目標

 隠が担架を奥へと運び込む光景は、いつまで経っても慣れることがない。
 話したことのない隊士が大怪我を負い弱っていく姿も、つい昼間まで元気だった者がぐったりと動かなくなっているのも。
 任務から戻ってきたばかりのしのぶが指示をしながら叫んでいて、怪我をしていても意識も動くこともできる悲鳴嶼は患部を押さえつつしのぶを気にしていた。担架に寝かされた錆兎とカナエを見て動揺しているしのぶを叱咤しつつ、何とか終わらせることができた。
 ただ、それは処置が完了したという意味だ。療養が明けた後、以前と同様隊士として戦えるかといえばそれは別問題だった。
「戦う気概があっても、利き腕が失くなっては動きが鈍る」
 錆兎一人いなくなるだけで鬼殺隊の戦力はかなり削がれるだろう。だが上弦の弐と相対して拾い上げた命を大事にしてほしいとも考えてしまう。それは悲鳴嶼にもカナエにもいえることだ。彼らのやりたいことを尊重したくはあるけれど。
「義勇はそう言うだろうと思ったよ」
 自嘲したような笑みを浮かべていたが、心中穏やかではないことは察していた。
 剣士であることが当然の姿だとでも思えるような錆兎のことだ。命が尽きるまで鬼狩りとして戦うつもりだっただろう。今でもそう思っているだろうに、錆兎は小さく口にした。
「お前の足を引っ張ることだけはしたくない」
 義勇の背中を叩いてくれることはあっても、錆兎が足を引っ張ることなどありはしない。そう伝えても錆兎は首を振るだけだったが。
 気を取り直したように顔を上げた錆兎は、心配するなと一言口にして笑みを見せた。
「悲鳴嶼さんとカナエのおかげで俺は生きてる。隊士は続けられないが、鍛錬は続けるぞ。この先も何があるかわからんからな。刀が持てなかろうと決めたことは曲げない。男だからな」
「決めたこと……」
「……そうだ。鬼殺隊に骨を埋める覚悟。拾った命は最期まで使う。なに、あてはある」
「………。そうか」
 あてというものが何なのか気にはなったが、錆兎がどんな命の使い方をしようと義勇に言えることはない。だがそれでも、やはりどうしても感じてしまうのだ。
 生きて帰って来てくれてよかった。悲鳴嶼も、カナエも。

 上弦の鬼との戦闘で命を拾うことがどれほど難しいかは想像に難くない。三人とも戻ってきたのが奇跡だと言われるほどだ。更に打ち倒しているのだから、およそ百年ぶりの快挙だった。
 産屋敷は柱合会議に錆兎を呼んで三人に、まずは生きて戻ってきたことを喜んだ。そして上弦の弐との戦闘報告、鬼舞辻無惨についての情報がなかったかを確認し、最後に今後の身の振り方についてを質問した。
 悲鳴嶼は怪我はまだ完治していないものの、すでに今までどおりの任務にも復帰している。錆兎については利き腕を失くして満足に動けなくなったと報告していたが、義手を使うことは検討しているという。どうやら鱗滝に頼み込んだらしい。あてとは義手のことだったかと納得したが、言ってくれれば良いものを。
 その義手も、日常生活から鍛錬まで使えるようになれば、もしかしたら隊士として復帰ができるかもしれないという。良いのか悪いのか義勇は少々悩んでしまったが、戦力としてを考えるならばこれ以上のことはない。
 そして、カナエの処遇は。
「肺を酷使することは控えなければならないということだね」
「……申し訳ありません」
「命を散らさなかったことを喜ばしく思うべきだよ。カナエには随分負担を強いてきてしまったからね」
「いえ! 私としのぶを案じてくださった方が沢山いらっしゃいました。私だけに負担がかかっていたなどとは決してありません」
 産屋敷は鬼の殲滅を望んでいるが、決して隊士が死んでいくことを望んでいるわけではない。上弦の弐の討伐に喜びはしたが、それ以上に生きて帰ってきたことに感謝していた。
「隊士の命を預かっているという点で柱の誰よりも責任が大きい。医療に専念してもらうほうが隊士も気が楽になるかと思います」
 蝶屋敷では散々揉めていたカナエと悲鳴嶼だが、結局カナエが悲鳴嶼の提案に折れた形となった。
 カナエが柱を辞めたくないと言ったのはしのぶが継子として存在していたからだった。
 継子である今のしのぶの階級は丁だ。停滞していた頃に比べると飛び級でもしたかのような昇級だが、それでも甲には程遠い。柱になれば任務量は今と比べ物にならず、危険も更に増えることがわかっている。継子としてしのぶをカナエの下に置いておけば、カナエが柱を辞するまではしのぶの仕事量は抑えられると思ったからだという話だった。
 悲鳴嶼がどのような説得をしたかは義勇にはわからないが、花柱の継子としてのしのぶはまだ柱にはなれないことが決まっている。カナエは医師として蝶屋敷の管理に専念することを決めた。
「カナエにはまた無理をさせることになるね」
「いいえ……役に立てるならいくらでも」
 控えめに笑みを浮かべたカナエは、産屋敷へ深く頭を下げた。

 何と声をかけて良いのかわからなかった。
 彼女は花柱で、隊士の命を預かっている人で。彼は水柱の継子で、階級は甲で、冨岡に何かあればすぐにでも柱を任せられるような人だった。それが上弦の弐との戦闘で隊士を辞めることを余儀なくされた。
 生きていたのだからとアオイなら安堵してしまうと思うけれど、アオイとは考え方の違う人たちだ。怖くて蹲ることも、足が止まることもなかった人たちだ。恐怖を感じたとしても、それを押し殺して戦える人たちだった。
 アオイには想像もつかない思いが渦巻いているのだろうと感じたし、それに軽々しく触れることができなかった。
 カナエが蝶屋敷常駐となることで以前よりも治療に専念できるのは良いことだと思うけれど、アオイはこれで良いのか悩んでいた。
 今までもカナエが大半の治療にあたっていたが、カナエが怪我をしている時はしのぶが診察に入る。姉妹のうちどちらかが診察室にいるのが現状だ。二人のうちどちらかの指示を待っているのがアオイだった。
 カナエは奇跡的に生きて戻ってきたけれど、この先誰も死なない保証など一つとしてない。しのぶがどこかの任務で命を落とす可能性だっていくらでもあるのだ。
 もしもそうなったら、カナエは休む間もなく仕事をするだろう。冨岡や悲鳴嶼が手伝っていたとしても、それは結局彼らの善意でしかない。本来なら彼らの仕事ではないのだ。
 蝶屋敷常駐であるアオイが、カナエの仕事を引き継げるようにならなければならないのではないのか。
「………」
 扉の前で立ち止まり、アオイは緊張しながら呼吸を整えた。
 カナエは頭ごなしに無理だと断じたりはしないだろうけれど、簡単なものだと思って言っていると思われるのは嫌だ。アオイにできるとは露ほども思っていないのだ。それでも。
「……あの。私……、私、勉強したいです。その、医学を」
 ノックをして返事を待ち、アオイは扉を開けて早々にカナエへ言葉を紡いだ。驚いたような顔が寝台の上からこちらを見た。
 戦えないなら別の道を。冨岡が示してくれたことだ。戦場で役立たずのアオイなのだから、それ以外で役に立つようになりたかった。腰抜けの自分が考えるせめてもの気持ちだった。
「……そう。色々考えてくれたのね。……ありがとうね」
 優しくしてくれた人たちに少しでも報いることがしたい。アオイは刀を持つことを諦めたけれど、それ以外のことは諦めたくない。自分がどこまでやれるのかなど、自分にもわからないものだ。理想や目標に向かって努力するしかできないのだ。それは、それだけはきっと、カナエも錆兎も同じなのだろう。

*

「上弦の鬼は長きに渡り入れ替わることがなかった。弐を倒したことで鬼の動きも変わる可能性があるだろう」
 上弦の鬼が産屋敷邸を襲撃する可能性も有り得なくはない。いつ何時もそれを予期して本部の秘匿には細心の注意を払っていた。
「鬼殺隊全体の能力の底上げが必要だろう。強制しても良いことはないと思うが、考え直すべきかもしれん」
 悲鳴嶼は鍛錬を強制したりはしなかった。そもそもが継子も弟子も取っておらず、悲鳴嶼を慕ってくれる義勇たちが同じ鍛錬をし始め、それが日課となっているだけだった。ある日を境に不死川や煉獄が混じるようになってはいるが。
 悲鳴嶼は道場に義勇を呼び、互いに向かい合って座っていた。
「……上弦の弐との戦闘時、私は盲目であるにも関わらず視えるものがあった」
 筋肉、骨、血管、内臓。皮膚の下にあるものが透けて視え、時間の感覚が遅く感じた。深く注意すれば相手の動きを先読みすることも可能だった。上弦の弐との戦闘時、悲鳴嶼の盲目の目には間違いなく映るものがあったのだ。
「透き通った世界……即ち無我の境地というものだろう。限られた者しか視ることはできないと聞くが……お前なら視えるようになるだろう」
 義勇の空気が悲鳴嶼の言葉によって揺れた。
 自らを過小評価する質にある義勇は、悲鳴嶼が買い被っているなどと考えているのだろう。そんなことは決してないのに。
「感覚を鋭くすれば目で視えないものが視えてくる。呼吸を極め、心頭滅却して更に五感を研ぎ澄ます」
 これが視えるのは柱の中でも限られた者となるのかもしれないが、たとえそうであろうと、義勇なら視えるようになると確信していた。
「これは買い被りでは決してない。私が知っているお前は必ず視るようになる」
 それで生き残る確率が更に増えるのならば、どれだけかかってもその境地に達してもらわなければならない。
 義勇の直向きな努力は実を結ぶ。悲鳴嶼がこう告げては、恐らく義勇はもっと研鑽を積むだろうこともわかっている。きっと悲鳴嶼よりも早い年齢で視えるようになるだろう。
「……お前はまだ若い。努力を怠らぬのが一番の近道だ」
 恐らく、上弦の弐を倒したことで鬼側から更に警戒されるだろう。十二鬼月の動きが活発になり、悲鳴嶼も襲撃を受ける可能性がある。それは誰しもにいえる危険ではあるが、死の危険は以前より跳ね上がる。
 死に怯えているわけではない。道半ばで倒れ、仲間の足を引っ張ることだけは避けなければならない。
「……錆兎のことは、助けられずすまなかった」
「いえ。元より覚悟の上で鬼殺隊に入りました。……命があったのだからよかった」
 皆死の危険を承知の上で鬼狩りになったのだ。死に怯える姿を晒すことなく、憤りを見せることなく錆兎は片腕を落としたことを受け入れた。きっと本人は苦しんだだろうが、それでも命があったことを喜ばしく思う。
「カナエも私を許してくれるだろうか」
「悲鳴嶼さんを恨むようなことは誰もありません」
 二人の隊士の未来を潰したのは悲鳴嶼だ。二人はそんなことを口にしたりはせず、悲鳴嶼を恨むこともなかった。若い彼らに悔いを残させ、自分だけは柱として復帰している。何ともやりきれない。
「……錆兎は、蝶屋敷に住み込むことを決めました。錆兎なら姉妹も構わないらしく、隻腕でも男手があれば助かるだろうと」
「……そうか、確かに」
「義手はすでに着手しているそうです。日常生活が問題なくなれば、稽古にも参加したいと」
 錆兎は悲鳴嶼よりも前向きだった。こうして後ろ向きに考えていることを全て流してしまうような勢いだ。悲鳴嶼とも義勇とも違う。それが救いになるかのようだった。