稽古の合間の兄弟弟子

「お前、兄弟子と仲悪いの?」
 不死川が獪岳と話しているのをぼんやりと眺めている善逸に問いかけると、複雑そうな顔をした後小さく頷いた。
「嫌われてるのはわかってるんで。俺も嫌いだし」
 それでも善逸は獪岳に歩み寄りたいのか、声をかけようとする素振りがあった。獪岳自身は話したくないようだが、目上の人間がいる手前か雑な返事を善逸へと向けていた。それよりも不死川や冨岡に話しかけてしまうものだから、俯きながら道場の隅へと腰を下ろしていたのだ。善逸を気にするように冨岡が目を向けたが、宇髄が話しかけるのを見てかそのまま獪岳に向き直った。
「つってもなあ、お前ら二人で一つみたいなとこあんだから、戦闘でも仲の悪さ発揮されたら困るぜ」
 善逸たちの育手と宇髄は知り合いではないが、雷の呼吸は壱ノ型が全ての基本だというのは知っている。壱ノ型を使えない獪岳が善逸に辛辣に当たるのも、ただ目障りで嫌いだからというだけではないのかもしれない。
 善逸は善逸で壱ノ型しか使えないのだから、互いに並々ならぬ思いを抱いているのだろう。
 臆病で泣き虫でもやる時はやることを宇髄は知っている。共闘でもできれば毛嫌いすることもなくなるのではないかと思うが、天邪鬼というのは獪岳だけではない。素直ではないのは不死川もだし。
「……俺なんて、壱ノ型しか使えないし」
「だからだろ。お前のじいちゃんは二人で柱になるよう願ってんじゃねえの? そうじゃなきゃ早々に見放すだろ」
「は、柱!?」
「何、なりたくねえのか」
「………、な、なりたくないって、いうか……なれないんで」
 なりたくないわけではないらしい。鬼を斬り続けてさえいれば、鬼殺隊は功績を評価してくれる。誰に対しても平等に。
 怖がりながら、眠りながらでしか鬼を倒せなくても、否が応でも善逸の階級は上がっているのだ。案外頑丈らしい善逸はあの三人との共同任務以外にも、単独任務で戦果を上げていると聞いている。
 不死川が獪岳を筋が良いというように、善逸も見所はしかとあるのだ。惜しむらくはその臆病で逃げ腰な気質だが、腹を括ればこいつも鬼へと突っ込んでいく。極めに極めた雷の呼吸の壱ノ型で、足が壊れてしまおうとも。
「お前ら二人とも継子にしてやろうか? 俺が死んだら代わりに柱になる。まあ死ぬ気はねえからなれねえけどな!」
「あ、そうですか……」
 呆れたような視線を向けてくる善逸に失礼さを感じ取った宇髄は頭を小突き、痛いと嘆きながら頭を擦る善逸に問いかけた。
「んで、漆ノ型はどこまで形になってんだよ」
「んぐっ、な、な、何でそれを、」
「冨岡にひっそり聞いてみたり派生の呼吸がどう作られるのか聞いてみたり、気づくなってほうが無理あるわ」
 まあ宇髄だから気づいたようなものだ。冨岡に話している内容は不死川には聞こえていなかっただろうし、興味本位で聞いているだけと考える者もいるだろう。以前新しい型に興味があるのかと問いかけた時、善逸は少しばかり逡巡して否定していた。その様子が正に興味津々だとでも言っているように見えたのだ。
「……わ、わかんないんです。俺別に冨岡さんが言うように特別速いと思えないし、耳くらいしか変わったとこなんてないし」
「俺だって特異体質でも何でもねえよ。冨岡もしのぶも、何かを作り出す奴らが全員特異なもんを持ってるわけじゃねえ」
 勿論あるならそれを存分に活かした型を作るのが良いとも思うが、ないからこそ試行錯誤して作り上げるのだ。特異なものを持っていない者が、鬼を殺して人を救うために、どんな鍛錬も厭わず技を練り上げていく。足りない力を補うために模索していくのだ。時透は天賦の才があるが、経験の足りなさを補うかのように新しい型を生み出していた。善逸の場合ならば、足りない技を増やすために。
「お前は自覚してねえがその耳を充分活かしてる。今度は速さを活かした型を作るのも悪くねえな」
「活かしてなんか……」
「くそ面倒臭え、冨岡みてえな奴だなお前。俺様からの褒め言葉は素直に受け取れ」
 臆病過ぎて気絶することで、本来の強さを眠ったまま発揮するこの男が耳を活かしていないはずがないのだ。速いというのも間違いはない。善逸自身が自覚していない身体能力の高さがある。まあ眠っているのだから自覚しようにもできないのだろうが。
 それを自覚して強くなりたいと更に思うのなら、いくらでも成長の余地はある。新たな型を作りたいと考えているくらい、逃げ腰はすでに改善してきているではないか。
 それも無意識なのかもしれないが、無意識下で強くなりたいと思えるものが善逸にはあったのだろう。誰かを守りたい。一緒に闘いたい。見返してやりたい。もしくは、闘いたくないなんてものかもしれないが。

* 柱稽古中の一幕

「炭治郎はまだ冨岡さんと話せてないんだよな」
「ん? ああ、うん。だから今しかないと思うんだ。冨岡さん家に行ってこようと思って」
 鬼の出没がぴたりと止んだ今、稽古に参加できないうちに屋敷を訪ねるつもりでいるようだ。
 柱稽古は始まっており、煉獄は快活に笑いながら善逸も伊之助も漏れなく思いきり扱いてくる。ひいひい言いながら顔を出す善逸ににこやかに声をかける炭治郎は、早く稽古がしたいと楽しみにしているらしい。意味がわからない。
 冨岡は遊郭から運ばれた炭治郎が寝ている時は顔を出していたのに、もしや避けているのではないかと勘繰ってしまうくらい、炭治郎が起きている時は一度も顔を出すことがなかったらしい。一応顔を見に来るくらいには気にかけていることもわかるのだが。
「それがどうかしたか?」
「あ、うーん。まあ良いんだけどさ。俺の兄弟子がさ」
 仲は良くないし嫌いだが、善逸は兄弟子である獪岳に歩み寄りたい気持ちはある。尊敬もしている。向こうが善逸を嫌っているので距離は離れていくばかりで、少々炭治郎と冨岡の関係も気にしてしまうところがあった。
「お前が刀鍛冶の里に行ってる時に来てさあ」
「お見舞いか? 良かったじゃないか」
「違うよ、蝶屋敷で稽古するって来たんだ、風のおっさんと冨岡さんと、あと宇髄さん」
 がちゃんと茶碗が音を立て、盆の上に乱暴に落とされた。
 幸い中身は白米で溢れるということはなかったが、衝撃を受けたらしい炭治郎は唖然として固まった。
「善逸、冨岡さんと仲良かったのか?」
「いや、俺じゃなくて……獪岳だよ、兄弟子。あいつ風のおっさんに元々稽古受けてるらしくて、定期的に扱かれてるらしいんだよな」
 鬼と見紛う形相の風柱に扱かれながらも獪岳は必死に食らいついていたし、水柱と音柱にも扱かれて死んでいた。ビビりながらそれを眺めていたら、ついでとばかりに善逸まで呼ばれて一緒に扱かれたし獪岳と手合わせまでさせられた。
 善逸は修業時代も獪岳に勝てた試しはなく、彼のついでに柱に扱かれるなど恐ろしくて逃げたかった。だがその柱が三人もいるから逃げられなかったのだ。稽古を見に来たカナエやしのぶまでいたので見世物のような気分でもあった。煉獄の稽古から逃げないのは当時よりはましだと何となく思ったからだ。煉獄は一人だし、三人もいないし。
 あの頃とそう変わりのない態度ではあったが、目上の者がいるせいかほんの少しだけ緩和していたような気がした。
「善逸、俺より先に冨岡さんの稽古受けたのか」
「俺が望んだんじゃないよ」
 実は扱かれた後拾壱ノ型の話を少しばかり聞いてみたのだが、これが宇髄の予想通りのような解答しか返ってこなかった。壱ノ型しか使えない善逸がどうにか生き残るために模索していて、善逸が使える型を形にしたくて聞いてみたのだ。
 柱なんて雲の上の人間に聞くのが間違っているのかもしれないが、恐らく冨岡の身体能力に特化した型なのだろうくらいしかわからなかった。飛んでくる攻撃を全部斬り落とすだけって、だけって何。
 己の体質を活かした型を作るほうが良い。
 あの時カナヲの見舞いに来た冨岡はそう言っていた。冨岡本人がそうして編み出した型なのだろうとは理解したのだが、自他共に認める怖がりであり、耳が良いだけの善逸がどんな型を作れば強くなれるのかは結局わからなかったのだ。見所などなく気の毒にでもなったのか、善逸を速いと褒めてはくれたのだが。それって雷の呼吸が速いだけだろうに。
 人に聞いてできるようなものではないことも何となくわかるが、一人で考えるよりも誰かに助言を受ければもっと早く完成できるのではないかと思ったのだ。宇髄は激励のようなことを口にしてくれたが、作り方というのはやはり詳しくはわからなかった。親身になってくれたことは有難かったが。
「善逸と話してるのに俺はまだお礼もできてないなんて……」
「いやだから、獪岳のついでだよ。何でも風のおっさんが獪岳を率先して扱いてるらしくてさあ」
 あの形相で案外面倒見が良いのかもしれないが、禰豆子を刺したと聞いている善逸の印象は最悪だ。女の子に刃を向けるなど不届き千万、最低野郎だ。何より怖い。それならまだ宇髄や冨岡に付き従っているほうがましのように思えたが、扱かれた後は考えを改めた。善逸にとっては全員似たようなものだった。この先にある彼らの稽古が恐ろしくてたまらない。
「善逸の兄弟子は冨岡さんたちと仲良いんだな」
「仲良いっていうのかなあれ。まあとにかく、変なところで接点あったんだ。何かちょっと音も変わってたし」
 ずっと鳴り響いていた不満の音が、ほんの少し違うものに変わっていた。それが彼ら柱のおかげというのなら感謝しなければならないのだろう。
 全く話せていない炭治郎と冨岡もあれなものだが、善逸と獪岳の関係も良いものではない。互いの兄弟子と歩み寄れるようになれたら良いなと思っているのだ。
「柱稽古どうだった?」
「いや、うん。凄かったよ、煉獄さんだからまだ優しい気がするし、たぶん全員怖いよ。柱って本当段違い」
「そうだよな。俺も早く稽古できるよう治さないと置いてかれるよ。本当に、どれだけ鍛錬したらあんなふうになれるんだろう」
 伊之助が強いと震えたくらい、柱は皆一般隊士の及びもつかない実力を持っている。宇髄の立ち回りもとんでもないものだった。冨岡も不死川も、実戦ではもっと凄いのだろう。刀鍛冶の里で見たという甘露寺や時透も凄かったのだという。きっとしのぶもそうなのだ。
 柱になりたいなどと善逸は口にするほど身の程知らずではない。だが柱の何百分の一でも勇気や実力があれば、足手まといにならず誰かを助けられるかもしれない。新たな型を形にできれば、獪岳とももっと良い関係になれるかもしれない。師が褒めてくれるかもしれない。師が生きている間に、善逸は善逸なりに晴れ姿を見せたいと思っているのだ。
 勇気を持つのは善逸には難しいけれど、臆病なりにやりたいこともやらなければならないこともわかっていた。獪岳の音が少しずつでも変わっているのであれば、善逸も変わらなければならないと思っていた。