柱のボランティア
「悲鳴嶼さんのところで稽古を?」
「おォ、蝶屋敷でもたまにやるが、悲鳴嶼さんと冨岡と胡蝶。あいつら中心にやってんだ。煉獄も行ってる」
「ほう。蝶屋敷は行くたび冨岡と悲鳴嶼さんに会うとは思ってたが」
そういえば隊内の噂でも聞いたことがある。
岩柱と水柱の稽古で生き残った者は柱以外にいないとか、耐え切った者は必ず出世するだとか。噂自体はつまらないものだが、稽古があったことは事実だったらしい。
伊黒が昔馴染みだった煉獄とともに柱として本部に呼ばれ、顔合わせを済ませた日のことだ。挨拶ついでに不死川に声をかけると、これから岩柱のところで稽古をするのだと教えてくれた。離れたところで悲鳴嶼に声をかけている煉獄も行くらしい。
「そりゃずっと蝶屋敷の手伝いしてるからだなァ」
「何。胡蝶姉妹の手伝いを二人が?」
「おォ、何か昔馴染みだって話だァ。冨岡の元継子は隊士辞めてから住み込みで」
そういえばもう一人、片腕が義手の男の顔をよく見たのを思い出した。あれが冨岡の元継子だったのだろう。
鬼殺隊というのは常に人手不足だ。元継子というのだから、きっと階級も上位だったのだろう。戦力を失うのは厳しいが、蝶屋敷に常駐する者がいるのは助かりもする。
「俺たちには要請はないのか?」
「任せっきりは気にはなってるが……大体要らねェって言われんだよなァ」
「柱の仕事は多いと聞いてるが、下級の隊士では手伝えるほど軽傷で任務を終わらせるのが難しいことも予想できる。現状柱しか手伝える者がいないんだろう。それなら……せめて悲鳴嶼さんたちの分だけでも分担できるようになればいいと思うのだが」
「まァな……やっぱそう思うよなァ」
不死川も気になっていたらしく、もう一度声をかけてみると思い直したようだった。
そう劇的に何かが変わると思っているわけではないが、地道に良くしていかなければならないとも思う。新参の伊黒から言っても無駄かもしれないが、不死川ならば大丈夫だろう。
「悲鳴嶼さんと昔馴染みだって奴らは昔から鍛錬内容が凄かったらしいぜェ」
冨岡の育手とも交流があるらしく、わざわざ修行内容に悲鳴嶼のやっていた鍛錬を追加したという逸話があるらしい。それを経験したのは胡蝶姉妹と冨岡の元継子の三人がいたそうだ。
冨岡自身は一時悲鳴嶼と同じ育手の元で修行していただとか、とにかく強さの裏付けのようなものを垣間見たような気分で話を聞いていた。
「あそこの稽古は目標がある。まァ到達できなくても罰則みたいなもんはねェけど」
「………? 何だ? 上弦の鬼を殺すこととかか?」
「まず遭遇すんのも確率がな……違ェよ。透き通る世界ってのが視えることだァ」
「透き通る……世界?」
聞いたことのない言葉だ。詳しくは悲鳴嶼に聞けばいいと前置きしながら、不死川はその世界について掻い摘んで伊黒へ伝えた。
曰く、皮膚の下の骨や内臓が見えるようになること。それが見えると相手の呼吸すらわかるようになり、先読みのようなことができるようにもなるという。
極限まで鍛えた者だけが到達できるものなのだろうが、それを平然と見ている者がいるというのが空恐ろしい。
「……不死川は見えるのか」
「常時視えるわけじゃねェ。視え出したのも最近だが、何とかなァ」
見えるかどうかなど考えるまでもない。伊黒は特殊な体質を持っているわけでもなく、腕力も身体能力も突出しているものはない。何なら視力すら弱く、鏑丸がいなければ隻眼扱いともなるだろう。
見えないからと腐るつもりは伊黒にはないが、当然のように見ている者と同列扱いは荷が重い。
「視えなくてもそれを目指した鍛錬は必ず身についてるっていう話だァ。身体能力もあんま関係ねェって言うし、まァ悲鳴嶼さんに言われても説得力ねェけどな」
本人の努力があることはわかっているが、体格にも恵まれ柱の中でも最強に座する悲鳴嶼には、伊黒の悩みを理解することは難しいだろう。まあ、それは誰であってもそうなのだろうが。
「行くかァ?」
「……ああ。俺としても、まだまだ力不足を感じているところだ」
柱になったとはいえ、その辺の隊士たちと違いなどそうありはしない。鍛え直す良い機会である。ついでに呼吸法や技術面でも何か盗めたらいい。学ぶべきことはいくらでもある。
そうして伊黒も参加し始めた岩柱たちの鍛錬には、一言でいえば驚きの連続だったことに間違いなかった。
瞑想や素振りといった基礎的なものは伊黒もやっていたが、中でも驚いたのは岩の扱い方だ。一町動かすと聞いて伊黒は目眩がした。非力さを自覚していたからだ。
その後にあるという岩を斬る鍛錬ならいけるはずだが、小柄で腕力もない伊黒は早々にそれを諦めて技巧を求めた過去がある。技の変幻自在さではそう簡単に負けは見ないと自負していたが、力勝負のようなものはてんで弱いのだ。
だが、胡蝶しのぶは岩を砕く。
伊黒より少し前に柱になった彼女は鬼の頸を斬れないという、鬼狩りにとって致命的な身体能力でありながら蟲柱に就任していた。
彼女の突きは岩をも砕く。急所のようなものが岩にも存在しているのも関係しているのだろうが、それを的確に見抜くのは流石といえる。そうか、動かせずとも砕けば良いのか。伊黒なら細切れにしてやればいいかもしれない。女に関わりたくない伊黒だが、少し話をしてみたくなった。
そして噂には聞いていたが、悲鳴嶼と冨岡の二人は鍛錬でも一線を画していた。
柱合会議で顔合わせをした時点で空気が違うと感じていたが、稽古では更に違いを見せつけられた。
現在の鬼殺隊の中で最強はこの二人で間違いないのだろう。透き通る世界が見えていなくとも二人の能力は高いらしい。だからこそそこに到達したというべきかもしれないが。
これに追いつくにはどれほどの研鑽を積んでも足りない気になってくるが、そんな挫折を味わっている暇は鬼殺隊にはないのだ。
*
「あ、カナエさん! 俺も任務で怪我しちゃって、手当お願いしていいですか?」
「はいはい、ちょっと待ってね」
玄関に現れた隊士に声をかけつつ、カナエは用事を手早く済ませるために診察室へと一度戻っていった。
「時間ずらして正解だな。カナエさん手ずから手当してくれるみたいだ」
「女神に心配されながら手当最高だよなあ。今日は手握れるかな」
このような隊士がいることは錆兎も知っていたので、聞こえた会話に少し窘めるべきかと洗面所から顔を出そうとした時のことだ。玄関近くに誰かの気配が増えていて、思わず錆兎は顔を出した。
「痛そうだなァ……手当してやろうかァ」
「ヒィ! か、風柱様!?」
嘘だろ、とつい漏れた言葉が震えていて、隊士二人は絶望したような表情で不死川を見上げた。そしてあまりに驚いたせいか、隊士たちはそのまま踵を返して慌てて蝶屋敷を出ていった。まあ、大した怪我がなかったのならいいのだが。
不死川がここにいるのは蝶屋敷の手伝いをさせろと提案してきたからである。
同じ柱として、カナエの妹であるしのぶが蝶屋敷にいるのは理解できるが、悲鳴嶼や冨岡に任せっきりというのがずっと引っかかっていたという。一度打診した時は断られたが、伊黒も手伝うというのでもう一度提案しに来たらしい。
カナエはやはり難色を示していたが、この時悲鳴嶼はそれならと手伝うことを了承して今に至る。
錆兎にとっては悲鳴嶼の思惑が透けて見えるようだった。誰かと誰かの仲が良いと喜ぶ悲鳴嶼は不死川とカナエのことも観察したいようで、こうして顔を出しに来る不死川に泣いて喜んでいた。ちらりとカナエへ視線を向ける不死川を見て、錆兎は察してしまったわけだが。
まあ、そんな悲鳴嶼を複雑な表情で義勇は眺めていたし、義勇を心配そうにしのぶは見つめていたし、またも大きな溜息を吐いてアオイに心配されてしまったが。
「お待たせ、こちらに……あら、さっきの子たちは?」
「元気になったらしいぜェ」
なったというかならせたというか。錆兎としても窘める気でいたので不死川の行動は有難いが、それにしても顔を見て逃げるのは失礼が過ぎる。風柱を知っているならそれなりに隊士になって日数は経っているのだろうに、気遣いはあまりできないらしい。
「……不死川は我々より抑止になりそうだ……」
見ていたらしい悲鳴嶼が義勇とともに奥の間から現れた。診察室にはしのぶもいたようで、賑やかな廊下に顔を出した。
「伊黒さんもかなり抑止になりますよ。話しかけにくい柱上位三人なんですって」
「……誰が?」
「不死川さんと伊黒さんと悲鳴嶼さん」
義勇の問いかけに答えたしのぶの言葉で悲鳴嶼が肩を落として影を背負った。
悲鳴嶼は確かに体格もよく威圧感があり話しかけるのを躊躇するような雰囲気はあるかもしれない。そう思われていることに落ち込んでいるようだが。ちらりとしのぶへ視線を送ると、しまったとでもいうように口元に手を当てていた。
「でも、私たちからしたら悲鳴嶼さんがいないと大変ですし!」
「そうですよ、いつも凄く頼りになるし」
「……不死川はすぐ怒るから話しかけにくいのか」
「あァ!?」
「それもあるでしょうね。不死川さんと伊黒さんは感情的になりやすいですけど、悲鳴嶼さんは冷静ですから」
「ぐっ……」
慰めているらしい。おかげで不死川には更に深く針が突き刺さることになっているが、しのぶは特に気にしていないようだった。
以前のように真っ向から揶揄う隊士は見なくなったが、相変わらず力関係は元花柱が首位だと思われているようだし、そこに蟲柱であるしのぶも台頭してきていると思われても仕方ない会話内容だった。医療機関が機能しなくなれば鬼殺隊としても死活問題なのだから間違ってはいない。
「ていうか、義勇は話しかけにくくないんだな」
「外見は怖くないですし。アオイは怖かったですか?」
「え。あ、かなり……、いえ少し」
敷布を抱えて通りかかったアオイにしのぶが声をかけると、話自体は聞こえていたのか言い難そうに本音を口にした。衝撃と悲しみで義勇の表情が変わったのは久しぶりだ。不死川がこいつこんな顔すんのか、などとでも思っていそうな顔で眺めていた。
「いえ、柱の方にお会いしたのが初めてで、あとはその、気持ちが落ち込んでいたせいもあるかと……でも気遣ってくださったことは後々わかりましたので!」
「後々ね」
「は、話してる途中で! 岩柱様も錆兎さんもです! 風柱様も最近気にかけてくださいます」
「そうか……」
全方向に気を遣ったアオイの言葉でようやく悲鳴嶼の気分は持ち直したようで、義勇も表情は元に戻っているが嬉しそうにしている。二人とも可愛い、なんて言葉がカナエから漏れてきたが、個人的には怖がられているほうが下手なことを考える輩が大人しくて助かりはするのだ。柱が交代で監視のように蝶屋敷にいるなど、普通に妙なことはできないだろうが。
「カナエも不死川たちを労ってやりなさい」
「え? ええ、そのつもりです。今日はアオイと一緒に私もご飯作るから、好きなもの言ってね」
「……悪ィなァ」
どこか恐縮しながらも照れているような仕草をした不死川を、義勇としのぶは複雑な表情で眺めていた。