討伐を終えて
上弦の陸を撃破したという情報はすぐにまわり、隊内では随分騒がしくなったらしい。
「いやあ、しばらくは俺も身動き取れねえけど、まあ何とか復帰できそうで良かったぜ。透き通る世界ってのも見えたしな」
視界を奪われた立ち回りも覚えがあるらしく、継続して透き通る世界が見えるようになれば盲目でも問題なさそうだと言う。宇髄はまだ闘えると随分機嫌良く笑っていた。
煉獄は復帰に意欲的ではあるが、彼も片目を潰され内臓を損傷しており、煉獄でなければ隊士として闘うことも難しいというのはカナエの弁だった。だが煉獄ならば柱への復帰も有り得ると少し羨ましそうにも見える笑みを見せ、今は訓練に励んでいるという。
「んで、何でお前ここにいんだよ。カナヲんとこいてやれば」
「後で寄る。そろそろ機能回復訓練に入るらしい」
「いや、ついててやれよって話なんだが」
溜息を漏らし呆れた顔を向けた宇髄に、冨岡は少し目を伏せて呟いた。
あの遊郭での闘いに参加した四人の隊士は重体だったが、我妻善逸とカナヲは翌日に目を覚ましていた。
二人と同室の炭治郎と嘴平伊之助はまだ目が覚めておらず、時折覗いてはカナヲの様子を眺めながら待っているもののなかなか目覚めないのだ。
別に目覚めを待たずとも、目覚めても何かを言わなければならないこともないのだが、どうやらカナヲは随分心配しているようだった。
「……我妻が騒がしく……」
「あー、あいつね。良いじゃん別に。俺も行こっかな」
労ってやんねえと。宇髄もすでに動き回れるのだが、奥方たちや隊士たちが代わる代わる部屋に来られなかなか見舞いに行くことができなかったらしい。慕われている証拠でもあろう。
「良し、行こうぜ。ほら、肩貸せよ」
「もう動けるんじゃないのか」
「労れ、崇め奉れ。お前は仕留め損なったけど俺は倒したぞ」
それを言われると耳が痛い。黙り込むとまた宇髄は嫌そうな顔をして、冗談だろと口にした。事実ではあるのだが。
「俺が片目一つで戻ってこられたのもあいつらがいたからだし、お前がカナヲを送り出したからだろ。透き通る世界の話も聞いたし」
「俺は何もしてない」
「面倒くせえな。人からの感謝は素直に受けとけ。俺の冗談は冗談で流せ」
軽口を叩きながら宇髄は冨岡に体重を預けて廊下を歩いていく。歩き辛いと思いながらも四人の病室の扉を叩くと、軽い声音が返事をした。扉を開けたのは一人の隠、寝台には眠る炭治郎と伊之助の両端に起きているカナヲと善逸がいた。
「わっ、お、音柱様、水柱様」
「よお、起きてんな。カナヲはいつから機能回復訓練だって?」
「三日後です」
「ふーん。お前は?」
「ふぎゃっ。お、俺もです……」
「良し、俺もその機能回復訓練に参加しよ」
「ゲーッ!」
思うままに悲鳴を上げた善逸を小突きながら宇髄は良くやったとそのまま頭を乱暴に掻き混ぜた。やめてくださいと慌てる様子を眺めつつ、冨岡はカナヲのそばにある椅子へ腰掛ける。出て行こうとした隠を引き止めた宇髄は、見舞いなのだろうと口にしてそのまま空いている椅子へ座るよう促した。
「お前カナヲに拾壱ノ型見せたことある?」
「………。見てるはずだが」
庭で石や木を利用した型の鍛錬はずっとしていたし、以前救援に駆けつけた任務でも使ったことがある。もしや遊郭で使うことがあったかとカナヲを見るが、目を伏せたまま黙り込んだ。
「ふうん。見ても盗めなかったか? 良いから言えよ、こいつが怒るわけねえだろ」
はらはらと眺める善逸と隠を無視した宇髄に、答えに困っているのか少し焦ったようにカナヲは目を泳がせ、宇髄の言葉に逡巡しながらも口を開いた。
「……何をしてるのかは見えてますが、体がついていきません」
ぎょっとした隠がカナヲを凝視し、善逸は知らないらしく不思議そうに眺めていた。
「やろうとしてたわけね。血鎌を拾壱ノ型で凌げりゃ毒もそう食らわなかったかもな」
成程。上弦の陸との闘いは二体の鬼のうちの兄が頭が切れ連携に苦しめられたが、毒を食らって更に厳しい闘いだったと聞いている。毒に耐性のある宇髄ならばともかく、カナヲたちのような耐性のない者はそもそも食らうことが致命的だ。それを防げる技があったなら、もう少し早く勝負はついていたということか。しかし。
「合わない水の呼吸の型を新たに覚えるというのも……」
それなら花の呼吸で新しく型を編み出したほうが良いのではないか。幸い蝶屋敷にはカナエがいるし、稽古はできずとも助言はくれるだろう。
「つっても防御に特化した型ってお前のそれくらいしかねえし、手っ取り早いかと思ってよ。カナヲなら見てたらできるかと思ったんだがな」
「己の体質を活かした型を作るほうが良いだろう」
赤く染まるあの目は冨岡としても使わせたくはないが、そうも言っていられないのが上弦の鬼との戦闘だ。使うべき時を見極めて、死なずに夜明けを見てくれるのならそれで良い。
「そりゃ確かに。派生の呼吸ってのはそうやってできるもんだしな」
そもそも五大呼吸といわれる基本の呼吸も、先人が試行錯誤して作り上げたものだ。そこに新たな型が加わることも珍しくはないはずだ。記述がないからといって冨岡が編み出したとされる拾壱ノ型がなかったと断言もできない。
「……その目を活かしたお前に合うものを作り出せば良い。使いどころは見誤るな」
「……はい」
カナヲの返事を聞き冨岡は椅子から立ち上がり、長く邪魔をするのも憚られたのでそろそろ屋敷へ戻ろうかと思ったのだが、歩き出そうとすると羽織が引っ張られる感覚を受けて振り向いた。カナヲの手が羽織の裾を掴み、目を泳がせながらも離そうとしなかった。
「………」
「………」
「いや、何か言えよ」
固まっていた冨岡とカナヲを見兼ねた宇髄から声がかけられ、冨岡は少し悩みながらもどうかしたかと問いかけた。
カナヲが何かを考えながら過ごしていることは知っている。ある時を境に意思表示が増えたことも。それは恐らく炭治郎が関係しているだろうと考えていたのだが。
「………、……退院したら、稽古をつけてほしいです」
今まで言うことのなかった要望が冨岡に向けられる。見ていればそれで型を覚えるほど目が良くても、実際の稽古や手合わせは必要なこともある。経験は更に重要で、任務で実際に触れる空気や鬼との戦闘を経て判断力を身につける。冨岡のような特異な身体能力のない隊士はそうやって身を鍛えていく。それがどれほど重要であるかは、冨岡自身も理解していたが。
カナヲから告げられる小さな頼みごとが、知らぬ間に口元が緩むほど、思っていたよりも嬉しいものであることに気がついた。
これも炭治郎のおかげだろう。不安げに揺れながらも冨岡を窺うカナヲの頭に手を乗せて、冨岡はわかったと一言呟いた。
*
後藤は目を剥いていた。
そもそもさっさと出ていくつもりだったのに、変な気を利かされて部屋に留まらせられ、居心地が悪いまま柱の話を聞いていた。
少しばかり縁のある一般隊士の見舞いに来ただけなのに、騒がしい隊士の話を聞きながら手土産の羊羹を食べていた時のことだ。何やら顔色を青くした我妻善逸が顔を歪めたが、扉が叩かれ深く考えずに来客を迎え入れようとした。廊下に立っていたのは音柱と水柱だったのだ。
柱。隠である後藤は柱と深く話をするようなことがない。特に水柱とは全く口を利いたことがなかった。寡黙な人だなと思ってはいても、自分などとは天と地ほども差のある雲の上の人物である。柱は大半が怖いしあまり関わりたいとは思っていない。
まあ悪い人ではないのだろうとは思っているのだが、それにしたってその柱が二人いる部屋に留まるとは思ってもいなかった。
話していることは戦闘に関しての呼吸の話だったのだが、よくよく聞いていると案外水柱は喋っていた。音柱と仲が良いらしいというのは聞いたことがあるし、蝶屋敷の主人であるカナエや蟲柱とも話しているのを見たことはある。
だからといって自分が話すとは思っていないし、こうして同じ空間にいることもおかしい。要らん気をまわさなくて良いんだよ、と引き止めた音柱を恨んだ。
妙な子だと思っていたカナヲが、ただ意思表示が苦手な普通の子のようだと感じたのはなかなかの発見ではあったし、恐らく珍しいだろうその意思表示を見た水柱が笑うところも驚愕する点だった。この人笑うんだな、などと口にするには失礼過ぎることを思ってしまったりしたし。
怒るわけないのか、とか、カナヲはやっぱり凄い子なのかとか、発見はいくつもあって後藤はずっと口布の下で唖然としていたのだ。
カナヲの頼みに頷いた水柱はそれでもすぐに出ていってしまい、少々しゅんとしたようにも見えるカナヲを眺めていた。
「あいつ、ついててやれって言ったのに」
「……安心してたみたいですけど」
「んなことはわかってんだよ」
我妻にも何やらわかることがあったらしいが、それは後藤にも何となくそうなのだろうと思ったことだ。
「あの、拾壱ノ型ってどんなのなんですか?」
興味でもあったのか、我妻は音柱に先程の話を蒸し返した。
そもそも隊士として鬼と闘うこと自体後藤にとっては尊敬できることなのだが、そこに更に派生した呼吸を作り出す、新しい型を作るなんてのはもう別次元の話だった。どんな頭をしていたらそんな型を作り出せて、どんな身体能力があればできるのかなんて及びもつかない。己より年下の子供が命を懸けて闘うのだ。そのために作り出すものは一体。
「んー? 間合いに入った全部を斬り伏せる技」
「は?」
「ありゃ今の柱の中でも珍しい防御技だ。そもそも呼吸の型に防御技がほぼねえけど。大抵鬼を殺すことに特化してるからな」
回避はあっても防御はないのだという。
間合いに入った全てを斬る。全てって何だそれは。仕組みを聞いても後藤は誰にそんな芸当ができるのかと詰め寄りたくなった。今の水柱しか使えないんじゃないのか。今の水柱しか使えないんだった。
「攻撃が見えてもそれを全て凪ぐ速さと正確さ、斬り伏せる力が無けりゃ使えねえ。カナヲが見えても体がついていかないってのはそういうことだな」
「うへ……な、何かこつとかあるんですかね……?」
「本人に聞けよ。まあ答えの予想はできるけど。根性」
「はあ?」
後藤もつい口から漏れてしまいそうになったが、何とか声を出すことを耐えた。根性て。
「皆そうだがあいつも叩き上げだぞ。気合いと根性でねじ伏せてきた奴だ。やれるかどうかじゃなくできるまでやるを地で行く奴。基本を極限まで磨き上げたのがあいつの型だ」
水柱の型は基本に忠実。だからこそ練度の違いが顕著にわかる。そんな話をどこかで誰かがしていたのを思い出した。
小細工などせずとも基本だけあれば闘えるのか。それを血反吐を吐くまで、死ぬ直前まで磨き上げてはいるのだろうけれど、やはり雲の上の人だと後藤は遠くの窓の外へ目を向けた。
「何お前、新しい型に興味あんの?」
「いやあ……別に」
「ふーん? 冨岡が言った通り、やりたいことと自分の性質に合ったものを作り上げたほうがそりゃ効率的だよ。もちろん今会得してる型を更に練り上げるのもな」
作っても良い、作らなくても良い。そんな言葉を音柱は二人へと向けた。本人がどうしたいかでやることは変わっていく。それはそうだ。
鬼を斬るために闘う隊士は、こうして力を蓄えていくのか。
*
「カナヲちゃんのついでだと思うけど、水柱も来てたよ。気にしてた」
「そっか、冨岡さん……俺まだお礼を言えてない……」
目覚めたことを伝えずに隠に怒られたカナヲは落ち込みつつも炭治郎が起きたことを喜んだ。
今日義勇が蝶屋敷に来ないなら帰ったら教えて、明日にでも一緒の見舞いに来たら良いだろうか。義勇も気にしているという善逸の言葉は本当だ。蝶屋敷に来ない時はいつもカナヲに炭治郎の様子を確認する。まだ目覚めていないと言うとそうかと切り上げるけれど、ほんの少しだけ心配そうな顔を見せるのだ。
義勇が炭治郎と禰豆子に命を懸けたことをカナヲはずっと気にしていたけれど。
彼が決めたことに口出しできることはない。決められたこと、指示にカナヲは従うだけだ。カナヲに心の在り方を教えてくれた炭治郎が、きっと義勇にとっても命を懸けるに値する何かがあったことは確かなのだろう。それでもどうしてそんなことをするのか不思議でならなかった。
だが義勇が二人を信じて守ろうとしているのだから、カナヲもそれを信じることにした。炭治郎は優しくてカナヲが知らなかったことを教えてくれた。死なせたくないと思うし、禰豆子に人を襲わせたくないと思う。義勇にも死んでほしくなかった。
遊郭での二人を見てからは、その気持ちが更に強くなったのだ。
なほ、すみ、きよが泣き出し、アオイも号泣しながら良かったと安堵していた。七日前に目が覚めた伊之助は元気そうに快復しているし、炭治郎が起きて蝶屋敷は騒がしくなっていた。
「おっ! やっと起きたか!」
騒がしさに部屋を覗いたらしい宇髄が顔を出し、任務の帰りだと口にした。炭治郎が起きたことを心配していた義勇に、教えに行ってやればと宇髄はカナヲに言った。
「こんなに衰弱してんだから邪魔になるか。やっぱ後日連れてこいよ、良い加減弟弟子と話しさせねえと」
顔だけ見て満足して帰るのはどうしようもない、と宇髄が呟いている。半々羽織が来るのかと何故か伊之助が反応した。話を聞けば那田蜘蛛山で助けられた後、木に括り付けられ放置されたのだという。その文句をまだ言っていないらしい。涙を流して宇髄が笑った。