そして裁判へ
「……カナヲに話をしておくべきでしたかね。混乱させてしまったようです」
誰がどれだけ上手く話したとしても混乱させたような気もするが、事前に聞かせておけば心構えもできただろう。
あくまで時期が来るまでは水柱の秘蔵っ子という位置づけで、話していいと産屋敷が言ったのはしのぶたち昔馴染み相手だけだ。意向を無視して教えるわけにもいかなかったのだから仕方ないが。
「頑張ってるみたいですね、常中も何とか使えるようです。カナヲも教える前に盗んで覚えてましたが」
義勇の修行を受けてかなり鍛えられているようだし、常中も基礎扱いで教えたのかもしれない。鬼殺隊にいる以上のんびりしている暇はないが、現時点で生き残っているのだからまだまだ強くなる機会は残っている。義勇の基礎訓練はしのぶも目を剥くほど厳しいものなので、炭治郎の実力は相当高いはずだ。
よかった。これで初任務で殺されるようなことがあれば義勇の心はとてつもなく傷ついていただろう。鬼殺隊である以上そんなことは珍しいことでも何でもないが、悲しんでいる姿はあまり見たくはない。
「さて、義勇さんも覚悟をしないといけませんね。たぶん相当怒るでしょうし」
元々粗暴さのある不死川は鬼と見るや襲いかかるような抑えの利かない人だし、鬼を心底憎んでいる人を説得するのは至難の業だ。
逆に読めないのが煉獄と甘露寺、そして宇髄。彼らは鬼の襲撃に遭わずに鬼殺隊に入ったと聞いているし、話せばわかってくれる可能性が大いにある。まあ宇髄は派手なほうへと意識を向けるので、禰豆子を認めることが地味であると判断されればどうしようもないが。
煉獄も鬼狩りの家系である以上、おいそれと認めることはないだろうとは思うが、義勇と仲良さげに話していたことを思い返すと、余地はあるのではないかと希望を持ってしまう。甘露寺ならばもっと希望がありそうだった。
そもそも皆悲鳴嶼と義勇の鍛錬に参加していたので、義勇の人となりはある程度すでに知っているのである。そこで絆されてくれれば助かるが、昔馴染みのしのぶたちならばともかく他の面々はそうはいかないだろう。
まあ、しのぶが気を揉んで考える必要はないのだが。こうして義勇も炭治郎も、禰豆子も頸は飛ばずに生きている。人を襲わないことを目の当たりにしてしまっているのだし、ひと悶着ありそうな予感に仲裁に入るつもりはあった。
乱闘にでもなりそうなら止めなければ。そう考えていたはずが、改めて言葉で聞かされると胃の腑に重石を乗せられたかのようにずしりと気分が悪くなった。
ただ、悲鳴嶼と義勇が腹を懸けていることには皆大なり小なり動揺したらしい。情けないことにしのぶも含めてだが。
鬼である竈門禰豆子を連れ歩く隊士のことは、産屋敷直々に容認して内密にするよう伝えていたことを柱の面々に伝えられたが、それによって彼らはまた混乱に陥っていたようだった。
しのぶとしてはそこについてとやかく言うつもりはもうない。しのぶにとっての問題はそこではなかった。
竈門禰豆子が人を襲った場合の対処について、予想していたことではあった。義勇がそれを想定していないはずがなかったし、何をもって責任を取った形にするのかをしかと理解している。追放も斬首も恐らく最初から覚悟していたはずだ。悲鳴嶼がともに責任を背負うことには、きっと難色を示したのだろうが。
全部二人で背負うなんて。鬼殺隊に鬼を引き入れることは相当な覚悟を持ってしたことなのだろうけれど、本当は悲鳴嶼も巻き込むつもりがなかったのだろうことも、しのぶには易々と予想できた。何が原因で伝わったのかはわからないが、きっと先に知るのがしのぶだったとしたら、義勇はともに腹を懸けることは許さなかったのだろうと思う。
義勇が頼るのは悲鳴嶼くらいだ。錆兎にすらあまり寄りかかろうとはしていなかった。しのぶはずっと頼りにしていたが、のっぴきならない状況にでもならなければ、義勇は腹の底から頼ってはくれないのだ。
まあ、しのぶのごく個人的な想いについては今は置いておこう。
本部まで運ばれてきた炭治郎は覚悟を決めた顔をしつつも箱がそばにないことに狼狽えた。離れた場所で隠が見張っていると伝えると複雑そうな顔をしながら頷いたが、その箱を持って現れた不死川が刀を突き刺したせいで炭治郎が激昂し、あわや乱闘に発展するところだった。柱相手に頭突きを食らわせようとした炭治郎の首根っこを掴んだ義勇は、そのまま地面に押しつけるようにして止めさせたので不死川も炭治郎も不完全燃焼のような表情になっていたが、産屋敷が現れたことで一先ずはそちらに意識がいったらしい。まあ、他の誰かが手を出すより余程早く収まっただろう。
そして産屋敷から伝えられたことについて、不満が出るのは仕方ないことでもあった。
「柱二人の、しかも悲鳴嶼さんの首までだと? そんなことになったら鬼殺隊は壊滅状態だぞ」
「こいつが柱になれるくらいの実力があったとしてもな」
炭治郎自身も義勇と悲鳴嶼の覚悟を聞いていなかったのだろう。涙を堪えきれない様子に宇髄が呆れたように声をかけた。
その後もまたひと悶着あり、鬼舞辻無惨との接触についての尋問、図らずも禰豆子が人を喰わない証明をする羽目にもなったが、一先ずは何とか落ち着きを取り戻した。
産屋敷であろうと悪鬼滅殺を望む柱を説得するのは至難の業だ。甘露寺はともかく、やはり煉獄も宇髄も義勇の所業に驚きを隠せないまま反対を示していた。伊黒が大人しく様子を見ていたのが不思議なくらいだ。
「では蝶屋敷までお願いしますね」
「珠世さんによろしくね」
産屋敷の言葉に目を丸くした炭治郎だったが、これより先は柱のみの領域だ。隠が逃げるように抱えて去っていくのを見送り、産屋敷は気を取り直して会議を続けた。
「貴様はたった一度見ただけの鬼が人を襲わないと本当に判断したのか」
産屋敷が去った後、伊黒は一つの問いかけをした。
冨岡とは特別仲が良いとは言えないが、伊黒も悲鳴嶼と冨岡の鍛錬に参加したことがある。積極的に話しているところは見なくとも、険悪なわけではなかった。
「貴様があの小僧と会った時のことを詳しく話せ」
産屋敷からの話だけでは納得がいかないらしい。確かに、説得されただけで頷くには宇髄としても難しいとは思う。
表情を削ぎ落としたようないつもの冨岡の顔は、相変わらず何を考えているのかわからなかった。
「……詳しくも何も、お館様の仰ったとおりのことしか話すことはない。屋敷にいる時も炭治郎の最終選別が終わるまで一度も起きなかった」
「あるだろうが言うことが! 最も重要な経過を見ておきながら今聞くまで言わなかっただろ!」
どこで匿っていたのか予想はしていたが、やはり冨岡の屋敷だったようだ。まあそれは下手なところに隠れるより余程上手い隠し場所だとは思うが、それよりも気になる話を冨岡は今口にした。
「年単位で寝る鬼なんかいるもんか?」
「わかりませんけど、姉が一度診察してますから寝ていたのは事実ですよ」
一年半ほど前に胡蝶カナエが竈門禰豆子の容体を確認したらしいが、当時もただ眠っているだけでおかしな心音もしなかったらしい。恐らくは人を喰う代わりに睡眠で回復しているのではないかと診断したという。胡蝶の言葉に伊黒はしばし黙り込んだ。
「……そもそも貴様は前々から言葉が足りん。悲鳴嶼さんや胡蝶には話してるのかもしれんがな」
確かに。宇髄はもう慣れたが、冨岡は寡黙で話しかけなければ声を発することがない。これが悲鳴嶼や胡蝶のような昔馴染みなら自ら話しかけるらしいが、伊黒ではまだ親密度が足りないのだろう。別に冨岡と親密になりたいわけではないだろうが。
「……俺は鬼など信じないが、貴様があれに何かを見出したことは事実なんだろう。鬼舞辻無惨と遭遇していたなどという話だし、利用価値もあるんだろうしな。……だから言いたいことがあるなら言え。利用するのが気に食わんのか? そんなものは、」
「いや。したいならすればいい」
不死川のしでかしで人を襲わない証人になってしまったのはこの場所にいる全員だ。冨岡の言葉に毒気を抜かれたような表情を一瞬した後、伊黒は溜息を吐いて黙り込んだ。
「ふーん。まあお師匠がそう言うなら好きに使わせてもらうぜ」
「兄は人間だ……限度は弁えるべきだ」
「そんな変な使い方はしませんって」
悲鳴嶼に釘を刺されてしまったが、鬼の使役ができるとなれば滅殺にも役立つ可能性もある。あの過保護そうな兄を抑え込んで妹を使うほどの場面があるかどうかは謎ではあるが。
「……チッ」
「………。俺も帰る」
貴様は柔軟過ぎる。
舌打ちをして背中を向けた不死川を追うように伊黒は踵を返した。小さく呟いた伊黒の声は宇髄には聞こえたが、冨岡に聞こえたかは不明だ。
過去の水柱にもこれほど柔らかい頭を持っていた奴はいないだろう。伊黒の憤りもわからないでもない。
「……さすがにお二人は難しいようですね」
「まあ、当然だな。どう考えたって殺すほうが安全だ。鬼舞辻無惨と接触してるのは兄貴もだって話だし、それなら兄貴を囮にして鬼の妹は殺したって構わねえんだ」
「それはそうですが……」
ぼんやりしている時透はすぐ忘れるからと興味はないようだし、甘露寺は産屋敷の采配に従うと言って気にしないようだ。ちらりと煉獄へ目を向けると、宇髄の視線に気づいたらしく視線がかち合った。
「俺は自分の目で見たものを信じることにする。今日は不死川から顔を背けた鬼を目の当たりにした」
そう、鬼の娘は血の滴る喰い物を前にして顔を背けたのだ。しかも特殊な稀血である不死川の腕から。鼻息荒く涎を垂らしながらも喰わないことに神経を注いでいた。宇髄たちが目にしたのは、人を襲わない鬼だったのだ。
「きみは目が良いからな!」
どういう意味かわからなかったらしく、冨岡は目を丸くしたあと首を傾げたが、煉獄もまた帰ると口にし、ついでのように甘露寺と時透に声をかけて連れて去っていった。
様々な意味合いがあるが、煉獄が言ったのは恐らく選定眼とかそういった類の意味だろう。鬼殺隊に所属している者が鬼を引き入れるなど誰もすることはなかったはずだ。
「煉獄はともかく、悲鳴嶼さんも胡蝶もだろ。よく鬼を受け入れたもんだ」
「……私はまだ信用しきれてはいない。これから惑うこともあるだろうと今日で感じた」
わかる。あの理性は決して鋼ではないことを察したのだ。宇髄は危なっかしいと感じていたが、悲鳴嶼もそう見えたようだ。
なら何故腹を懸けたのか。その疑問が空気から伝わりでもしたのか、悲鳴嶼はふと笑みを浮かべて言葉を続けた。
「私が信じているのは、……信じるに値する者がそう言うからだ」
「……いや、冨岡を信じたいのはわかったけど……」
冨岡ではない他人の所業一つで腹は掻っ捌かなければならなくなるのに、信じきれない鬼のために命を懸けるなど正気かと問いたくなるくらいだ。
それほどに冨岡を信じているのはわかったが。
この二人の関係性はひと際強固であることは理解していた。一番長い付き合いだというのは聞いたことがあるし、恐らく鬼殺隊以前からの知り合いなのだろう。悲鳴嶼ほどの者が、そうなるに相応しい出来事があったのだろうことも予想できるが。
冨岡自身も悲鳴嶼を盲信しているような節があるし、この二人は互いに並々ならぬ感情を抱いているようにも見える。それがどんな意味を持つかまではわからないし知ろうとは思っていないが、まあ、寄りかかれる相手がいるのなら良かったとは思っていた。