煉獄家と宇髄

「宇髄さん! こんにちは」
「よお、千寿郎」
 見知った門構えから覗くと、ちょうど箒を持って引き戸から現れたまだ幼い少年に声をかけた。
 代々炎柱を排出している煉獄家の子息。現当主は宇髄も顔見知りで、他ならぬ彼が紹介してくれた息子の一人だ。
 宇髄が柱に就任した時、冨岡も含めて遊びに来いと言ってくれたこともあったが、その後足繁く煉獄家へ顔を出したのは宇髄だけだった。冨岡はカナヲを拾い何やら忙しくしていたし、不死川も数えるほども来てはいない。不死川が柱に就任した時、煉獄槇寿郎はまだ柱合会議に出ていたものの、その半年後には任務にも現れなくなっていた。入れ替わるような形で鬼殺隊に入隊した跡取りが、今は順調に階級を上げていた。
「兄も今道場にいます」
「鍛錬中か。良し、千寿郎もやろうぜ。剣筋見てやるよ」
「ありがとうございます!」
 促されるままついていくと、扉の奥から数を数える声が聞こえる。師を頼れずとも一人で己を磨き技を磨くその姿は前回と相違ない。宇髄に気づいた煉獄は笑みを向けて挨拶をした。
「宇髄殿」
「よーう、精が出るな」
 ひと区切りさせた煉獄は汗を拭いながら近寄ってくる。何やら普段より興奮気味の煉獄がここ数日の出来事を教えてくれた。
「三日前の任務で不死川殿の闘いを見ることがありました! 嵐のような荒々しい剣筋が鬼をなぎ倒していくので、俺の出る幕もなく。彼の体質を知らなかったので驚きましたが、稀血にも色々とあるのですね」
「あー、稀血ってだけでも特殊なのにな。鬼を酩酊させるってのはちょっと強すぎるよな」
 日々増えていく傷は稀血を不死川が自ら流すからだ。普通に闘っても充分鬼など殺せるだろうとも思うが、野生だった頃からの戦法ならば癖になっているのだろう。元来頑丈な体だそうだが、相変わらず自身を顧みないような闘い方ではある。
「昨夜は水柱殿とお会いしました! 彼は炎の呼吸を良く知っているのですか? 父との共同任務は数回程度だったと言われましたが」
 黙りでも決め込んだかと思ったが、話しかけると一応返事はしてくれたらしい。複数体の鬼を討伐したが、その際共闘した時の刀の振るいやすさに驚いたのだという。狭い路地裏に誘い込まれたにも関わらず、斬り合うこともなく難なく鬼を倒すことができたのだそうだ。そう変わらぬ歳で練り上げられた剣技が目を惹いたとも。
「さあ、どっちも経験から来る戦法だろうな。冨岡は単に隊士の動きを把握して斬り合わないようにしてるだけだし」
「周りを良く見ているということでしょうか。しかし、俺と一つしか変わらないのにお二人のあの強さ。剣技、速度ともに達人の領域ではないでしょうか」
「まあ柱だからな。まだ十七、伸びるだろうぜ」
 前回鬼の首魁を討ち取った頃が最高の強さならばまだ余地はある。煉獄もまだ駆け出しの域を出ずで柱に届かない練度とはいえ、伸び代は有り余るほどある。宇髄が稽古をつけてやることで更に早く強くなってくれるのならと期待してしまうほどだ。
「お茶を淹れてきます」
「ありがとな」
 道場を出ていった千寿郎を見送り、宇髄は小さく問いかけた。
「親父さんは?」
「……相変わらずです。炎柱の書を確認しようとしたのですが、破られてしまっていました。一応頭には入っていますが」
 笑みを消した宇髄は煉獄へ目を向けた。
 前回もそうだったのだろうか。炎柱の書というのは、煉獄家に代々伝わる呼吸の指南書、歴代炎柱の手記であると他ならぬ煉獄槇寿郎から聞いたことがあった。煉獄が新たに書き直せば何とかなるかもしれないが、全く乱暴なことだ。
「………。また来たのか」
 千寿郎ではない足音とともに顔を出したのは、当主である煉獄槇寿郎だった。胡乱げな目を宇髄に向け、鬱陶しそうに声を漏らす。歓迎されていないことはわかっていたが、相変わらず酒臭い。
「どうも。二人の剣筋見てやろうかと」
「無駄なことだ。剣筋など見て何があるという」
「そりゃもう、鬼退治には大事でしょうよ」
 宇髄の返答に気を悪くしたらしい槇寿郎は、目元をぴくりと引き攣らせて睨めつけてくる。酔っ払いの耄碌親父に負けるほど宇髄は弱くはないつもりだ。堪えることなく見つめ返した。
「炎の呼吸など、極めたところでどうにもならない。まして音の呼吸など贋作の贋作だ。無駄な時間を過ごす暇があるなら実のあることをしろ」
「父上」
「いやいや、これが案外使えるもんでね。贋作の贋作だろうと柱として鬼は殺して回れるわけだし」
 息子の制止の声に宇髄は被せるように言葉を投げかける。
 この男を宇髄がどうにかしなくても、煉獄は恐らく前回同様に柱となり多くの人間を救ってみせるのだろうが、お節介と思われようと見て見ぬふりはできなかった。
 宇髄は弟と和解することなくここにいる。せめて目の前の尊敬している煉獄家の面々の歪な関係を、少しでも修復してほしいと思うあまりの行動である。
「贋作にしかなれない者が、命を張ったところで何ができる」
「鬼を殺せる。偽もんだろうと何だろうと、自分の体にあった呼吸を模索することの何が無駄なんだ? そりゃ鬼殺隊の隊士に対しての侮辱だな」
 贋作だろうと何だろうと、宇髄は上弦の鬼を打ち倒した隊士たちのことを知っている。全てが日の呼吸の猿真似だろうと、日の呼吸がなければ鬼の首魁を倒せなかろうと、贋作がなければ鬼舞辻無惨を弱らせることはできなかった。全ての呼吸が必要なものだったことを宇髄は知っている。
「煉獄さんよ。あんたの気持ちなんか知らねえけど、俺は無駄なことなんか一つもしてねえ自負がある。あんたが呼吸を教えた煉獄が救う人間はきっと大勢いる。人が救えて鬼を殺せて、贋作だなんだと考える必要はあるか? 命を救い上げられるなら何でも良いと思うがな」
 誇り高かった煉獄のようには宇髄はなれないこともわかっている。由緒ある家柄故の葛藤があることも理解はできる。かといって贋作だからと腐る理由にはならないのだ。
「大事な息子の邪魔を父親がしちゃいけねえよ。こいつは近い将来大物になるからな」
「!?」
 肩を組んで笑みを向けると、驚いたのか煉獄は少々狼狽えたようだった。しばし宇髄たちを眺めた槇寿郎は、やがて鼻を鳴らして道場を出ていった。
「申し訳ありません。父が失礼を」
「別に、贋作ってのもまあ間違っちゃいねえだろうしな」
 自分にあった呼吸を作り出すことが紛い物を生み出すことならば、確かに贋作ではあるのだろう。宇髄はそんな言葉に傷つくような性質ではないが、自尊心の高い者には堪えるだろうことも何となくわかる。
「しかし、確かに俺は柱を目指していますが、随分大きなことを言われてしまった」
「自信ねえのかよ。俺様が大物になるってんだからお前はなるって。俺にはわかってんの」
 炎柱の跡取りとして、驕ることもなく直向きさも優しさも持ち合わせている煉獄は、例え前回を知らずともそう思える徳の高さがある。宇髄が尊敬したのはそういう男だ。
「いえ、期待されているとわかると身の引き締まる思いです! 全く有難い!」
 素直に宇髄の言葉を飲み込み受け入れた煉獄が、やがて柱となり多くの人を救うことを、宇髄は今か今かと待ち侘びるほど楽しみだった。
 いずれ訪れる上弦の参との邂逅に、少しばかり気を引き締め直して稽古を再開させるよう促した。