柱稽古にて
刀鍛冶の里で上弦を二体討ち倒し、更には新たな身体能力の向上についての詳細を聞いた。
寿命の前借りと揶揄される痣の発現による身体能力の向上。これについて宇髄は見ているだけしかできなかったものだ。
前回柱全員が痣を発現できたかどうかは定かではない。柱のみに絞れば痣の寿命で逝ったのは冨岡と不死川しかおらず、他の者たちは無限城での闘いで死んでいったからだ。
出さなければ勝てなかったわけではあるが、できることならば寿命など見えないまま生きていてほしい。だから宇髄は痣の話をしなかった。まあ甘い見通しで勝てるほど温い闘いではないことは思い知ったのだが。
今回宇髄はカナヲが救援に来たおかげで片腕を落とすことなく生還している。片目は見えていないが、それでも両腕があればできることは広がるし、視界が塞がっていようと見ることができる術を知っている。足手まといにならず、かつ死なせないよう立ち回るのだ。この上なく難しいが。
そしてその見る術。
他者の皮膚の下、骨格や内臓の動きすら見通して先読みする。心身を極限まで極めた者だけが辿り着く世界。
その領域を垣間見た宇髄は何としてもものにしなければならないと考えていた。あの疲労も毒も何もかもなかったかのような感覚。そこに到達すれば今以上の力を発揮できることは間違いない。
便宜上透き通る世界と呼んだそれを宇髄は会議で話したのだが。
「本当何でお前が先にものにしてんだよォ……」
「ものにはできてねえよ、まだ。それに煉獄も見えたって言ってただろ」
「何? 宇髄の他に見ている者がいるのか?」
見舞いついでに煉獄家へ立ち寄った時、冨岡と不死川を伴って療養中の煉獄に話を聞いたのだ。
放っておいてもその境地に達していく煉獄と冨岡には驚くばかりだが、煉獄が見たのは一瞬だけだったと言っていた。手負いでもあいつならばこの先いくらでも見られそうな気はする。
「おお、上弦の弐との戦闘で冨岡が見たって聞いてな。俺も見ることができた」
「上弦の弐を退けたのは四年前だったな……柱になった頃にはすでに達人級の剣技ではあったが……」
「四年前だと……、何で今まで黙って……いや、それは後で説教してやる。ということはそれからずっと見ているのか?」
「……たまに」
しのぶの眉根が寄り始めた。本当にたまになのかだいぶ怪しいところではあるし、しのぶの言いたいことは大体わかる。一瞬とはいえ冨岡や煉獄のように見えるのは極めた者でもひと握りなのだろう。宇髄は今回見ることはできたが、前回はそんな世界があることも知らなかったし痣を出そうとする前に引退してしまった。
「冨岡さんが馬鹿みたいに合わせるの上手いのはそれのせいなの?」
馬鹿という単語に冨岡は少々傷ついたらしいが、時透は気にせずかぶりを振った。
「やっぱいいや、どっちにしろ冨岡さんがおかしいだけだよね」
非常に心外そうな顔を冨岡は見せたが、時透の言うことも理解できる。
冨岡は動きを把握しているかのように隊士と斬り合わず刀を振るう。本人の進言ではそれは透き通る世界を見ていたりいなかったりのようだ。カナヲのような特殊な目ではないとしたら見えすぎているとは思うが、まあ良い。
文句を言いたそうな冨岡は無視して、とにかく能力の底上げは柱も込み。出してしまった痣はもう寿命が見えてしまったが、透き通る世界という領域にも足を踏み入れなければ望む未来は掴めないだろう。やるべきことはこうして決まったのだ。
そして今回、早々に復帰できた宇髄の代わりに、柱稽古最初の基礎訓練を煉獄が担当することになった。
煉獄自身柱であった頃よりも体力面、身体能力も含めて力が落ちている。それでも一般の隊士たちよりよほど強いのが化け物だし、正直にいえば柱のままでも問題ないと思うくらいだが。
宇髄が無事である代わりに、煉獄が輝利哉を守る役につくのではないかと考えていた。
そうなれば親子で警護するのかあ、などと少し見てみたい気もしたが、まあその辺りは一先ず置いておく。
まずは柱全員の痣の発現、そして透き通る世界への到達。これを目標に鬼の出ない今、隊士と柱の能力の底上げを図る。合間を縫って柱同士の連携も込みの稽古があるのだが。
「おうおう、やってんな」
「宇髄か、少し待て」
太刀筋矯正の訓練の合間に手合わせでもと思ってきたのだが、板に括られた隊士たちの多さは正に壮観だった。口枷をつけられているため悲鳴も救助を頼むこともできず、涙を流しながら縛られている隊士がそこかしこにいる。
「竈門がいんのか。容赦ねえなあ」
「ゴミカスに稽古をつけてやるだけ有難いと思え」
あの裁判から良い印象を持っていなかったのはわかっていたが、やはり今回も伊黒は炭治郎に好感を抱くことはないらしい。柱と育手に守られているだけの弱っちい隊士のくせに、更に甘露寺とのおやつの時間を根に持っている。今回は冨岡とそう悪い関係ではないというのに、どう足掻いても炭治郎に怒りは向くらしい。
「素質は悪くねえだろ? 上弦相手に何度も五体満足で生き残ってんだ」
「知るか、だったら俺相手に手間取るのがおかしい。何が生き残っただ、そんなもの柱に守られてばかりでこいつの力として数えられるのは運くらいのものだ」
辛辣。ひいひい言いながら炭治郎は床に這いつくばっているが、宇髄に気づくと弱々しく挨拶を返した。
「お前冨岡を四日間追い回して離れなかったらしいな」
「あ、えっと、お礼を言う暇が本当になくて、鬼も出ないし療養中の時なら話ができると思って行ったんです。そしたら礼を言われる筋合いはないと聞く耳を持ってくれなくて」
屋敷に行って声をかけても出てくる気配は一向になく、入りますと扉を開けて押し入ったらしい。そこでようやくきちんと顔を見て禰豆子と自分を助けてくれたことの礼と謝罪をすると、にべもなく言い放たれたのだそうだ。
「義勇さんの稽古は不死川さんの後なので、合間だと疲れて話ができないと思って。色々話をしたんですけど、最終的にはお礼を受け取ってくれました!」
押し付けたが正しい。そもそも冨岡はずっと気にかけていたくせに、寝ている時を見計らっているかのように顔だけ見て去っていっていた。柱は忙しいから仕方ないとはいえ、避けていると思われてもおかしくない。炭治郎は考えもしていないだろうが。
言葉だけでも受け取ったのならまあ良いが、宇髄はこの兄弟弟子の噛み合っているのかいないのか良くわからない関係が笑えたのだ。
「おい、何を勝手に休んでいる。誰が休憩を取っていいと言った」
「す、すみません!」
宇髄が話しかけたから中断したのだが、伊黒は苛立ちを抑えもせず稽古を再開させた。絶望顔の隊士の合間を縫って攻撃を仕掛ける伊黒の太刀に圧倒されながらも、炭治郎は果敢に攻撃を仕掛けようとしては隊士の視線に怯んでいるらしい。
宇髄の手合わせとしては来る時間を間違えたが、こうして見ているのは面白い。
「そもそも俺は冨岡めがこいつを庇うことも気に食わん。こんなところで足止めを食らっているような奴が鬼舞辻無惨に届くわけがない」
「まあ柱に匹敵するような力はまだねえけど、見所はあるじゃねえか」
「はあ。貴様も無駄に絆されたようだな。冨岡の妹は一日で次に行っていたぞ」
隊士としての経験の差があるのだから仕方ないが、それでも炭治郎は何度も死地を潜り抜けてきた。その経験は柱稽古では得られないものだ。私怨を多分に含んでいるので、伊黒に何を言っても無駄なのだが。
「弱いことは罪だ。守られていることを恥じろ。鬼殺以外に柱の手を煩わせるな。二度と甘露寺に近づけない体にしてやる!」
目を釣り上げて怒りを増幅させた伊黒に思いきり喉元を突かれ、炭治郎は意識を飛ばして倒れ込んだ。
「さて、不死川推薦の雷の呼吸使いはどう成長できるかねえ」
「……ああ、あの黄色頭の兄弟子とかいう。まあ悪くはないが特段不死川が目をかけるほどの奴とは思えん。竈門炭治郎然り、あいつらは見る目があるのかないのかわからんな」
一応伊黒の稽古を抜けていったようだし、伊黒がねちねちと言うほど質が悪いというわけでもなさそうだと宇髄は思っている。不死川に稽古を頼まれた時に感じた実力だ。
小生意気そうな奴と前回知り合いだったかどうか、宇髄は知らない。だが冨岡とカナヲのように、不死川も前回と違う道を辿っているのだ。鉢合わせて馬が合い稽古をつけるのもおかしなことではないとも感じる。
「冨岡の妹や時透のことは随分な逸材を見つけたものだと思ったが……あいつらに目立って突き抜けたものがあるかといえばそうでもない」
「稲玉も見所があるってだけの話だからな。まあ不死川にとって何かあったんだろ」
「しかも不死川は貴様らに色々頼みごとをしていただろう。そこまでするには何かあるのかと勘繰りもする。あいつのような稀血持ちなのかとかな」
成程。特異体質が色々と世話を焼く要因になった可能性もあるのか。不死川以外に稀血の知り合いはいなかったので宇髄は思い至らなかった。
まあそんな体質でなくとも、質の悪い一般隊士よりは余程力もあるし案外直向きだ。向き合って力を蓄えるように鍛錬を積めば、それなりの力は発揮できるだろう。
他人に目を向ける余裕があるのなら大したものだ。全てが終わった時、無事生き残った暁には酒の肴に聞いてみるのも良いかもしれない。
*
「もう行って良いぞォ」
「ありがとうございました」
上から数えたほうが早い階級の隊士の中でもカナヲは抜きん出ている。元々の素質に加え柱の呼吸の型を見続けていた上に、柱稽古が始まる前から冨岡との打ち込み稽古をするようになったと聞いている。技の精度は申し分なく、不死川の放つ技も体の動きを見て先回りするように避ける。こいつ透き通る世界見てるんじゃねェの、と疑いを持つくらいだ。うかうかしていては寝首を掻かれそうな気分だった。
「次は冨岡だから変わり映えしねェだろうけどな」
「……いえ。もっと稽古がしたいです」
照れたように俯きながら自分の思うことを口にする。良い傾向で何よりだが、倒れていた隊士たちから良からぬ視線がカナヲに向いていることに気づいてしまい、不死川は木刀で思いきり地面を叩いた。大袈裟に震えた者、死んだふりをする者、泣き出してしまう者と様々である。
「余力があんなら寝てんじゃねェよ。気絶するまで扱くっつったろォ」
反応した近くの隊士から叩き潰し、どうして良いのかわからないらしいカナヲはしばらくおろおろとしていたが、ひと通り叩きのめした不死川は行って良いともう一度声をかけた。
「良からぬ考え持ってる奴は叩き潰して縛り上げろって冨岡に言っとけェ」
「………? はい」
まああの冨岡がカナヲに邪な目を向ける隊士に気づくことなど難しそうだが。不死川とて鈍いと言われた過去があり、二回目の人生だから気づいたようなものである。黙って冷静に見極めていると思ったら単にぼんやりしていただけなんてこともあった冨岡では少々不安だった。腕っ節の話ではない。
カナヲを見送って死屍累々の庭から屋敷へ上がり、戸棚からおはぎを取り出してかぶりつく。前回通りであれば玄弥はそのうちここへ来るはずだ。殴って諭して説教しても、結局頑として譲らず悲鳴嶼に弟子入りまでして鬼殺隊にしがみつく玄弥を、それなら血反吐を吐くまで扱いてやると考えを改めたのだ。逃げないのなら逃げなくて良いよう強くする。そうして何があっても生き残らせる。
鬼殺隊でもある隠になれば一線で闘うことはしなくて良い。そう言っても玄弥は自分の手で不死川を守りたいのだと言った。いつか聞いた時透兄弟のやり取りを思い出し、兄にとって守るべき弟妹であろうとも、彼らは彼らで兄を守りたいと考える。それに気づいて不死川は少し考える余地を持ったのだ。
呼吸も使えないのだから隊士として扱うのが間違いなのだが、この頑固さは間違いなく自分の血縁だった。嬉しいような辛いような、複雑な気分で玄弥を思う。こちらは生きていてくれるだけで良いというのに、弟は弟で同じことを考えるのだ。弟に守られるほど弱くはないと言っても、ならば死ぬ寸前まで鍛えてほしいと恥も外聞もなく頭を下げる。それほど守りたいと思われているのが不死川の胸中をざわつかせた。
この柱稽古で足の一本でも折ってやれば退くだろうかと物騒なことを考えつつも、復帰できないような怪我を稽古で受ける程度では無限城で生き残るなど無理な話だと考えていた。悲鳴嶼のところにいた玄弥を不死川は本気で再起不能にさせるつもりで木刀を振るったことがあったが、予想以上に根性を見せるものだから全く成長というのは恐ろしい。これが鬼殺以外で見せた成長であれば喜んだというのに。
まあ、扱いていようと不死川は無限城へ行かせるつもりなどないが、あの時隊士の多くがあの場に取り込まれたことを考えると、居場所は鬼に割れていたのだろう。
不死川が前回のことを思い出した時、玄弥からすでに逃げた後だった。あの時和解できていれば鬼殺隊に入ることも阻止できたかもしれないが、当時はもう居所はわからず離れ離れになってしまっていた。
もっと早く不死川が思い出していれば玄弥が闘うことにはならなかったかもしれないのに。止められなかった不死川が今更考えることではないが、しのぶやカナヲを扱く宇髄や冨岡のことを思い出して、不死川も覚悟を決めることにした。ともに闘うという覚悟を、絶対に生きて帰らせるという覚悟を。