黄泉路

 泣き腫らしたまま空へと上がる煙を眺め、カナヲは目を逸らさなかった。
 意外と抜けているところがあるから、きちんと辿り着けるよう見守っていた。身重のカナエをしのぶとアオイが支えながら眺めていて、自分もきちんと守るからと約束して焼き場から義勇を見送った。
 十年にも満たない期間。義勇の優しさで拾われたカナヲが彼と過ごした時間は少ない。話した時間はもっと少なかった。それでも彼が一等優しくてカナヲを慈しんでくれていたことを知っている。時折見せた柔らかい表情と、全てが終わった後に見せた屈託のない笑顔は、カナヲの心にずっと残るものだ。
 死なせたくないと考えた義勇を結局カナヲは痣で死なせてしまったけれど、鬼のいない世をカナヲたちと、少しの間だけでも生きてくれたのだ。泣き腫らした顔のままカナヲは笑みを浮かべた。
 彼岸に向かえばきっと彼の姉や友がいるのだろう。少しなんてものじゃない、寂しくてたまらない。いつでも義勇はカナヲの指標だった。義勇と同じ呼吸を同じように使いたかったけれど、義勇のようになりたくて、頑張ったけれどそれはできなかった。カナヲにとって一番強くて優しい人と同じようになりたかった。
 結局義勇に何が見えていたのか、はっきりと理解することはできなかった。
 病床に呼ばれたカナヲに、炭治郎と末長く仲良くしてほしいと義勇が口にしたのを思い出した。痣を克服できなかったとしても、炭治郎はカナヲを独りにはしないだろうと彼は信じていた。
「俺にできないことをするのが炭治郎だからな」
「炭治郎ができないことを兄さんはしてくれたのに」
 歳の近い炭治郎ではカナヲを拾うことなどできなかっただろう。鍛えることもできなかったはずだ。炭治郎は確かに義勇がしなかったことをカナヲに教えてくれたしやってくれたけれど、独りでは限界があるということをカナヲは知っているのだ。誰かができなかったことを義勇が繋ぎ、義勇が取り零したことを炭治郎が繋ぐ。そうやって人は生きていくことをカナヲは思い知った。
 生が終わりを迎えても、知らない誰かが繋いでいってくれるのだ。
「炭治郎とは仲良くします。痣がどうなっても私はちゃんと見届ける。それで……生まれ変わったら、また兄さんの妹になりたい」
「………、今度はカナエの妹に生まれろ。俺より余程為になることを教えてくれる」
「じゃあ、生まれ変わってもカナエ姉さんと結婚してください。そうしたらまた兄さんの妹になれるから」
 目を丸くした義勇がしばし黙り込み、視線を彷徨わせたあと笑みを向けた。できないことを口にしない義勇は、カナヲを宥めるための方便すら言葉にしない。そんなことをされたら嘘だとカナヲにはすぐわかってしまうが。
「………。……お前はカナエの妹だな」
「………? はい」
 カナヲの言葉に妙に嬉しそうにした義勇が何を考えたのか、カナヲは思い当たらなかった。カナヲを妹にできるのが嬉しかったのであれば嬉しいのだが、何だか少し複雑そうな表情にも見えた。
 闘い続ける夜が終わりを迎え、義勇は柔らかい笑みを浮かべることが多くなった。それは胸を押さえていても血を吐いていても同様で、痛くて辛いのだろうにどこか満足げに笑っていた。
 きっとカナエと別れることはとても辛いのだろうに、カナヲにまで隠して笑みを向けるのだ。
 少しくらい弱音をくれても良いと思うけれど、特定の相手には格好をつけたがる生き物であると義勇本人が口にしていたとカナエから聞いた。その格好をつける相手はカナヲも混じっているのだろう。それはそれで、何だかむず痒く感じてしまったのだ。
 義勇の前ではできる限り笑顔でいるよう心掛けてはいたけれど、カナヲは葬儀からずっと涙が止まらなかった。
 見送りに間に合って良かった。ようやく涙が止まった目を空へ立ち昇る煙へと向け、カナヲは赤く腫れた顔のままで笑みを向けたのだった。

*

「本当に面倒見が良いですよね」
 首も座らない赤子を寝かせて呟いた言葉に宇髄は反応を示した。
 産まれたばかりの子を抱えて法要の準備は大変だろうと、宇髄家の面々が手伝いを買って出てくれた。カナヲと炭治郎も申し出てくれて、殆ど彼らに任せてしまっていた。気丈に振る舞っていたカナヲは火葬の際は目がなくなってしまうのではないかと思うほど泣き腫らしていたし、彼に世話になったという者たちは皆涙を見せて見送っていた。
 別れは突然ではなかったが、それでも想定していたよりも早かった。更に実弥と義勇が立て続けに逝ってしまったものだから皆憔悴して疲れきっていた。それも年齢と病状を考えればわかることではあったが。
「まあ腐れ縁よ」
 四十九日の法要の本日も、皆がカナエを労ってくれた。代わる代わる子の顔を見ては可愛いと言い、見たかっただろうなあ、と小さく呟いていく。
 結局できないことを口にしない義勇の性分はわかりやすかった。子が産まれる前に逝くことを彼は気づいていた。見立て通り見ることも叶わず逝ってしまったわけなので。
「そうですよね。少なくとも十年以上」
「そんな経つか。………?」
 泣くのも無理な笑顔も嫌だなどと言ってくれたせいか、それとも子の顔を見ていると自然な表情になれたのか。カナエは宇髄に笑みを見せた。訝しむ目がカナエへ向けられる。
「お前さ、俺のこと何だと思ってる?」
「義勇くんと同じ」
「やっぱりー? いつばれた?」
 端的に答えた言葉で全てを察したらしい宇髄が、頭を抱えて座っていた縁側で大の字になって寝転んだ。
「混浴の話、誤魔化そうとしてたでしょう」
「……あー……しくったな」
 含み笑いを見せるカナエに少々不機嫌そうな目を向けながらも、溜息を吐いて納得したように呟いた。
 カナエは義勇から前回宇髄に混浴に連れていかれたことを聞いていたし、それを不自然に思われないよう誤魔化した宇髄の言葉を聞いていた。同じなら良いと口にしたことが、本当にそうだと気づいて驚いたものだ。宇髄と実弥が同じであることを義勇は知っていたようだが、それをカナエには教えてくれなかった。気づいたことはばれていたかもしれないが。
「ちょっと羨ましいんです。私の知らない義勇くんを知ってる」
「そこ? 知らねえほうが良いんじゃね? あいつ毎日葬式みたいな顔してたし」
「いいえ。私が死んだ一回目も今回も覚えていたかった。蝶屋敷に来てくれなければ会えなかったし」
 カナヲを拾わなければきっとずっと蝶屋敷には来なかっただろう。そうしたらカナエが柱にならなければ会うことはできなかった。怪我以外で蝶屋敷に訪れる人は彼ら以外にいなかった。それが珍しくて嬉しくて、カナエにとっても癒しの時間だったのだ。
「来世があるなら、また一緒になりたいなあ」
 神妙な顔をした宇髄に笑みを向け、赤子の手のひらに指を乗せる。小さく握り締める力は頼りなく、守っていかなければならない存在だ。
「残してくれたもの。繋ごうとしてくれた。私はこの子がいれば何でも耐えられる。……会わせてあげられなかったのが心残りですけど」
 子ができたと報告した時、嬉しさと悲しさの相反する感情が義勇を泣かせた。綺麗な涙が溢れて止まらなかった。置いていきたくないと口にした義勇がカナエを置いていった後、七日の後に子が産まれた。赤子の目が大層綺麗な青を映した時、カナエの涙は止まらなくなった。己の好きな目がこの子の中にある。言い表せない感情が渦巻いて、子供のようにわんわんと泣いた。しのぶとアオイを困らせて泣かせて、待機してくれていた部屋の外でカナヲと禰豆子も泣いていた。
「私の宝物です。散々泣いたから大丈夫。私が無理するのを嫌がってたから」
「来世は最後まで責任取ってもらわねえとなあ」
「ふふふ。きっとまた振り向いてもらうのに苦労するわ」


「姉さん。……あ、宇髄さんこちらにいらしたんですね」
「何、外すけど?」
 目を向けたしのぶの反応が少し困惑したことに気づいたらしい宇髄が声をかける。困ったように視線を彷徨わせ、しのぶは逡巡したもののどうせ報告するからとそのまま話をすることにしたようだった。
「………、月のものが、来てないと最近気づいて。良く考えたら少し前に色々体調が悪かった気もするから、その、たぶんだけど」
 下腹部も膨らんでいるような気がする。医療関係者にしては曖昧なことを口にしながら、しのぶは段々と染まっていく頬を宇髄とカナエの視界に晒した。
「あいつそんな体力あったの?」
「下世話な勘繰りはやめてください」
 怒りを見せながらも真っ赤になったしのぶに、今にも立ち上がって小躍りしそうになるのを抑えた。代わりに照れているしのぶを抱き締めて、腹の中の命を確かめるように手を添えた。
「身辺整理、葬儀とか法要とか、諸々忙しかったでしょ。私も気づかないままで」
「無理させてしまったわね」
 実弥が逝って精神的に参っていたのかと考えていたそうだが、ふと月のものが来ていないことに思い至った。数えてみればもう数ヶ月経っていて、注視してみれば下腹部は何だか膨らんでいる。嘔吐や食欲減退、食の好みも何だか変わってしまったと今頃になって理由に思い至ったのだという。
「お前案外抜けてんな」
「しのぶは天然ですから」
「天然じゃないですけど」
 気を悪くしたらしいしのぶが不貞腐れたように唇を尖らせたが、気にすることなく宇髄は笑みを向けた。寂しそうにも嬉しそうにも見える、何ともいえない表情だった。
「蝶屋敷で存分に可愛がってもらえるな」
「そうですね。皆さん構ってくださるでしょう」
 あの意地っ張りは世話を焼かれることを嫌そうにしていたが、としのぶが思い出すように呟いた。
 口では何と言っていても、心底嫌がっているわけではない。天邪鬼で照れ屋だったからそんな憎まれ口を叩いていたのだろうことはカナエにもわかっている。
「男の子かな、女の子かなあ。男の子だったらきっと格好良くなるし、女の子ならしのぶに似て可愛くなるわ」
「おお、素直な奴にはならねえだろうな」
「何で私を見て言うんです」
 二人とも意地っ張りだからなあ。そう口にした宇髄は噛み締めるように笑っていた。