好色漢

「カナエちゃん今日も綺麗だな! これおまけしとくよ」
「褒めても何も出ませんよ。わあ、ありがとうございます」
 菓子屋でカステラを買った時かけられた言葉に素直に笑みを見せたカナエに、後から入ってきた男性客が顔を向けた。
「本当に美人だね、お姉さん。この後どこ行くの?」
「ちょっと、この子にちょっかい出すんじゃないよ」
 おまけをくれた店主の後ろから恰幅の良い女将が出てくる。この菓子屋を夫婦で切り盛りしている二人だ。
 どうやら男性客は常連のようだが女将は良い印象を持っていないのか、溜息を吐きながら教えてくれた。
 曰く、そこらで町娘に声をかけては取っ替え引っ替えしている女たらしなのだそうだ。人妻でもお構いなしに声をかけるものだから、近所からは暗黙に名物扱いされているという。困った人のようだ。
「あんたなんかが声かけなくてもカナエちゃんは色男何人も連れてるから」
「ええっ? 何人も?」
 この店に誰かと来たのは数年前義勇を付き合わせた時くらいだし、外を歩く時も男性と二人で連れ立って歩くことは義勇以外になかった。カステラが焼き上がるのを待っている間、先に用を済ませてくると別の店へ向かった義勇とは雰囲気の違う男性と来たことがある、などと女将は頬を赤らめていた。
「今の優男な旦那さんも良いけど、前の人も格好良かったねえ。目元が涼しげで、触れれば切れちゃうようなさあ」
「おいこら」
 店主と男性客から睨まれながらも、女将は目の保養だったとはしゃいでいる。カナエと二人で歩いているところは更に目立っていたのだと。まさかそんな、知らなかった。
「取り巻きが何人もか。こんな美人を放っといたら失礼てもんだしね」
「いえいえ、同じ人ですよ。連れ立って歩くなんて一人しかしてませんから」
 昔から。そう、昔からだ。意図せずともカナエはずっと異性とのあれやこれを義勇以外としなかった。指摘されてから気づくなど少々恥ずかしいが、カナエの深層は恐らくそういうことである。我ながらわかりやすい。
「その羨ましい旦那さんを見てみたいもんだ」
「あんたなんか及びもしないよ、舞台役者みたいな夫婦なんだから! うちのと交換してほしいくらい」
「何だと!?」
「またそんな、女将さんたら」
 夫婦喧嘩に発展しそうな勢いのまま奥へと入っていく二人を見送っていると、男性客は待ち時間なのだからとカナエに腰掛けに座るよう促した。素直に座って待とうとすると、二人分座れるはずの腰掛けの隣へと男性客もカナエ側へと寄って座られ、肩がぶつかってカナエは少し苦笑いを漏らした。口にはしないが狭い。店内にはカナエと男性客しかいなくなってしまい、早く戻ってきてほしい、と何となく困っていた。
「今その旦那さんはどこにいるんだい? 美人の嫁さん放っといて」
「他のお店に行ってるんです。待ち時間もあるから」
「危機感が足りないねえ、いつどこで攫われるか知れないってのに」
「ま、まさかあ」
 困った。壁にぐいぐいと押し込まれるように体を密着させられ、カナエは少々焦りながら風呂敷包みを胸元に抱き込んだ。誰でも良いから早く戻ってきてほしい。この男性客と二人の空間にいるのが息苦しく感じていた。
「旦那さんてどんな人だい? 女将さんが優男とか言ってたもんな、物足りないとかあるんじゃない?」
「ないですよ」
 困り果てながらもはっきりと否定すると、どこか不機嫌そうにした男性客がカナエを閉じ込めるかのように壁に手をついた。逃げにくくなってしまった。早々に立ち上がっていれば良かった。腕に力を込めて風呂敷を潰しかけたカナエの表情が不安げに見えたらしく、そんなに怖がるなと男性客が口にする。
 カナエは診察以外で義勇以外の男性にここまで近づかれることもなく、そもそもこんなに近い距離に男性がいるなど嫌なのだ。元同僚である不死川や宇髄たちならばともかく、今の今まで話したことのない見ず知らずの男性である。
「あ、あの、主人のところに行きますから、すみません」
「いやいや、もうちょっとで焼き上がるよ? 貰ってから行きなよ、良い匂いしてるしさ。もっとお姉さんと仲良くなりたいなあ」
 うう、と心中で唸りカナエは口角を上げながらも眉根を寄せた。街で声をかけられることはなかったわけではないが、こんなに距離を詰めて来る人は初めてだった。
 店の奥から物音がして、外からもこちらへ近づく足音がする。店主たちが店頭に戻るのと待ち望んでいた人物が暖簾を払って店に現れたのは同時だった。
 カナエが声をかけようとした時、至近距離にいる男性客を見た義勇の目がすうと冷たくなった。
「こらあんた、離れな! 見てなきゃすぐ口説くんだから」
 壁に置いていた手が離れ、カナエは慌てたように立ち上がって義勇のそばへと駆け寄った。ぽかんと口を開けてカナエたちを見た男性客は、我に返ると舌打ちしながら不機嫌そうに眉根を寄せた。
「旦那さん一緒にいてやんなきゃ、カナエちゃん美人なんだからすぐ攫われちまうぞお」
 カステラの包みを差し出した店主に会釈をした義勇の袂を掴み、ようやくカナエは安堵の息を小さく吐いた。
「でもカナエちゃんの言った通りだね。今の表情、前の人と同一人物だよ。あんまり色男だったから良く顔を覚えてるんだ」
「お前はすぐそうやって」
「うるさいよ」
 もう一つおまけだと女将が饅頭を一つカステラの上に置き、目を丸くした義勇がカナエを見た。店主と女将に礼を告げると少し困ったように眉尻を下げたものの、義勇も倣うように礼を告げた。
「旦那さん、片腕ないのかい」
「またあんたは!」
 凝りもせずちょっかいをかけてと女将が窘めるが、男性客は世間話だとへらりと笑った。
「きっとお国のために闘ったのさ。警官か軍人さんじゃないかい? 退役したのかね、お勤めご苦労様」
「へええ。ひょろりとしてるように見えるけど、本当かい?」
 何だか少々意地の悪い表情を男性客が見せ、カナエは少し眉根を寄せた。義勇は何やら天井へ視線を向けて考え込んだ後口を開いた。
「……以前よりは確かに筋力は落ちたな」
 最後の闘いから意識はしばらく戻らなかったし、目覚めてからも安静にしていた。後世に残すためと呼吸はまだ定期的に使っているものの、もう闘わなくて良くなったのだから確かにそうなのだが。
「お姉さんが危ない目に遭ったら不安だなあ」
「そうそうやられるつもりはないから無用の心配だ」
「あらあ、格好良い。あんたも見習いな」
「お前を狙う馬鹿はいねえよ」
「うるさいよ!」
 店主と女将の掛け合いを横目に、男性客は値踏みするような視線を義勇へと向ける。滅多と人に対して悪い印象を持つことのないカナエだが、少しばかりむすりとした顔を晒してしまった。
「でもまあ、こんなんがいつカナエちゃんにちょっかいかけるかわからないんだから、ちゃんとそばにいてあげなきゃねえ」
「何だい、酷い言い草だなあ」
「……確かに。離れないようにしておく」
「そうしてくんな! 懲りずにまた来ておくれよ」
 店主と女将にまた会釈をし、紙袋を風呂敷に仕舞うと義勇はカナエの手を引いて店を出た。
 街で手を繋がれるなんて初めてだ。近くを通る通行人からの視線が気になってしまい、カナエは一歩前を歩く義勇の隣へと並んだ。
「凄く目立ってる」
「……ああ。嫌か」
 出てきた菓子屋から距離ができた頃、するりと離された手が寂しさと物足りなさを感じ、嫌ではないとカナエは口にした。
 嫌ではないのだが、如何せん好奇の目が多く集まるのを感じたのだ。義勇は自ら目立つことを好まないし、カナエ自身も目立ちたがりではない。
「置いていって悪かった。何もされてないか」
「え、ええ。大丈夫、凄く近くてちょっと嫌だったけど」
 ちょっとどころかかなり嫌だったのだが、あまり人の愚痴を言うことに慣れていないカナエは柔和な言い方をした。義勇自身も人を嫌うことがないから、愚痴はあまり口にしたくはないのだが。
「血の繋がりを感じた」
 顔を向けた義勇が手をカナエへと伸ばし、頬を柔く摘んだ。手を繋ぐこともそうだが、こんな街中で義勇が触れてくるなど思っておらず、カナエは摘まれたまま目を丸くした。
「不機嫌な顔は妹とそっくりだな」
 小さく笑みを見せて手を離した義勇に、カナエは頬が熱くなっていくのを感じていた。
 あの男性客に不快さを感じ、不機嫌な顔を見られていたことが恥ずかしい。義勇にはそんなところを見られたくなかったのだが。
「忘れてくれないかしら……」
「珍しいから嫌だ」
 カナエが抱えていた風呂敷を奪いまた歩き出した義勇の後を追う。男性客に向けた冷えた空気が柔らかくなっていることに気づき、義勇の機嫌が戻っているのは良かったとは思うけれど、それがカナエの変な顔のおかげというのは少々納得がいかなかった。