宴会にて
炭治郎の退院祝いなどという理由での宴会は、産屋敷邸で行われた。
柱以外に足を踏み入れることは殆どない。輝利哉たちは遊びに来てほしいと口にしたし、もう鬼殺隊は解散し上下関係の縛りもない。さすがにすぐに馴れ合うようなことはできないようだが。
大勢いる元隊士や隠たちに囲まれ、輝利哉たちは眠くなったにも関わらず騒がしい室内でうとうととしており、見兼ねたカナエや禰豆子の膝枕で少し眠っていた。
「理想の男性?」
「そう、好みの人がどんな人か。禰豆子ちゃんは?」
「飛車みたいな人が良いです」
女性陣は何やら一つの話題に花を咲かせ、黄色い悲鳴を上げながら騒いでいる。飛車ねえ、とぼんやり考えつつ機嫌の良さそうな善逸を見た宇髄は、ううん、と小さく唸りながらもまあそうかも、と納得した。
「攻撃の要だな」
聞いていたらしい冨岡が呟いた言葉に禰豆子が顔を上げ、小さく照れたように笑った。宇髄は将棋を嗜むような幼少期を過ごしてはいなかったが、最近冨岡に付き合って教えてもらうようになっていた。飛車が盤上でどう動いていくのかも知っている。善逸はいつも闘いで重要な役割を果たしていた。禰豆子が体の動きに対して言ったわけではないことはわかっているが、雷の呼吸は直線的な動きをするし。なんてことを冨岡に耳打ちして炭治郎が話しているが、宇髄に聞こえるのだから本人にも聞こえているだろう。見ろ、締まりのない笑顔になっている。
「カナヲちゃんは?」
笑い合っている冨岡と炭治郎へ目を向けていたカナヲは、禰豆子からの問いかけにふと考え込むように黙り、やがて茹で蛸のように顔を真っ赤にした。慣れない色恋の話で照れたのか、話を振られるとは思っていなかったのか、それとも誰か思い描いた者でもいたか。宇髄は興味深げにカナヲを眺めた。
「きゃー! いるのねカナヲちゃん! 可愛い! どんな人!?」
「そんなにはしゃがないでよ」
しのぶがカナエを窘める言葉に不思議そうにした冨岡と神妙な顔をした炭治郎が同時に顔を上げて女性陣へと振り向いた。
この話題は一度冨岡へ宇髄もしたことがある。当時は相当衝撃を受けたらしいが、もう気にしていないのか。ちらりと視線が炭治郎へと向いた。成程、さてはカナヲの理想が炭治郎だと考えているから落ち着いているのか。まあ確かに、前回ならばそうだったかもしれないが。
隣の神妙な顔をした炭治郎自身は、確実に冨岡がカナヲの理想の男だと考えているだろうと宇髄でなくとも察した者がいたようだ。冨岡の同期は何やら訳知り顔で微笑んでいるし、善逸は複雑な表情を向けている。
「昔からカナヲの近くにいた男といやあ、冨岡を筆頭に俺、不死川」
「えっ?」
「後は悲鳴嶼さんとも割と会ってたっけ」
「……まあ」
少々眉を顰めた冨岡は、それでも宇髄の言葉に頷いた。
煉獄は少し遅かったし、伊黒はかなり最近初対面を果たしていた。柱以外の隊士のことは良く知らないが、顔を合わせた頻度は多いだろう。
そう、酒の席なので宇髄は揶揄ってやることにした。思惑に気づいていながらも、元上官の名前が多く上がるので善逸は何も言えなくなっているらしい。
*
どうしよう。炭治郎はこの流れに焦りを感じてしまった。いや別に、カナヲがどんな男性を理想としていても個人の自由ではあるのだが。
義勇さんだったら太刀打ちできないぞ。
己が尊敬する人が。そう考えて固まっていたのに、更に追い打ちをかけるように宇髄は自身と不死川の名を、悲鳴嶼の名まで口にした。気の毒そうな匂いが善逸と禰豆子から漂っているのを嗅ぎ取ってしまい、炭治郎はどうすべきかを考えた。
楽しんでいる匂いが宇髄からするので揶揄われているのではないかと思うが、それはそれとして昔から知っていることは事実なのだろう。カナヲは焦っている匂いがするし、黙り込んで何も言わなくなっていた。
「冨岡はどう思う? 俺様なら包容力もあるし、理想だってんなら受け入れてやっても良いぞ」
「お前はすでに奥方が三人……」
「私たちが何ですかー?」
義勇の真横に近づいて声をかけたのは須磨だ。驚いたように目を丸くした義勇は、す、と体を引いて須磨から離れようとした。腕を掴まれ逃げられず、諦めたような匂いを義勇が発している。
「三人いりゃあもう一人増えようが違いはねえだろ」
「カナヲちゃん可愛いし、四人目の天元さまのお嫁さんになるなら歓迎しますよ!」
義勇の表情が困惑に変わる。
そもそも炭治郎は義勇には、カナヲにすら自分の気持ちなど伝えていない。カナヲからは好意の匂いはしていたけれど、それがそういう意味での好意かははっきりしなかった。炭治郎もまた自分の感情を少し整理していて告げる機会をまだ取っていなかった。
「今度温泉行こうって話してたんです! 冨岡さんも行きましょうよ。カナヲちゃんも」
「温泉……? いや、断る」
がっかりしたように声を発した須磨に、にべもなく言い放った義勇は嫌な予感がすると口にした。目を丸くして義勇を見つめた宇髄が何やら妙に訝しんでいるようにも思えた。いや、とりあえず宇髄家の話は置いておこう。きっと炭治郎にはわからない彼らの仲のことだろうし。気を取り直したのか宇髄はまた口を開いて話を再開させた。
「煉獄とも稽古してたのか。カナヲの周りには良い男が選り取りみどりだったわけだ。俺様がいて他に目移りしようがねえけど」
「いや、順当に冨岡じゃねェのかよ」
「どうだかな。野生的な奴が好きかもしんねえじゃん。不死川とか」
「その話蒸し返すんじゃねェ!」
「野生的といえば嘴平だが、カナヲは尻叩きかましてたからな」
宇髄の言葉に更に慌てたらしいカナヲは必死に止めようと腰を上げたものの、人数も多く宴の席なので暴れるわけにはいかず、宇髄のそばまで近寄ることができず須磨に止められ抱き締められていた。
「尻叩き?」
「おお、無限城でよお、嘴平が隊士にやらかした時にな。お前カナヲに尻叩きの刑したことあんの?」
「え? ない」
「あれはアオイ直伝の制裁なのよ。駄目なことをしたら叱るって言ってたから、それを伊之助くんにやったのね」
義勇は手を上げたことがないと聞いているとカナエは教えてくれた。勿論稽古で叩きのめすことはあったようだが、普段の生活で叱ることも怒鳴ることもなかったようだ。炭治郎は怒鳴られたことがあるけれど、非常に珍しいことだったらしい。
「カナヲは泣くことも騒ぐこともなかった。静か過ぎて心配になる程度には」
「お前にそんな心配されるのは凄えよな」
「へえ。カナヲの小さい頃の話聞きたいです」
少々むっとした義勇に炭治郎が声をかけると、義勇はすぐに表情を変えて笑みを見せた。沢山あるのだろうと聞けば、あると答えて須磨から離れ、炭治郎の腕を引っ張り部屋の隅へと移動しようとする。それをまた慌ててカナヲが引き止めようと義勇の袴の裾を掴んだ。
「ま、待って」
「……こうして良く裾を掴んでついてきていた」
「ああ、可愛いですよね! うちの弟も良くくっついて歩いてました」
炭治郎を立ち上がらせた義勇は、そのままカナヲを片腕で俵のように持ち上げて部屋の隅ではなく縁側へと移動し、炭治郎にも座るよう促した。先程よりも少し静かで、落ち着いて話ができる。
「任務から帰ると玄関先で寝こけているんだ。隠が言うには帰るまでずっと待っていたと。呼吸の型は見様見真似で覚える。言われたことをこなそうとするが、できないことも勿論ある。ずっと誰かの指示がなければ動かなかったが、最終選別にはカナヲは勝手に行っていた」
口数の少ない義勇はカナヲのことを沢山教えてくれた。カナヲは真っ赤になりながら止めようと義勇にしがみついているが、義勇が楽しそうな匂いと表情をしているので強く止めるのも気が引ける。何より炭治郎は、楽しそうに話す義勇もカナヲの子供の頃の話も聞いていたいのだ。
「合わない呼吸をあれだけ使いこなす身体能力の持ち主だ。死なせず人を助けられる強さと優しさがある。良い子だ」
「はい。俺も助けてもらいました」
義勇に助けられ、カナヲに助けられた。攻撃もされたこともあるが、炭治郎はそれをずっと忘れずにいる。皆に助けられた命と同時に、二人がいなければ炭治郎は今ここにいない。
「俺の大事な妹だ。カナヲを頼む」
息を呑んだのは炭治郎だけではなく、カナヲもまた顔を上げ義勇を見つめていた。柔らかく笑う義勇が炭治郎へ視線を向け、カナヲの頭を撫でた。姿勢を正した炭治郎は、頭で考えるよりも先に口を動かしていた。
「カナヲが好きです」
「俺に言うな」
少々呆れたような顔をした義勇は、撫でていたカナヲを置いて立ち上がり宴の輪へと戻っていった。置いて行かれた炭治郎は背中を見送り、カナヲもまた目を丸くして義勇の後ろ姿を目で追っていた。やがて俯いて目を伏せたカナヲが小さな声で呟いた。
「……死ななかったのは、兄さんが死ぬなと言ったから」
あくまで指示を聞いていただけだとカナヲは言う。
それがどれほど難しいことか、炭治郎にはわかっている。思いだけでどうにかなるような闘いではなかった。死ぬなと言った義勇に報いることができるくらいカナヲは強いのだ。
「悲しむからだよ。カナヲは義勇さんを悲しませたくなかったんだな」
優しい。義勇もカナヲも優しいのだ。そんな二人が炭治郎は好きだ。そんな二人に救けられた自分の命を大事にしていかなければならない。
「カナヲが好きだよ。尊敬してるんだ。ずっと一緒にいたいと思う。カナヲは……まあ、理想の男性は義勇さんかもしれないし、俺は義勇さんとは似ても似つかないから、」
「そんなことない」
襟元をぎゅうと掴み、カナヲは俯いたまま首を横に振った。
義勇は凄い人だ。強くて優しくて、何度も窮地を救けられた。恩人で、誰より頼りになる人だ。そんな人をずっと見てきたカナヲには、炭治郎は子供に見えるだろうとも思っている。それでも炭治郎はカナヲに対して言いたいことを口にした。
「……私は、兄さんみたいになりたかった。強くて優しくて、色んな人を助けられる人。口数が少なくてもずっと優しかった。……初めて大怪我をして蝶屋敷に運ばれた時、死んじゃうのかと怖くて」
だから義勇を助けたくて、義勇が所属する鬼殺隊に入るために最終選別を無断で受けた。戻った時怒られると思った。捨てられるかと思った。でも捨てなかった。代わりに隊士になったことを認めて、死なずに帰ってこいと言い含めた。やりたいことがあるのだろうとカナヲの心情を汲んだ上で。
「兄さんを死なせたくなかったの。守りたかった」
義勇は強いけれど、その強い人を何人も葬ってしまうのが鬼だ。人に仇なす鬼を斬る。そう指示を受けてカナヲは任務をこなしていた。人に仇なさない鬼がどんなものなのか、禰豆子に会うまでわからなかった。義勇にはきっと見えていたのだろうと口にした。
「炭治郎は似てるよ。優しくて強い。……私も炭治郎が好きだよ」
結局、理想の男性像というものが義勇だったかはわからないけれど、炭治郎にはこれ以上なく嬉しい言葉をカナヲは言った。