隊士になるまで

「妙なことを吹き込まれたか、頼りにしていた大人が豹変した姿は鬼と見紛うほど恐ろしかったんだろう」
「ち、違う。沙代が見てなかったのは、」
「彼以外にこんなことをやれる人はいなかったんだよ。隠してはいけない、見たことをそのまま教えてくれないか」
 庇わなくていい。優しげに口元を緩ませた警察官の顔が、義勇の目にはよほど恐ろしいものに見えた。
 親戚に預けられた寺の住職である悲鳴嶼は、身寄りのない子供たちを保護して共同生活をしていた。
 連れられるまま寺に身を寄せた義勇は最初こそ塞ぎ込んで目を合わせることもできなかったが、鬼の話と藤の花の香を見て、初日は泣いてしまうほど安堵したのを覚えている。
 誰も信じてくれなかったことを、悲鳴嶼はよく耐えたと背中を擦ってくれた。来たばかりの義勇に、子供たちも各々慰めるように話しかけてくれるようになった。
 鬼を信じていることがばれてしまえばきっと連れ戻されて違うところに行かされるだろうと、幼いながらに義勇は確信していた。だから親戚が様子を見に来たとしても鬼の話はしないでほしいと口にして、ようやく姉がいた頃のように笑うことができるようになった頃だった。
 藤の花の香を焚いていたはずなのに消えていて、寺から逃げ出した子供は殺されて、鬼と悲鳴嶼が対峙している後ろで泣いている沙代を見つけた義勇は、悲鳴嶼の背中の後ろに隠れて必死に沙代を宥めるしかできなかった。
 何もできないまま鬼に恐怖していてはいずれ悲鳴嶼が殺されてしまう。誰かを呼びに行く、武器になる物を取りに行く。そんなことを頭では考えても、二度目に見た鬼に体は鉛のように動かなかった。ただ殴り続ける悲鳴嶼の姿に釘付けになりながら、義勇は沙代の目を塞いで抱えながら固まっていただけだった。
 悲鳴嶼は義勇を含めた子供を守ろうとして、鬼を殴り殺しただけだ。何度そう伝えても大人は義勇に休めと言うだけで、見たことをそのまま伝えているのにやはり信じてくれなかった。
「……もういい。義勇、沙代のそばにいてあげなさい。私に構うな。……ありがとう」
 負の感情を押し殺して笑う姿が姉と重なって見えた時、義勇は思わず涙を落として謝った。
 義勇より幼い子供に見せるものではないと自分なりに考えたけれど、沙代も一緒に証人になってもらうべきだったのだろうか。自分はまた肝心なところで失敗してしまったらしい。役に立たなくてごめんなさい。姉が死んでから、どんなに事実を口にしていても義勇の言葉は伝わらなかった。悲鳴嶼を助けたくても助けられないのが悔しかったが、一人ではどうすることもできなかった。
「そうだとも、きみは人殺しではない。大丈夫、私は知っているよ」
 途方に暮れていた時に、天の救けとも思えるような声が耳に届いた。

「身内を亡くした心の療養にと預けたんだ。しかも鬼だ厄除だの、妄言を助長させるようなことを言っていたらしいじゃないか。こんな危険な人間がいるとわかっていれば最初から預けるなどしなかった。義勇はどこだ!?」
 姉が死ぬまで伯父は本当に優しかった。義勇の話も相槌を打ちながら聞いてくれていた。両親がおらず不憫だからという理由だったとしても、姉も義勇も彼を慕っていた。
 望むものではなくとも情はあったということを受け入れることができるようになったのは、それから何年も経ってからだった。この当時、義勇は幼いこともあり気づけないまま受け入れられずに逃げ出してしまったのである。
 沙代に悲鳴嶼が鬼を殺すところを見せていたらきっと混乱してしまっただろうから、義勇のしたことは間違っていない。あの惨状は鬼が引き起こしたもので、悲鳴嶼は悪くない。誰も信じてくれなかった悲鳴嶼の無実と義勇の話を、産屋敷耀哉と名乗った人だけは信じてくれた。
 遠くで聞こえた伯父の声に肩を震わせた義勇はようやく放免された悲鳴嶼の手を掴み、慌てて急ぎ立ち去るよう促しその場を後にした。
「いいのか、義勇。私についてこなくても、沙代を保護してくれている藤の家紋の家に世話になるべきではないか?」
 産屋敷の鶴の一声で再調査が行われ、悲鳴嶼の無実を晴らした後に彼は待っていると一言口にし、付き人らしき人とともに悲鳴嶼と義勇の前から去っていった。
 幼かろうと産屋敷が他の人とは違うことを義勇は肌で感じ取っていた。何より悲鳴嶼を助けてくれた人である。親戚から背を向けた義勇に頼る者はもはや悲鳴嶼と産屋敷しか知らない。沙代のことは気にかかるけれど、何もできなかった自分が情けなくて仕方ないのだ。姉の時も身を隠していただけで、一緒に逃げることすらできなかった。
 悲鳴嶼の問いかけに義勇は首を横に振り、自分も鬼を倒せるようになりたいと小さく呟いた。意を汲んでくれたのか、悲鳴嶼はそれ以上言葉を発さずに義勇の頭を撫でた。
「近所の人の話が聞こえたけど、獪岳は見つからなかったって。大丈夫かな?」
「……そうか。血痕もなかったのなら逃げ延びた可能性があるな」
 普段の安堵した表情に戻っていたのに、悲鳴嶼の顔が強張った。首を傾げるとまた大きな手が頭を撫でる。気にはなったものの、あまりに色々なことがあって悲鳴嶼も疲れたのだろうと結論づけた。

「最後にもう一度聞く。本当に鬼殺隊に行くのか」
 産屋敷に紹介された家には元鬼狩りが住んでいるらしく、そこで悲鳴嶼は修行をつけてもらうという。見知らぬ大人がいるというだけで少しばかり萎縮してしまった義勇が繋いでいた手に力を篭めたのがわかったのか、悲鳴嶼は膝をついて問いかけた。
「お前は優しい子だ。鬼を斬るよりも向いている仕事は沢山ある。恐ろしくて堪らなかっただろうに、危険なことに自ら身を沈めなくていい」
 悲鳴嶼が義勇を慮っていることはわかる。向いていなくて役に立たない可能性もあるだろうが。
 何もできなくて蹲っていたから姉は死んで、悲鳴嶼は投獄された。もう見ているだけなのは嫌だった。
 勢い良くかぶりを振ると悲鳴嶼は少し困った顔をして、それから小さく笑みを見せた。
「なら一緒に修行をつけてもらうよう頼んでみるか」
「………! はい」
 修行というのがどんなものか、義勇ははっきりと想像できていなかった。ぼんやり痛くて苦しいことがあるだろうことは何となく感じていたけれど、姉が死んだ時以上に痛いことなどきっとあるはずがない。大きく頷いて返事をすると悲鳴嶼はやはり困ったような顔をしたが、やがて頷いて立ち上がった。

*

 基礎体力はすでに申し分ないらしい。そもそもが岩の呼吸の適正を持つ者が極端に少なく、少年もまた向いていないと判断されたといい、随分落ち込んでいるようだった。
 それについて鱗滝は何かを言うつもりはなく、見てきた育手が言うのだから間違いないだろうと考えていた。岩の呼吸は他の呼吸法より殊更に使い手を選ぶというし、水の呼吸ならば癖もなく扱いやすい。刀身が青になるか、身につけることができるかどうか。少年の腕にかかっていることには違いないが。
 産屋敷家の当主を通じて鱗滝に打診があったのは、保護した子供が弟子にしてほしいと懇願してきた頃だった。文によれば少年と錆兎は同い年だというし、仲良くなって一時でも鬼への憎しみを忘れられることがあればと受け入れることを決めた。修行をつけても最終選別になど行かなくていい、二人にはそう伝えるつもりで。
 ところが狭霧山に来た初日、早速山を駆け降りるよう伝えると、少年は息を切らせてぼろぼろになった錆兎よりも速く鱗滝の元へと戻ってきた。
 どうやら岩の呼吸の育手は随分厳しい修行を課していたのだろう。錆兎は修行を始めたばかりで体が慣れていないせいもあるだろうが、同い年の少年に負けたことが余程悔しかったらしい。二人の相性はどうなることかと思ったが、穏やかでのんびりした少年は錆兎の毒気を抜いたらしく、突っかかりかけたところで落ち着いたようだった。
 数日様子を見ていると、いつの間にやら二人は仲良く会話をするようになっていた。兄弟弟子同士、馬が合ったことで鱗滝も胸を撫で下ろしていた。
「義勇は岩の呼吸の育手のところでどんな修行してたんだ?」
「雑念を排除するための瞑想とか、滝行とか、山の岩くらいの大きい岩を動かすために、」
「は?」
 岩の呼吸の修行というのは鱗滝も聞いたことがなく、つい手を止めて義勇の話を聞く体制に入った。
 鱗滝の最後の試練は大岩を斬ること。それができたら最終選別に向かう。二人にはまだ伝えてはいないが、大岩の存在は知っているらしい。しかし、まさかそれを動かす修行だとは。まあ筋力に左右される呼吸ならばさもありなん。
「反復動作っていって、集中を極限まで高めて動かすんだ」
「………。動かせるのか?」
「ちょっとずれたくらい。悲鳴嶼さんは俺より大きい岩を普通に動かしてたから、」
「動かせるんだな」
 誤差だと言って義勇は眉尻を下げたが、錆兎にとっては同じことだと不満げだった。しばし黙り込んだ錆兎は手のひらを眺めたり腕を触って確かめたり少し悩んだようだが、聞く体制に入っていた鱗滝へ顔を向けて姿勢を正した。
「先生、俺も岩を動かす修行がしたいです」
「……挑戦したいならすればいいが……」
「ありがとうございます!」
「儂が許可を出すまでは禁止だ」
 錆兎が基礎体力をしかとつけてから大岩運びに移行すべきだろう。その後岩を斬ることができれば、彼ら二人が行きたいと言うのなら、鱗滝は最終選別へ見送らなければならない。そこまでできるようになったならきっと大丈夫だろうと思いもするが、鱗滝の弟子たちは皆筋の良い子供ばかりだった。どれだけ腕に覚えがあろうと、子供でなかろうと命は落としてしまうことがあるのだ。
 そんなことを悶々と考え込んでいたが、鱗滝の心情を知らない二人は順調に力をつけていった。錆兎より先に岩を移動させて斬り、止めても利かなかった義勇を最終選別へと見送ることになった。まだ岩を斬るまで進んでいない錆兎は悔しげに眺めていたが、追い抜くのだと決意を新たにして鍛錬に励んでいた。絶対に戻ってくると信じているのだと口にして。

「戻ってきた! 誰か一緒にいる」
 錆兎の声に慌てて扉を開けて鱗滝が顔を出すと、義勇に駆け寄っていく錆兎の背中が視界に映った。義勇の隣に大柄な男が歩いていて、鱗滝に向かって頭を下げた。
「よく頑張った」
 面の奥で目頭が熱くなり、震える声で義勇を出迎えた。控えめでも嬉しそうにする様子は年相応の子供らしさが見え、鱗滝は義勇を抱き締めて労った。
「見苦しいところをお見せした。きみが悲鳴嶼くんか、義勇がよく話してくれている」
 鼻を啜りつつ鱗滝は謝ったが、数珠を鳴らしながら会釈をした大男――悲鳴嶼も念仏を唱えながら何故か泣いていた。体格の大きさに唖然とした錆兎だったが、涙脆いのだと口にした義勇へちらりと視線を向けた。彼は義勇よりひと足先に選別を受けたという。
「連絡をくれて、狭霧山に戻るというのでご挨拶に伺いました」
「ああ、こちらこそ。滝行や大岩を用いた鍛錬をしているとお聞きした。儂も修行に取り入れようと思う」
 鱗滝自身も厳しいつもりであったが、岩の呼吸ともなるとやはり生半な鍛錬ではない。反復動作を取り入れれば今までの鍛錬より更に力を蓄えることも可能だろうし、できなければ最終選別に行かせない大義名分にもなる。良いことを知ったと礼を伝えたかったのだ。錆兎と義勇は目を見合わせて複雑そうな顔をしたが。
「悲鳴嶼さんは狭霧山の大岩の倍くらいあるものを一町動かしたって。俺にもできるといいけど」
「俺にもできますか!?」
 最終選別で義勇は鬼の頸を斬ることができたと報告してくれ、岩の呼吸の育手と鱗滝の修行の成果だと安堵していた。鱗滝が渡した厄除の面は頸を斬る際に落として失くしたらしく残念そうにしていたが、義勇が無事戻ってきたのなら役目は果たしたということだ。
「心頭滅却すれば火もまた涼し。無念無想の境地に至れば重みも忘れる。私もまだ半人前の身だが」
「無念無想……」
「師からは雑念を捨て集中した先にその境地があると教わった。鍛錬を怠らなければそこに近づくこともできるかもしれん。岩を難なく動かすことも」
 鱗滝からすれば若造に変わりはないが、悲鳴嶼は年齢以上の落ち着きを持っているようだった。
 勿論誰にでも至れるほど無念無想の境地というものは甘くはない。どれだけ鍛錬を積んでもかすりもしないこともある。だが、何もしないよりは近づくことができるだろう。