岩柱の弟子

「こちらへ来なさい。蝶屋敷でも会ったことがあるだろうが、改めて紹介しよう……」
 悲鳴嶼の対面に座る静かな男。話したことはないが、時折蝶屋敷で見かけることがあった。
 怪我の治療ではなく、手伝いとして。柱が雑務のようなことをしている事実に最初こそ驚いたが、水柱だけではなく悲鳴嶼も他の柱も顔を出しては助手のように手伝っているので、いちいち驚いていては身がもたなかった。
 会釈をして悲鳴嶼の少し後ろに座り、玄弥は自身の名を名乗った。
「この子は鬼喰いをしていた。あまりに危なっかしいので弟子にすることにしたが、お前も気にかけてやってほしい」
「俺にできることなら」
 悲鳴嶼が小さく笑ったのが見えた。
 蝶屋敷の胡蝶姉妹にはすでに玄弥の体質は伝えており、しのぶなどは大層顔を歪めて説教とともに診察される。カナエは困ったように笑いながら診てくれるが、正直玄弥はいつまで経っても二人に慣れず、逃げ出したくて仕方ない苦痛の時間だった。
 上弦の弐と戦って蝶屋敷に運ばれたのは少し前のことだったと記憶しているが、早々に任務に復帰したと噂に聞いていた。内臓をやられた炎柱もすでにリハビリがどんどん進んでいるらしい。
 やはり柱になるには、もっと頑丈で力が必要なのだろう。
 この二人は正に岩と水を体現したような人だ。この沈着さが強さに必要なものなのだろうとはわかっているが、玄弥がここに至るにはどれほどかかるのだろうか。
「鍛錬に参加させるのもいいが、……不死川とは折り合いが悪いようだ。会話もままならない」
 また暴れて取り返しのつかないことになっても困るからと、玄弥は接見禁止を言い渡されていた。
 悲鳴嶼の言葉は少し前に起こった兄とのやり取りのせいである。
 人手不足の蝶屋敷を柱が手伝っているのなら、兄にも会って話せるかも、と考えたのが駄目だった。
 おかしなことを考えたつもりなどなかったのに、兄に話しかけた時に殺意のようなものすら感じて、目を潰そうとする兄を信じたくなくて動くことができなかった。竈門炭治郎のことは好きではないが、あいつがいなければ玄弥の目は潰されていただろう。
「こちらは聞いているかもしれんが、不死川は竈門炭治郎とも接見禁止となった。……ここ最近の不死川は目に余る、やむを得ん」
 聞いていなかったのだろうか。竈門炭治郎の話になると眉根を寄せて頭を押さえた冨岡は、やがてぼんやりと呟いた。
「兄と接見禁止……」
「は、はい」
「……寂しいな」
 二の句を告げなかった。
 寂しい。兄弟なのに会えないのが寂しい。他人よりも冷たい態度で、敵のように容赦のない攻撃を食らわされるのが寂しい。
 そうだよ、寂しいよ。わかってくれるのか、この人は。
 鬼殺隊に入ったのはたった一つの目的のためだ。
 兄が鬼殺隊にいると知り、会って謝るためだけに玄弥はここに来た。自分もまた荒れに荒れてしまったけれど、何もできないまま終わってしまうのが嫌なのだ。あれを最後にしたくない。それだけで玄弥はここまで来たのだ。
 悲鳴嶼がまた小さく笑ったのに気づいたが、玄弥は何かを言うことができなかった。
「玄弥は竈門炭治郎ともいざこざを起こしているが……」
「す、すみません」
「炭治郎のことで俺に謝る必要はない。弟子だからといって、何かを制限するつもりはもうない」
 そう水柱は口にした。
 もう、とは何だろう。大丈夫なのかと悲鳴嶼が問いかけるが、水柱は頷いた後、今更であると口にした。
「すでに煉獄の父上ともいざこざを起こしてます」
「………。……南無阿弥陀仏……」
 驚愕したのだろう。悲鳴嶼は泣きながら念仏を唱えて数珠を鳴らし始めている。というか煉獄とは炎柱の煉獄か。その父と起こすいざこざとは一体何なのか気になった。馬鹿なのではないかと思うが、まあ、産屋敷の息女を殴ってしまった玄弥に言えることは何もない。あれについては悲鳴嶼から散々説教され、身に沁みて反省している。父親のようになるなと言われていたのにこのざまだ。
「何故皆そう血の気が多いのか……」
「融通が利かず頭が堅いです。物理的にも」
「物理的?」
「何人か頭突きで昏倒させたことがあるようです。煉獄さんとのいざこざの時も」
「………。確か、不死川にも頭突きを食らわせようとしていたな……嗚呼……」
「兄貴よりよっぽど危険人物なんじゃ……」
 溜息を吐いた水柱は、呆れて窘めはしつつもやめさせようとはしていないらしい。確かに以前の玄弥なら止められても聞きはしなかっただろうが、あっちもそうなのかと疑ってしまう。
「煉獄さんは怒ってはいないと聞いてる。先日何故か菓子折りが届いた」
 竈門宛に贈られた菓子折りと手紙が届き、煉獄の父から遊びに来るよう書いてあると竈門は喜んだそうだ。大丈夫なのかそれ。報復とか。
「そもそも炭治郎が頭突いたのは煉獄さんの言動に腹を立てたからで、普通にしてればたぶん攻撃は仕掛けない」
「たぶん……」
「………。彼の所業は確かに褒められたものではなかった……」
 どうやら竈門の所業は理由があるものとして二人とも理解しているようだ。
「彼とのいざこざは問題になっていないのならいい。玄弥も……共同任務で妙なことをしていたら喝を入れてやってほしい」
 悲鳴嶼の言葉に慌てて冨岡へ頭を下げると何を考えているのかよくわからない表情が玄弥を眺め、どうしていいかわからず玄弥も黙り込んでしまった。
 見兼ねでもしたか元々言うつもりだったのかはわからないが、下がっていいと悲鳴嶼が口にしたので、玄弥は二人を残し部屋を出てきた。
 共感してくれたり弟子の所業に頭を抱えたり、人並に悩みもありそうな、普通の人のようだった。
 ――口数は少ないが、情け深い子だ。
 そう悲鳴嶼から聞いていたが、何となく、そうなのだろうなとほんの少しだけ感じられた。

「そうか、あれは煉獄殿とのいざこざで……確かお前もしのぶに怒られたと聞いたが」
 しのぶが地団駄でも踏みそうなほど憤慨しながら義勇と煉獄の愚痴を言っていたことがあった。義勇は身内で煉獄は品行方正、柱の中でしのぶが愚痴を言わないだろう二人に対してこれだったので、悲鳴嶼も何事かと驚いたものだ。
「……濡れ衣です」
 煉獄は遊びに来ていいとは言ったが、脱走してまで行けとは言っていない。自分はそもそもその場にいただけで、煉獄家への訪問について口を挟んではいない。義勇はそう言い訳をした。未だに怒られたことに納得していないらしく、悲鳴嶼はつい笑ってしまった。
「連帯責任ということだろう。その場で見ていたのだから止めなければならなかったと」
「教唆はしてません」
 そもそも多人数でいる時に義勇はあまり口を開けない上に、その日に行くとは思っていなかったのだから仕方ないだろう。特に仲違いしているというわけではない。
 ないのだが、悲鳴嶼は最近気になることがあったのだ。
「最近しのぶと何かあったか?」
「……いえ、特には」
「そうか……」
 数年前の時のようにまた余所余所しくなった気がしたのだが、義勇は身に覚えがないと言う。
 だが、本人の気配がどこかそわりと粟立つように感じられて、悲鳴嶼は少し思うことがあった。
 不死川がカナエに寄せる春の気配とは違うようなそうでもないような。ひょっとしてひょっとするのかと浮足立った悲鳴嶼は気にしていたのだが、義勇の様子はどうにも理解しているとは言い難い。
 どちらも意識しているような気配をしているのに、春の気配とは少し違う気がする。自覚がないからそのような感じ方をするのか、それとももっと違う理由なのか。
 気になる。気にはなるが、悲鳴嶼は二人に何かを言うことはやめておいた。
 不死川は奥手のようで少しも動く気配がないが、そんな様子すら、悲鳴嶼はただ眺めていたいのである。
 義勇との付き合いはもう十年になる。普段の生活は流されることが多く、もう少し我を通しても良いのではないかと思うこともよくあった。幸せになってもらいたいものだ。勿論しのぶも、不死川もである。