みなしご

 冨岡は困っていた。
 前回よりも鍛錬量を増やし、前回よりも早く柱を拝命し、前回ならば自己を卑下して嫌悪して柱ではないと蹲っていたはずの自分を、柱と認めた上でそこにあることを望んだ。
 一度は死んだはずの人生が、記憶だけを置き去りに巻き戻ったかのように二度目をやり直している。いくらか前回と違うことが起こりその度に不安になったものだが、もう冨岡はそういうものだと諦めた。諦めた上で最善を掴むためにこうして柱として生きている。前回よりも構ってくる宇髄に関して思うことはなくもないが、大抵違和を覚えるだけに留まっている。まさか己と同じ境遇ではないかと問いかけても、きっと疑念の目で見られるだけだろう、あの時の親戚のように。
 だから冨岡は見覚えのある顔を見つけても、極力嬉しさを表に出さないよう努めていた。そうしなければ突然見知らぬ者が親しげに話しかけてきたと思われ逃げられるだろう。宇髄が話しかけてくれて冨岡は嬉しかったのだ。自分から話すのは苦手な上に、初対面での弾んだ会話などほぼした記憶がない。幼い頃はあったかもしれないが、全くもって身についていないのだから。
 そういうわけで、冨岡は前回とそう変わらぬ態度で隊士たちと接していた。宇髄だけは構ってくれるからと段々地を出すことに抵抗がなくなってきたが、今回不死川が柱になったことでまた嫌われてしまうのではないかと少し不安だった。
 それが案外宇髄の提案に乗り、水柱邸へと共に来てくれるというのは冨岡にとっても驚くもので、そして嬉しいものだった。
 また友達として仲良くなれるかもしれない。むしろ今回不死川は前回よりも優しい。宇髄もだが、どうにもあの穏やかなひと時を少しでも過ごしたことを覚えている冨岡からすれば、親近感を覚えるなというほうが難しいのだ。自制しなければ同僚としての距離感を間違えてしまいそうなほどに。
「お邪魔しまーす」
 音を立てて引き戸を開けた宇髄が固まり、覗き込もうとした不死川もまた固まった。
「………っ、こいつが拾ったっていう子供か」
 よほど驚いたのか、珍しく言葉を詰まらせた宇髄が誤魔化すかのように続ける。二人の前に出て冨岡が覗き込むと、強張っていた顔がほっとしたように小さく笑みを浮かべた。知らぬ顔が現れて驚いたのだろう。
「おかえりなさいませ! こっちおいで」
「いや、そのままで良い」
 すでに十を越えているだろうはずの体は、抱き上げると全く肉がついていない軽い体であることがわかる。
 子供に慣れているわけではないが、冨岡とて子に触れる機会は数年だがあった。宇髄の子を抱かせてもらうこともあったし、弟弟子だった者の子、その者の妹の子も。まあその弟弟子の子を産んだのは目の前の孤児なのだが、そこは今置いておく。何よりそれは前回の話だ。
「えっと……名前は?」
「答えない」
「ああ、そうだっけ……いや、何か凄え驚いたわ」
 聞いていたのに、と呟きながら頭を掻く宇髄を観察する。事前に伝えていてもやはり冨岡の屋敷に子供がいることに驚いたのだろうか。首を傾げても答えるつもりはないらしい。
「てことは名前呼んでねえのか。つけてやれば」
「………」
 冨岡がつけるには少々躊躇する。子供の名前は決まっているのだが、それを本来の名付け親以外の自分がつけて良いものか。良いはずがない。
 だから冨岡は前回の名付け親に預けようかとも考えたのだが、今回そこへ全く立ち寄らずに冨岡は柱となった。前回の記憶がある冨岡はともかく、何故か宇髄と不死川が早々に柱となったのに、不死川より早く柱になっていたはずの者がまだなのだ。三人の任命が早まっているのに、他の柱は前回通りなのだろうか。その辺りも不可解だった。
 とにかく、今回冨岡はあの屋敷に関わることが全くなく、その上彼女はまだ柱にもなっていないので面識がない。急に訪問して子を預かってくれなどと言うのも不審者だと思われそうだし。
「どこか預けられる場所を探しているんだが」
「……うーん……まあ……蝶屋敷なら女ばかりだし、良いかもしんねえけど……俺行ったことねえからなあ」
「宇髄もか」
 自分もそうである。だから今回面識がないのに急に行くのがまずい気がして連れていけない。冨岡の言葉に目を丸くした宇髄は、ふうんと値踏みするような視線を向けた。
「さすが最年少の柱ってところか。自力の手当や藤の家紋の家で済む程度の怪我、今まででけえ怪我してねえんだろ。手術もない、血鬼術にもかからず」
「………」
「褒めてんだぞ」
 どこか疑うような視線を向けられた冨岡は、何と返すべきか悩んで口を閉ざした。その視線が何を意味しているか、聞いてみたいが聞くのが怖い。今まさに奇妙な体験をしている冨岡の話を聞いて、宇髄ならば笑って済ませてくれるかもしれないが、妙な奴だと思われるのは正直良い気分ではない。
「お前は?」
「……あるけどォ」
 傷だらけの不死川の体は、その特殊な稀血を使って鬼をおびき寄せ、酩酊させて頸を斬るという。そうだ、そのような闘い方をしていた。本当は避けていたらしいのだが、共同任務で隊士に捕まり引っ張られて行ったことが数度あるらしい。
「良いじゃん、お前一緒に行ってやれよ」
「何で俺一人!? てめェも来いよォ!」
「おいおい、俺らお前より先輩だぞ。言う事聞けよ」
「お前も来い」
 有無を言わさず宇髄の腕を掴むと、不死川は反対側の腕を掴んで歩き出した。

*

 栗花落じゃん。
 玄関先に座る孤児を見て最初に思ったのがそれだ。
 孤児を拾う拾わないはこの際冨岡の判断なので構わないが、よりによって栗花落カナヲを何故お前が拾うのだと溜息を吐きたくて仕方なかった。ぎりぎりのところで何とか誤魔化したが、呼んでしまえば何故宇髄が名を知っているのかと問い質されそうで嫌だった。
 あの姉妹は一体何をしているのか。どこで栗花落を保護したのかは知らないが、冨岡に見つかる前に捕まえておけとげんなりした。別にどちらが拾っても鬼殺隊に入ることは間違いないかもしれないが、そこはそれ、前回と違うことがあると少々面食らうのだ。
 あれほど前回他人を遠ざけていた冨岡が、子供とはいえ孤児を拾うとは。
 心に余裕があるらしいことは理解している。前と何が違うのか、その辺りに関して深く聞くことはできないが、その違いが宇髄には少し微笑ましかった。
 最後の闘いの後、のどかな世間を楽しんでいた頃を彷彿とさせて、良かったなあ、などと親戚の親父目線で見てしまうのだ。見た目が少年であるので余計に。まあ自分も若返っているのだが。
 その点不死川も少しその気がある。前回耀哉に食ってかかったはずの不死川は、今回しおらしく柱を拝命していた。冨岡が手当をしたという隊士は不死川の友人だというし、こいつも大事な友の命があったことで心に余裕があるのだろう。前回の鬼殺隊時代の二人の様子からは考えられないほどだ。宇髄からすれば懐かしむくらいの光景だが。
 そしてこの栗花落カナヲ。現時点でまだその名にはなっていないだろうことくらいはわかる。カナヲという名が蝶屋敷の主人から取っていることもわかる。だからこそ、宇髄が名を呼ぶわけにはいかなかった。
 どうにかして栗花落に栗花落カナヲという名をつけなければ別人になってしまうのだ。そのためにも蝶屋敷に預かってもらうのが一番良い。女所帯で冨岡のところにいるよりも人が多く、会話もすぐ覚えるだろう。話せないのかはわからないが。
 まあ冨岡から地面に降ろされ手を引かれている今、宇髄が顔を出した時に見せた表情の強張りがない以上、地味に冨岡に懐いていそうでもあるが。
 そうなると蝶屋敷に預けるのは少し可哀想なのかもしれない。だから冨岡より先に栗花落を見つけておくべきだったのだ。
「……はー……」
 溜息を吐いたのは全員だった。
 不死川は小言を言われるなどと呟き、冨岡は緊張するなどと宣っている。今回はどちらも本当にとっつきやすくなっているものだ。対する宇髄は複雑な溜息だ。
 蝶屋敷に来なかったのは決して避けていたわけではない。大怪我をすれば行くだろうとも思っていたし、柱になれば顔を合わせるだろうとも思っていた。前回蝶屋敷の主人が柱になったのは十七の時。その後すぐに彼女は上弦の弐と相対して殺された。宇髄はそれを救ってやりたいとも思うが、現時点でまだ勝てる見込みは少ない。
 せめてもう一人、それこそ冨岡か不死川でもいれば戦況はがらりと変わる。他でもない栗花落からの報告書に目を通して上弦の弐の闘い方はぼんやりとだが覚えている。勿論他の鬼もだ。
 あの時、宇髄は産屋敷の幼い当主を守るために身辺警護をしていた。それ自体は必要なことだ、誰かがやらなければならない。それでも一番辛く苦しかった闘いを人に任せてしまったことを悔いた。せめてあの上弦の陸との闘いで五体満足であったなら。そうすれば最後の闘いにも向かえただろうと思う。
 今回にも起こり得るだろう鬼舞辻無惨との闘いに備えるために宇髄は鍛錬を増やしたのだ。血反吐を吐いて弟を見捨て、他の誰かを救うために鬼殺隊へと入った。どれが最善だったかなど選択しなければわからないのだ。今の宇髄の選択が間違っていても。
 まあ、先のことは今は後にする。現在蝶屋敷の前で三人並んで溜息を吐いているのがどれほど異質であるかは想像に難くない。両隣にいる背中を強めに叩きながら、不死川を先頭に置き、その次に冨岡を置いた。
「何で俺が前だよォ」
「面識あんのお前じゃん。良い関係なんだろうな、門前払いとかやめろよ」
「ぐっ……うっせェ、威嚇なんかしねェよ」
 野生の獣か。そういえばこいつは野生の鬼狩り疑惑があったのだ。これが終わったら聞いてみるかと考えながら戸を叩いて開くのを眺めた。
「はーい! 急患ですか?」
「や、違うけどォ……胡蝶いるかァ、姉」
「はあ、おりますけど……そちらの方々は?」
 奥から出てきたのは白い看護服を纏った蝶屋敷の主人の妹だった。確かまだ十三歳、姉が生きていた頃こいつは喜怒哀楽の激しい子供だった。今も訝しげに眺めてくるのを隠しもしない。
「水柱と音柱だァ。存在くらい知ってんだろ」
「……えっ? あ、これは、ご挨拶が遅れてすみません。胡蝶カナエの妹のしのぶです」
「俺が音柱の宇髄だ。こいつは冨岡」
 肩に手を置くと冨岡は小さく会釈をし、手を引かれたまま栗花落は不思議そうに顔を見ていた。その様子を胡蝶の妹、しのぶがこれまた訝しげに眺めている。
「水柱様の……妹さんですか?」
「拾った」
「はあ?」
 つい出てしまったのだろう、慌てて口元を手で押さえつつしのぶは栗花落を覗き込んだ。冨岡と繋いでいる手に力が篭っている。どうやら初対面の人間は警戒するらしい。
「ええと、とりあえず、お上がりください。怪我人がいますのであまり静かではありませんが」
 栗花落を気にしながらもしのぶは三人を屋敷へと招き入れ、三者三様にそわそわとしながら上がり込んだ。