白昼夢

 ここはどこだろう。
 ふと気がついたカナエは目の前にいる少年たちを眺めた。
 怪我をしているらしい包帯を巻いた少年が布団に寝かされており、彼を心配するように少年が看病している。知っている者の面影がある一人の少年が、目を覚ました少年へと声をかけた。片目までを隠して頭に包帯を巻かれた少年はぼんやりとしており、開いた目を見てカナエは驚いた。
 青を映した綺麗な目。
 それはカナエがずっと見つめていたはずの、もうこの世のどこにもいない者の目。カナエが出会った頃よりも更に幼く子供らしい姿だった。
「大丈夫か? 自分の名前言えるか?」
 声をかける少年は、彼の同期だと紹介されたことのある男性に酷似していた。ぼんやりとした少年の声が小さく名前を告げ、カナエは思わず声をかけようとした。
「………っ、錆兎!」
「おい、急に動くなよ!」
 飛び起きた少年が声を荒げ、それを押さえるように周りの少年が宥めようとする。手を振り払って部屋を見渡しているのに、カナエと目が合うことはなかった。
「あの宍色の髪の奴は、……鬼を全部斬って」
 死んだ。最後に対峙した鬼に殺された。言い辛そうに顔を歪めながらも、言わなければならないからと口元を震わせながら少年は告げた。嘘だと消え入りそうな声が少年から漏れ聞こえ、青の目が水分を溜めて堪えきれず頬を伝った。
 泣いて暴れようとする少年を必死に押さえ込みながら少年は叫ぶように教える。嘘じゃない、自分たちは皆あいつに助けられた。あいつが全部鬼を斬ったから生き残ったのだと、悔しげに悲しげに、押さえ込む少年たちも涙を溢して謝った。布団の上から膝を抱えて嗚咽を零す少年が、カナエが聞いていた通りの状況に打ちのめされていることがわかる。あまりに痛ましくつい背中を擦ろうと手を伸ばしたが、カナエの手は彼の体に触れることは叶わなかった。
 ふいに嗚咽を引っ込めた少年は少しだけ顔を上げた。
 その表情が先程とは違う困惑に染まっている。やがて驚愕したように部屋を見渡し、泣いている少年たちへと目を向けた。両手のひらを確認するように眺め、布団から立ち上がり部屋に備え付けられていた鏡台へと向かった。鏡に映った自分の姿を見て包帯を外し、覗き込んで自分の顔を確認していた。
 最終選別が終わった後、鬼殺隊に入る前の自分。
 生前話してくれた言葉を思い出し、カナエは今目の前にいる彼がカナエの良く知る彼になっていることを理解した。
「……錆兎が、死んだ」
「……うん、ごめん。あいつ強くて、死ぬなんて思わなかったんだ。そんなことないのに」
「今日の日付は」
 戸惑いながらも少年は彼の質問に答えると、鏡の前で眉根を寄せ、目を瞑り深く考え込むように黙り込んだ。思い出したように少年たちが人を呼んでくると告げて部屋を出ていき、残ったのは一人と彼だけだった。
「……錆兎……」
 名を呟いた声音が驚くほど弱々しく、少年もまた俯いた。ごめん、と一言また声をかける。
 人の死に直面し、助けられなかったことは誰のせいでもないはずだ。それでもカナエの知っている者たちは皆責任と後悔を抱く。カナエ自身もそうだった。
「……謝るな。俺が足を引っ張った」
 先程取り乱した時とは雰囲気が変わっていて、少年も少し驚いたように彼を見た。自棄にならないかと不安げに問いかけると、彼は黙り込んだまま首を横に振った。
「やらなければならないことがある」
「………、そう、だよな。俺も」
 その言葉に触発されたのか、少年は気を引き締めたように拳を握り、そして思い出したかのように彼に安静にするよう口にした。後で鬼狩りの刀と鴉について説明があると伝えると、彼は立ち上がり部屋を出ていってしまった。ええ……と漏れ出た少年の声を聞きながら、カナエも彼の後を追った。

 日輪刀の玉鋼を選び、鎹鴉との面識を作った後、彼は怪我を気にして呼び止める者の声を無視して歩き始めた。その後ろを歩きながら、カナエは向かう先の予測を立てていた。きっと育手の元へと戻る。
 何故自分は彼の半生のようなものを見ているのか。夢なのだとは思うけれど、彼の様子からこれが彼の過去であることがわかる。カナエと出会う前の、カナエの知る冨岡義勇の過去。もう会えなくなってしまった彼が目の前にいることは、複雑な気分でありながらも嬉しかった。
 触れることも話すことも叶わない過去の光景。見られることを感謝することにした。
 狭霧山の鱗滝の元へと戻ると、彼は深く頭を下げて友の遺品を差し出した。仲間と弱く役に立たない己を庇い鬼を斬り、最後の一体に殺されたのだと伝えた。お前が生きて帰ってくれて良かったと鱗滝は口にして彼を抱き締めた。
「鬼殺隊に入らなくて良い」
 行きたいというから送り出したが、本来鱗滝は二人とも最終選別には行かせたくなかった。加えてお前は優しすぎるからと、闘いには向いていないと呟いて義勇を引き止めた。それはきっと皆が誰に対しても思うことであることをカナエは身をもって知っている。
「いいえ。俺は鬼殺隊に入ります。先生」
 刀ができるまでの間、己を手加減抜きに扱いてほしい。板張りの床に手をついて頭を下げた義勇に、鱗滝は二の句を告げなくなっていた。
「……義勇、お前、何か……」
「やらなければならないことがあります。迷惑を承知でお願いしていますが、先生にしか頼むことができません」
「迷惑ではない。子供が迷惑などと言うな」
 渋りはしても義勇が引かないことを察したらしく、鱗滝は了承の言葉を口にした。顔を上げた義勇は安堵したような表情を見せ、少し逡巡しながらももう一つ頼みがあると呟いた。
「姉と錆兎の着物を身につけていたいのです」
「わかった。羽織れるようにしておこう」
 最終選別に向かう前と今で、鱗滝の中でも違和感を抱いたのだろう。それが兄弟弟子が亡くなった故の変化と考えたのかもしれない。深く追求せず、鱗滝は義勇の意に沿うようにと頷いた。
 そこからの義勇は明らかに常中を身につけようとしていて、それもまた鱗滝の目に異質に映ったのだろう。どこでそんな高等技を知ったのかと問い質すと、少し困ったように黙り込み、知らない誰かが話していたと口にした。澄ました顔は得意なくせに、師を誤魔化すのは苦手のようだ。それでも鱗滝は納得したように頷いた。
「助けられなくてごめん」
 日輪刀を手に入れて片身替りの羽織を身に纏った義勇は小さな墓石の前で立ち止まり、痛ましく目を瞑って呟いた。兄弟弟子である少年に対しての謝罪が、静かな山の中に消えていく。
「お前に顔向けできるようになるまでは死なない。悪鬼滅殺を果たした後に会いに来るよ」
 二度目だからこその言葉なのだろう。そう口にした義勇は身を翻して狭霧山を後にした。早々に任務を伝えた鎹鴉に返事をした義勇は、そのまま指定された方角へと向かっていく。
 悪鬼滅殺。鬼殺隊の悲願は目の前の義勇の記憶の中にあった。そのために一刻も早く強くなろうとして、鱗滝をも不審がらせた。カナエにとって恩人でもあった義勇の幼さの残る後ろ姿を眺めながら、この先に起こる様々な出来事へと思いを馳せた。
 守れなかった者たちの分、これからを生きる皆を守ろうとしていた義勇が強くなれないはずはなく、その様子を目の当たりにしてカナエは複雑な気分になりながらも小さく笑みを漏らした。

「癸の頃から凄かったらしいなお前。若輩者同士仲良くしようぜ」
「匡近の件は……助かった。隊士を辞めたとはいえ生きてられるのはお前のおかげだァ。……うるせェ、とにかく助かったんだよォ」
「おかえりなさいませ、水柱様。ええと、そちらの毛玉のような子は?」
 どこまで見ていられるのか不安に思っていたカナエは、目の前で成長していく義勇を楽しく眺めながら見守っていた。
 宇髄と出会い、不死川たちと顔を合わせ、隠に孤児を託す。カナエの知らない義勇の様子を見ていられるのが嬉しくてつい見入ってしまうのだ。
 できることなら最期まで。欲をいうならば夢でも良いからその先も見たい。鬼殺に身を置いていても、家族と友を亡くしていても、義勇は義勇なりに生きていたし歩み寄っていた。それが二回目であるからできたことだとしても、カナエの知る義勇はそういう人だった。
 竹林に囲まれた屋敷の玄関で、男三人が固まって困っている。義勇に抱き上げられたカナヲは小さく頼りなく、こんなに細い子だったかと昔を懐かしんだ。
「まあこれは、初めまして、胡蝶カナエです。水柱様と音柱様お揃いで来られるなんて」
 溜息を吐いていた三人の前に己の姿が現れる。カナヲの名付けをしてほしいと頼まれた自分が随分はっきりと照れていたことにカナエは恥ずかしくなりながらも懐かしんだ。
 カナエにとって全ての始まりはここだった。彼らが蝶屋敷へと来なければ、きっと彼と仲良くなることも最期を看取ることもできなかった。何度も蝶屋敷へ現れる義勇の表情が、段々柔らかいものへと変わっていく。こうして俯瞰して見ていると、彼もカナエとの時間をずっと大切にしてくれていたことがわかった。それだけで充分満たされたのだ。