療養中

「お館様が仰った珠世という人物は何者だ?」
 炭治郎自身も何故産屋敷が知っているのかと不思議だった。
 義勇が頻繁に手伝いに行っていた蝶屋敷に初めて運ばれ、炭治郎は無事治療を受けて療養していた。炭治郎を診てくれたカナエは元柱で、今はこうして医療に専念しているのだという。柔らかく笑う姿に少しばかりどぎまぎとしてしまった。
 まあ、それはともかく。
 禰豆子の無事を確認し、善逸と伊之助と仲良く並んで寝かされていた時、顔を出した義勇が炭治郎を縁側に呼んだ。必死に頭を下げて感謝の意を示したが、それを制され怪我の具合を聞かれた。きっと心配してくれていたのだろう。それよりも炭治郎はもっと感謝を伝えたかったのだが。
 善逸からこれだけ離れれば大丈夫かと思いつつ、炭治郎は一応辺りに人がいないことを確認してから口を開いた。
「……無惨から身を隠してる鬼の女性です。任務の途中で会いました」
 人に紛れて医者をしていて、人を襲わず少量の血を貰って過ごしている鬼。鬼舞辻無惨を抹殺したいと考えている鬼。
 禰豆子を人に戻すには、まず禰豆子自身を調べなければならないこと。しのぶに提供したように禰豆子の血を渡し、そして十二鬼月の血を採取してくることを頼まれている。
 それを伝えると義勇は相当驚いたらしく、表情が目に見えて変わった。珍しい。
 実は珠世にもちらりと禰豆子を殺さなかった鬼狩りの話はしていたのだが、彼女もまた相当驚いていたことを思い出した。
「………。その鬼は安全なんだな」
「あ、はい。少量の血を貰えば襲わなくて済むみたいで。ただ、鬼舞辻無惨から身を隠してるので、居場所までは……」
 恐らく鬼殺隊ともあまり関わりたいとは思っていないのだろう。人と関わればそれだけ居場所が割れる確率が高くなる。あの時現れた二体の鬼が良い証拠だ。
「えっ、あの、義勇さん?」
「カナエと話をしろ。お前が良いと思ったらその珠世という医者に目通りを頼め」
「へ?」
 立ち上がった義勇に手首を掴まれ、炭治郎は引きずられるように廊下を歩いた。神崎アオイと名乗った少女が慌てて義勇を引き止めるが、お構いなしに歩いていく。そして一つの部屋の前で立ち止まった。
「診察中か」
「あ、いえ。今日はそちらの竈門炭治郎さんで終わりですが……今もいらっしゃるかと」
「はいはい、どうしたの? わ、」
「うわっ!」
 扉を開けて中から現れたカナエに向かって義勇は炭治郎を引きずり放り投げた。危うく押し倒すところだったが、カナエも何とか堪えてくれて倒れることだけは回避した。まあ、その分近すぎて焦ることになったわけだが。
「冨岡さん、怪我人相手に乱暴です!」
「話をしろ」
 アオイが義勇に慌てて窘めている声を聞きながら、義勇の言う話というのは何かを考えた。カナエへ目を向けると少しばかり思案しているような素振りを見せたが、やがて炭治郎に座るよう促した。
「あ、ま、待ってください義勇さん! 俺聞きたいことがあるんです。義勇さんが使ってた技に俺の知らない型がありました。あれは水の呼吸の型ですよね?」
 そう、聞きたいことは炭治郎にもあった。那田蜘蛛山で見せたあの自分たちを覆うかのような水。間違いなく水の呼吸の技だとわかるのに、炭治郎はそれが何なのかを知らない。
「……俺と錆兎しか使わない型だ」
「………、それって、新しい型を作ったってことですか!? 義勇さんですか、錆兎さんですか!?」
「義勇くんが作ったわよぉ」
 カナエが口を挟んだ時、義勇の表情はあからさまに嫌そうな顔をした。眉根を寄せて顔を歪めたが、それは初めて会った時に見たものとはまた違う、初めて見る顔だった。今まで炭治郎には見せなかったが、もしかしたら意外と義勇は表情豊かなのかもしれない。
「俺は教われますか? それとも向き不向きがあるんでしょうか」
「……基本の型は拾までだ。あんなものを覚える必要はない」
 あんなものとは。手元が速すぎて何をしたかは把握できなかったが、鬼の攻撃を瞬く間に落としていたのが印象的で、型に昇華するほどにはとんでもないことだと思うのに。拾までの型をなかなか覚えられなかった炭治郎としては、覚えられるかという不安があることも自覚しているが。
「でもあの技は……義勇さんが作りたくて作ったんですよね。拾までの型にないから、必要だと思って作ったものですよね」
 何をしているのかはわからなかったが、前から来る攻撃の糸が全てなかったかのように無効化されていた。
 きっとあれは、義勇より後ろにあるものを守れる型だ。水の呼吸の従来の型にはない、義勇が欲しいと思った型なのだろう。でなければきっと作り上げることはできなかっただろうと炭治郎でもわかる。
 カナエはにこにこと黙って眺めていて、アオイははらはらと心配そうである。義勇は今度は面倒臭いと言いたげにも見える顔をしてから溜息を吐いた。
「何をしたか見えたか」
「い、いえ。手元が物凄い速かったことは何とか……」
「………。原理がわかったら考えてやる」
「はい! ありがとうございます!」
 考えるとは恐らく教えない可能性もあるのだろうが、何をしているのかわかれば見様見真似でもできる可能性だって、恐らく、きっとある。見えるようになればそれだけで成長は感じられるだろうし。
 少しばかり安堵したような匂いを醸した後、義勇はその場から去っていった。
「怒ってはいなかったけど、呆れられたかもしれません」
「呆れたりしないわよ、義勇くんは」
 修行と鬼殺隊のことについて炭治郎に言い聞かせるばかりで、寡黙な義勇は自分のことを殆ど話すことがなかった。優しい人だと炭治郎は匂いで気づいているが、それ以外のことはあまり詳しくない。わかりにくい人ではあるが、とカナエは口を開いた。
「人のことを馬鹿にしたりしない。理解してくれるもの。さっきの態度も色々考えてたんだと思うわ。ねえアオイ」
「えっ。あ、はい。そうだと思います。優しい方なので」
 蝶屋敷の面々は義勇の人となりをよく知っているようだ。普段から寡黙であることは違いないが、どうやら昔馴染みには話も色々するらしい。炭治郎もそのうち話してくれるだろうかと気にしていたら、素っ気ない振りをしているが人知れず気にかけていることが多く、押しに弱いので積極的にいけば割とすぐ陥落するそうだ。
「成程! そうしてみます!」
 昔馴染みであるカナエが言うならばそうなのだろう。療養が明けた頃にでも沢山話しかけることを決意した。
「それで、話って?」
「あ、えーっと」
 アオイは気を利かせてくれたのか、茶を淹れてくると口にして部屋を出ていった。
 そういえば義勇はカナエと何を話すかを教えてはくれなかった。珠世に目通りを頼むよう言っていたが、同じ医者としての観点からカナエにも禰豆子のことを相談して頼むべきなのだろうか。
 蝶屋敷は隊士の治療に奔走しているらしいし、珠世以外にも世話をかけるのは何だか忍びない。
「……カナエさんは、禰豆子とはまだ顔を合わせてませんでしたよね」
「ええ、寝てる間に診察はしたけど、もう起きてるんだったわね」
「はい。あ、いや、今は回復のために寝てますけど、そのうち起きると思います。……あの時カナエさんは禰豆子と話してみたいと言ってくれましたけど、今もそうなんでしょうか」
 食欲よりも睡眠欲が勝つ鬼など聞いたことがない。不思議だと呟きながら、カナエは起きたら話してみたいとふと呟いたのを炭治郎は聞いていた。
 鬼殺隊がどういうところかは炭治郎も当時から聞いていたし、鬼を憎む者が大半を占めているという話だった。
「……ええ。あなたが話したことを理解しているのなら、対話は可能なはずでしょう? 私はずっと探してたもの」
「探してた?」
「私と話をしてくれる鬼を探してた。どこにもいなかったけど」
 鬼は人を喰い物と判断し、どれだけ会話ができようとも相容れることは不可能だった。共存できれば人は死ななくて済むはずなのに、平等でも何でもない関係が出来上がってしまう。鬼を救うことができれば戦う必要もないのにと、夢見ることがどれほど馬鹿らしいことなのかを自らの目で見てきたのだという。
「だから、禰豆子ちゃんと仲良くなりたいの。人を喰わない鬼なんでしょう?」
 義勇が何を望んでカナエと話をさせたかったのかを考えた。
 珠世という理知的で人を助ける鬼の存在を教えたかったのだろう。身を隠している向こう側のことを、勝手に話題にはできないからと炭治郎に判断させようとした。そして、カナエにその顛末を託そうとしたのかもしれない。
 それならば炭治郎が仲を取り持たなくてはならないだろう。カナエは人を喰わない鬼に好意的ではあるが、鬼狩りたちに会えば珠世は真っ先に狙われるような存在だ。
 だが、義勇がカナエと話をしろと言い、彼女は禰豆子と話がしたいと言った。その言葉に嘘はない。
「ありがとうございます! 失礼します!」
「もういいの? 何も解決してないと思うけど……」
「いえ、これからすべきことがわかりました! 待っててください、頑張りますので!」
「うん? 無理しないようにね」
 炭治郎は義勇に珠世との取りなしを託されたのだ。それならばやり遂げなくては、恩を仇で返すようなことだけはしたくない。善は急げと手紙をしたためることにした。
 まあ、居場所がわからず書いた文を手に途方に暮れてしまったのだが、その後何とか茶々丸に頼み込むことに成功した。