想い

 縁側にいる冨岡のそばに寄ると、庭では桜の木を見上げるカナヲと炭治郎の姿があった。
 助けられなかった隊士たちは多い。目覚めた彼らが最初に聞くのは誰かの生死だ。それを伝えることが一番辛く苦しいけれど、きっと皆これからも前を向いて生きていくだろうと感じられる程には、皆晴れ晴れとした面持ちだった。
「カナヲちゃんと炭治郎くんが仲良いのが嬉しいの?」
「そうだな」
 冨岡の隣に腰を下ろして問いかけると、柔らかい笑みのまま同意した。
 鬼殺から離れれば隊士は本来の姿を取り戻す。冨岡もまたそうだった。厳しく冷静な人ではあるが、本来は穏やかで争いを好まない。少しばかり滲み出ていた今までと違い、今はそれを押し殺すこともしなくて良くなった。気を張り続ける理由がなくなったからだ。
「カナヲはこのまま蝶屋敷で預かってくれるか」
「え。どうして、カナヲちゃんは冨岡くんを一人にしたくないと思うわ」
 刀はもう持たなくて良い。自分も持つことはもうない。療養する隊士は多く、人手が足りないのだから手伝いを頼めばカナヲはやってくれる。それはそうだが、カナエは納得ができなかった。一人で何とかなると本人は言うが、そういうことではない。
 カナヲが兄である冨岡と同じ時間を過ごしたいという気持ちはカナエにも伝わるくらい大きなものだ。それを冨岡がわかっていないとは思わなかった。
「いずれ出ていく。こちらに戻ることはない」
 冨岡の視線は前方へ、桜の木を見上げて会話をしているカナヲと炭治郎へと向けられた。
 カナエはふと思い当たり、口元へと手を当てて成程、と一人納得した。そういう意味での戻ることはない、か。言い方を間違えればカナヲが悲しみそうで、カナエは笑いを堪えきれず肩を震わせた。
「冨岡くん、それはカナヲちゃんも不安になるわよ」
「問題ない。使うつもりはなかったが、胡蝶のように義手を頼んでも良い」
「一人になるのは変わらないでしょ? だったら、私があなたと一緒に住んでも良い?」
 穏やかだった表情が驚愕に染まり、目を丸くした冨岡はカナエを凝視した。何故と呟いた冨岡に、今までカナヲがいたから急に一人になる寂しさや不便さを説く。眉根を寄せた冨岡は納得できないようだった。
「冨岡くんが蝶屋敷に住んでも良いのよ。それならお世話もできるし、片腕がなくても冨岡くんだから男手があると助かることもあるだろうし、良いと思うの」
「世話は要らない」
「私がしたいのよ。冨岡くんのそばにいたいの」
 庭へと視線を戻した冨岡が黙り込み、カナエは気にせずそのまま話を続ける。
「この先、残り数年の命だとしても。最後の時間を私に頂戴。……私じゃなくても良い。誰かにその時間をあげて」
 カナエを何とも思えないのならそれでも構わない。その役はできればカナエが良いけれど、誰かに託すことになるならそれでも良かった。冨岡がこの先幸せを感じられるよう、一人にならないようにそばにいてくれる誰かがいるならば。
「……考えたことがない」
「じゃあ考えてみて。待ってるから」
 やがて口を開いた冨岡は一言呟き、それにカナエは返事をした。困惑したような表情を見せた冨岡が気になったのか、庭からカナヲと炭治郎が戻ってくる。炭治郎には匂いでばれてしまうかもしれないが。

*

 カナエの声が蜜璃の耳に残る。
 最後の時間を私に。そう口にしたカナエの話を聞くつもりはなかった。たまたま通りかかって耳に入って来てしまったのだ。
 カナエが冨岡を慕っているということは、実は随分前から知っていた。胡蝶姉妹と文通をしている蜜璃は自分の気持ちを隠すことなく綴っているし、それに助言を返してくれるのがカナエとしのぶだ。しのぶは少し医師のような目線で返してくれるけれど、カナエは共感すると自分のことを教えてくれたのだ。本当はずっと冨岡を見つめていたことを。
 蝶屋敷で診察に来ると、蜜璃はカナエにときめいたことを教える。不死川の傷が増えているだとか、煉獄は継子を辞した後も蜜璃を気にかけてくれるとか、中でも伊黒は優しくて、食事中の蜜璃を見ても少しも引いたりしないとか。
 他にも色々な人の話を聞かせたけれど、蜜璃は冨岡の様子を伊黒の話と同じくらいカナエに聞かせていた。
 柱だったというカナエが引退し蝶屋敷に常駐し始めてから、蜜璃が鬼殺隊に入り柱になってからの冨岡の様子。彼女はカナヲを通して見てはいたけれど、それでも蜜璃やしのぶから聞く冨岡の話を聞きたいと言って頼むのだ。
 カナエの気持ちは良くわかる。蜜璃は鬼舞辻無惨との死闘の後、彼女のようにしっかりと口にした。どれだけ短い時間でもそばにいたい。来世の約束をしてくれた伊黒と、寿命が尽きるまで一緒に過ごすことを約束してくれた。
 伊黒は両目を傷つけられ、体も思うように動かず車椅子でしか動くことができない。後遺症があり痣を出した自分も長くはないと言い、構わず幸せを探してほしいと口にしていた。伊黒のそばにいることが幸せだと伝えると、ようやく頷いて受け入れてくれた。残り少ない時間を二人で過ごすことを。
 鬼のいない世を二人で過ごし、先に逝ってしまっても、次に会えたら今度こそお嫁さんにしてくれると言ってくれた。残されても先に逝っても悔いはない。その先の約束があるからだ。
 冨岡もそう思ってくれれば良い。カナエは蜜璃と違って時間はあるけれど、その分残されることになるだろうけれど。それでも好きな人と同じ時間を過ごしたいのだ。
 どうか想いが伝わりますように。きちんと届いて受け入れてくれますように。そして叶うなら、今度は皆が元気に過ごせる世でまた会えたら良い。
「冨岡さんには大事な人はいるかしら」
「……え、冨岡? さあ……冨岡、は妹が大事なんじゃないか」
 伊黒のいる病室で独り言のように呟くと、少々驚いたような声音で伊黒は答えてくれた。
 冨岡の妹。カナヲのことだ。確かに彼は気にかけているようだった。
「そっか、そうよね。じゃあカナヲちゃんが誰かのお嫁さんになったら、冨岡さんも結婚するかしら!」
「……冨岡が……するだろうか。あいつは、不死川も煉獄も、痣を出していたし、時透や竈門のように若くもない。早晩残して逝くことがわかっていて結婚などするだろうか」
 伊黒は彼らのことを理解している。伊黒だって長くはないからと口にして蜜璃を遠ざけようとしていた。煉獄は弟に跡継ぎを任せ、不死川もそう長くは生きられないという玄弥の世話をするのだという。冨岡もきっとカナヲを見守りながら一人で過ごすのではないかというのだ。
「生き残れたんだ、それが不幸だとは思わんが……周りは放っておかないのだろうな。……誰か、冨岡を想うような奇特な者でもいたのか?」
 ぎくりと肩を震わせると、伊黒はそれを察したらしく楽しそうに笑った。どうして見えないのにばれてしまうのか。悲鳴嶼もそうだった。伊黒の首に巻きつく鏑丸を見て、彼が教えたのだと蜜璃は気づいた。
「だが、そうか……それなら強引にいかねば奴も頷きはしまい。接点もなければ更にあの調子でにべもなく袖にするだろう」
「接点ならいっぱい!」
「甘露寺、ばれてしまうぞ」
 蜜璃の言葉で誰がそうであるかを絞り込めてしまったようだ。慌てて聞かなかったことにしてほしいと口にすると、冨岡のその手の事情など興味がないと伊黒は溜息を吐いた。
「まあ……一筋縄ではいかないだろうがね」
「そうかも。でも皆幸せな時間を生きてほしいわ。それが誰かと添い遂げることじゃなくても」
 蜜璃は誰かと生きることを幸せだと思うけれど、皆が皆そうではないのかもしれない。だがもし自分の寿命が原因でしたいことを諦めようとしているのなら、それはきっと違うと思うのだ。
 添い遂げる誰かが納得して尚そばにいたいというのなら、それは間違いなく幸せなのだ。