鍛錬と世間話
泰然自若とした水柱の鍛錬は、予想以上に静かなものだった。
それを知ったのは上弦の弐を討伐する前のことだ。押し掛けたともいえる稽古の約束を果たしてくれた水柱と岩柱は、普段から五人で鍛錬をしていると言いながら、煉獄と当時病み上がりだった風柱両名を受け入れた。
手合わせも素振りもするが、それは主に型と実力を把握するためだそうで、ついでに叩きのめされることが多い。柱ばかりの鍛錬の中、煉獄は今の自分では太刀打ちできない実力不足だと痛感していた。
これでは炎柱になるのもいつになるやら。しかし焦りは良いことがない。
地道にやるしか道はない。息を整え促されるまま床に腰を下ろし、次は瞑想へと進む。この時同じく初参加だった風柱は普段から暴風の如き人ではあったが、瞑想では静かに向き合っていたのが失礼ながらどこか妙だった。
「南無阿弥陀仏……」
「うっ!」
「ぐぅ、」
ばしんと肩を叩いたのは岩柱だ。集中し直すために煉獄は深呼吸をした。
元々は水柱の瞑想だったため警策は使われていなかった。彼はただ静かに時折言葉で集中を促す。深い底に意識を沈み込ませ、明鏡止水の精神を保つ。冷静さはどの呼吸を使っていても重要なことだと興味深く感じていたところに、岩柱が警策を持って参加し座禅となった。
肩を叩くのは励ましの意味だと聞くが、水柱は一度も叩かれず集中も途切れていなかった。叩かれなければ集中できないとは未熟も未熟。あとから参加した、今は元となった花柱、胡蝶カナエの妹御――しのぶもまた叩かれることなく瞑想していた。
岩柱の鍛錬もまた厳しいものだった。煉獄は幼少の頃は父に厳しく指導されたものだったが、彼の鍛錬は並大抵ではなかった。凍えるほどの冷たさの滝に当たり続け、自分よりも大きな岩と向き合う鍛錬。それを岩柱も水柱も、胡蝶すらやり終えたというのだ。風柱も少し口元が引き攣っていたように思う。とはいえ柱は伊達ではなく、岩柱が動かしているのを眺めて気づきを得たのか、しばらくすると一町動かすことに成功していた。
これが柱か。煉獄が少し岩を動かせた時、風柱は最後だという鍛錬へと進んでいた。
一町動かし終えた大岩を斬ることで初心者向けの鍛錬は終わるのだという。水柱が育手の元で最後の修行として受けたのだそうだ。
すでに隊士なのだからすぐに斬れると何故か水柱が自信有りげに口にした。まあ、確かに岩を動かせればもう何でもできるようになるのではないかと思える。
「成程なァ。うおっ、何だァ」
早速日輪刀を抜こうとした風柱に水柱は竹刀を投げ寄越した。そしてとんでもないことを口にしたのだった。
「中堅の隊士と柱に選別前の鍛錬では足りないだろう」
それで斬るのが鍛錬だと。
それ。それとは。水柱が指しているのは風柱の手に渡った竹刀だった。
竹刀とは、何かを斬るものだっただろうか。ひっそりと困惑どころか混乱してしまっていた煉獄だが、風柱は納得したように頷いた。納得するのか、竹刀で斬るのを。水柱はどこ吹く風で胡蝶を呼んだ。
「はいはい」
竹刀を持って近寄ってきた花柱よりも小柄な胡蝶が、近くに置かれていた大岩の前で立ち止まった。どうやら水柱が動かしたものを使って手本を見せてくれるらしい。
彼女は花の呼吸から派生させた呼吸法を使うが、それは鬼の頸を斬らずに突きの技のみで作られた型だった。
煉獄よりも非力だったはずの胡蝶が竹刀を持ち、突きの構えを岩へと向ける。強い踏み込みとともに竹刀の先端が岩の一点を攻撃し、ぴしりとひびが入った岩は音を立てて複数の塊に割れた。ついでに竹刀の切っ先も壊れていた。
風柱は愕然と大口を開け、煉獄もまた茫然とその光景を目にしていた。
「………! ……凄いな! 俺はきみに腕相撲で勝ったが、まさか手を抜いてたか!?」
「いいえ、腕力はないんです、岩は動かせませんし。私は突きと毒でしか戦えませんから」
「そうか。凄いな!」
一つを極めることでここまで昇華するのは、並大抵の努力ではなかっただろう。驚いたように目を丸くした胡蝶は、どこか嬉しそうに小さく笑みを浮かべた。
「突きしか使えない私如きでも岩は割れるんです。柱と柱を目指す方がこれを斬れないはずがありませんよね」
「たりめェだわァ!」
胡蝶は煽るのが上手いらしい。かくいう煉獄も煽りという名の激励を貰い、早くここに辿り着きたい思いでいっぱいだった。
だが煉獄はこの時点でまだ岩を一町動かせていなかった。心頭滅却と反復動作。そして明鏡止水。岩と水を体現したような二人から受ける鍛錬は煉獄にとって物珍しく新鮮だった。
やがて稽古を続けているうち、自分に力がついていることに気づくことがあった。
任務中の戦闘時、自然と明鏡止水の境地を求め、心頭滅却を心掛け周りの気配に敏感になっていた。戦いに冷静さも視野の広さも大事なものであり、それは使う呼吸が違っていようと必要なものだと思い知り、間違いなく強くなっていると自覚できたのだ。
過酷であれど稽古を受ければ実力がつく。隊全体に鍛錬を義務付けようとしたことがあるようだが、あまりに過酷過ぎて心が折れる隊士がいたという。
そのため彼らは希望者のみを迎え入れるようにしているようだった。それには柱が多く混じっており、岩の鍛錬の後は更に過酷な稽古をしているのだとか。煉獄としては格上の強者たちから稽古を受けられる絶好の機会であり、大事な修行時間なのである。
*
「悲鳴嶼さんと冨岡が隊士鍛えたいらしいってのは聞いてたが、ま、これは駆け出し程度じゃついていけねえわな」
「んなこと言ってっからいつまでも弱ェままなんだよォ」
「そりゃ俺もそう思うけど」
死ぬ覚悟で鬼殺隊にいるくせに、鍛錬にはついていけないなどという隊士の多いこと。生きるつもりがないのかと呆れるばかりだ。能力の違いもあるのだから仕方ないところもあるのだろうが。
悲鳴嶼と冨岡の稽古には宇髄も興味があった。
はっきりいって柱の中でも二人の実力は抜きん出ているわけで、横並びになる柱たちの中で冨岡は頭一つ、悲鳴嶼は更にもう一つ上の実力差だ。聞けば師を同じくしていた時期もあるという話で、もう一人の師もまた元々の修行に取り入れるものがあったという。
二人と同じ鍛錬を積めば近づけるのではないかという単純な発想だが、これは間違いではないだろう。さすがに冨岡に悲鳴嶼並の筋力はつかなかったようだが、特性を活かしつつも似通うところはある。圧倒的な力を見せる悲鳴嶼に冨岡も憧れたのかもしれない。
まあ、そんなわけで興味を持った宇髄は、不死川が参加していると聞いて同じく加わることにしたのである。
「隊士の中じゃ妻帯者って珍しいと思ってたけど、宇髄さんもお嫁さんがいらっしゃるし、少なくはないのかもね」
道場へ戻ってきた宇髄たちにも患者のついでに食事を用意してくれていたらしく、元花柱と隊服を着た、神崎というらしい女隊士が運んで来てくれた。
薬の補充もしたいと宇髄は胡蝶カナエに頼み、食べ終えた食器を運ぶ手伝いをしながら薬剤室へとついていった時のことだ。
「まあ、俺は隊士になる前から女房はいたからな。隊士になってから結婚なんてのはあんまいないかもしんねえが。気になる相手でもいるわけ?」
深く考えていなかった問いかけだったが、宇髄の言葉にカナエの頬がほんのりと赤く染まった。
隊士を続けられなくなって色々と悩みもしたようだが、前向きな思考になっているらしい。きっと柱のままだったらこんな話題は出なかっただろう。
「何だよ、好い人ってのがいんのか」
「えっ、いや、そういうわけじゃ」
なかなかにわかりやすい反応である。
柱にまでなった女が見初めるような男はそうそういないと思うが、カナエの周りには柱も柱候補もいたわけである。むしろそれ以外に目を向ける暇があったかといえば怪しいところだ。
「いいじゃねえか、派手に大事にしてくれるような男がいれば」
「何言ってるんです、姉さんの相手は私が納得できる人じゃないと。悲鳴嶼さんとか、義勇さんとか」
会話が聞こえたらしい胡蝶しのぶが怒ったような表情で宇髄を睨みつける。後ろには何やら手伝いを頼まれでもしたのか冨岡と、妙な顔をした不死川が立っていた。
「な、何言ってるのしのぶ、義勇くんは駄目よお。悲鳴嶼さんが許さないわよ」
「さび、え?」
冨岡の元継子の名を続けて口にしかけたしのぶの言葉を遮るように、カナエは誤魔化すかのように笑った。きょとんとしたしのぶとともに冨岡の眉も顰められ、どうやら知らない話を耳にしているようだった。
「義勇くんにはね、義勇くんのことをきちんと理解して立ててくれて包み込めるくらいの、支え合ってくれる家柄の良い女性じゃないと駄目って言ってたもの」
「聞いたことないが……?」
「本人の前では言わないからね。心配してるのよ悲鳴嶼さんは」
結婚を強要するつもりは悲鳴嶼にはないらしく、冨岡がしたいと言うならばという前提で相手を厳選したいようだ。何というか、普通の親ならこんなふうに心配するのではないかと思うので、悲鳴嶼はもう冨岡の親代わり気分なのかもしれない。しかし。
「それお前も当て嵌まるんじゃねえの?」
「え? ……あらら、そうなの? でも駄目よやっぱり」
長い付き合いだという冨岡のことはよく理解しているだろうし、朗らかで包容力もある。自分の旦那であれば男を立てることも上手くやるだろうし、医師の娘だという家柄も、悲鳴嶼は全部カナエを想定してそのようなことを言っているのではないかと宇髄は感じた。
少し考え込み始めたしのぶはともかく、妙な顔をした不死川が気になってしまったが。