刀鍛冶の里にて

 馬鹿だと思ったし、自分諸共死んだと思った。
 だからとにかく救援に来てほしかったけれど、それは自分を助けてほしかったわけではない。
 無一郎を助けようとする小鉄が逃げなくて、魚が小鉄の腹部に刃を向けた。あんな子供では一突きで死んでしまうと感じた時、見覚えのある姿が小鉄と刃の間に割り込んだのだ。
 小鉄の代わりに刺されたその人は魚に構う時間も惜しいとでもいうように、無一郎が閉じ込められた水鉢に向かって刀を構えた。
 弐ノ型、昇り炎天。
 技が向けられた瞬間、蠢く水が勢い良く噴射し、無一郎の肺は空気を取り込んだ。それと同時に脳裏に沢山の記憶が蘇ったのだ。
「ぜえ、ぜえ……お腹、大丈夫? 煉獄さん」
「! 何、この手の怪我は慣れてるからな」
 腹を刺した魚を斬りながら血を吐いているけれど。
 確かこの人は、内臓を傷めていたのではなかったか。
 もう少しで腹を貫通されそうになって、ぎりぎりのところで腕を割った。だから風穴は開かなかった。そう。そうだ。だから以前のようには戦えない。リハビリ中のはずだ。どうしてここにいるのだろう。
 とはいえ無一郎自身もかなり重傷だ。肺に水が入って痛いし、毒が回って目も霞んでいる。小鉄は煉獄が庇う前から怪我を負っていたはずだ。煉獄だって本調子ではない。傷ついていた内臓をまた傷つけてしまっているだろう。
 そうだ、守らないといけない。鋼鐵塚を助けてと小鉄が言うのだから、無一郎が倒れている場合ではないのだ。
「煉獄さん、小鉄くんをお願い」
 刀を構えて呼吸を巡らせ、無一郎はその場から跳ぶように小屋へと向かった。

 時透は煉獄に少年を任せ、そのまま小屋へと向かっていった。
 重傷なのはむしろ時透のように思えたが、先程まで蹲って咳き込んでいたのが嘘のように動きが変わっていた。
 顔に痣が現れてからだ。
 天賦の才がある時透のことだ。自力で透き通る世界も見ている可能性があるのではないかと思ったが、それだけではない何かを彼は持っている。
「どうだこの蛸の肉の弾力は!」
 小屋から四方に飛び出した蛸足に時透と刀鍛冶が捕まっているのが見えた。
 あのまま絞め殺しでもするつもりのようだ。煉獄は力を込めるとまろび出そうな内臓を無視して刀を構えた。
「何!? まだいたか鬼狩り!」
 巨大な蛸足は煉獄の攻撃と、内側から時透も技を仕掛けたらしく細切れになって崩れ落ちた。
 そのまま鬼の頸へと刃を向ける。手負いとは思えない時透の動きは、煉獄が鬼へ仕掛ける攻撃よりも速かった。
「時透!」
「ありがとう、煉獄さん。大丈夫、俺今凄く調子いいんだ」
「嘘を吐くな。毒を喰らって調子が良くなるはずがないだろう。とんだ見え透いた強がりよ」
 強がり。
 煉獄の目にはそうは見えない。時透が嘘を言っているようにも見えなかった。
「きみとは話してないんだけど、割り込まないでくれる? あんまり話したくないんだよね。何か壺も歪んでるしさ、きみ自体も気色悪いし」
「そう感じるのは貴様自体が腐っている惨めな人間だからだ!」
 時透の挑発に軽く乗った上弦の肆が広範囲の血鬼術を仕掛けた。
 まるで海の中で見るような魚の大群が時透を襲うが、意にも介さず彼は一瞬のうちにすべての魚を斬った。驚いたらしく動きを止めた上弦の肆に向け、煉獄は刀を構えた。
 鬼の頸へと向けて煉獄が壱ノ型を繰り出した時、真っ二つに斬られた魚の大群は時透の型によって吹き飛ばされた。
「ええ……脱皮するとか……」
「上弦というのは多種多様だな」
 斬ったのは頸ではなく皮。脱皮した鬼の本体は木の上へと移動し、見ていた時透が面倒そうな声音で呟いていた。煉獄としても、頸を斬れなかったのが不甲斐ない。
 汽車と同化したり、頸を斬っても死ななかったり、脱皮したり。それがかつての数多の柱さえ葬ってきた上弦の所以なのだろうが。
「お前たちには私の真の姿を見せてやる」
 脱皮後の完全なる姿とやらは、壺から飛び出ていた時よりも海の生物に姿形が近くなっていた。
 金剛石よりも硬いらしい鱗が本当に硬いかどうかは、斬ってみなければわからないが。
「煉獄さんはさ、上弦の弐とも戦ったんだよね」
 この戦いの最中、時透は突然以前の戦闘の話を持ち出した。少し面食らってしまったが、煉獄は上弦の肆から視線を外さないまま一つ相槌を打った。
「あれとどっちが強いかな。やっぱ弐と肆じゃ格が違うよね」
「……何だと?」
 ぼんやり朧げだった時透の記憶が、現在ははっきりと思い出しているのだと煉獄は見立てていたが。
 今までにも確かに少し厳しい言葉をかけることが多かったのは確かだが、今の時透はわざと相手を怒らせるような言動をしているように見えた。
 煉獄は鬼相手にもそのように煽ることはしたことがなかったが、先程も挑発に軽く乗っていたあたり、冷静さを欠かせることに一役買っているのは間違いない。
 煉獄が里に足を踏み入れた時、すでに辺りは混乱状態だった。ここまで駆けてきた時、複数人の体が無造作に壺から出ているのを見た。少年が泣いて、鍛冶師が嘆いて、この鬼はそれを喜んでいたのを見た。
「上弦の肆か。うむ、彼のこともやはり嫌いだ」
「貴様の好き嫌いなど聞いておらんわ!」
 木の上から飛び出した上弦の肆が拳を繰り出し煉獄が飛び退いた後の地面を殴りつけた時、魚が大量に飛び出した。更に時透にも攻撃を繰り出し、掠ったのか付着したのか、時透の隊服が一部魚に変わっているように見えた。
「私の拳で触れたものは皆愛くるしい鮮魚となる。貴様らのその神経を逆撫でする口も鮮魚に変えてやろう」
「脱皮しても頭の出来は変わんないね。口だけ魚とか発想から気色悪いよ」
 わざとなのかそれとも時透本来の毒舌か。どちらもありそうだが効果は上弦の肆にはてきめんのようだった。憤慨して血鬼術を繰り出し時透へ攻撃を仕掛けようとした腕を、煉獄は弐ノ型で切断した。
「なっ……!」
「きみはさ、二人とも手負いだからそんなに余裕ぶってたのかな」
 霞の呼吸が鬼を撹乱する。
 速度は明らかに上弦の肆よりも時透が上だった。煉獄すら見入ってしまうほど、見事な技で瞬く間に頸を落としていた。
「だとしたら本当に節穴だし目測を誤ってるよ。俺調子いいって教えてあげたのにね」
 もう生まれてこなくていいからね。
 時透が言葉を投げつけた後、上弦の肆の体は崩れていった。

 助太刀すら必要なかったのではないかと思えるような戦いぶりだった。
 今にも腸がまろび出そうな煉獄としては情けない限りだ。時透の助力になれたかといえば、首を傾げるしかない。だが。
「オエッ」
「時透さーん!」
 泡を吹いて地面に顔面から倒れ込んだ時透は、先程までの戦いぶりが嘘のように苦しそうだった。
 それはそうだ。そもそも煉獄がここに来た時点で間一髪だったはずなのだ。あれほど動けるのがおかしかった。
「大丈夫か、時透」
「いや、あなたも喋りながら血吐いてますよ!?」
「俺はまだ腸は出てないから問題ない!」
「問題しかないですけど」
 刀鍛冶の里の二人から直々に突っ込みを入れられているが、煉獄はそんなことはどうでもよかった。
 一先ず時透の手当をしておかなければ、体内の毒は抜けてはいない。このままでは命を落とす可能性まであるのだ。
「僕のことは、いいから。もう一体いる」
「何だと?」
 ここに来るまでに魚はいくつか斬ってきた。あれは上弦の肆の術だったのだから今はもう消えていると安堵したのだが、そうはいかないようだった。
「目で、見るまで鬼だと気づかないような、やばい奴が来てる。あれは確か、壺の奴より上の数字だったはず」
 竈門炭治郎と禰豆子と一緒にいたが、攻撃を受けた際に時透は飛ばされてしまったのだという。二人がどうなったかがわからない。
 竈門禰豆子は鬼なのだから、少なくとも人のように死が近いわけではない。竈門炭治郎もまた、二度上弦の鬼と相対しその度に強くなっていると聞く。
 それに救援要請が上手く行っていれば、柱の誰かがここに来るはずだ。煉獄は立ち上がった。
「きみはもう動けないだろう。すまないが鉄穴森さん、小鉄少年、時透を頼む」
「は、はい。いやでも、あなたも腹が裂かれてますよ。せめてちゃんとした応急処置を」
「晒を巻いたので気になさらず!」
 立ち止まっている時間が惜しい。
 此度において未だ透き通る世界が視えないのだから、それ以上に体を酷使しなければ間に合わないのだ。口内に溜まってくる血を飲み込みながら煉獄は走り出した。

「――すまない、遅くなった!」
「煉獄さあん!」
 頸を狙ったが周りを蠢く岩のようなトカゲに邪魔をされた。
 救援は甘露寺だったらしい。子供程度の体格の鬼がトカゲを操っており、繰り出される攻撃を斬って凌いでいるようだった。
 まるで絵巻の雷神のような姿形をしていた。甘露寺以外に隊士はいない。
 よもややられたわけではないだろうが相手は上弦の鬼、力が足りなければ呆気なく殺されてしまうのが人間だ。
「炭治郎くんたちが今、本体の頸を斬ろうと頑張ってくれてます! 私は足止めです! 大丈夫ですから、煉獄さんも加勢に行ってください!」
 首筋に見えた妙な痣。形は違うが時透と同じものかもしれない。甘露寺もまた普段より格段に動きが速かった。
「纏めて嬲り殺してくれる」
 痣を出せれば、煉獄も能力が向上するのだろうか。極限まで鍛え上げ到達する地点が透き通る世界だと思っていたが、それよりも先、もしくは違う場所にあるものがある。人間の限界、極地。
 痣がどんなものなのか、何の条件があるのか煉獄にはわからない。煉獄が知っているのは、心頭滅却の先にある世界だけだ。あの時視たものを今こそ視なければ、先程と同様に足手まといになるだろう。
 視なければならない。煉獄にとって透き通る世界は、隊士として戦うためになくてはならないものになっていた。
 上弦の弐との戦闘で視えたあの感覚が戻ってくる。甘露寺の皮膚の下が、心拍数の異常と高熱を視せてきた。
 この状態で、それでも甘露寺の動きは今までにないほど速かった。
「きみは足止めしてくれるんだな」
「はいっ!」
「わかった。頼んだぞ甘露寺!」
「逃れられると思うてか」
 鬼が雷鼓を叩く。雷が落ちる。
 直撃する前に煉獄は避けると、一瞬鬼は目を見張った。そのまま甘露寺から背を向けて走り出した。

*

 ここに来てから走ってばかりだった。
 到着してからというもの、怪我人の救出と状況確認のために里を駆け抜け、時透に遭遇し上弦の肆と刃を交え、もう一体の鬼を探しにまた駆けた。甘露寺を見つけてもう一度走り、崖から降りても尚走った。
 朝日の中地面に立って歩く竈門禰豆子の姿を、煉獄は焼きつけるように凝視した。
 吃りながらも言葉を発し、陽光に晒されても焼け爛れることなく笑っている。それは鬼であるはずなのに、鬼では有り得ない姿だった。
 冨岡。きみの目に映っていたのは、最初からこれだったのか。
 太陽すら克服することを見越していたわけではないはずだと考えはしても、冨岡ならば見ていたのかもしれないと、そう思ってしまうほど、煉獄にとって衝撃的なものだった。

 刀鍛冶の里に向かった本来の理由は、リハビリの一環として湯治に向かうためだった。
 煉獄が到着した時にはすでに里は阿鼻叫喚となっており、鬼によって撒かれた魚の術で里の者たちは怪我どころか多くの命を落としてしまった。
 避難地のように複数拠点を作っているとはいえ、復興にはしばらくかかるだろう。
「煉獄さん、お加減はいかがですか?」
「胡蝶か。いや、問題ない。強烈なリハビリだったがな!」
「ええ、まあ、それは、何と申し上げていいのか」
 里へ向かうよう提案したのは胡蝶だ。煉獄が向かっていてよかったと言うべきか、と小さく呟いていた。
 予想外のことばかりで煉獄としては不甲斐ないばかりである。もう少し役に立てる行動ができたのではないかと思うが、なかなか上手くいかないものだ。
 皆、煉獄を労っても罵ることなどないのだろうが。
「一つ、伝えなければならないことがあります」
「……うん。予想はついている」
「………。上弦の弐との戦闘で傷めていた内臓ですが、此度の上弦の肆、及び参との戦闘で受けた傷、それから体の酷使。これ以上の負担は命に関わります。医療に携わる者として、鬼殺隊への復帰はもう勧められません」
 やはりそうか。
 体を痛めつけて血反吐を吐いてやってきた鍛錬も、させるわけにはいかないと胡蝶直々に制止が入った。これで明確に柱へと復帰はできなくなったということだ。柱どころか、隊士としてすらも。
「……胡蝶の姉は、こんな気持ちだったのだろうな」
「……煉獄さん」
 冨岡の継子だった錆兎も。命があるのに戦えないことがこれほど歯痒く不甲斐ない。きっと、この先も誰かが死の淵を彷徨う死闘を繰り広げる度に、煉獄は己の弱さを呪うことになる。
「彼らが倒しきったことを喜ばしく思う。皆に随分助けられたしな」
「……倒したのは煉獄さん含め、皆ですよ。……その甘露寺さんと時透くんですが、今回の傷の治りが異様に早いです。起きて翌日にはもう機能回復訓練に出てます」
「よもやよもやだ。それはまた、何かこつでもあったのか……」
 ふいにあの日の二人に共通するものを煉獄は思い出した。
 あの痣。あれが現れていた時の時透は本人も調子がいいと言っていたし、実際普段よりも格段に動きが速かった。透き通る世界を通した甘露寺の体は、高熱を出して異常な心拍を煉獄へ視せた。本人に体の調子は聞かなかったが、悪いどころか普段以上に速度があった。
 やはりあれに何かあるように思えてならない。
「……何かご存じですか?」
「………。いや、二人は……」
 煉獄は今回、透き通る世界を視るのに時間を要した。あの世界に入るのに己の調子が関係しているのならさもありなんとは思うが、時透の痣は体の不調などお構いなしのものだったはずだ。毒を喰らっていようと有り得ない速さと強さを持っていた。
「……柱合会議は明日だったか」
「ええ。煉獄さんも呼ばれているそうですが、出られますか?」
「無論だ。俺も知りたいからな」
 知ったところでもう何も身につけることはできないが。
 知識としてでも知っておきたい。それくらいはしておきたかった。