! 無事だったのね、あ、悲鳴嶼さん!」
 曲がり角から顔を出した義勇に、玄関前で掃き掃除をしていたカナエは駆け寄った。その奥に空を仰ぐほど大きな体躯の悲鳴嶼がいて、カナエはつい胸を押さえた。
「任務終わりに会った」
「そうなのね。ええと、休むでしょ? 悲鳴嶼さんも」
「……仲良しだな。邪魔だったか」
 盲目なはずなのに何かを感じ取ったらしく、微笑ましげに笑みを浮かべた悲鳴嶼に何と返せば良いのかわからず、カナエは義勇と悲鳴嶼の裾を掴んで屋敷内へと引っ張った。
 部屋の掃除をしていたしのぶを呼ぶと、二人を見て嬉しそうに駆け寄ってくる。悲鳴嶼に怪我はないようだが、義勇は医者を呼ぶには少し迷う程度の怪我をしていたので、しのぶは義勇の腕を引っ張って手当をすることに決めたようだった。
「しのぶのほうが義勇くんと仲良しですよ」
「そうか……三人が仲良しなら私も安心できる」
 カナエたちの仲が良いと悲鳴嶼が喜ぶ。気にかけてくれているのがわかってカナエは嬉しくなった。

「私たちも鬼狩りになります」
 入浴を済ませ手当と食事を終え、あとは睡眠を取るだけとなった頃、カナエはしのぶとともに二人の部屋にお邪魔した。
 畳に手をついて頭を下げて告げた時、悲鳴嶼の空気は少し強張ったようだった。
「……私はやはり反対だ。この子が鬼狩りになると言った時も何度も確認した。……子供が危険な目に遭うのは、やはり見ていられない」
 義勇は尊重してくれるはずだと言っていたし、カナエたちが折れないと知れば悲鳴嶼も何も言わなくなるだろう。それは納得ではなく諦めた場合、もうこうして話をしてくれなくなる可能性もある。寂しいけれど、カナエが第一に望むことのためには致し方ないとも思う。できれば関係は悪くなりたくないけれど。
 悲鳴嶼から見ればカナエたちは等しく子供なのだろうが、きゅっと心臓が摘まれるような気分だった。
「………、悲鳴嶼さんは、俺と六つしか違わない」
「えっ?」
 思わず顔を上げたカナエの目には、同様に目を丸くした悲鳴嶼が義勇へ顔を向けていた。
「悲鳴嶼さんも十代で隊士になった」
「………」
 眉を顰めて妙に気難しげな表情をした義勇に、悲鳴嶼は二の句を告げないほど呆気にとられているようだった。何だか拗ねているようで可愛らしい気もするが、というかまだ十代だったのか。
 カナエは義勇と同い年だから、悲鳴嶼の年齢は十九ということになる。確かに数字上は子供といえる年齢ではある。
「義勇。私はだいぶ前から親の庇護下にはいなかった。十六の時にはもう子供たちを引き取っていたし」
「………」
 顰めていた眉がハの字になり、義勇はしゅんと黙り込んで俯いた。カナエたちの助け舟を出そうとしてくれたのだろうが、悲鳴嶼からすれば頓珍漢な指摘だったのかもしれない。ちょっと面白かったが。
「子供扱いされたのは何年ぶりだろうか……」
 悲鳴嶼の緩い涙腺がまた外れたらしいが、それはそれとして口元もまた緩んでいる。どうやら悲鳴嶼も面白かったのだろう。
「ふふふ……。反対はするが、本人の決めたことを無理にやめさせることもできん。あくまで私の考えを伝えただけだ」
 悲鳴嶼の大きな手が義勇の頭に乗ると、幾分安堵したかのように義勇は表情を緩めた。カナエたちのために気を利かせてくれたのだろうから、あとで礼と謝罪をしておかなければ。
「ただ、……鬼殺隊とは簡単に命を落とすような仕事だ。生半な鍛錬では隊士になることもできぬだろう」
「悲鳴嶼さんみたいになるために頑張るつもりです!」
「………。誰かに頼むのか?」
「鱗滝先生に」
「そうか。確かお前の兄弟弟子がいただろう」
「兄弟弟子?」
 義勇には兄弟弟子がいるらしい。もしカナエたちがそこで修行をつけてもらえるようになれば二人兄弟子ができるようだ。
「最終選別に向かうことになったと」
「……そうか」
 数珠の擦れる音が鳴り、悲鳴嶼の目からまた涙が落ちた。
 義勇の兄弟弟子がどんな人物なのかは知らないが、悲鳴嶼が鬼狩りになることを悲しむほどには子供なのだろう。修行の成果を出せることを喜ばしくはあっても、その最終選別というものも生半なものではないことは想像がつく。
 それを潜り抜けて隊士になったのが悲鳴嶼と義勇で、なると決めたカナエたちの目標なのだ。

*

 ひと際厳しくお願いしたく存じます。
 義勇からの手紙は鱗滝への頼み事のみで、自分のことについてはあまり書かれていなかった。
 知りたいのは弟子の近況なのだが、抜けているところのある義勇は思い至らなかったのだろう。まあ、こうして手紙を送ってくるなら命に別状はないはずだ。あればきっと悲鳴嶼が教えてくれるはずだとも思うので、一先ず鱗滝は受け入れることにした。
 ひと際厳しく。恐らくは悲鳴嶼の意向でもあるのだろう。錆兎は昨日最終選別に送り出し、心配で仕方なかったところだ。錆兎が無事帰ってきた時、一緒に娘二人を迎えてやれれば良いのだが。
 そうして義勇に返事を出した数日後、最終選別に向かった錆兎が怪我を負いながらも無事狭霧山に戻ってきた。
 何度も何度も弟子を喪い後悔に苛まれていたが、錆兎は義勇に続いて最終選別を生き残った。涙ながらに抱き締めると、少しばかり表情を強張らせつつも黙ってなすがままになった。
「義勇に連絡しなければならんな。錆兎が無事戻ってきたのと、」
「あいつも顔を出すよう伝えてください。話したいことがあります」
「………? ああ、わかった」
 鬼殺隊では先輩にあたる義勇に相談事でもあるのだろうか。刀鍛冶が来るまで時間はあるし、手合わせをするのも良いだろう。鱗滝も顔を見たいし、たまには義勇も任務を忘れてゆっくりさせなければならないとも思う。時間が合うなら悲鳴嶼もともに。
 手紙を書き終えた鱗滝は鴉の脚に括り付け、義勇の元へと運ぶよう言いつけて見送った。

*

 義勇が鱗滝に頼んだという弟子入り志願の姉妹二人が狭霧山を訪れた。
 姉妹とともに訪れた悲鳴嶼とは二度目の対面だが、前回会った時より大きくなっている気がする。岩の呼吸というのは筋力量がもろに影響する呼吸法らしいので、彼もできる範囲で筋肉をつけているのだろう。ただでさえ壁のように大きかったというのに、これ以上大きくなるのかと正直錆兎は悲しくなった。いくら年齢差があるとはいえ、自分とはまるで違う体格なのだから。
「無事で何よりだ。大きな怪我はしてないか」
「はい」
 悲鳴嶼と挨拶を交わし、義勇の体を触って無事を確認し、ようやく落ち着いた鱗滝は姉妹二人へと目を向けた。こちらに目を向けた義勇は錆兎を労いながら笑みを向け、それを見た悲鳴嶼と鱗滝は微笑ましげに頷き、姉妹二人は何故か驚いていた。
「義勇、あとで話しておくことがある」
「………? わかった」
 錆兎の言葉に首を傾げつつも義勇は頷き、はるばる山入りした四人をあばら家へ迎え入れた。身なりは良家の息女にも見えて似つかわしくないような気はするが、弟子入りを志願しているのだから山での生活に慣れなければ鬼狩りになどなれないだろう。昔は屋根の下で寝ることが難しい任務もあったと鱗滝に聞いたことがある。
 座布団を勧め皆が囲炉裏を囲んで座り、鱗滝は姉妹二人の話を促した。
 家族四人で暮らしていた家を鬼に襲われ、両親は間に合わなかったが義勇と悲鳴嶼に助けられた。藤の家紋を掲げることを勧められたが、姉妹はどちらも鬼狩りになることを望んでいるようだった。
 錆兎たちと同い年、妹に至っては三つも下だ。その歳で覚悟を決めた顔をしていた。錆兎と同様に親を亡くし、鬼を殲滅しなければならないという使命感を持ったのだろう。
「……悲鳴嶼くんの師の鍛錬も取り入れているから、ここでの修行は厳しいものになるだろう」
「構いません。元より私たちは武術も剣も身近にありませんでした。そのくらいでないと鍛えられないと思いますので」
「……そうか」
 行かなくていいと鱗滝は錆兎に言った。義勇にも言っていた言葉を二人にも伝えたくてたまらないのだろうけれど、彼女たち自身はもう鬼狩りになることを決めている。これを説得するのはきっと難しいだろう。錆兎には気持ちがよくわかる。
 女に剣を持たせて戦わせるのを錆兎はよく思わないが、本人たちが諦めなければ聞きはしないこともわかる。悲鳴嶼ならば止めただろうし、こうしてここにいるということは、彼の言葉は聞き入れなかったのだろう。

 鱗滝の了承を得た姉妹はようやく緊張を解き、和やかに話をし始めた。
 錆兎と義勇の妹弟子となる二人を鱗滝と悲鳴嶼に任せ、義勇と手合わせをしようとしたら見たいと言われ、観客のいる中で稽古をする羽目になった。
 おかげであまり集中できなかったが剣術を知らない二人には凄いものに見えたらしい。刀を持つのはもっと先になると鱗滝が口にしたので、基礎訓練をしている時間のほうが長いと錆兎は伝えておいた。
 そしてひと息ついた頃、義勇を伴ってある場所へ足を向けた。
 拓けた場所にいくつも石が並んでいる。鱗滝が作った錆兎と義勇の兄弟弟子の墓だ。
 自分たちが来るまで、何人もの子供が最終選別で死んでいった。
 この場所を見つけたのは義勇が狭霧山に来てしばらく経った頃だった。たまたま罠を避けた拍子に山を転がり落ち、義勇と二人でここに行き着いた。義勇が山を降りてからも、錆兎は度々ここに来ていたのだが。
「最終選別で先生に恨みを持つ鬼を見た」
「恨み?」
「ああ。先生が現役だった頃に捕まって、以来ずっと藤襲山にいたらしい。並々ならぬ執着心を垣間見た」
 そして体も硬く、危うく喰われそうになったのは未熟の一言に尽きる。頸を斬ろうとして刀が折れかけた時、錆兎はある人物に助けられたのだ。
「……先生が作ってくれた厄除の面。あれが目印だと言った」
「………、」
 鱗滝の弟子は皆狐の面を着けている。弟子を想って渡してくれたものがまさか捕食の目印にされているなど、鱗滝に言えるはずがない。
「義勇は落としたと言ってただろう。そのおかげであの鬼はお前を見つけ損ねたんだ」
「……倒したのか」
「ああ。ついてきてた奴に救われた。一人だったら俺もきっと無傷じゃなかった。情けない……そんな顔するな」
 まるで抜け落ちでもしたかのように義勇は一切の表情を無くし、思考は全く読めなくなった。狭霧山にいた頃はよく笑っていたし、先程だってそうだった。もう少しわかりやすかったはずだ。見送る時にもこんな顔はしたことがなくて、思わず止めるよう錆兎は口にした。
「生きててよかったよ。先生に顔を見せることができてよかった」
「錆兎は凄い」
 読めない表情のまま義勇は目を伏せて呟いた。
 一人で倒しきれたならその言葉も素直に受け入れたかもしれないが、錆兎もまた未熟であったことを恥じていたというのに、義勇の言葉は裏表がない。素直に感じたから口にしただろう言葉に、錆兎の気分は少しだけ浮上した。

「義勇くんてちゃんと笑えるのね。全然笑わないからちょっと心配だったの」
 晴れて妹弟子となった姉妹の部屋を作り、悲鳴嶼たちも交えて食事を食べ始めた時、カナエは何やら妙なことを言い出した。
「義勇は以前はもっと笑う子だった。隊士になってからあのような……」
 どのような。もしや墓地で見せたあの表情のない顔か。
 鬼狩りになってから義勇は笑わなくなってしまったらしい。確かに任務で笑うような余裕はないだろうが。
「心頭滅却して雑念を捨てようとしてるから。先生も冷静になるようにと仰ってたし……」
「それであんな何考えてるかわからない顔になったのか!?」
 肩が跳ねると同時に義勇の髪も逆立ったように見えたが、今は修行中の頃と同じように表情はよく見えている。狭霧山では気が抜けるのかもしれない。
 心頭滅却も冷静さも大事なことだが、表情にまで適応させなくても。まあ不器用なところがあるので、仕方ない気もするが。