思惑巡りて
「最近更にしのぶと楽しそうだ」
「はい、まあ……」
以前にも増して一緒にいる時間が長くなっているのは自覚していたし、その理由もある。
悲鳴嶼自身は誰かの仲が良いと喜ぶが、今回において仲が良いから一緒にいるわけではない。いや、相談という形で声をかけられたのだから、仲が良くないとなかったことかもしれないが。
最近しのぶと話す内容は主に悲鳴嶼のことである。
悲鳴嶼と話す時のカナエが時折妙な言動をすることがあり心配していたのだが、様々な本を読み漁っていると、もしや恋煩いというものではないかとピンときたという。時折頬を染めては恥ずかしそうにしているし、カナエの視線はよく悲鳴嶼へと向かっている。
きっと姉は悲鳴嶼のことが好きなのだとしのぶは興奮したように口にした。まあ、悲鳴嶼と関われば皆悲鳴嶼を好きになるのは道理ではあるが。
しのぶとしても成就してほしいらしく、何とか仲を取り持ちたいとは思っているが、如何せん相手は悲鳴嶼。色恋について義勇とて詳しいわけではないが、正直どう感じているのかすら読めないところがある。
そういった相談すら義勇にしてくれたのは嬉しかったので協力するとは言ったが、何をすればいいのかがわからない現状のまま、しのぶと相談する時間だけが増えているのである。
「素晴らしいことだ……不死川に続き義勇としのぶも……」
「………? 不死川ですか?」
「ああ、いや……口を滑らせてしまった……これは内密にしておいてほしいのだが」
妙に嬉しそうな悲鳴嶼から教えられた内容に、義勇はひっそりと驚くほかなかった。
「春が来たようでな。不死川はカナエが好きなようだ。若者の恋とは良いものだ」
不死川がカナエに恋をしているなどという話がどれほど衝撃だったかといえば、悲鳴嶼が義勇としのぶについて妙な言い方をしたことに疑問すら湧かなかったくらいである。
別に不死川が恋をすること自体に文句があるわけではない。むしろあれほどの男に見初められる者はさぞ気立ての良い娘なのだろうと思えたし、カナエは正しくそのとおりの娘だ。不死川がカナエに惚れるのも納得しかない。
ただ、それは悲鳴嶼へのカナエの想いを知る前ならばの話だ。悲鳴嶼に動じた様子がさっぱりないのも何だか言い知れぬ物悲しさを感じてしまった。
「………、……悲鳴嶼さんは、恋をしたことは?」
「む、私か? いや、ないな……さすがに、する暇もない、しようとも思っていないが」
予想したとおりの返答である。何なら悲鳴嶼は不死川を応援するつもりがあるように感じられる。
どうしよう。役に立つようなことをしていないのにこれでは、しのぶに怒られるのではないだろうか。
不死川がカナエに恋慕することを、いくらしのぶでも止める権利はない。悲鳴嶼は見守る体勢に入ろうとしているようだし、どうなるのか見当もつかない。本当にどうしよう。
目の前で首を傾げるしのぶに何と言うべきかを悩み、口元をもごもごと動かしながら言い淀んでいると、何をもじもじしているのかと呆れた声が義勇へかけられた。
眉間に皺が寄っていくのを自覚して、頭を抱えそうになったり落ち着きをなくした義勇を、不審さよりも心配そうに覗き込んだしのぶの肩へ手を置いて一つ息を吐き出した。
「……恋をするつもりはないと」
「え?」
「悲鳴嶼さんの話だ」
ああ、と声を漏らしつつ、あまり良い報告ではないのだろうと気づいたらしいしのぶは神妙な顔で予想していたことだと呟きながら目を伏せた。さすがに予想するのと言われるのでは気持ちの落ち込みようが違うらしい。
「……誰かがカナエを想うことを喜ばしいとも言ってた」
「………。あ、そう、ですか」
脈がないことを突きつけられたせいか、しのぶは少し泣きそうな表情を見せた。何とか絞り出したらしい言葉はただの相槌にしかなっていなかったが、やはり伝えるのをやめておくべきだったのだろうか。引っ張るより早く伝えるべきかと思ったのだが。
「それならそれで。そもそも私が口出すことじゃないですしね、お節介でした」
「やめるのか?」
義勇の問いかけにしのぶは眉尻を下げ、俯いて小さな声で答えた。
落ち込むより怒るかと思っていたので義勇は少し困っていた。どちらかといえば怒ってくれたほうがまだ良かった気がする。こんなにしおらしいしのぶはなかなか見ないので。
「野暮だったんですよ。姉さんも子供じゃないし、わざわざこんなこと……何ですか」
「……泣いてるかと思った」
こんなに視線を彷徨わせて不安げにするしのぶも珍しい。もしやすでに涙が滲んでいるのではないかとしのぶの目尻を指で擦ったが、顔を上げたしのぶは泣いているわけではなかった。
「まあ……カナエを意識してもらうのは少し大変かもしれないが、あまり気に病むな」
そもそもしのぶと義勇で気にしていただけで、悲鳴嶼やカナエに直接何かをしていたわけではない。ひっそり見守ろうとしていたところで悲鳴嶼の爆弾発言を引き出してしまったのだ。せめて、そう、悲鳴嶼がカナエを意識してくれてさえいれば、あとは当事者たちがどうにかすること、で収まったのだ。
「……義勇さんはいいんですか?」
「………?」
何がだろうか。良いか悪いかでいえば良いと思う。人の感情など周りが何かを言ってやめさせられるものでもないし、好きになれと言ってなれるものでもない。その点で野暮だったというのは確かにそうだ。しのぶが観察をやめると言うのなら反対する理由もない。頷くと何故かしのぶは悲しげに表情を翳らせた。
巻き込んで悪いことしたなあ。
好きな人の恋路など応援したくも見守りたくもなかっただろう。
義勇本人は自ら口にすることはないだろうし、先程も誰がカナエを想っているかは言わなかった。自分の気持ちなど相手以外には伝えないものだろうし、悲鳴嶼が喜ばしいと言うのなら、それは恐らくしのぶもよく知っている者だ。
要するに、カナエを想っている者は義勇なのだろうとしのぶは推察した。だから悲鳴嶼は応援するつもりなのだ。
あの様子ではカナエに伝えるという選択肢も持ち合わせていないのだろう。何だかそれはそれで悲しい。
カナエの恋が成就すれば喜ばしいけれど、しのぶとしては姉を任せられるのは悲鳴嶼か義勇、そして錆兎くらいだ。まあ義勇に関してはカナエに任せるというほうがしっくりくる気がするが、とにかく下手な者と見合いして結婚されるより余程安心できる。義勇がカナエを好きだというなら応援したかったのだ。カナエの気持ちを知らないままであれば。
悪いことをした。しのぶの相談は辛かっただろうに、素知らぬ振りをして首を傾げていた。ああ、せめて少しはいつもより優しくしよう。柱の面々に何か言われていたらしのぶが仲裁に入ってやらなければ。まあそれはいつものことではあるが。少々胃が痛くなってしまい、しのぶは溜息を吐いた。
凄く可愛かったんだけどなあ。
こそこそ二人で寄り添って話していて、悲鳴嶼が微笑ましく見ていたところだったのに。
最近までの楽しそうな会話がなくなっていて、以前よりしのぶは少し義勇に気を遣っているような素振りを見せていた。それが何だか余所余所しい気がして悲鳴嶼は残念そうにしていた。
何かあったのだろうか。悲鳴嶼は二人の様子を眺めているのが楽しいようで、カナエとしても同じように見守っていたいと思う。まだまだ恋とかそういったものには発展しなさそうではあるが、最近の様子はいつも以上に仲が良かったからつい期待してしまっていた。仲が拗れるようなことになっていないといいのだが。
「お前もそういう相手ができたら仲良くしなさい」
「……はあい」
そういう相手なら、正直にいえば目の前にいるのだが。
相手にもされていないことはわかっていたし、言うつもりもないけれど。
しのぶと義勇を応援してしまうのは二人をよく知っているからという理由もあるが、カナエのように悲鳴嶼への想いを拗らせるようなことにならないでほしいからだった。
悲鳴嶼以上の人などこの世に存在しない。そのおかげでさっぱり他の人に恋愛感情など抱かなくなってしまった。いや、元々恋愛などしている暇はなかったけれど、隊士になる前から気になって仕方なかったのだ。
けれど想いは伝えられない。伝えてもきっと流されてしまう。身動きできなくてずっとこのままだった。それだけはしのぶにはしてほしくない。元に戻ってくれると嬉しいけれど、義勇をそういう意味で好きではないのなら仕方ないのだが、やはりカナエとしても仲の良い二人を見ているのが嬉しいのだ。
「はあ……」
「……大丈夫ですか?」
「ああ、まあ……」
錆兎が溜息を吐いたのは別に疲労のせいでも体調が悪いわけでもない。単に四人の様子に呆れてものが言えなくなっただけである。
悲鳴嶼は他人の恋路には非常に微笑ましく眺めたがるが、本人は自分に向けられるその手の感情にはてんで興味がないらしい。むしろわかっていない可能性があるし、気づいていても素知らぬ振りをしているのかもしれないが。
で、カナエだ。以前から何やら妙な態度を取ることがあったが、彼女はそんな悲鳴嶼のことが好きらしい。これに関しては正直なところ、真っ当にいい男に惚れたな、というのが感想である。義勇のことを錆兎は尊敬しているが、悲鳴嶼のことも尊敬しているので。どちらかに惚れているならそれはもう当然のことなのだ。錆兎から見ても二人は文句のつけようもない……義勇の場合は口数が少ないけれど、それも愛嬌だと思えば仕方ないと許せるいい男だろう。
そんな二人が一緒になって観察していたのが義勇としのぶの様子だ。
こいつらはこいつらでカナエと悲鳴嶼の様子を見守っていたのだが、それを何やら微笑ましく感じた悲鳴嶼とカナエもまた観察するというわけのわからない事態になっていた。錆兎は呆れ返っていた。
しかも最近何かあったらしく、義勇としのぶは悲鳴嶼たちを観察することをやめた。しのぶが少し落ち込んでいるようだが、何があったかまではわからなかった。それについても悲鳴嶼とカナエはがっかりしていたのだ。
いやもう、何やってるんだこいつらは。
悲鳴嶼含めてこいつらなど失礼極まりない言葉遣いではあるが、内心だけで思っているから勘弁してほしい。
仲良くしている様子が可愛いのはわからないでもない。悲鳴嶼が微笑ましく見ているのをカナエが見ている気持ちも何となくわかる。それを見る錆兎の気持ちにもなってみてほしいだけだ。
義勇もしのぶも恐らくただの友達、というより兄妹にも近いような感覚なのだろうと錆兎の目には思えるが、それが可愛くて見てしまうのも、いずれ一緒になるのを期待してしまうのもわかる。わかるけれど、どちらももう少しひっそり見守ってやれないものなのだろうか。何で気づかないのか不思議だ。
個人的には全員上手くいってほしいと思ってはいる。一番の難関は悲鳴嶼なのだろうし、カナエは他の隊士からも憧れられていたりするようなので、そちらから求められれば悲鳴嶼は応援してしまいそうだ。ちなみにしのぶはカナエほど優しくないので怖がられていたりするが、その辺も含めて義勇はしのぶを可愛いと思っている。カナエにも可愛いと言うので愛でる意味合いが強いのだが、怖がる隊士とは比べ物にならないくらいしのぶをよく知っているのだ。