目覚め

 病室が足りないのと仲が良いからと三人並んで寝かされた蝶屋敷の一室で、不死川は目を覚ましていた。
 真ん中を挟んで壁際にいる宇髄は不死川が起きる前に目を覚ましており、起きた当初は騒いで大変だった。真ん中に眠る冨岡は苦しむ様子がありながらもまだ目を覚ましていないらしい。
 騒いでいれば起きるのではないかと宇髄は言うが、騒がしいのを嫌う冨岡では逆効果ではないかとも思う。まあ案外見ているのは嫌いではなさそうではあるが。
 カナヲはずっと冨岡と炭治郎の病室を行き来しており、二人を同室にすべきではなかったのかとお節介ながら考えた。
 そうしてまた大勢病室に現れては騒がしく過ごす奴らを窘めつつ、冨岡のそばに座るカナヲへ目を向けた時、真ん中の寝台にいた冨岡の瞼が震えた気がした。
「………、」
 起きた。目を開けた。静まり返った室内で思わず仰向けに休んでいた不死川も冨岡の横顔を凝視する。宇髄などカナヲの後ろからでかい図体で覗き込み、そしてカナエが息を呑んだ。視線だけを動かしカナヲへと目を向けると、小さく枯れた頼りない声が良く頑張ったと呟いて笑った。冨岡が伸ばした手をカナヲが両手で掴み、まるで子供のように声を上げて泣いた。
 その様子に驚きながらも喜んだ隊士と隠に紛れて、カナエは安堵しながら泣き笑いのような表情を見せた。
「水柱様の目が覚めたんですか!?」
 狼狽しながらアオイが引き連れてきたのは天狗の面を被った老人だった。
 見覚えがある。前回もこうして生死を彷徨い戻って来た時、冨岡のそばにいたこいつの師だ。泣いているカナヲが縋りついている反対側から冨岡を抱き締め、良く頑張ったと面の奥で泣いて叫んだ。冨岡と同じことを言う。微笑ましいような気分だった。
「……先生、に」
 紹介したい者がいる。消え入りそうな声でそう言ったように聞こえたが、不死川の耳は間違っていないようだった。後で良い、今は休めと鱗滝が言うが、冨岡はカナヲに握られている手に力を込めて見せるように少し上げた。
「……妹です」
 涙でぐずぐずになったままカナヲが顔を上げると、鱗滝は少し黙り込んだ後にそうかと口にした。感極まりでもしたのだろう、カナヲも巻き込んでまた抱き締めて、慌ててアオイが控えめに離れるよう口にした。
「申し訳ありません、鱗滝様。起きたばかりで水柱様もまだ具合が」
「そうだな、すまない。……良かった……」
 アオイが差し出した椅子にふらりと座り込み、鱗滝は俯いて面をずらし奥の目元を覆った。隠の連中が廊下を駆け出して行く。不死川の時もやられたように冨岡の目覚めを教えてまわるのだろう。
「義勇さん!」
 そうして来たのが禰豆子と伊之助、そして善逸だ。遅れて隊士の一人が隠に連れられて廊下から部屋を覗き込んでいた。あいつは確か、そうだ。
「お前も入れよ。心配してたんだろ」
 宇髄が手招きすると隠と隊士がおずおずと室内に入り、禰豆子が椅子を差し出したものの断って冨岡へと顔を向けた。歪んだ口元が震え出し、何かを言おうとして目元を覆った。村田、と小さな声が耳に届く。そう、村田だ。前回にもいた冨岡の同期。
 弱っちかろうと最後まで生き残った隊士だ。
「さっさと治せよ半々羽織!」
「飛び跳ねないで! あなたもまだ治ってないんだから!」
 冨岡の寝台の上で騒がしく飛び跳ねる伊之助に呆れていると、重そうな瞬きを冨岡がしたらしい。目元を拭い降りるよう伊之助を諭し、カナヲは目を瞑った冨岡の顔を眺めた。
「良かった、本当に……後はお兄ちゃんが起きれば皆目を覚ましますね」
 安心して気が抜けたらしく、禰豆子は力なく床へとしゃがみ込みそうになり、善逸がそれを支えるように腕を掴んだ。

*

 冨岡が起きて数日、見舞いに向かった先で見た光景に思わず小さな悲鳴を上げた。
 同じく見舞いに来ていた隠の後藤とともに冨岡のいる部屋の戸を開けると、真ん中にある寝台の上で起き上がっている冨岡を挟むようにして宇髄、猪頭を頭に乗せた素顔の伊之助が手元の何かを覗き込んでいる。起きたばかりで元気だな、柱はやっぱり化け物だ。なんて頭の隅で考えつつ、面が眩し過ぎる、と村田は思わず手で目元の光を遮った。
「村田か。眩しかったか?」
 こちらに気づいた冨岡は村田の行動が気になったのか、寝台の背後に位置する窓を確認するように振り返った。
 めちゃくちゃ眩しいよ、主にお前らの顔面の造型が。柱も含めての相手に対しての言葉遣いではないが、内心で思うだけなら誰にもばれない。隣を確認すればちゃんとわかっているとでも言っているように目を細める後藤がいた。
「んだよ、廊下で立ち止まりやがって。………!」
 聞き知った声に振り向くと、まさかの不死川すら眩しそうに三人を見た。まじかよ、この人もそんなこと思うのか。いや村田と同じ感想を持ったかどうかは定かではないし聞くのも怖いが。
「何、そんな眩しいか? 戸の付近に直射日光当たるのかね」
「おい、早く捲れよ! 俺は天ぷら食えるとこが良い!」
 不思議そうに首を傾げる宇髄は窓を確認したが、それでも納得はできないようだった。伊之助の傍若無人ぶりに後藤は顔色を青くしたが、冨岡が気にしていないように見えるから止めなくて良いのか迷っているらしい。
「何見てるんだ?」
「どこぞで貰ってきたという飯屋のちらしを渡された。食べに行きたいらしい」
「ふぐ刺しあるとこにしろよ。不死川の甘味もな」
「俺を巻き込むんじゃねェ」
 伊之助が貰ってきたというちらしは鰻や蕎麦、定食など様々だったが、新しくできた店もあるらしい。しかし、起きて数日の冨岡が出歩けるようになるまで何日かかるかはわからないが、少なくともすぐには無理だろう。伊之助は今にも連れていきそうな様子だったが。
「失礼します。外出許可はまだまだ先ですから、伊之助さんは落ち着いてね」
 現れたアオイに窘められ、伊之助は驚愕したように表情を変えた。アオイは気にせず盆を置き、後ろからカナヲも食事を持って入ってくる。そういえば昼食の時間か、と村田は思い至った。
「何!? 起きたらもう動けるだろ! こいつは半々羽織だぞ!」
「俺を何だと思ってるんだ」
 眉根を寄せて伊之助を訝しむ冨岡には悪いが、伊之助の言いたいこともわかってしまう。あれだけ強い柱の一角なのだから、すぐに快復しても不思議じゃないとも思えるくらい。まあ消耗も激しく生死を彷徨っていたくらいなので、そう簡単に快復するわけがないことも村田にはわかっているが。
「半々羽織だろ」
「嘴平の絶対的な信頼を得たらしいな」
「それお前もだぞォ」
 神と崇めよと常日頃言っている宇髄は、以前の共闘からすでに伊之助からは祭りの神と呼ばれている。傍若無人ぶりばかりが目につくが、伊之助なりに柱への信頼は厚かった。
「お、あんみつ」
「次はふぐ刺しで頼むぜ」
「食べに行くしかありませんね……」
 この部屋の怪我人三人分の食事を持ってきたアオイとカナヲは、持ち回りで皆の好物を取り入れた食事を作っていると以前言っていた。今日の昼食は鮭大根が主菜のようだ。冨岡の目が輝いたので、恐らく彼の好物なのだろう。食後の甘味は不死川のためか。
「あ、こら! あなたのはちゃんと用意してあるから!」
 掬い上げた冨岡の匙に食いついた伊之助は、アオイに怒られながらも咀嚼してしまっていた。後藤の顔色が一層青くなるのが見えた。カナヲが悲しげに動揺したのも。
「今日はカナエ様と一緒にカナヲも作ったのに」
「そうか」
「おい量が少ねえぞ、そんなんじゃ早く治らねえ」
「お前が食うからだろォ」
 再び匙に乗せた鮭大根を咀嚼して、冨岡は口を綻ばせて美味いと一言呟いた。安堵したカナヲが嬉しそうにしているのは微笑ましいのだが、間近で手元を覗き込む伊之助がいて食べ辛そうに見えた。
「そんなに腹が減るのか」
「飯時だからだろ。素直に部屋戻って食えよ」
「目の前の食いもんは全部俺のもの!」
「そんなわけないでしょ!」
 何を思ったのか冨岡は匙を伊之助へと向け、もう一度食べさせてからもう終わりだと遠ざけるように伊之助の顔を押し戻した。何やらまた衝撃を受けているカナヲが目に映ったが、仲が良さそうなのが村田の目にも珍しく映る。まあ冨岡は伊之助のことを嫌いではないのだろう。
「カナヲが水柱様に作ったものだから、あなたのは向こうにあるわよ」
「俺もここで食う! 食い終わったら祭りの神と風のおっさんと半々羽織でやり合うんだからな」
「いや、やらないが。胡蝶に怒られる」
「起きたばっかだしな。素直に我妻とかと遊んどけよ。あいつらどこ行ってんの?」
「何で俺だけおっさん扱いィ!?」
 伊之助一人いるだけで騒がしい。手綱を握れる者がいるなら見てみたいが、炭治郎くらいしかいなさそうだった。まだ目覚めていないからちょっかいを出すことを禁じられているのだろう。伊之助は良く他の病室でも騒がしくしているらしい。
 それも有難いと思うくらい、皆憔悴しきっていたのだ。伊之助も心配していたことは村田も理解していた。
 部屋を飛び出しすぐに戻ってきた伊之助の手には同じ昼食があり、本当にここで食べる気のようだ。アオイが慌てて台を用意し、そこに盆を置いて食べ始めた。炭治郎もだがこいつも距離の詰め方がおかしかった。

*

「片目は失明したか」
「はい」
 車椅子での移動の許可が下り、カナヲは義勇を連れて庭へと出ていた。
 途中呼び止める声もあったが、話をしたいカナヲの心情を汲んでくれたのか、それとも本人が騒がしいのを嫌がったのかはわからないが、蝶屋敷に運ばれてから二人になることがなく、カナヲは少し嬉しかった。
 炭治郎は少し前に目を覚まし、入れ代わり立ち代わりに人が集まっては喜んでいた。義勇が顔を出した時、炭治郎は泣きながら何度も礼を言ってはもう要らないとにべもなく返されていた。柔らかく笑みを向けた義勇が嬉しそうだったから、カナヲも禰豆子も嬉しくて目を見合わせたものだった。
「使うべき時の見極めができたようだ」
「……はい」
 迷いはあった。義勇の言うその時が本当にここなのかと思いもしたが、悩んだのは一瞬。心に従えと炭治郎が言ったからカナヲはそれに従った。誰も死なせたくない、今しかないと。
 良くやったと褒められたのが嬉しくて、カナヲは溢れてくる笑みをそのまま表情に出した。
「鍛錬しかさせてやれなかったが、これからは何をしても良い。したいと思うことをしろ」
 したいこと。カナヲがしたいと思うことは、こうして義勇と一緒に時間を過ごすことだ。皆と同じ空間で同じように笑っていたい。その時間は長くはないこともわかっているが、カナヲが望むことはそれだけだ。
「お前が鬼殺隊でしたかったことは、恐らく叶ったんだろう」
「はい。腕は無くなったけど、生きていてくれました」
「……腕か。精進が足りん」
 少しばかり困ったように眉尻を下げた義勇に、カナヲは勢い良く首を横に振って応えた。義勇は生きていてくれた。こうしてのんびり過ごす時間を与えてくれたのだ。
「お前がいなければ俺は炭治郎を殺していた。……ありがとう」
「私じゃなく、しのぶさんが薬をくれたから」
「どちらもいなければならなかった。俺には無理だった。何度考えても……殺す以外の選択肢は俺には出せなかった」
 義勇がいなければカナヲは鬼殺隊でこうして闘うことはできなかった。炭治郎も禰豆子も生きていなかった。誰かが一つずつできることをして、未来へと繋げていく。そうして多くの命が助かった。カナヲはそれをきちんと理解できていた。誰が欠けてもこの未来は来なかったはずだ。
 柱としての義勇の判断はきっと正しい。炭治郎を思い皆が躊躇することを自ら泥を被る形でやり遂げようとしたのだ。被害を最小限に抑えるために。
「お前が来るのを待っていたんだ」
 義勇に見えていたものが何か、カナヲにはやはりわからなかった。しのぶから薬を貰い受けたことをまるで知っていたかのような言葉に首を傾げたくなったが、そんなことよりも伝えたい言葉があった。
「あなたを誇りに思います。兄さんに拾われて良かった」
 目を丸くした義勇がやがてカナヲに笑みを向ける。目に焼きつけるようにカナヲは眺めた。