姉妹と助言

 ついにここまで来てしまった。
 不死川が駆け足で柱へと就任したせいで、前回と順番が変わってしまったのだ。
 すでに幾度も前回と違うことが起こってはいるのでもうそれは良い。不死川の後柱へ就任した胡蝶カナエを見て、二度目の難関が来る。
 上弦の弐との邂逅、そして討伐。
 一人相対したという前回、胡蝶カナエは帰らぬ人となった。喰われなかっただけでもと言う奴もいたが、生きて戻ってこなければ意味がない。骸は遺された者たちにとって良くも悪くも現実を直視させられるものだ。埋葬できる体がある。息が止まり二度と目を開けない亡骸がある。苦しいものだがあるだけましなのだろう。少なくとも弟を亡くした経験を持つ不死川としてはそう思う。
 氷を操る上弦の弐。鬼は若い女を好んで喰うらしい。血を被ったような髪色をして、人に向かって食えない笑みを向ける。呼吸を使う鬼殺隊士にとって天敵ともいえる血鬼術を持つ。
 せめて近くにいることができれば助太刀にも入れるが、生きて帰れると思わないほうが良いだろう。カナエは逃がせても自分は良くて相打ち。上弦の壱は柱が三人がかり、更に玄弥もいてようやくだったのだ。前回上弦の弐と遭遇して討伐したのは栗花落カナヲ、嘴平伊之助。そして胡蝶しのぶ。毒の時間稼ぎのために、殺し切るために胡蝶しのぶを、栗花落は片目を犠牲にした。こちらは生身の人間だ、打ちどころが悪いだけで簡単に死ぬ。
「これからよろしくお願いします。炎柱様……煉獄さんは、来られなかったんですね」
「……彼のことはこちらに任せておきなさい」
 悲鳴嶼と一言二言会話をした後、カナエは不死川たち三人のもとへ挨拶をしに近寄った。聞けばあれから二度ほど冨岡は栗花落——今はもう冨岡カナヲだが——を連れて蝶屋敷に来たらしい。
「ふーん。鍛錬は?」
「……思いの外やりたがる」
 敷地内で鍛錬をしていると、決まってカナヲは眺めているらしい。冨岡がやってみるかと声をかけると頷き立ち上がる。基礎訓練をさせてみると案外しっかりとついてこられており、身体能力も悪くない。育手に任せるべきではないかと思い始めているらしい。
「まあ確かに、片手間にやるよりは集中できるだろうけどな」
「いない間も一人で鍛錬してんだろ。なら放っとけばァ」
 前回あの闘いが終わった後に世間話として小耳に挟んだのは、栗花落は弟の同期たちの中で一番出世が早かったらしい。その後上弦に立て続けに相対した竈門炭治郎に抜かされていたようだが、どちらにしろ鬼を斬ることに躊躇もなく栗花落は静かに任務を遂行していたようだ。女子供が鬼を狩ることに難色を示す不死川ではあるが、それができるくらいには実力もあるということは理解している。
 冨岡がしていることだからやりたいのかもしれないが、どうにも未だに会話は弾まないようだった。
「お前と会話弾ませろとか無理難題だしな」
「蝶屋敷で見た時は楽しそうに見えたけどねえ」
 少し席を外して戻ってきた時の、静かに縁側で並ぶ背中が微笑ましくて笑ったのだという。シャボン玉を手渡してやればどうやらカナヲは気に入ったらしく、しばし離さずやり続けていたのだそうだ。手土産にとカナエが持って帰ることを勧めると、屋敷で時折飛ばすようになったらしい。子供らしい部分が見えてきて何よりだった。
「ねえ、今度来た時手合わせしてくれないかしら。しのぶのこともちょっと相談したくて……」
「悲鳴嶼さんに聞いたほうが良いんじゃないか」
「……仲良くなってんなあ」
 主にカナエが話す側、内容は妹たちのことばかりだが、敬語もなくなり随分打ち解けたようだ。宇髄には未だに敬語を使うというのに。
 興味本位か何だか知らないが、妙に楽しげに宇髄は不死川を覗き込み、冨岡とカナエへ指を差してはどう思うかと問いかけた。この野郎、完全に気づいていやがる。
 こちらは今回も何を言うつもりもないというのに、一体どうしてほしいのか。というかいつばれたのかがわからない。恐らく蝶屋敷に四人で向かわされた時だろうが、どこでそんな失態を犯したか。
 別に不死川がどう思っていようと、冨岡とカナエが仲良くなろうと関係ない。こっちは鬼の親玉を殺すまで寄り道する気はさらさらないのだ。こいつらとの関係が良好になっているのは寄り道のうちに入らない。勝手に仲良くなって好きに生きていろ。勿論柱としての仕事は全うした上で、死なずに。
「おい、お前ら飯は?」
「俺は帰る」
「んだよ、空気読めよな」
「カナヲちゃんとご飯食べるの? 私も行っても良いかしら」
 連れ立ってというよりも、カナエが主に冨岡を引っ張って去っていく後ろ姿を眺めながら、不死川はしばし固まっていた。
 わかっている。言わないと決めた時点で不死川が何を思う資格もない。弟さえ守れればそれで良いと考えていたはずだ。顔を見れば救ってやりたいと思うようになってしまったが。
「隠がいるから二人きりじゃねえぞ」
 人知れず衝撃を受けている不死川を眺めていたらしい宇髄から言葉を投げかけられ、危うく肩を震わせるところだった。
「うるせェ、何で俺に言う」
「いやあ、わかりやすくて微笑ましいなってよ。さっさと懇ろになってりゃ良かったのに」
 できるか。前回も今回も、鬼の頸を斬ってまわる隊士、柱にすらなった女だというのに、カナエは清廉潔白、大和撫子のような女だ。鬼殺隊でなければ不死川のような人間とは知り合うこともないような、所謂良いとこのお嬢さんだ。不死川が好かれるとも思っていないし、乱暴を働く趣味もない。まかり間違ってもそんな関係にはならない。
「まあ、悔いなく生きろよ。いつ死ぬかなんてわかんねえんだ」
「……うっせ」
 不死川の悔いは居場所のわからない弟のこと。順当にいけば別れて数年後、あいつは最終選別を突破して鬼殺隊に入る。入らなければそれで良いが、現れたとしても前のような下手は踏まない。
 話して諭して、無理にでも除名させるよう嘆願する。強さを求めた理由の半分は、玄弥がいなくとも上弦の壱と渡り合うためだった。

*

「しのぶは花の呼吸が合わないの。派生技を模索してるんだけど、まだ未完成。……ううん、完成するにはしのぶの力は非力過ぎるから」
 きっとどんな呼吸でも頸は斬れない。道すがら口にしたのは希望も何もない現実だ。
 冨岡はカナエが死した後のしのぶを見ているが、それでも頸を斬ることはできていなかった。現時点で頸を斬れない隊士は隠になるか、かつての神崎アオイのように医療に携わり後方支援をすることを選択する。非力さを自覚しながらも、しのぶは隊士として所属することを望んでいた。
「斬れないのなら辞めてほしいけど、しのぶは頑固だから諦めないのよ。今まで生きているのが奇跡のよう」
 自分もだが、と自嘲するような笑みを見せたが、冨岡としても同じ気持ちだ。
 生きて帰ることがどれほどの奇跡か、冨岡は身をもって知っている。同時に怖くても鬼を狩ることを辞めることができないということも。闘える力があって、それを振るわないのは耐え難い。のんびりしている間にどれほどの命が食い散らされているかと思うと怒りで目の前が真っ赤になる。
 力が足りないことを一番憎んでいるのは自分自身だろう。それでも鬼を狩ることを止めない。止めることができない。
 冨岡にとってはいなくてはならない存在だ。しのぶの毒がなければ上弦の弐は討ち取れなかっただろうし、忌々しいはずの鬼との薬の開発がなければ鬼舞辻無惨を殺せなかった。カナエもしのぶも、いうなれば冨岡の周りにいる誰もが闘わなくて良いことを望んでも、冨岡だけでは鬼は滅することができないのだ。
 だからせめて死なせないよう、自分を鍛えることしかできなかった。
「あ、おかえりなさいませ、どうぞ」
 鴉を飛ばして客人を連れて帰ることを知っていた隠は、それがカナエであることに少なからず驚いていた。蝶屋敷の主人が屋敷を開けることは任務以外では殆どないらしく、こうして誰かの屋敷に来ることが珍しいようだ。
「今はアオイもいるし、人手はもう少し欲しいけど、頑張ってくれてるから」
「……そうか」
 庭へ顔を出すとカナヲは鍛錬をしていたらしく、カナエに気づくと頭を下げた。
 人手の話をされると少々罪悪感を抱く。本来カナヲは蝶屋敷預かり、胡蝶しのぶの継子として生きるはずだった。蝶屋敷の貴重な人材だったはずなのに、冨岡のもとで力だけを蓄えている。
「……カナヲを手伝いとして向かわせるのはどうだろうか」
「えっ?」
 驚いて目を丸くしたカナエは冨岡を見上げ、冨岡と会話をしていることを見たカナヲはそのまま鍛錬を再開させた。冨岡が決めた数を越えるまでは終わらせることがない。
「医術の基本を学べば役に立つこともあるだろう。例えば、俺が怪我をして蝶屋敷に世話になれない時」
「それはそうだけど……カナヲちゃんにあなたの治療をさせるつもりなの?」
 言外に親代わりの冨岡の危険な状態を見せるつもりなのかと咎められているような気がして目を向けると、穏やかだったカナエの目が不満を抱いて冨岡を見上げている。
「させるつもりはないが、思いだけで何とかなるわけじゃない」
 しのぶのことでも思い出しているのか、黙り込んで俯いたカナエは隊服を掴み握り込んだ。
「知識はあればあるほど良い。勉強にもなる。医療は鬼殺隊でなくとも重要だ」
 冨岡としても最後の闘いまで死にたくはないし、死なせたくない。そのために死地に向かう隊士の一人でも医術の心得があれば、助かる命も増えるかもしれない。冨岡はすでにカナヲを隊士にさせるために動いている。カナエやしのぶ同様、いなければならない戦力はできるだけ鍛えて向かわせることしかできない。最後の闘いに、いてもらわなければならない面々は。
 それでも誰も死んでほしくない。葛藤は常に渦巻いている。
「冨岡くんは、しのぶが闘うのをどう思う?」
「……隊士として生きることを望むのなら、見誤るなとしか言えない。判断力を鈍らせなければ生きる可能性は高くなる」
「難しいこと言うのね。わかったわ、あのまま隊士を続けるなら……私も覚悟を決めなくちゃ」
 先に逝く覚悟はあっても、先に逝かせる覚悟ができなかった。誰だってそうだろう、死ぬ覚悟は自己満足でしかない。
「……カナヲちゃんが良ければ、蝶屋敷で手伝いをしてもらっても良いかしら。しのぶの呼吸を見てもらう代わりに」
「カナヲ」
 呼ぶとカナヲはすぐに手を止め、庭先から屋内へと上がり込んだ。
「蝶屋敷の手伝いをしてみないか」
「はい」
「よし、行くぞ」
「えーっ! 今の相槌じゃない? 良いの、カナヲちゃん?」
 カナエの言葉に首を振り、了承の意であることを理解したカナエは大層困ったような顔で笑った。考える素振りすらなく疑うこともないカナヲの様子が気になったらしい。
「冨岡くんだから信じてるのかもしれないけど、他の人には簡単に頷いちゃ駄目よ。手伝いが何なのかも聞いてないのに」
 確かにまだカナヲの判断は弱い。意思も弱く、冨岡や隠が促してようやく従うほどだ。鍛錬を自ら始めるあたり、随分ましにはなっているが。

 夜は任務、思い立ったのなら早いほうが良い。
 隠が用意した食事を食べ終えた後そう口にするとカナエは納得し、カナヲの手を引いて屋敷を出た。蝶屋敷に着くとしのぶを呼び、道場へと促される。
「腕前見てもらいなさい。彼の噂はしのぶも知っていたでしょう」
「……よろしくお願いします」
 噂というのは悲鳴嶼からも評価されたような内容だろうか。若い身空ながらに剣技は達人の域に達しているとか分不相応な、宇髄などは剣技も褒められていたが元忍の体術に関して興味深く質問されていた。その時不死川が鬼殺隊に入る前から鬼を狩っていたと口にすると、絶句した悲鳴嶼はただ泣いていたが。
 達人かどうかなどはどうでも良いが、前回の記憶がある以上見た目通りの年齢でも経験でもない。そのあたりはいかさまのようだとも自覚している。
 むすりとしていたしのぶに向き直って木刀を構えると、機嫌の良し悪しはすぐに鳴りを潜めて真剣な顔を向けた。自分がどれほど未熟で非力であるか、本人はしっかりとわかっているという。自覚して悔しさを募らせながら、こうしてずっと新たな呼吸法を模索している。
 前回も何度も見たしのぶの技は十四歳という未熟さも含めて、冨岡の知るあの頃よりも格段に精度は悪かった。
 これで良いのかと迷いがそのまま技に表れている。自分の判断が正解なのかを悩んでいるのだろうか。
「踏み込みが強い、速さもある。刀に威力が乗れば充分通用するだろう。だが突きでは頸を斬ることはできない」
 しのぶの顔が明るくなったものの、すぐにそれは引き締められた。悔しげに唇を噛んで俯きながらもわかっていると一言答えた。
「もう一手必要だ。何でも良い」
 突き以外に活かせない身体能力ならば、能力の有無に関わらず使える何かを考える。そうして蟲柱胡蝶しのぶは完成していた。冨岡が何を言わずとも自ずとそこに行き着くはずだが、助言をすることで早く開発が進み、前回よりも精密な毒、薬を作ることができたら。
 しのぶが身を捨てる結果が回避できるかもしれない。
「冨岡くんならどうするの? 突き技しか使えない、頸を斬ることができないとしたら」
 頸を斬れない。一対一の状態ならば突き刺して身動きを封じ夜明けまで待つこともできるが、そう都合良く事が運ぶことはない。斬れないとしたら。
「……刀以外に確実に殺せる手段を探す。陽の光を使うなら複数体鬼を夜明けまで拘束できるもの、鎖、あるいは」
 そもそも冨岡は頭より体を動かすほうが向いている。長年の任務でそうなってしまったのかもしれないが、元より胡蝶姉妹のように聡明でもなかった。考えるのはお前たちの仕事だ、と内心呟きつつ、決定的な提案には口を濁して黙り込む。
 毒ではなく薬だけを開発していれば、前回栗花落から聞いた最期のようにはならないかもしれない。だがそうすればきっと鬼殺隊士として長くはなかった。どこかの任務で命を落としていた可能性は高い。
「頸が斬れないことを認めれば、やることは見えてくる。お前は頭が回るだろう」
「え、」
「しのぶが頭が良いって誰かが言ったの?」
 しまった。
 今回誰からも聞いていない情報を思いきり間違えて口にしてしまった。たまに話すとこうなってしまうのはもはや修業が足りない。今でも充分話していると思っていたが、まだ話したほうが良いのだろうか。いや、むしろ口を滑らせないよう噤むほうが確実だ。
「……噂で」
「そんな話誰もしませんよ」
 頸の斬れない隊士など邪魔、蝶屋敷で治療だけをしていれば良いのにと陰口の如く言われることもあるらしい。姉妹はそれぞれ何かと言われているようだ。前回知りもしなかった話を今知って、どうにもやるせない気分だった。
「でも、一手か……やっぱりそれが一番ですね。わかりました、ありがとうございます」
 もしかしたら、すでに毒の精製に取り掛かっていたのかもしれない。冨岡の指摘に悔しげに顔を歪めても、怒りに染まるようなことはなかった。誤魔化す必要もなく話題を変えてくれたことに安堵しながらしのぶへと目を向けた。
「……下半身が強いなら打撃で頸を……」
「え? 日輪刀は使わないということですか?」
「………、……聞き流せ。与太話だ」
 つい思い浮かんだ想像に食いついた姉妹は、冨岡を覗き込みながら頷き、早くと続きを促した。前回の共同任務の際、少々手荒にしのぶを抑え込んだことを思い出したのだ。その際反撃として足を使われた。当たることはなかったが、前回以上の体術を身に着けることができたとしたら。
「足に刀を仕込んで蹴りで頸を斬る。現実的かどうかは知らない」
「成程」
「……本気にするな」
 至極真面目な顔で考え込むしのぶを見て、冨岡はまさか毒ではなく打撃へと舵を切るつもりかと慌てた。実際どう考えても、毒よりよほど現実味がないと思う。
「良いじゃない、仕込みなんていくらあっても困らないでしょう? 刀が持てなくなるかもしれない、腕がなくなるかもしれない。そんな時に足が使えたら生き残る確率も変わるわ」
 確かに。そう考えると無駄なことでもないかもしれない。突き技とは別に足技も鍛える。そうすることで鬼を殺せる可能性を増やす。しのぶが鬼殺隊に居続けるならば強くなってもらわなければならないというカナエの気持ちも見える気がした。
「そういう体術? とか得意な人っているかしら。冨岡くんはどう?」
「………。……宇髄が元忍だ。体格は似ても似つかないが、学ぶことはあるだろう。元くノ一の奥方もいる」
 何やら気分を害したらしいしのぶはむっとしているが、素早い身のこなしにおいて宇髄に勝てる者はいない。戦闘において緻密な計算もするし、勉強になることも多いだろう。
 冨岡自身刀がなくともある程度どうにかできるようにと師である鱗滝から体術は叩き込まれているが、教えられるほどのものではない。
「音柱様……元忍の方なら暗器にも詳しそうですね。話を聞いてみたい」
「じゃあ一度私から手紙を送ってみるわ」
「そうしてくれ」
 しのぶから直接文を送っても宇髄ならば問題ないだろうが、冨岡を介するよりもカナエから話を持ち込むほうがすんなりと納得するだろう。しのぶに対してどう判断するかは宇髄にかかっている。案外面倒見の良い奴である。きっと無下にはしないだろう。
「あの、ありがとうございます。色々と」
「……教えを説くのは宇髄だ。俺は何もしてない」
「技を見ていただきました。助言もいただきました。……ありがとうございます」
 カナエが亡くなった後、それこそ胡蝶しのぶといえばといって出てくるのは笑顔だった。あの時よりも自然に見える笑みをしのぶは冨岡に向けた。
 礼を告げて頭を下げ、茶を淹れるからと先に道場を出ていったしのぶを見送り、続けて冨岡も廊下へと足を向けた。
 壁にかけようとしたはずの木刀を掴んでいた右手をぎゅう、と音が聞こえそうなほど掴まれ、冨岡はカナエの旋毛を見下ろした。
「……ありがとう」
「まだ解決したわけじゃない」
「うん、でも、ありがとう。あんな笑顔久しぶりなの」
 未だ俯いているカナエから聞こえたのは、安堵したような不安がっているような複雑な声だった。
「頸を……斬れないと知ったら皆辞めろと言うから。私もそう。危ないことしてほしくなかったの。でもしのぶが言って止まるわけがないこともわかってるから、」
 冨岡が言ったのは鬼殺隊に留まるための提案だ。本来ならカナエは怒り止めるような内容だっただろう。礼を言われるようなことにはならないはずだ。
 数年後手引きをするはずのあの兄妹も、本当なら刀など持たずに済んでいたのに。
「……礼を言われるようなことはしてない。……本当に」
「そうかもね。でもしのぶは喜んだもの。……やっぱりありがとうだわ」
 冨岡の言いたいことが正しく伝わったのかはわからないが、カナエは礼以外に伝えることはないらしい。溜息を吐いた冨岡はカナエの手を離れるのを待ち、やがて促されるままに道場を出た。