宴会にて・2
「世話焼き婆かお前は」
「意外ですね。冨岡さんに彼ら二人の気持ちが見えていたなんて」
微笑ましげに縁側へ目を向けるのはしのぶだけではなく、カナエや雛鶴たちも柔らかく見守っていた。禰豆子ははらはらしていたようだが、二人の空気が良からぬものではないとわかると安堵したように笑い、善逸はじとりと眺めつつも嬉しそうに見えた。
「俺様はわかってたけどなあ。あいつらに会う前から」
「はいはい、わかりましたよ」
「信じてねえな。俺は特異点なんだよ。世が俺様を死なせまいと人生をやり直させるくらいのな」
酒も入り浮かれでもしていたのか、宇髄は妙なことを口にした。宇髄が言った言葉を冗談と判断した者たちは話半分に聞いていたが、立ち上がり大柄な体躯の宇髄を持ち上げ庭へと放り出した不死川に、宴会の席が騒然とした。放り投げた宇髄を追うように不死川も庭へと向かう。
「何すんだよ!」
「……そうか」
その様子を宴の輪に戻ってきた冨岡は眺めながら、驚愕とともに嬉しそうにも泣きそうにも見える表情を見せて呟いたのを耳にした。
同じだったのか。そう呟いた冨岡は、戻ってきたのにまた庭へと向かう不死川の後ろから、巻き込むように宇髄へと飛び込んだ。
「やめろ馬鹿! 砂利が痛えんだよ!」
「そういうことは早く言え」
「………、くそ。やっぱてめェもかよォ!」
何度も疑った。何度も同じではないかと疑惑を持った相手が、二人とも本当に同じであると気づいた時、不死川は思いきり二人の頭に拳骨を食らわせて立ち上がった。縁側にいたカナヲが目を丸くし、炭治郎は慌てて止めようと立ち上がっていた。
「お前が言うなっての! こっちは何度も疑ったんだよ」
「俺もだ」
「俺もォ。一人空回ったみてェで損したわ」
「良くわからないけど、楽しそうだから大丈夫よ」
庭を覗くカナエが炭治郎とカナヲに声をかけ、心配そうにする二人を宥めている。不死川は冨岡と宇髄を連れて外へ出るよう促した。耳の良い奴がそばにいて話せるような内容ではない。どうせこちらのことなどただのじゃれ合いとしか見ていないカナエがいるのだから、追いかけてくる者もいないだろう。
「さては冨岡も柱になるの早かったな? 俺も早めたのによお。お前ら前回から好き勝手変えまくりやがって、怪しさしかなかったわ」
「俺が言ってない話を知ってたのも、稲玉の面倒を見てたのも覚えてたからか」
「宇髄だってめちゃくちゃ面倒見てたろうがよォ。冨岡はカナヲ拾ってんじゃねェよ」
各々思っていたことを暴露していく。何度も疑い、そうであればどれほど良いかと考えたことが、まさか本当にそうであったなど誰が想像できようか。数奇な経験をしている者が何人もいるなど考え辛い上に、そんな話をしようものなら頭の心配をされるだろうと口にできなかった。話していればもっと上手く立ち回れたかもしれない。救える命があったかもしれない。それでも各々が足掻いた結果前回よりも助かる者が増えたのは事実である。
「お前ら透き通る世界前回から知ってたんだろ。何であんな勿体ぶったんだよ」
「前は見てねェもんよ」
「俺もだ。……痣との関連があるんじゃないかと考えてたこともあるが」
透き通る世界という限られた者しか見えない領域。不死川がはっきりと見えたのは上弦の壱との戦闘の最中だった。
寿命なんてものは見えないほうが良いものだ。当人ではなく周りの人間のためにも、痣なんてものは本来出さずに鬼を殲滅できれば良かったのだろうが、そうも言っていられなかったのが鬼舞辻無惨との戦闘だ。極限まで極めた身体が透き通る世界を見せるが、痣とどう関係しているのか、前回は見えなかったという冨岡は確証を得るまで黙っていたのではないだろうか。痣を出してしまえば寿命は確定してしまう。それをできるだけ避けたかったのだろう。まあ黙り過ぎだとは思うが、避けたかったのは不死川もだ。
結局時透と甘露寺は前回同様痣を出してしまったし、そもそも竈門炭治郎が平時から出していた。というか痣との因果関係を考えるということは、さては上弦の弐との戦闘で早々に痣を出していたのか。今更ではあるが、宇髄もそう考えたらしい。
「あー。お前やっぱたまにじゃなかったな」
「………」
「ここで黙りかよ。痣まで出しておいて嘘つきやがって」
「騙してない。痣は出てなかったはずだ」
共闘していたカナエは冨岡の顔を見ても何か反応することはなかったし、痣が発現するぎりぎりだったのではないかと言う。事実かどうかは疑わしいが、今更考えても無駄なことだ。
「そうかよ。じゃあ次、耀哉様だ。あの方は気づいてたと思うんだよな」
何を、不死川が問う前に宇髄は更に言葉を続ける。
「二回目ってことはわからなくても、恐らくあの方は何か勘づいてた。じゃなきゃわざわざ俺に下級隊士でも問題ねえようなことを頼むわけがねえ」
鬼舞辻無惨の強襲は、正確な日にちまではわからなかった。そもそも前回とのずれがある今回において、もはや日にちなど考えるのは無意味だった。だからこそ不死川はずっと警戒していたし、宇髄もそうだったという。玄弥のそばにいてあげなさいと言われた不死川が悲鳴嶼の元へ向かっていた時、鴉の緊急招集がかかったのだ。思い当たることでもあったのか、冨岡もまた驚愕した目を宇髄へ向けた。
「何も仰らなかったからな、こればかりは見えてないものだと高を括ったんだ」
「……耀哉様を出し抜くことはできないな」
せめて悪意がなかったことを信じてもらえていたら良い。不死川たちは皆各々に多くの人が助かる未来を手繰り寄せようとしていたのだ。それだけは間違いない。
「あーあ、しっかし考えて損したぜ。道理でお前ら妙にとっつきやすいと思ったんだよ。でもな」
そんなことは不死川とて思っていた。特に冨岡のとっつきやすさが親近感を抱かせ、今のように笑う様子を彷彿とさせていた。実際笑うこともあった。頻度は今とは桁違いではあったが。
「今回こそ痣で死ぬんじゃねえよ」
「……それは無理だな。前回無理だったんだから」
「そりゃそうだ。安心しろよ、今回は大勢生きてるぜェ」
宇髄が救った命は生き長らえているのだ。前回で救えなかった者が息をしている。神など信じても良いことなどないが、やり直させてくれたことには少しばかり感謝することもあった。救える命が増えたこと。少しの間の僅かな時間でも、一緒にいることができることだ。
「お前は胡蝶の責任取れよォ」
「………、俺か?」
「お前以外に誰がいるんだよォ」
眉を顰めて不死川へ目を向けた冨岡に、不死川は溜息を吐いて地面へ視線を向けた。宇髄が窺うような気配を出したが、不死川は何を言われようと伝える気など更々ないのだ。
「お前がやらかしたせいでお前に惚れちまってんだから、お前が責任取るのが筋ってモンだろォ」
カナヲを拾って蝶屋敷へと赴いた時点で、未来は決まったようなものだった。カナヲの存在がカナエとの距離を縮め、死ぬはずだった命を救けた。惚れるのも道理というものだ。
「………。無駄な時間を過ごさせるのは責任を取ったといえるのか」
言外に余命が五年にも満たない痣者が所帯を持つなど有り得ないと言っているようだった。ああ耳が痛い。不死川とて前回も、今回だってそう考えて独り身を貫くつもりである。冨岡もそう考えている。ただでさえもう二十二になるというのに。
「無駄なんて言うなよ」
小さく呟いた宇髄の声は珍しい。普段派手さを求めているような奴が、こういう話題には神妙にする。真面目な場でおどけるような奴ではないが、それでも暗い宇髄は気持ち悪かった。
「無駄じゃねえよ、お前らの時間は」
残された者の気持ちを、不死川も冨岡も知っているはずだった。宇髄の気持ちは痛いほど良く知っていたはずだった。それでも残り数年という時を無駄と感じるのは、残されて生きていく者の辛さを知っているからだ。
「お前のせいでお前じゃないと幸せになれない女がいるんだろ。痣なんか気合と根性でどうにかしろよ、得意だろ」
「え……いや、得意というわけでは」
「お前らのせいで俺はお前らがいねえとつまんなくなっちまってんだよ! 責任取れ馬鹿共!」
「お前の話かよォ」
騒がしくなった宇髄に少し安堵しながらも呆れた視線を向けた不死川は、もう一度溜息を吐いて頭を掻いた。宇髄を眺めたまま黙り込んだ冨岡は、目を伏せて小さく口を開いた。
「……すまない」
辛い、寂しい、悲しい。そんな声が聞こえてくるような表情だった。二度目であろうと置いていく別れは慣れるものではなく、その辛さを知っているからこそ冨岡は首を縦には振らない。不死川にも痛いほど理解できる。わかっているけれど。
惚れた女の人生を考えれば、僅かな時間でも幸せを感じてほしいのだ。
「、おい、宇髄」
「ちょっ、何だよォ」
片手を失くしているくせに、宇髄は両脇に冨岡と不死川を抱えて屋敷へと戻り始めた。体躯が違いなかなか拘束を外せず、二人とも引きずられるように連れて行かれた。
そうして戻った宴の一室の畳の上に、宇髄は不死川と冨岡を思いきり叩きつけ周りが目を丸くしていた。
「俺の嫁になるか胡蝶の責任取るかどっちかにしろ」
「………、……何故、その二択」
「お前はもう俺の嫁だ。玄弥共々面倒見てやる」
「はァ!?」
能面に戻った冨岡を眺めていると、とんでもない言葉を投げつけられ不死川は叫んだ。騒然としていた周りの一角から気の毒そうな視線を感じる。はらはらと見守っている奴もいたが。
「ええと……まさか宇髄さんと結婚なさるおつもりなんですか?」
「しない。するのは不死川だ」
「俺だってしねェよ! 押し付けんじゃねェ!」
「お前らの残りの人生が無駄かどうか、体に叩き込んでやるよ。俺無しで生きていけねえ体にしてやるから覚悟しろ」
「嫌過ぎるわァ……」
心底嫌な顔をした不死川が呟くが、宇髄の表情は変わらず二人を見下ろしたままだった。
こんな大っぴらに名前を呼ばれ、周りはカナエの気持ちを察してしまっただろうに。
「……その二択を選んだら、俺は最悪の人間にならないか」
「お前すでに最悪だし。俺には関係ねえな」
気を悪くしたらしく冨岡は眉根を寄せて宇髄を睨んだ。何むっとしてんだ、と宇髄が蹴りを入れるが、冨岡はそれを躱して立ち上がった。
「幸せになりたいって言えよ」
「俺はもう良い。充分幸せだった」
カナヲとのやり取りも、炭治郎と過ごす様子も冨岡はずっと穏やかだった。二度目だからということもあるのだろう。それはきっと宇髄にも理解できるはずだ。
「そう言うな、俺は知ってんだよ。カナヲの名付けを胡蝶にさせた理由を言ってみろ」
「………、………。宇髄」
口を開いて言おうとした冨岡は、声を出せずに逡巡した後黙り込み、恨みがましく宇髄を呼んだ。
こいつ、嵌めやがった。不死川と宇髄しか知らない本当の理由。前回カナエの妹であった栗花落カナヲとして生きさせるために蝶屋敷へと赴いたことはもうわかっているのに、この大勢の中でそんなことを口にすれば確実におかしい奴だと思われるだろう。それを違う意図があったと周りに勘違いさせた。不死川は表情を歪め、色めき立って冨岡を眺める主に女性陣へ目を向けた。色恋話の好きな女共だ。きっと内心はそういった意味だと捉えているのだろう。
「それは……説明ができない」
「はあん? だったら責任を取れ。そんで痣なんか無視しろよ。得意だろ気合と根性」
「……またそれか」
宇髄と冨岡の会話を正しく理解しているのは不死川しかいない。耳や鼻の良い善逸や炭治郎ですら、不思議そうにしながらも様子を窺っている。感情は読み取れてもどういう理由かまではわからないのだ。言葉にされてもきっと納得できないだろう。それほどに奇妙な体験をしているのだから。
「……後悔」
「しないわよ。絶対にしない。自分の過ごした時間の価値は自分が決めるものだもの」
眺めていたカナエが冨岡の言葉を遮りはっきりと口にした。能面のように見える冨岡の表情が、カナエの感情を探しているかのように見つめた。ふと視線を逸らして溜息を吐き、冨岡は小さく呟いた。
「……良いのか不死川」
「何で俺に言うんだよォ。勝手にしろよ」
気を張っていなければ動揺を表に出すところだった。宇髄はともかく冨岡にまでばれていたとは。宇髄に気づかれた最初の蝶屋敷での出来事は、冨岡は当時カナヲのことに気を取られてそれどころではなかったはずなのに。他のところで気づかれるようなへまをしていたのだろうか。不覚。
カナエが目を丸くしてこちらを見てくるが、不死川は顔を歪めて鬱陶しさを見せて誤魔化すことにした。人の感情を勝手にばらしてんじゃねえよ。宇髄といい冨岡といい。
「……わかった。俺の時間はお前にやる。好きに使え」
「……ふふふ。……ありがとう、冨岡くん」
笑みを浮かべて礼を言い、やがて顔を覆って俯いたカナエが泣いて肩を震わせていることに気がついた。冨岡は気づいているのかいないのか、カナエを眺めたまま少し困ったように眉尻を下げ、それから小さく笑みを見せた。
*
色んな人の音が色んな感情を聞かせる。特にこの宴会の時間は、善逸は様々な人から似た音を聞くことになった。
炭治郎とカナヲのやり取りは微笑ましさを伴うものだったが、善逸にとって冨岡とカナエの様子ははらはらするものだった。
周りは昔から好きだったのかと冨岡に意外性を感じていたが、何せ善逸には冨岡から恋の音が聞こえなかった。どこか申し訳ないような、諦めにも似た不思議な音を出していた。それでもほんの少しだけ恋の音のようなものが聞こえたから、冨岡もカナエと同じ気持ちなのだろうと思いはしたのだが。
そして冨岡が声をかけた時、不死川は表面にこそ出ていなかったが音は思いきり動揺していた。不死川がカナエを好きだと冨岡は知っていたから渋っていたのかと思い至ったのだ。
まあそれでも冨岡の恋の音らしきものは小さ過ぎるのだが、冨岡自身が静か過ぎる人だから、ひょっとしたらそういうものなのかもしれない。
宇髄は本気で二人を嫁にしようとしていたし、禰豆子の前で妙なことにならなかったのは良かったと安堵したのだが。
ふいに聞こえた不死川と同じ痛みの音が、しのぶから聞こえてきたことに驚いてしまった。
どうやら柱は内々で三角だか四角だかの関係になっていたようだ。きっと皆黙っていたから、拗れているわけではないようにも思えるが、何だか歳上なのに不器用な人たちだった。柱なんて恋が成就する暇もないのは何となくわかるけれど、それにしたってえらいことになっている。
冨岡とカナエを中心に、他から二つも矢印がある。
随分おもてになることで。善逸は気に食わないもてる男の顔を眺め、しのぶへと目を向けた。
小さく笑みを作りながらも、どこか寂しそうな顔。
その表情をすぐに隠して、しのぶは端で一人酒をちびちびと舐め始めた不死川へと近づいていった。周りは炭治郎とカナヲだけでも凄かったのに、冨岡とカナエの関係が纏まったことでお祭り騒ぎだった。
「玄弥くんもいますし、振られた者同士のよしみで蝶屋敷のお手伝いは如何です?」
「……お前、そうだったのかァ……」
遠目でも善逸には聞こえる声量だ。小声でも離れていても善逸の耳は音を拾う。それが役に立ったのは鬼殺隊に入ってからだった。
ぎょっとしてしのぶへ目を向けた不死川は、少しばかり悩んだ後別に好きじゃないと負け惜しみを口にしたが、しのぶは軽くあしらうように相槌を打った。
「ええまあ、お世話にもなりましたし。纏まって良かったですよ、本当に。姉はずっと冨岡さんのことを気にかけていましたから」
「だろうなァ。最初のあれが忘れられねェわ」
「姉が見惚れた時のですか? あの時は本当にどうしてやろうかと思ったんですが、不覚です」
不穏な言葉である。善逸自身は見惚れたとかいう言葉に苛立ちを覚えたのだが、昔の話のようだし今は完全に盗み聞きだったので黙り込んだ。しのぶにばれたらきっと怒られるだろう。
「不死川さんがいれば男手も助かりますし、煉獄さんも手伝いに来てくださると。千寿郎くんに跡継ぎはお任せするそうです」
「そうかよ」
「ええ、楽しそうでしょう? 宇髄さんのお嫁さんになるなら無理強いはしませんが」
「死ぬまで手伝ってやるわァ」
「……ちゃんと寿命は全うしてくださいね」
「……そうだなァ。宇髄を泣かせるのも何か不憫だしよ」
あの大男が泣くのか。泣くんだろうな。泣かせてしまうんだろう。宇髄は複雑な音を出していたし、怒っていたし悲しんでいた。三人の間にどんな思い出があるのかは知らないけれど、きっと善逸たちと同じように仲が良かったんだろう。
友達なんだろうな。そりゃそうだ、そりゃ悲しいよ。鬼殺隊で初めてできた友のことを考えながら、善逸はひっそりと宇髄へ共感した。